おじさんは先のラグビーのワールドカップでスポーツ観戦の癖?がつき、以来、NBA(アメリカプロバスケットリーグ)やNFL(アメリカプロアメリカンフットボールリーグ)もよくテレビ観戦するようになった。


 スポーツでは熱さが裏目に出ることが多い。アメリカンフットボール(以下[アメフト])では強烈に体をぶつけ合うためか、格闘技と言う人もいる。中でも攻撃・守備チームを問わず、センター辺りにテンションの高い選手が多い。このスポーツでは、そうでなければ心身が保たないのかも知れない。


 数日前、プレーオフに突入したNFLで、スティーラーズ対ベンガルズ戦を観戦した。攻撃権ばかり入れ替わる低得点ゲームだったが、退屈させないなかなか力の入る一戦だった。


 おじさんに贔屓チームはない。いや、だからこそ死力を尽くす攻防を期待して、その時々で応援チームは変わる。それだけでなく、さっきまでこちらを応援していたのに、応援した方がひどい反則などをすれば、とたんに相手チームに鞍替えするなんて事は日常茶飯事である。


 スティーラーズ対ベンガルズ戦では、実況アナウンサーから比較的早い時間帯にベンガルズは22年間プレーオフでの勝利がないという情報を得たので、よし、それなら今日はベンガルズ応援で行こうと決めた。期待通りの熱戦で、前半は第1Q(クオーター)は互いに無得点、第2Qになると均衡が破れ、スティーラーズがFG(フィールドゴール)を2本決めたが僅か6:0である。
     ※ アメフトはクオーターと呼ばれるように1試合15分×4回で行う


ベンガルズとスティーラーズのロゴマーク


 半分を終えて、片方は得点なく、スティーラーズやや優勢ではあったが、感触としては未だ勝利の女神はどちらにも微笑んでいないように見えた。


 第3Qになりスティーラーズが1FG、1TD(タッチダウン)で15:0と一方的な差を付つけたところで、おじさんはベンガルズに暗雲が立ちこめた印象を抱いた。勝負の世界では内容は互角なのに差がついてしまうことがままある。この試合もそういう結果になる予感がしたのだ。


 ところが好事魔多し、第3Q終盤まで堅実に得点を重ねていたスティーラーズだったが、最後の攻撃プレーで正QB(クオーターバック)ロスリスバーガーが負傷し、第4Qの攻撃からは控えのQBと交代するというハプニングが起きた。


 そこからベンガルズの猛反撃が開始された。そしてついに第4Q残り2分辺りでTDが決まり16:15と1点勝ち越した。あとはエクストラ・ポイントで1点を加算するか、ツーポイント・コンバージョンで2点を取りに行くかだが、試合を安全にするためには3点差として相手のFGが決まっても同点という形にするのが戦い方だ。この場合、1点差も2点差も同じだから、ベンガルズはツーポイント・コンバージョンを選択し賭けに出た。そして失敗した。


 残り1分50秒、スティーラーズは時間を見ながら慎重にFG圏内までボールを運ばなければならない。ところが攻撃開始早々、いきなり交代した控えQBがインターセプトを喫しターンオーバー、残り1分30秒くらいだったと思う。誰もがベンガルズの勝利を確信した。おじさんにも女神がベンガルズに微笑んだのが見えた気がした。ところがそれは錯覚で、美しい横顔を微笑みと勘違いしていたようで、女神様はまだベンガルズにはご尊顔を向けてもいらっしゃらなかった。


 勝っている方が取るべき作戦、即ちベンガルズが時間を進ませるためにラン攻撃を用いたところ、RB(ランニングバック)のヒル選手がいいランを見せ4、5ヤードゲインした。そのままボールを抱えていれば良かったのに、距離を頑張りすぎて、ファンブルしてしまった。ボールは運悪くスティーラーズの守備陣が固まっているところに撥ねて、ご馳走様のターンオーバー、だがそこはフィールドゴール圏内までには相当距離がある。まだ5:5でベンガルズに勝利の可能性はある。


 さて、攻撃権を得たスティーラーズはタイムアウトの数、残り時間、フィールドゴール圏内までの距離を考えると、基本はライン際のパス攻撃しかなく、それもどこかで大きなゲインが必要という難しい状況に変わりはなかった。しかし、スティーラーズは短いゲインを重ねながらファーストダウンを2度ほど重ね、次の攻撃でQBは中央にうまくパスを通しファーストダウンを取った。しかし、ベンガルズのディフェンスも瞬殺で潰し、さらなるゲインは与えなかった。時間は残り20秒程度、しかし、フラッグが出ている。結果によっては試合終了を宣告されるに等しい場合がある。


 どちらの反則か? と固唾を呑んでいると、ディフェンス側すなわちベンガルズ側のファール、それも15ヤード脱退というから相当悪質なファールである。見た感じではパスキャッチした場面では左右からディフェンダーがタックルし、一瞬で倒すというさすがプロのプレーを見せて貰ったと感心していたので、どこか別の所でファールがあったのだと考えた。


 しかし、スロー再生が流れると、ファールはパスキャッチのシーンそのもので、ボールをキャッチし、右から選手がタックルに来てほぼ同時に左から選手が体当たりに来た。その左側の選手が相手のアゴ辺りにヘルメットの頭頂をぶつけるように当たったのがファールということらしい。


 プレーヤーは肩で当たったとジェスチャーで審判にアピールしていたが、スロー再生を観ると、アゴのカバーというか金網?のような部分に当たって、確かにまるでボクシングのアゴにフックが入ったように首を捻りながら倒れていった。元々頭頂からのタックルは危険すぎるので禁止されているようだ。しかし、プレーの中でヘルメット同士がぶつかるのは当たり前の光景なので、解説も一転二転していたが、結局、アンネセサリー・ラフネスなる反則を取られ15ヤード脱退となる。


 このあたりの細かな反則は、おじさんには分からないが。いずれにしてもも、これで労せずしてスティーラーズは15ヤードのゲインとなった。しかしなかなか次のプレイに入らない。最後に、手に汗握る長距離のFGを見たいのに、


 スティーラーズのコーチがフィールド内まで入り喚いているように見える。それに反応してベンガルズの選手が突っかかっていった。もみ合いのようなシーンがあり長い時間が経ってから、審判が出てきて反則を説明した。何もプレーしていないのに何の反則かと思いきや、アンスポーツマンライク・コンダクトなる反則で15ヤード脱退だという。これでスティーラーズは労せずしてファーストダウンを取った位置から30ヤード進むことになり、楽々FGを成功させ18:16と再逆転。


 その後、18秒ほど時間があったけれど、キックオフリターンも成功せず、タイムアウトも使い果たしているし、あれよあれよでベンガルズの攻撃は時間切れ試合終了と相成った。


 ターンオーバーのきっかけを作ったヒル選手はその後、ベンチに下がり目は伏せがちであった。誰も声を掛けに行かない。解説者も時間を使うことが目的なのに、ファンブルして相手に攻撃権を与えるとはと、厳しく言っていましたがその通りだ。1プレイして次のプレイまで30秒のインターバルが認められており、仮に4回の攻撃でファーストダウンが取れなくても、インターバルだけで1分半消費できる計算である。あとはパントで後ろに下げておけば、勝利は確実だった。


 彼らは有名な大学を出た選手ばかりだが、アメフトの知識は幼稚園並みである。敗因を作ったターンオーバーと二つの重い反則の中で、許されるのは真ん中のアンネセサリー・ラフネスの反則だけである。


 肩に行ったタックルが相手の体勢変化により少し上に当たってしまっただけで、まさにアクシデントの部類である。最後の反則も、相手ベンチの言葉にいきり立って反則を取られるとは、まさに愚の骨頂、もし敵の作戦ならまんまと引っ掛かった事になる。しかし、もっと悪いのはファンブルである。このプレイは救いようがない。


 こんな最終盤のストーリーは小説に書けない。こんな事を書いても逆に才能がないと思われてしまうだろう。勝利の女神様は勝った方に微笑むのではなく、負けた方に精神的ダメージを与える神様なのかも知れない。ベンガルズのチームとファンには後味の悪い試合になった。にわかファンのおじさんもスティーラーズに乗り替わる間もなく終了したので、深夜に悪態つくしか術がなかった。


 試合のハイライト動画はこちら
     http://www.nfljapan.com/streaming/20160110-9512.html


by 考葦(-.-)y-~~~ 
【書き始め 2016-01-13 10:43:45】

 今、昨年末に刊行された『崩壊 朝日新聞』を読み始めた。おじさんは速読が出来ないので、なかなか読み進まないが、拙ブログで折々に書いてきた事が、元朝日新聞記者の手で指摘されている。


崩壊 朝日新聞/ワック
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 著者の長谷川 煕(はせがわ ひろし)氏は1933年生まれというから、おじさんより20年以上も年長であり、〝中革〟〝革マル〟〝全学連(全日本学生自治会総連合)〟〝全共闘(全学共闘会議)〟などという言葉が連日のようにニュースで流れていた60年安保反対運動から続く、左翼運動華やかなりし時に朝日新聞社に就職されたことになる。


国会議事堂に向かう安保反対デモ
産経フォトより

 朝日新聞はご存じ何処かしらの国の広報紙と考えるべきで、とても日本の新聞とは言えない新聞である。当然、おじさんの事だから、元朝日の記者ということで、著者の思想傾向を真っ先に目次から探ってみた。だが、珍しく保守的思想の持ち主とお見受けした。さぞかし朝日では生き難かったであろうと読んでいくと、仕事が出来て保守的な思想の人は一定数存在するように書いてある。ただ流石に社長にはなれないようだ。文の印象から想像するに、おそらくその数一割程度か。


 その一割以外の人は予想通りマルクス主義者が占め、著者は同書執筆にあたり同僚や先輩などに〝取材〟していく訳だが、その対象者や遺族も含め、僅かな例外を除いて卑怯・無責任という言葉が脳裏を掠める人ばかりが登場する。


 松井やより、植村隆などのおなじみのお名前も目に付く。松井などは『松井やよりの錯誤』と題した一章をとって、検証し、批判している。昔も今も社内にはマルクス主義(の旗)がたなびき、事実を見る柔軟性がなく、旧日本兵と聞いただけで悪逆非道当然と、パブロフの犬よろしく、反射的に納得してしまう習性になっている。よって、ジャーナリズムの基本中の基本である現地の取材と事実の検証作業をスルーしてしまう傾向が見られるという。




 吉田清治の詐話に引っ掛かったのもそういう社の性質に起因するというのだが、おじさんはそれもあるかも知れないけれども、初めからこれを大問題にしたいという仕掛人がおり、下手な検証をして逆の事実が出て来ては困ると考える何者かが、敢えて取材させなかったと睨んでいる。著者も仕掛人を探すというスタンスではないが、どのような経緯で社の存続を危うくするような事態になったのか、その発端を調べるために当時の関係者に取材を試みている。しかし、既に故人になっていたり、存命でも取材拒否などで、はっきり詰められずに終わっている。


 結局、朝日新聞社は当時、行かせる権限のあった人間、行くことが出来た人間は誰一人、行くことも行かせることもしていないようだ。つまり、距離的には近くにある現地(済州島)に一人の記者も取材に行かせず、吉田清治の法螺話を丸ごと信じたというジャーナリストにあるまじき事実だけが浮き彫りになった。


 吉田清治はノンフィクションからフィクション、最後は小説だと、批判を受ける度に立ち位置をスライドさせていった。だが、フィクションや小説なら何故、講演をしたり、韓国へいって土下座したり、生涯謝罪し続けるなどとわざわざ言う必要があるのか。朝日もこれだけの蛮行を軍の命令で行ったと、実行した本人が言っているのだから、現地に赴き取材をし、矛盾点があれば吉田に質し、事実なら様々な証言が得られるであろうから、それらで肉付けをするのがまともなジャーナリズムと言うものであろう。


 読み進むうちに著者は転向保守ではなく、おじさんと同じ感性をお持ちだと分かり、20~30ページあたりから完全に安心して読むことができた。執筆に際しては、同じ新聞社に在籍した人間として社内のシステムもよく分かっているだろうし、かつて在籍した記者個人個人が著した書籍も数多ある。さらに存命の人、遺族などに取材を加えた成果を基に執筆されたのが本書である事を思えば、比較するのも失礼なくらい、植村隆の書いた文藝春秋の記事とは雲泥の差がある。


 この本全般で指摘されている事は、まさにおじさんが主張してきた通りである。かつて内部にいた人間の言葉故により重みがある。と同時にいかに朝日新聞という組織がマルクス主義に〝侵され〟ているかが浮き彫りにされている。一握りのまともな記者以外の朝日新聞社の社員個人が心の中で何を信条としているのか、それは現在の資本主義、自由主義を打ち壊すことである。


 さしずめ、日本を社会主義国家としたいのだろう。そのために意見がまったく一貫性を欠き、人権人権と言うくせに、支那がチベットやウイグルで行っている虐殺には目を向けようとしない。それは支那が現在、朝日の大好きな共産党独裁国家だからである。


 自由主義国家内に存在する大部分がマルクス主義者で構成される新聞が、はたして公平・公正な報道ができるだろうか。考えるまでもなく出来ていない。出来ていないからこそ、おじさんたち穏健保守派の人々が叩いているのである。その駄目具合があまりにも一貫性がないため、モグラ叩きのように、頭を出す奇妙な発言を叩くしかないのである。

本書の構成

  • 第一部 過去を悪とみる条件反射
  • 代二部 視野が狭くなる伝統
  • 第三部 方向感覚喪失の百年
 遅ればせながら、本書は上記のような構成になっており、各部が数章から成っている。第一部にマルキストの特徴が書かれていることからお分かりのように、佐々克明氏の「病める巨象―朝日新聞私史」や稲垣武氏の「朝日新聞血風録」の系譜を継ぐ、朝日新聞社OBによる告発本第三弾ともいえるものであり、今後、長く反朝日新聞派の座右に置かれることになるだろう。


 著者は朝日新聞という組織の更正、再生を願い筆を執られたのであろう。しかし、こちらに言わせればこんな新聞は不要であると断言せざるを得ない。慰安婦問題にしてもまるで他人事のように検証し、自らの発した記事により、我が国の尊厳がどれほど傷ついているのか理解しようともしない上に、第三者の検証の最中にあっても、誰の差し金か、こっそり外国メディアを使って、英文で慰安婦問題の記事を海外に流す所行に至っては、反省どころかすべて承知の上で意図的に行ったと断ぜざるを得ない。政党機関誌とどれほどの違いがあるというのか。マルキストの集団と宣言し、一般紙の仮面を剥がした上で、共産党の広報でもしたらいいだろう。


 おじさんはこの著書を読み、まともな記者が相当数いることを知った後でも、この本にも書かれている著者自身や松井やよりが関わった公害問題を含めた数多の見事な成果を知ってはいても、この新聞を公正・公平な報道をするメディアと認めることは出来ない。日本に与えた害悪はそれに数百倍するからである。

着手 2016-01-07 10:59:04
by 考葦(-.-)y-~~~
 韓国人の反応を見ていると、文化人類学的な興味が湧いてくる。知能指数は低くないし、気候風土や地政学的に説明しても何処かで壁に突き当たる。一国の民族性をそんな簡単な切り口で説明できる訳がないことは承知している。だが、こういう反応をするだろうなという事は容易に予測でき、事実ほぼ100%そうなる。


 慰安婦問題の話である。先に外相会議で〝不可逆的〟に解決したとされた慰安婦問題も、おじさんは軍の関与を認めてしまったので、あちらは何時までも言い募り、大使館前の慰安婦像の撤去も為されないだろうと予言しておいた。

  http://ameblo.jp/silvergrayt/entry-12111684965.html
 

 ところが韓国様はこちらの予想のさらに上を行き、もう一体設置された模様である。


出典:かけだし

 ふーん、今度は石膏製ですか。いま存命の人を象ったんでしょうか。急遽、安く上げるために石膏で。ブロンズの方は寒いからニットの帽子か何か被せてもらっているようですね。でも何だか滑稽です。


 もう一つ面白い話があって、シンシアリー氏の報告によると、ハンギョレ新聞が日本の『慰安婦問題の最高権威』である吉見義明先生が〝破棄〟しろと仰っているという趣旨の記事を書いたそうだ。


 吉見先生は決して両国の和解を望んでおられないのある。韓国が何時までも言い募ることが出来るようにしておけば、マルキストの吉見先生としては満足なのである。


 これまでのおじさん流判断の手法から言うと、マルキストの吉見教授が反対 ⇒ 賛成の方が正しい、となるのだが、軍の関与を認め、国税を10億使うという点で、この判断の例外とすべきなのか。


 何か反日側に不都合な点があるのかも知れない。韓国国内に波紋を投げかけ、混乱している様を拝見しよう。ここは〝見(けん)〟といこう。


 こういう騒ぎを繰り返していることが、民族の誇りと尊厳を傷付けている事に気付かないといけない。お金目的で慰安婦でしたと名乗りをあげる人もどうかしてますよ。近々またご紹介しますが、『崩壊 朝日新聞』という書籍に、敗戦後の引き上げの際に、女狩りの中国・朝鮮・ロシア人たちから、慰安婦の女性が何人も自ら手を上げて連れ去られていった事が書かれている。平等に連れて行かれればよかった筈なのに、一般の民を守って、その後、どうなったかは誰もが容易に想像が付く。今も存命である可能性は極めて低いと思われる。


 お名前を知る術もないこの方々も戦争に身を捧げた戦士として、おじさんは記憶しておきたい。

by 考葦(-.-)y-~~~




 ずれた感覚というものは、その集団内では正せないものである。それが国家単位となるともう少し意見が多様化し、互いに意見を認め合う事を前提に、中を取って折衷案が出たり、あるいは切磋琢磨して新たな価値観が創造されると我々日本人は思う。しかし、イスラム国家や韓国などはそうでもないようである。


 イスラムの事はよく知らないが、韓国では歴史は事実の積み重ねであるという至極もっともな世界共通の認識が通用せず、自分たちが〝歴史〟を改竄し、その世代と次の世代はその改竄した〝歴史〟に縛られ、あろうことか他国にもそれを強要しようとする。


 改竄した〝歴史〟は、ほとんど憐憫を催す類の〝歴史〟だが、一分の真実があるかも知れないと学んでみると、憐憫は困惑になり、憤りに姿を変え、噴飯に移行し、やがて憐憫に変わる。ほぼ元の位置に戻るわけだが、新しい憐憫は軽侮と冷笑を伴い救おうとする気持ちが失せた憐憫である。


 慰安婦問題も放っておけない国家の事情があったにせよ、軍の関与を認める言葉を用い、後世に誤った心的負担を負わせる懸念を残した。現状のまま従軍慰安婦不存在を世界に発信し続けるのとどちらが上かという命題となるが、それはなんとも言えない。


 ただこの問題のお陰で、潘基文国連事務総長が反日のために作られた事が明らかになった。朴槿恵大統領との電話での新年の挨拶で、先の外相会議での慰安婦問題決着を是とする潘基文国連事務総長の発言が公にされると、国内で批判が巻き起こり、ポロリと事務総長にした経緯が明らかになってしまったと、シンシアリー氏がブログで紹介している。


『言わば、潘基文氏を国連事務総長にしたのは日本を懲らしめるためだったのに、慰安婦合意を支持してどうする!という内容です。』

 初めから公正に物事を処理するつもりはありません。


 お得意のロビー活動で誕生させた国連事務総長は、下心をもった公平・公正とはかけ離れた人物であったということになる。如何にも〝韓国〟ではないか。


 初めから清廉潔白な人物などとは思っていないが、韓国側から改めて言われると有り難い限りである。


 言ったのは、【野党「ドブロ(共に)民主党」に入党した犯罪科学研究所の所長ピョ・チャンウォン氏】だそうだ。


 詳しくはシンシアリー氏のブログへどうぞ。


by 考葦(-.-)y-~~~
皆様 明けましてお目出とう御座います。


 おじさんは昨年最後に読んだ本で面白い知識を得ました。その本というのがこれです。


神様につながった電話 [ 保江邦夫 ]
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楽天

 その内容というより、最後に少し触れてある能力を活性化する簡単な方法がいたく気に入ったので、早くお教えしなければと元旦から筆を執りました。


 著者のことは以前、別の本を紹介したブログに書いてあるので参考にして下さい。

  http://ameblo.jp/silvergrayt/entry-12098411765.html


 さて、その能力を活性化する方法を大急ぎで書くと、昔、鉛筆に被せていた金属製のキャップ、あれを太い方(鉛筆を指す方)を耳の差し、穴の上部の方を刺激するように調整します。写真を見ると下45度に垂れ下がっているので、耳の穴の入り口の方に引っかけていると表現した方がいいでしょうか。


 しばらくすると、していることを忘れてしまうようになり、そのくらいするといい状態になるそうです。試しに早速おじさんも差してみましたが、頭が冷たく冴えて集中力が上がった気がします。もちろん、今も差した状態で書いてます。


 本の内容には触れずに役に立ちそうな所だけを紹介する──これぞテキトーおじさんの真骨頂といったところでしょうか。


 本年も変わらずお越し頂ければ幸いです。


 皆様に今年もありとあらゆる良きことが際限なく起きるでしょう……。


by 考葦(-.-)y-~~~

 今回の『慰安婦』問題の決着は、左右両陣営から批判が出されているようである。


出展:NewsTimes


 そもそも韓国が言うような「慰安婦問題」など始めから存在しない所に、河野は韓国の口車に乗せられて、村山は誤った信念から、事実を見ようとせず、日本を貶める談話を発表したのである。


 どちらも不勉強極まりない馬鹿な人間であり、詐欺国家韓国に迎合したような談話を発表し、今日の事態を招いたというのが事の真相である。


 そう書いて貰えば今後、この問題は二度と口にしません、という口車に何度乗せられたら目が覚めるのか。国交の正常化というが、日本は正常化してもしなくても構わない筈である。というか政府間の交流が乏しいだけで、民間は何の問題もない。国交は正常である。アメリカが朴槿恵が中国へ米韓の軍事情報を流すと懸念(事実かなり流していると見ている)していることから、日本との国交が正常(親密)化したら少しはまともになるのではないかと考え、日本に圧力をかけてきたのだろう。しかし、それはいつものように、アメリカの希望的な観測に過ぎない。それは韓国の伝統とも言える不誠実であり、韓国はそういう国なのである


 付き合ってしまったら相手の男を振り回す女がいるが、韓国との関係は、そんな女を相手をしていると思えばいい。別れるのが一番、それが出来ないなら、関係を浅く薄く狭くしていかなければならない。


 政治的な流れから、いきなり慰安婦問題は存在しないと言う事が出来ないとしても、軍の〝関与〟は認めたら駄目だろう。〝関与〟が軍が慰安所を利用したという程度の意味なら理解できるが、韓国の主張のように、軍が武力を背景に乗り出し慰安婦を集めているといったニュアンスで受け取り、いつまでも言い募るに決まっている。


 慰安婦像も撤去されないだろう。撤去させる理由が見当たらない。国際裁判所への提訴も放棄すると約束したようだし、今後、好き勝手、言いたい放題になる懸念は捨てきれない。


 このまま不仲のままではいけなかったのか。おじさんは100点満点中、対米、対欧州には20点、対韓国には5点、総合で10点の評価しか与えることは出来ない。その韓国の5点は、どうやら挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)様が今回の外相会議をお気に召さなかったようで、今後、韓国政府とギクシャクしそうな点を評価したものである。


by 考葦(-.-)y-~~~


 リベラルとは思想的にどういう立場を言うのだろう。思想や政治に関心をもったり、政治的発言をするとなると、いずれ避けては通れない言葉ではあるが、実のところ定かには分からないという人が多いのではないだろうか。ネットで調べてみても、短い文章で解説してあるものがない。そういうものだと言われしまえばそれまでだが、何処かでしっかりと自分なりの定義を作っておくことは必要だろう。


 幸か不幸かおじさんの青春時代は、まだ中核や革マルといった過激派とよばれる極左組織が衰退しつつも残っていたし、その構成員は勿論、それにシンパシーを覚える連中も残っていた時代である。喫茶店で陣営に引き込もうとオルグする場面に出くわしたこともあるし、居酒屋で革命について声高に議論する声が聞こえることもあった。当時、おじさんは別に彼らを色眼鏡でみることもないかわりに、反対の保守的、右翼的なものに共感を覚えることもなく、所謂ノンポリと蔑まれるタイプに属していた。


 ぶっちゃけて言えば、今でこそ歳を重ねた雑学的知識の多さから、ニュース解説などという偉そうなブログを管理しているけれども、あの頃はそんなダサい思想的なものより女の子にもてる方が上だと考えている、ごくありふれた人間の一人に過ぎなかった。


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 当時は、知識を蓄えるには読書以外にない時代だったから、せっせと読書に勤しんでいた。メインは推理小説で、月刊誌は文藝春秋と中央公論を不定期で読んでいた。意味が分からない言葉は辞書で調べるしかないし、辞書の短い説明だけでは理解できないことが多かったのを覚えている。


 だから、疑問の解決にゆったりとした時間をかけていた。そんな折りは疑問を潜在意識に叩き込んでおき、本屋や図書館で機会があれば調べることを思い出せるようにしていたものだ。もしかしたら、今のように即座にネットで情報を得られていれば、天才になっていただろうか、それとも手軽に手に入る情報なら、特に頭に蓄積しておく必要はないと考えただろうか。



 当時から右翼と左翼は比較的分かりやすかった。フランス革命時に議長席から見て、従来の体制を保守しようとする議員が右側に座り、王政を廃して自由で平等な国を作ろうという勢力が左側に座ったことに由来する。保守的な人を右翼、革新的な人を左翼と言えばいいだけのことである。しかし、ではリベラルは? となるととたんに曖昧模糊となってくる。右翼でも左翼でもないと言うことは、両者の中央の辺りにいる人たちのことだろうか。


 青年のおじさんは、こんな疑問からスタートした。当時も的確に回答してくれる書物はなかった。もちろん辞書は真っ先に調べた。Liberalism(自由主義)、a liberal(自由主義者)……そんなことは即座に分かるけれども、中央公論の論者などがリベラルというとき、どうもおじさんの理解と微妙に違った定義で使っている感じがしたので困惑したのだ。


 その疑問は解決されずにもやもやとした感情と共に数年持ち続け、ようやくそれを払拭してくれたのが、ノーベル経済学者のハイエクであった。その書物と当該箇所を探すのが面倒なので検索をしたところ、うまいぐあいに引用されている『国民が知らない反日の実態』というHPがあったので、感謝の意を心に秘めつつ以下に孫引きさせていただく。


 このような社会主義の主張がもっともらしく聞えるようにするために、「自由」という言葉の意味を社会主義者たちが極めて巧みに変更させてしまった事実は、重要極まりない問題であって、我々はこの点を精査しなければならない。
 かって政治的自由を主張した偉大な先人達にとっては、 自由 という言葉は 圧政からの自由 、つまり どんな恣意的な圧力からもあらゆる個人が自由でなければならないこと を意味していたのであり、従属を強いられている権力者たちの命令に従うことしか許されない束縛から、すべての個人を解き放つことを意味していた。 ところが、社会主義が主張するようになった「 新しい自由 」は(客観的)必然性という言葉で表現されるような、とても逃れえないと思われてきた全ての障害から人々を自由にし、全ての人間の選択の範囲をどんな例外も無く制限してきた環境的な諸条件による制約からも、人々を解放することを約束するものであった。 つまり、人々が真に自由になるためには、それに先立って「 物質的欠乏という圧制 」が 転覆 されなければならず、「経済システムがもたらす制約」が大幅に撤去されねばならない、とこの「新しい自由」は主張した。
(中略)
 つまりは、「新しい自由」への要求とは、 富の平等な分配 という古くからある要求の、ひとつの言い換えに過ぎなかった。ところが、その主張を「新しい自由」と命名することによって、 社会主義者たち は、 自由主義者 が 使用 する「 自由 」という言葉を 自分達の言葉として手に入れ 、これを最大限に自分たちの目的のために利用してきた。 この言葉は二つのグループ間で全く異なった意味で使われているというのに、この決定的な違いに気付く人々はほとんどいなかったし、ましてこの二つの異なる自由を理論的に本当に結びつけることが出来るかを、真剣に考えようとした人も皆無に近かった。
(中略)
 彼らが「 自由への道 」だと約束したことが、実は「 隷属への大いなる道 」でしかなかったと実証された時の悲劇は、より深刻なものとなるのを避けられない。
(アンダーライン 筆者)


 どうだい? ハイエク先生が気付いていない人が多いと指摘する、この詐術のような定義の変更に20代前半の若いおじさんは気付いてしまった。だから以後、リベラルと言うときは、古典的な本来の意味での自由をめざす自由主義者ではなく、社会主義的用法を用いる自由主義者の事を指すようになったのである。まあノーベル賞を取ってくれたお陰で、ハイエクという学者の存在を知る事が出来たという僥倖があったに過ぎないが。


 しかし、何で読んだのか記憶が曖昧である。当時、まだ何の偏見も無く様々な人の書いた物を読んでいたので何処から仕入れた知識か定かではない。ただ、それほどハイエクの翻訳が行われていたとも思えず、高価な本は絶対に買えなかった事は自信を持って言えるので、図書館か書店の立ち読みだった公算が大きい。


 さて、リベラルと言えば、昔、『諸君!』で評論家の宮崎哲弥氏が日本のオピニオンリーダーを発表された意見を基に、XYのグラフに落とし込む試みをしたことがあった。X軸、Y軸が何だったかは忘れたが、自分自身もしっかりプロットしてあった事だけは覚えている。

21世紀の自由論―「優しいリアリズム」の時代へ (NHK出版新書 459)/佐々木 俊尚
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 この試みは日本ではなく、もともとアメリカで発明されたものである。1問4択程度の多数の質問に答え、その回答に点数を割り当て、導き出した点数をグラフにプロットする何とかというプログラムがあった。こういうプログラムを何と言ったか……、情けない事に出てこない。(T_T)


 ……数日後、名前判明。ポリティカル・コンパス(political compass)でした。一体、この記事を書くのに何日かかっているんだ……。


 興味のある方は、こちらで自分の立ち位置を検証されたらいい。

  http://sakidatsumono.ifdef.jp/draft3.html


 ちなみにおじさんの結果は保守右派だそうだ。



 リベラルと自認する人々の特徴は、言論の自由という言葉をよく口にするくせに、保守系の誰かが例えば、新聞にTBSテレビのサンデーモーニングは報道の公平性が保たれていない、という意見広告を出すと、TBSお好みの知識人が即座に言論の自由を封殺するつもりかと反応なさる。つまり、自分たちの意見は言論の自由により保障されている事は理解できても、立場を異にする人々にも同様の自由があることにお気づきでないのである。まさか放送法からも自由であるとお思いではないだろうな。


 リベラルというものが、自由主義者使用する『自由』という言葉を使用したいが為に、社会主義者が定義を微妙に変え、結局、富の公平な分配の遠回しな言い換えに過ぎなかったというハイエクの視点は今も当たっているというより、見事に的中して既に幾つもの共産主義国家や社会主義国家が消滅している。


 最近、ハイエクを取り上げた論文を書かれたのは、渡部昇一氏であるが、氏は相当高くハイエクを評価され、今後の経済はハイエク経済学を用いるべきだと書かれていたように思う。


 日本に於けるリベラルは相当怪しい人士であると考えるべきである。憲法についてはバイブルの如く一字一句変更させないという『超保守』であり、彼らがいう民主主義も本来の意味とは異なっている事に気をつけなければならない。


 TBSやテレビ朝日で重宝されるコメンテーターは、かつての左翼の顔を隠しリベラルを装う。耳に快い言葉を並べ、いかにも正論を述べているように写るので、心優しい市民はつい信じてしまう。こんなやさしく話す人が左翼の訳がないとか、左翼だとしても左翼も悪くないのではなんてね。


 左翼の欺瞞性は、あまり色の付いていない若い時代のおじさんは気付いてしまった。大体、社会主義国や共産主義国の国民が幸せには見えなかった。それと例外なく粛正と称して数百万から数千万単位の自国民を殺戮している。如何なる主義主張を信奉すると言えども、これだけ人間を殺害できる思想というのはとてもまともなものとは言えない。それに我が国の共産主義者達は一言も言及しない。弁明も含めて一切聞いたことがない。


 気付かない振りをしているか、国民を一段下に見て、気付かないだろうと軽んじているかのどちちらかであろう。だから、彼らはリベラルの衣を被ることにしたのである。


 きちんと学びたい人は上で引用させて貰った『国民が知らない反日の実態』で学ぶ方がいいだろう。


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by 考葦(-.-)y-~~~


  誰が何を信じて行動しても基本的には構わないが、誰かに危害が及ぶ場合は話が違ってくる。


 折角逃げおおせたのに、憎き日本の「ヤスクニ」に爆弾を仕掛け、日本が大騒ぎしている様子が快感だったのか、また舞い戻りお縄となった。


 この事件に関し、「爆発」と書かずに「爆発音」と書く新聞は、公正な客観報道が出来ない新聞である。そういう新聞を読み続けていると、知らず識らずに毒され洗脳されていく。それがそのメディアを支配する旧態依然としたリベラルか左翼の手法だからである。


 一例を見てみよう。


韓国、靖国事件報道で日本に抗議 容疑者の身元情報巡り 
  朝日新聞デジタル る2015年12月10日17時44分

 韓国外交省は10日、靖国神社トイレ内の爆発音事件を巡り、韓国人の全昶漢(チョンチャンハン)容疑者(27)の写真や名前など、身元がわかる情報が無分別に公開されているなどとして、日本メディアの報道姿勢について外交ルートを通じて日本政府に公式に抗議した。韓国政府関係者によれば、全容疑者の逮捕前から、日本側で韓国人の犯行を示唆する報道が相次いだことに不快感を示す声も、韓国政府内の一部であったという。(ソウル=牧野愛博)
(赤字 引用者)


 爆破テロを爆発音事件と矮小化して伝える手法である。読者は大きな音をさせて驚かせただけなのか、それにしては警察の動きが敏速だなと思うに違いない。しかし、普通の感性を持っていれば、人的被害が無かったのは僥倖であって、テロそのものと考える筈である。


 おじさんのこのニュースに接した第一感を述べれば、犯人は在日朝鮮人か韓国人、警備が手薄なトイレを狙い韓国向けにアピールしたのではないか、ヒーローになろうとしたのではないか、というものである。


 別に自慢するつもりはなく、おじさんが読者登録しているブログの管理人及び読者、それに大切な拙ブログの読者なら、おそらくほぼ全員がそう閃いたはずである。WEBの産経新聞ニュースは【靖国爆発】とロゴ化して関連記事に添えている。


 近頃、吉永小百合にしても長渕剛にしても、安保法改正に関し朝日が喜びそうな見解を表明しているけれども、彼らには反日的意図も思想的な背景もないようである。朝日をはじめとするキャンペーンに乗せられて、純粋にヒューマニズムの発露として意見を述べたということであろう。


 これは、おじさんから見ると、靖国爆発事件の矮小化と真逆の誇大化の手法である。そもそもマスメディアが自らの主義主張を拡大、浸透させるために、公正・中立を装いながら、記事を矮小化したり誇大化する事自体が問題なのである。


 朝日が、我々は共産主義を信奉し、日本を社会主義もしくは共産主義国家とするために活動する、と表明したら筋は通るが、それじゃ赤旗と何も変わらなくなるかな。 (^^;  


 それにしても容疑者の全昶漢の馬鹿さ加減には付ける薬がない。彼らを再教育することは出来ないだろう。国家を上げて反日に勤しんでいるんだから。それに毎度のことだが遺伝子の問題もある。遺伝子が要因と思われる火病に加え、国家としてせっせと反日洗脳教育を施してしているのだから、彼らとは今後、話し合いで解決する事は不可能だろう。


 在日朝鮮・韓国人には速やかに祖国へお帰り願い、『助けない、教えない、関わらない』の某国のイージスさんが提唱する非韓三原則を守するしか、彼らと付き合う方法はないと知るべきである。自らを客観視できないという点に於いて、朝日も朝鮮人も甲乙付けがたい。ここでおじさんは、『買わない、読まない、観ない、信じない、関わらない』の反日メディア五原則を提唱したいと思う。


 我が国も遅ればせながら、スパイに対する情報収集を強化するようだが、情報収集する最前線の人間の安全のために、武器の所持や映画で見るような活動を保証する法案を作らねばなるまい。でなければ、これまでの航空自衛隊のようにスクランブル発進しても、相手が攻撃をしてこなければ反撃できないというリベラル・左翼人士が大好きだった噴飯物の防衛と同じように、危険で可哀想なことになるからね。


by 考葦(-.-)y-~~~


 新たな神風特別攻撃隊のフィルムがアメリカ(公文書館?)で発見されたというニュースが、この国の正義を伝える会さんによって紹介されている。


 戦後、我が国の最大の過ちは、過去の歴史を悪と位置づける歴史観に囚われたことである。勿論、リベラル、左翼陣営の戦略であった訳だが、そのせいですっかり大東亜戦争の意義が忘れられてしまい、馬鹿な指導者や軍部によって戦争に突入させられ、多くの有為な若者の命を散華させ、無辜の国民の多くを死なせた挙げ句、敗戦の憂き目を見させた、との見解が主流にになってしまった。


 だから特攻隊のように片道だけの燃料を搭載し、爆弾を抱え、一個の捨て石となって、国を守るという感覚が、リベラル・左翼人士には理解できないらしい。だから、軍国主義下の洗脳教育の犠牲者であるとか、究極の興奮状態の中で正しい判断が出来なかったといった低レベルの解釈で納得しているようである。


 だが、極限下の決断は決して洗脳されたものではないし、冷静に時局を見据え、せめて妻のため子のため両親のため、日本という祖国のために敵に一矢報いんとしたのである。極めて澄明な明鏡止水の精神状態で飛び立った筈である。彼らが仲間と最後に交わしたのは「靖国で会おう」という言葉だった。


 それが今、首相が靖国に参拝しただの、私人か公人かといった奇妙な質問を記者がするようになって久しい。戦犯が合祀されているからという意見があるのは勿論知っているが、他国では戦犯でも日本人は戦犯とは考えず、祀(まつ)ったというのが真実である。少なくとも靖国神社側はそう考えたのである。


 また神道に於ける合祀というのは誰と誰を外すと言った事ができない祀り方だと何かで読んだことがある。「政教分離」という言葉を口にする人間が多いが、これは一神教が政治を利用して無神論者や他宗教の信者を弾圧・排斥しないように設けられたものであって、一宗教の祭事に首相が公費を使っては憲法違反だという言葉の使い方は少々違和感がある。


 まあ、そのぐらいの金は個人で出捐するだろうから問題は無いとしても、公共工事も地鎮祭を行う時があるけれども、その場合は神道で行われることが多い。その神主さんの費用、あれは何処から出ているのか。まさか誰かのポケットマネーではないだろう。


 アメリカでは大統領の就任式に聖書に手を置いて宣誓する場面がある。アメリカにもイスラム教徒もいれば仏教徒・ヒンズー教徒もいる。あれは政教分離に抵触しないのか。四角四面に政教分離を解釈している人は、一度、アメリカ政府宛に意見書を送ってはどうか。何しろ現憲法の素案はアメリカが作った物だからね。この一時をもってしても、政教分離の一文は、日本のリベラル・左翼が解釈して広めているような意図ではないということが解るだろう。


 皮肉はともかく、この動画で感動しないような人間は、どこか欠陥があると考えた方が良い。おじさんなどは右寄りに洗脳されていると、リベラルより左の人士達は言うかも知れないが、この洗脳は自分が自分を教育して一歩一歩確立したものである。


 以前にも書いたけれど、意見を形成する際には誰かの意見、見解に賛同して自分の意見にする場合がほとんどである。それは一向に構わないし、むしろ言語というものはそういう風にして伝承されるものである。そしてまず始めに両親から伝えられる。言葉の意味と用法は両親の持つ意味と用法である。


 自己形成の過程で親に反発し、親から伝えられた意味と用法を一旦、見直す時期が必ずある。その際、おじさんのように徹底して言語を一から習うように検証するやり方もあれば、親から伝承した意味と用法を踏襲し、違和感がある部分だけを検証し直し自分なりの意味づけをするというやり方もある。後者が多数派だと思われる。


 伝承する部分が多い人は保守というか一般の穏健な市民になりやすい。穏健な保守的市民を時に馬鹿にする左翼人士が見受けられるけれど、おじさんに言わせれば、彼らの表現の方がはるかに浅薄である。


 by 考葦(-.-)y-~~~ 
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 これは『正論』1月号を読みながら、わたくし考葦おじさんの胸に去来する反省と今後の決意表明で御座います。


 当初、適当とおじさんのカテゴリーでブログを始めましたが、やがて政治ブログの色彩が濃くなり、今では『特定アジア』関連の記事で埋まり出しました。また、ひょんな事から『集団ストーカー』の存在を知り、実態の把握は済み、解決のための方策――これはほぼライフワークになるのではないかとの予感があります──を思考中です。


 皆様に感謝申し上げたいのは、こんなテキトーなおじさんの記事にも拘わらず、アップするとすぐに見ていただける方があり、変な話ですが今では適当な事は書けないと、知識の習得と研鑽に日々努めるようになりました。


 とは申しても、元来、興味があれば何にでも手を出すが、長続きしない・飽きっぽいというのが周囲の評価ですので、努力自体に飽きる場面が出てくるやも知れません。来年はより一層身を引き締め、深みのある記事が書けるように努める所存であります。


 斯様な次第で御座いますので、皆様におかれましては、何卒、見放すことなくご訪問くださり、叱咤激励を賜りましたら、これに勝る喜びは御座いません。

by 考葦 m(_ _)m
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