新たな神風特別攻撃隊のフィルムがアメリカ(公文書館?)で発見されたというニュースが、この国の正義を伝える会さんによって紹介されている。


 戦後、我が国の最大の過ちは、過去の歴史を悪と位置づける歴史観に囚われたことである。勿論、リベラル、左翼陣営の戦略であった訳だが、そのせいですっかり大東亜戦争の意義が忘れられてしまい、馬鹿な指導者や軍部によって戦争に突入させられ、多くの有為な若者の命を散華させ、無辜の国民の多くを死なせた挙げ句、敗戦の憂き目を見させた、との見解が主流にになってしまった。


 だから特攻隊のように片道だけの燃料を搭載し、爆弾を抱え、一個の捨て石となって、国を守るという感覚が、リベラル・左翼人士には理解できないらしい。だから、軍国主義下の洗脳教育の犠牲者であるとか、究極の興奮状態の中で正しい判断が出来なかったといった低レベルの解釈で納得しているようである。


 だが、極限下の決断は決して洗脳されたものではないし、冷静に時局を見据え、せめて妻のため子のため両親のため、日本という祖国のために敵に一矢報いんとしたのである。極めて澄明な明鏡止水の精神状態で飛び立った筈である。彼らが仲間と最後に交わしたのは「靖国で会おう」という言葉だった。


 それが今、首相が靖国に参拝しただの、私人か公人かといった奇妙な質問を記者がするようになって久しい。戦犯が合祀されているからという意見があるのは勿論知っているが、他国では戦犯でも日本人は戦犯とは考えず、祀(まつ)ったというのが真実である。少なくとも靖国神社側はそう考えたのである。


 また神道に於ける合祀というのは誰と誰を外すと言った事ができない祀り方だと何かで読んだことがある。「政教分離」という言葉を口にする人間が多いが、これは一神教が政治を利用して無神論者や他宗教の信者を弾圧・排斥しないように設けられたものであって、一宗教の祭事に首相が公費を使っては憲法違反だという言葉の使い方は少々違和感がある。


 まあ、そのぐらいの金は個人で出捐するだろうから問題は無いとしても、公共工事も地鎮祭を行う時があるけれども、その場合は神道で行われることが多い。その神主さんの費用、あれは何処から出ているのか。まさか誰かのポケットマネーではないだろう。


 アメリカでは大統領の就任式に聖書に手を置いて宣誓する場面がある。アメリカにもイスラム教徒もいれば仏教徒・ヒンズー教徒もいる。あれは政教分離に抵触しないのか。四角四面に政教分離を解釈している人は、一度、アメリカ政府宛に意見書を送ってはどうか。何しろ現憲法の素案はアメリカが作った物だからね。この一時をもってしても、政教分離の一文は、日本のリベラル・左翼が解釈して広めているような意図ではないということが解るだろう。


 皮肉はともかく、この動画で感動しないような人間は、どこか欠陥があると考えた方が良い。おじさんなどは右寄りに洗脳されていると、リベラルより左の人士達は言うかも知れないが、この洗脳は自分が自分を教育して一歩一歩確立したものである。


 以前にも書いたけれど、意見を形成する際には誰かの意見、見解に賛同して自分の意見にする場合がほとんどである。それは一向に構わないし、むしろ言語というものはそういう風にして伝承されるものである。そしてまず始めに両親から伝えられる。言葉の意味と用法は両親の持つ意味と用法である。


 自己形成の過程で親に反発し、親から伝えられた意味と用法を一旦、見直す時期が必ずある。その際、おじさんのように徹底して言語を一から習うように検証するやり方もあれば、親から伝承した意味と用法を踏襲し、違和感がある部分だけを検証し直し自分なりの意味づけをするというやり方もある。後者が多数派だと思われる。


 伝承する部分が多い人は保守というか一般の穏健な市民になりやすい。穏健な保守的市民を時に馬鹿にする左翼人士が見受けられるけれど、おじさんに言わせれば、彼らの表現の方がはるかに浅薄である。


 by 考葦(-.-)y-~~~ 
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