今、昨年末に刊行された『崩壊 朝日新聞』を読み始めた。おじさんは速読が出来ないので、なかなか読み進まないが、拙ブログで折々に書いてきた事が、元朝日新聞記者の手で指摘されている。


崩壊 朝日新聞/ワック
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 著者の長谷川 煕(はせがわ ひろし)氏は1933年生まれというから、おじさんより20年以上も年長であり、〝中革〟〝革マル〟〝全学連(全日本学生自治会総連合)〟〝全共闘(全学共闘会議)〟などという言葉が連日のようにニュースで流れていた60年安保反対運動から続く、左翼運動華やかなりし時に朝日新聞社に就職されたことになる。


国会議事堂に向かう安保反対デモ
産経フォトより

 朝日新聞はご存じ何処かしらの国の広報紙と考えるべきで、とても日本の新聞とは言えない新聞である。当然、おじさんの事だから、元朝日の記者ということで、著者の思想傾向を真っ先に目次から探ってみた。だが、珍しく保守的思想の持ち主とお見受けした。さぞかし朝日では生き難かったであろうと読んでいくと、仕事が出来て保守的な思想の人は一定数存在するように書いてある。ただ流石に社長にはなれないようだ。文の印象から想像するに、おそらくその数一割程度か。


 その一割以外の人は予想通りマルクス主義者が占め、著者は同書執筆にあたり同僚や先輩などに〝取材〟していく訳だが、その対象者や遺族も含め、僅かな例外を除いて卑怯・無責任という言葉が脳裏を掠める人ばかりが登場する。


 松井やより、植村隆などのおなじみのお名前も目に付く。松井などは『松井やよりの錯誤』と題した一章をとって、検証し、批判している。昔も今も社内にはマルクス主義(の旗)がたなびき、事実を見る柔軟性がなく、旧日本兵と聞いただけで悪逆非道当然と、パブロフの犬よろしく、反射的に納得してしまう習性になっている。よって、ジャーナリズムの基本中の基本である現地の取材と事実の検証作業をスルーしてしまう傾向が見られるという。




 吉田清治の詐話に引っ掛かったのもそういう社の性質に起因するというのだが、おじさんはそれもあるかも知れないけれども、初めからこれを大問題にしたいという仕掛人がおり、下手な検証をして逆の事実が出て来ては困ると考える何者かが、敢えて取材させなかったと睨んでいる。著者も仕掛人を探すというスタンスではないが、どのような経緯で社の存続を危うくするような事態になったのか、その発端を調べるために当時の関係者に取材を試みている。しかし、既に故人になっていたり、存命でも取材拒否などで、はっきり詰められずに終わっている。


 結局、朝日新聞社は当時、行かせる権限のあった人間、行くことが出来た人間は誰一人、行くことも行かせることもしていないようだ。つまり、距離的には近くにある現地(済州島)に一人の記者も取材に行かせず、吉田清治の法螺話を丸ごと信じたというジャーナリストにあるまじき事実だけが浮き彫りになった。


 吉田清治はノンフィクションからフィクション、最後は小説だと、批判を受ける度に立ち位置をスライドさせていった。だが、フィクションや小説なら何故、講演をしたり、韓国へいって土下座したり、生涯謝罪し続けるなどとわざわざ言う必要があるのか。朝日もこれだけの蛮行を軍の命令で行ったと、実行した本人が言っているのだから、現地に赴き取材をし、矛盾点があれば吉田に質し、事実なら様々な証言が得られるであろうから、それらで肉付けをするのがまともなジャーナリズムと言うものであろう。


 読み進むうちに著者は転向保守ではなく、おじさんと同じ感性をお持ちだと分かり、20~30ページあたりから完全に安心して読むことができた。執筆に際しては、同じ新聞社に在籍した人間として社内のシステムもよく分かっているだろうし、かつて在籍した記者個人個人が著した書籍も数多ある。さらに存命の人、遺族などに取材を加えた成果を基に執筆されたのが本書である事を思えば、比較するのも失礼なくらい、植村隆の書いた文藝春秋の記事とは雲泥の差がある。


 この本全般で指摘されている事は、まさにおじさんが主張してきた通りである。かつて内部にいた人間の言葉故により重みがある。と同時にいかに朝日新聞という組織がマルクス主義に〝侵され〟ているかが浮き彫りにされている。一握りのまともな記者以外の朝日新聞社の社員個人が心の中で何を信条としているのか、それは現在の資本主義、自由主義を打ち壊すことである。


 さしずめ、日本を社会主義国家としたいのだろう。そのために意見がまったく一貫性を欠き、人権人権と言うくせに、支那がチベットやウイグルで行っている虐殺には目を向けようとしない。それは支那が現在、朝日の大好きな共産党独裁国家だからである。


 自由主義国家内に存在する大部分がマルクス主義者で構成される新聞が、はたして公平・公正な報道ができるだろうか。考えるまでもなく出来ていない。出来ていないからこそ、おじさんたち穏健保守派の人々が叩いているのである。その駄目具合があまりにも一貫性がないため、モグラ叩きのように、頭を出す奇妙な発言を叩くしかないのである。

本書の構成

  • 第一部 過去を悪とみる条件反射
  • 代二部 視野が狭くなる伝統
  • 第三部 方向感覚喪失の百年
 遅ればせながら、本書は上記のような構成になっており、各部が数章から成っている。第一部にマルキストの特徴が書かれていることからお分かりのように、佐々克明氏の「病める巨象―朝日新聞私史」や稲垣武氏の「朝日新聞血風録」の系譜を継ぐ、朝日新聞社OBによる告発本第三弾ともいえるものであり、今後、長く反朝日新聞派の座右に置かれることになるだろう。


 著者は朝日新聞という組織の更正、再生を願い筆を執られたのであろう。しかし、こちらに言わせればこんな新聞は不要であると断言せざるを得ない。慰安婦問題にしてもまるで他人事のように検証し、自らの発した記事により、我が国の尊厳がどれほど傷ついているのか理解しようともしない上に、第三者の検証の最中にあっても、誰の差し金か、こっそり外国メディアを使って、英文で慰安婦問題の記事を海外に流す所行に至っては、反省どころかすべて承知の上で意図的に行ったと断ぜざるを得ない。政党機関誌とどれほどの違いがあるというのか。マルキストの集団と宣言し、一般紙の仮面を剥がした上で、共産党の広報でもしたらいいだろう。


 おじさんはこの著書を読み、まともな記者が相当数いることを知った後でも、この本にも書かれている著者自身や松井やよりが関わった公害問題を含めた数多の見事な成果を知ってはいても、この新聞を公正・公平な報道をするメディアと認めることは出来ない。日本に与えた害悪はそれに数百倍するからである。

着手 2016-01-07 10:59:04
by 考葦(-.-)y-~~~