いまおじさんは、スパムメールの根絶に
執念を燃やしている。 (▼▼メ)



 ひどいのは出会い系で、
次は情報商材系ものが多い。



 古くから使っているアドレスなので、
少々のスパムメールはルール処理で1箇所に集め、
まとめて削除していたのだが、近頃は1つの会社?から
1日、数十通を超えるメールが、
しかも何十という会社から押し寄せ、
業務に支障をきたすようになってきた。



 プロバイダであるOCNには、Mail onというサービスがあり、
これでサーバで拒否するようにできていたので、
いよいよになればと軽く考えていたのだが、
久しぶりにMail onサービスにログインしてみると、
サービス自体を廃止する方向に向けて順次変更中との注意書があった。



 あれがないと受信拒否がしにくくなる。



 そこで今まで使ったことがないOutlook Expressの
仕組を使って出来ないかと、あれこれやってみるが、
最高の禁止というものでも、削除済みフォルダへ移す程度である。



 ダウンロードしないとかサーバから削除するというルール設定もあるけれど、どうも機能していないようである。



 メールアカウントをランダムに変えて送ってくるものは、
ドメイン名で指定できても、ドメイン名を頻繁に変えてくるものは、
無数にアドレスを登録しないと、どうにも出来ない。



、敵もさる者、細かな設定ができないため、それを見越して送りつけてくる。



 高機能のメールソフト導入を考える時期に来ているのか。



 昔は、メールソフトなんてOutlook Expressがあるのにどうして?
と思っていたが、その時から困っている人がいたんだね。 (;^_^A



 ホ・オポノポノでクリーニングしているおじさんとしては、
この経験も何かの感情の記憶と、行為の結果だと考えてはいるが、
1社はHTMLメールなので、なかなか手強い。


 あと、スパムではないけれど、有名アフィリエイターも、
うんざりするほど送ってくるね。


 とりとめのない話でした。


   ※ この記事は1月に書いていたものに、若干、手を入れ、
    日の目をみさせたものです。









 完結している訳ではないが、これでこのテーマは終了する。


 このシリーズ?でおじさん自身が解った事は、おじさんが神と魂を念頭にこれまで知的探求を行ってきたということだ。


 単にオカルト好き不思議な話好きと思っていたが、おじさん自身の中で一番遅く納得した神と魂がメインテーマになっていたとは、自身でも明確には意識していなかった。


 だから、おじさんにとっては有意義なものではあったが、人の内面の歴史を読まされる読者にとっては、迷惑でつまらないものであったろう。


 今後は、おじさにとって為になった本の紹介をしながら、時折、ゆるーいニュースを解説する手法に戻ろうと思う。



終  






 一方、いじめた方はどうだろう。


 彼がどういうテーマを課して生まれてきたのかは知らないが、漏れ聞くところでは、なかなか「いい家」の子というではないか。


 これを人の魂のレベルで考えると、相当低いランクなんだろうとは容易に想像がつく。


 考えてごらん、貴方は何にでも成れるんだよ。はじめてこの世に生まれるなら、最初は楽な所を選ばないかい。


 食うに困らず、男なら美女を侍(はべ)らせ、人を支配する大きな権力を持ちたいと思うだろう。


 社会にはそういう役所(やくどころ)もいるからね。それが過ぎると、頭が良く、容姿端麗で、健康という辺りを希望するだろうか。


 もちろん、同じ条件で人間の役に立つために、その環境を選ぶ魂もあるだろう。彼らがそうだった可能性はある。


 それがいじめで人を死に追いやった。仮に今後、この世で罪を免れ、生きるのに有利とされている東大や京大に進んだとしても、何が出来るだろう?


 そんな人間が一人前の口を利くのは厚かまし過ぎるだろう。


 大悪人が大悟するという例も無いことはないだろうが、この姑息さから今生での大悟は期待しにくいと思われる。


 もちろん、京大医学部出身?の父親にしても同じ事が言える。こんな子供にした責任は父親(もちろん母親も)が負わなければならない。むろん、魂の責任のことだが。


 この魂のレベルが低い者同士の親子、彼らの今生のテーマは何か。


 今生が終わったとき、どういう反省をし、次はどんなテーマで生まれてくるんだろうね。


 もしかしたら、地獄に堕ち、なかなか生まれてこられないかも知れないね。


 この事件を聞いたとき、地獄に墜ちろと、数千万人が思っただろう。そうなると、彼が行く地獄は作られているね。


 レベルの低い魂は、毎回の人生で、生存中の所業により、多くの恨みを身に受け、毎回地獄に滞在するのが定例になっており、必然的に生まれて来る回数が少なくなり、魂の進歩も遅れるということが考えられる。


 みんなは今生で恨みを晴らし、カタルシスを覚える事は出来ないかも知れない。


 だが、天網恢々疎にして漏らさず、である。もし、仮にこの世の天網をくぐり抜けたとしても、神のシステムを誤魔化すことは出来ない。きっちりと、行った行為のバランスを取らされるだろう。


 おじさんは近畿に住んでいる。なかなか日教組の強い所である。だから、教育という点から見ると、教育長やら教育委員やらの言動は、サヨク系人間の振る舞いの典型に見える。


 卑怯で妙な理屈を捏ねるのが好きなんだ。今、彼らは公務員や教育関係者、マスコミなどで生き延びている。


 魂の存在を知る者にとって、社会主義や共産主義は、対極の謬説(びゅうせつ)そのものだ。おじさんの精神は、理論云々の前に、それを排除する。


 はっきり言って、神は魂の成長を願っているだけなんだ。その過程で、左翼思想に魅力を感じ、活動に没頭するのも構わない。


 しかし、最初の実験国、旧ソ連では共産党の一党独裁支配の下、一般市民は鉄のカーテンと呼ばれる外国からの情報遮断に加え、思想・信教・言論の自由を奪われ、ノーメンクラトゥーラと呼ばれるエリート層と被支配民とに固定化された。


 共産主義は何も生み出さない。今、曲がりなりにもうまく行っているのは、部分的に資本主義を取り入れた中国だけだが、そんなものがこの先うまく行くはずがない。


 中国は資本主義も共産主義も信じていないだろう。支配層が強権的に国民支配できれば、それが何主義、何思想でもいいのだ。

 
 阿保か!! 世の99.99%の人はこんな事を書いているおじさんを罵るに違いない。


 それでも魂は不滅で瞬間瞬間に成長し続けている。これは事実であり、枉(ま)げることは出来ない。 






 大津市のいじめ問題について、おじさんはどう考えているかというと、まず、自殺した子供について、もう少し生きる方向で粘れなかったのかなと残念に思う。


 大人でも借金苦ほかで年間、万を超える人が自殺している世だ。子供でも自殺はすると言ってしまえばそれまでだが……。


 これをホ・オポノポノの立場から見ると、酷なようだが自分の感情が招いて体験したということになる。


 そんな事、納得できない、彼は、何も悪いことはしていない、とほとんどの人はそう言うだろう。


 おじさんも、ほんのこの間まで、そう考えていた。


 じつは、おじさんも中学の時にいじめを受けていた。


 陰湿さはそれほど無かったが、おじさんも見えないところで結構、いじめに遭っていた。


 まず女の子に異常にもてたから、その嫉妬で、上級生から何やかやと呼び出されたり小突かれたりした。


 同学年からは、それ程でもなかったが、ある数人の男子から、陰に日にもって回った嫌がらせを受けることがあった。


 それでも、ルックスも知能もスポーツも劣る奴らには絶対負けないと思っていたから、次の日には忘れていた。


 たぶん、相手はおじさんは体力があったから、喧嘩をしたらちょっと危ないと思っていた節が窺えたが、おじさんは相手の痛みが解りすぎて、人を殴れないから喧嘩は弱かったと思う。


 でも、だから自殺した少年も頑張れたというつもりはない。


 おじさんは多くの面で恵まれていたからだ。


 彼は、十分思考力もあり、死んだ方がましという苦痛や恐怖も味わったに違いない。


 誰にも頼れない孤独も味わったことだろう。


 宗教という心の支えがあれば、死なずに済んだかも知れないが、普通の一般家庭なら、何処かの宗派の仏教寺院の檀徒だろうから、法事と盆と葬式ぐらいしか接する機会がない。


 自殺への歯止めとなるには、やや結びつきが弱い。


 あと、今生(こんじょう)の彼のテーマがどうだったかを思うと、もしかしたら、いじめに耐え、乗り越えるというテーマを課していたことも考えられる。






 今、エドガー・ケイシーに関するウィキペディアを読んだ。


 ローマ教皇庁から注意勧告を受けたような事が書いてあった。異端ということか、その疑いがあるから気をつけよ、ということなんだろうね。


 そうすると、おじさんが19で書いた『敬虔なクリスチャン』というのは、誤っているかも知れない。


 ケーシーは転生という事に関して多くのリーディングを残しているが、キリスト教は魂の不滅や転生については、否定している。


 著書の名前は忘れたが、それによると、キリスト自身は、霊魂や転生を語っていたが、後の確か公会議という、重鎮ではあるが人間で構成された会議での決議を経て、そういう見解となったと記憶している。


 人間の会議で宗教の教義が決定される。


 宗教の限界を見るような気がする。


 結局、神は過去の偉大なマスターには、大切な教義を授けたが、今は偉大なマスターはいないし、教義は伝授し尽くされ、新たに加えることは何一つない。よって、今後、偉大な宗教が起こることはない。


 という前提の下に、人間が会議をなさって方針を決定されているんだろう。


 少しおかしくはないですか。


 今も新たな啓示が与えられ、もしかしたらキリスト教初期の教義と相容れなくなったとしても、キリスト教が他に劣ったり、色褪せたりすることはない。


 転生というものが、恐らく『最後の審判』のところと、矛盾を生じるという事だとおじさんは推測するが、やはり魂の不滅という事を言う方が信者は救われるのではないだろうか。


 この世は善と悪といった2元論の世界である。宗教は善を教えるものであり、悪を排除するものである。


 だが、本当は善も悪もなく、行為というものがあるだけである。


 それには、悪人正機説を唱えた親鸞を思い出せばよい。


 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」というあれですね。


 なんだ悪人でも往生出来んのかよ! 何か損したぜ。


 という巷の声が鳴り響いているのが聞こえる。


 親鸞の独創ではなかったようだが、仏教の懐の深さを見る思いがするね。


 浄土真宗がその後、どう説明していったのか興味はあるが、ただ、魂が死後、大いに反省し、より困難な境涯を選択して、転生してくることはありそうだ。


 こう書いているとき、今話題の大津市の自殺問題を連想した。


 次は宗教と絡めて『いじめ問題』を考えてみる。





 アカシックレコードというのは、どういうものだろうか。


 おじさんのようにオカルトに興味を持つ人間ならまず知らない人はいないと思うが、オカルトに興味がない人も、これは知っておいてもいいかも知れないね。


 細部は省略するが、この宇宙の彼方に、この宇宙の過去・未来を記録したものがあり、そこへアクセスすると、人間の過去や未来が分かるというものだ。


 人によっては、人類の過去と未来が記録されていると説明する人もいるが、全宇宙のとするのが正しい解釈だと思う。


 まあ、分かりやすく言うなら、アガスティアの葉の全宇宙、全人類版みたいなものだ。


 ただ、その本の著者も、リーディングをする際に、火星人の未来を知ってみても、あまり地球では有効に使えないだろうから、著書では人類のという言い方をしているのだと思う。


 それはともかく、適格に読み取れる人がいると、それは誰よりも有能な占い師と言うことになる。


 占い師ではないが、アメリカのリーディングの第一人者であるエドガー・ケイシーは、アカシックレコードから読み取った情報だと言っている。


 またまた横道に逸れて恐縮だが、エドガー・ケイシーという人は、『眠れる予言者』と呼ばれ、彼の名を一気に高めたのは、病気を癒すリーディングだ。


  だが、ただ眠って適当な回答をし、それが全く何の価値もないのなら、ケイシーはこれほど有名にはなっていなかっただろう。


 的確な治療法(処方箋)を示し、それが実際に効果があったからこそ有名になったのである。


 方法としては、『眠れる予言者』の名でご想像された通り、一種のトランス状態になり、何を聞かれ何を答えたのか、起きても覚えていない。


 もっと言えば、自分の信念とは異なる回答をすることだってあるのだ。


 例えば、敬虔なクリスチャンのはずが、数多の回答の中では、キリスト教も宗教の一つであるかのように言及してある記録(文章)を読んだ記憶がある。


 幸いにも彼のリーディングは、あまり欠けることなく、ボランティアの手によって質問と回答が記録され、今では財団によって分類され保管されている。


 実はおじさんはケーシーが大好きで、アドレスやハンドル名に借用したりしている。


 1冊ぐらいご紹介しようと思ったのだが、画像だけでは読破した本かどうか判断できなかった。
 

 いずれにしても、多く出版されているので、病気に関するものか、アトランティスに言及したものから入るといいかも知れない。


 日本エドガー・ケーシーセンターというNPO法人があるので、そこで概略を掴んでメール会員になるか、書籍購入の参考になさるといいだろう。








 おじさんは、こんな事を考えている。


 それは、知的生命の最下層に人間が居て、最上層?に創造神がいるというものだ。


 その中間層には、人間由来のカミや他の由来のカミなどがいて、それぞれ進化を続けている。


 先日(4日)、おじさんのひっそりしたブログに、占い師の方が来てくださっていた。


 人間の能力は制限はあれど、凡人の想像も及ばない境地が存在し、占いなども聖人アガスティアとまでは行かずとも、かなり力のある人が存在するはずなので、興味のある方は、アメーバにある『タロット1日マスター講座:占い師キャメレオン』さんのブログを訪ねてあげてください。


 実は、占いについては、昔、よく本を読んだことがあるんだ。手相、顔相、名前、易経、手相、数秘術、占星術などなど、かなり読んではみたが、もともと占い師になる気はなかったし、自分や周囲の友人達にあてはめてみても、当たったとも当たらないとも言えないので、教養として、広く浅くさらっと通り過ぎることになった。


 近頃、占いの威力を再認識させてくれたのは、何気なく点けたテレビで占い師が、相談を受けており、相談者の事を何も聞かず、こういう問題ですね、と解決策をアドバイスしていったときだ。


 番組の名は『金曜日のキセキ(以下「キセキ」という)』といい、テレビというのは、ときどきヤラセがあるので、何回か様子を見てみたが、3人いる占い師は、何方も驚くほどの実力であった。


 占い師というと、毎年、年末に小冊子をお出しになっている細木数子さんは、一時、各局にレギュラー番組をお持ちになっていたが、テレビへの露出を控えるとかで、今はあまりお見かけしなくなった。


 キセキの占い師と細木氏の違いを一言で言うと、相談者に注ぐ愛情の多寡(たか)、人間に対する愛情の深浅(しんせん)である。


 もちろんキセキの方が愛情がより多く、より深いことは言うもでもない。


 残念ながら、キセキは打ち切られてしまった。


 さて、その本物の占い師の実力は何処から来ているのだろうか、と考えてみた。


 おじさんは、訓練・研鑽もさることながら、やはり生まれ持った能力に左右されるのではないかと思うのである。


 お名前は失念したが、ある人などは、明らかに霊と対話して「霊がそう言っているから、気にしなくてもいいよ」というアドバイスをしていた。


 これは明らかに霊能力だよね。


 わずかな霊能力をもって教祖たらんとしている人は多くいる。信者が死んだときしかニュースにはならないが、身内の死ぬ時を言い当てたりすると、大変な力の持ち主だと言うことで、周りが祭り上げたりするのだろう。


 能力者でアカシックレコードを読むことを勧めている女性の方は、幼いときから霊が見えていたので、小学生の時まで、みんなも見えていると思っていたと書いてあった。


 本を探し出したところ、如月マヤという女性であった。

アマゾン
未来を知って幸せになる本―宇宙のデータベース「アカシックレコード」読み出し術


楽天


 尚、アカシックレコードについて、おじさんは書いた記憶がないから、次はそれを書くことにする。



 

 


 自分を取り巻く世界が、自分の生き方に関係する事を否定する人はない。


 哲学的? に言ういうなら世界観と人生観ということになるね。


 相対性理論は面白い。というより、相対性理論が描く世界が面白い。


 一知半解なおじさんが相対性理論を語ることは遠慮しておくが、文系のおじさんより相対性理論をご存じない方のために、最低限の事だけ話しておくね。


 まず、光の早さが一定だという観測がなされた。


 それは今まで人間が知る物理の常識とは異質だった。例えば音速を考えてみると、音を発する物体が動いていると、物体の発した音の速度は、物体の運動速度プラス音の速度となる。


 光もそうであろうと考えられていた。


 音は伝える物質がないと伝わらない。光も同様で、真空中に光が伝わるのは、そこにエーテルか何かが充満しているからだと考えられていたんだね。


 ところがマイケルソン・モーリーの実験によって、光の差異が観測されなかったんだ。いや、正しくは観測されたんだが、それは誤差と解釈された。


 よって、アインシュタインは光の速度を一定とする式を立てた。


 かの有名な  E = mc2  という式のcというのが光速度。


 また、宇宙では自分(観測者)と相手(対象)の相対的な速度の関係しかなく、それによって様々な現象が発生する。


 ただ、おじさんが理解できないのは、相対的な速度しかないのは解るが、説明の際によく用いられる『双子の兄弟』の話だ。兄は地球にとどまり、弟は光速で宇宙に旅立つ。何年か後、弟が地球に下り立つと、兄は歳を重ねて老人になっていたというものだ。


 つまり、相対性理論が論理的に導く世界は、速度が上昇し光速に近づくと時間が遅れると言われている。


 だから運動速度と時間は反比例すると考えてもいいのかな。光速に近づくほど時間が遅くなり、速度の遅い方が時間が早く進むので、兄は地球で年を取ってしまったということなんだ。


 ところが、おじさんが読んだ解説書には、仮に互いの時計を見ることができるとして、一方が早く一方が遅く表示されているというなら解るが、どちらも遅れて見えるというんだよ。


 だから、その論拠を探して、限られた書物を漁ってみたが、ローレンツ変換がどうたら、加速度がどうたらで、おじさんの能力では理解できなかった。


 光速に近い速度で運動している者は時間が遅れることは良しとしよう。だが、どちらが光速運動しているのかは、宇宙では双子の実験のように出会うまで不明だということでいいのかな。


 おまけに光速にするためには無限のエネルギーが要るというんだ。


 そんな物理的制限がある宇宙空間で、限りなく光速に近い速度の宇宙船に乗って来たとしても、最大数十億年もかかるのだから、それは不可能であるとまともな理性を持っているなら、そりゃ、言うわな。


 だから、おじさんは霊魂はしぶしぶ承知したとしても、UFO宇宙人飛来説は最後まで保留していた。


 世界観が人生観を制限した例だね。


 だから、今でも最先端物理学は割とアンテナを張り巡らしている。


 最近のニュースでは素粒子の一つである、ヒッグス粒子が発見されたかもしれないというニュースはしかりと押さえている。


 これは物質に重量を与える素粒子だという。


 おそらくノーベル賞級の大発見だ。日米欧の研究者のトップは間違いなく、生きていればノーベル賞を受賞する。


 さて、またぞろ横道へふらりと入ってしまったが、金運だの恋愛運だのを司るカミ様たちは、神とどのような関係になるのだろうか。



 

 

 




 脇道へ少し寄ったら、帰り道が分からなくなってしまった。(^_^;)


 こうやって細切れに書いていると、全体が見えなくなっていけないね。


 おじさんは、論文や、小説まがいの文章を書き散らして、トータルで万枚以上は書いているだろうから、長いから収拾が覚束ないということはないつもりだ。


 ブログは、どこまで書いたかな? これは書いたかな? と確認するだけで結構面倒だ。


 ワードなどで全体を書き、適当な分量をブログに貼り付けていけば、全体が見渡せていいのだが、今度は構えてしまって堅苦しくなってしまう。


 結局、ブログに何回かトライして続かなかった時点に舞い戻るだけだ。


 まあ、こんな事を書きながら文字を埋めていると、何かのレポートで読んだアフィリエイトに必要な最低のブログの文字数ぐらいにすぐなってしまう。


 さて、これまで転(こ)けつ転(まろ)びつしながら、自伝まがいの事を書いてしまったが、ここまでの到達度は、おじさんとしては早かったと自負している。


 問題はここからで、喜怒哀楽を有するカミ――創造神と区別するため、中間的な神をカタカナで「カミ」」と表記することにする――が人にとってどういう立場に在るのかといった事を考えてみると、それを体系的に整理・理解するは遠大な作業が必要となりになり、1回生きたぐらいではとても追いつかないだろうと、今では思う。


 しかし、おじさんは若い頃はイケイケで、こんなもの、すぐに判明すると軽く見ていた。


 人間はすばらしい生き物である。果てしなく無限に見える道すら、駅へ行く道のように、すぐに到達可能なように、敢えて錯覚して生きることが出来る。


 一方、地に足がついた物理学が構築した時空間や宇宙の姿にも大いに興味があった。例えば、霊魂否定論者は、宇宙人やUFOも否定することが多い。


 有名なところでは、プラズマの世界的権威である大槻教授が有名だが、タレントの中でも反論する人は理論家が多い。


 例えば、UFOがいかに早い乗り物であっても、実験で光の速度が一定であることが証明された以上、アインシュタインが相対性理論で導き出したように、いかなる物も光の速度を越えることができない。


 よって、理論的に宇宙人の寿命が相当長いとか、世代を重ねて地球に到達することは可能かも知れないが、わざわざ、そんな年月と危険を冒してまで地球などにやってくるだろうか、というのが大きな否定の論拠になっているのである。


 片や、テレビなどで賛成?論者は何か与太者のような言説を吐いたあげく、嘲笑され、擁護者を増やすどころが、逆に減らすような場合がが多い。


 おじさんも反論の様々な言葉を考えた事があるが、前にも書いたとおり、今では敢えて否定論者を賛成に転向させる必要はないと考えを変えている。


 今のおじさんは、人は創造する生き物であり、生前、思念した地獄や天国は、多数の思念のパワーで本当にあの世に創造され存在する、と考えている。


 同様に、何億光年先から宇宙船に乗って出発したとしても、おそらく人類の知らない方法によって空間を短縮できたり、何かの方法によって光の速度を超える事が出来ると考えれば、そのように物事は創造されると考えている。


 人が思い浮かべた物は必ず実現すると言った偉人もいる。


 だったら、大勢でいい国をイメージし創造したら、いい国になると思われるが、それが実現しないのは、まだ現実的な眼で眺め、限界を感じている人が、おじさんのような人間の人数をはるかに超えているからだと思う。


 現実の力はとても大きく、よく自分の前で不思議な事が起きたためしがない、という人がいるが、現実を信じる力が、超能力を起こす力を超えているからそうなるのである。


 強い現実論者がいる場では、超能力実験は失敗することが多いのはそのためである。


 否定論者はますます力を得て確信を強くするという流れになる。


 


 霊魂、占いと、おじさんの中で一つずつ問題が解決されていった訳だが、自分の葉を求めてインドへ行こうとは思わなかった。理由は特にない。


 記憶が曖昧で恐縮だが、確か、アガスティア自身は占星術で占っていたと思われる。


 何故なら、おじさんはそのあと、インドの占星術だとか、インドの医学であるアーユルヴェーダの本をひとしきり読んでいた記憶があるからである。


 その時から、インド人は奥行きの深い国民であるとの認識を持ち、それは現在でも続いている。


 話は逸れるが、同じく歴史のある大国、中国に関しては、多くの世界的に有名な偉人を輩出して来たにも拘わらず、奥行きの深さは感じない。


 その理由をあれこれ考えると、我こそ世界の中心だという中華思想に原因があると思われる。


 それに孔子の論語にしても、それを包含した所謂(いわゆる)四書五経にしても、むしろ獣の様な国民性だから、それを律するために編み出されたと見ることも出来る。おじさんは国民性が優れているからだとは見ない。


 そして易姓革命という腐敗した国家を転覆させる理屈をひねり出すが、これは所詮、支配者すなわち姓が変わるだけで、封建国家から近代国家に移ると入った歴史的必然性があるわけではない。


 おじさんは老子が好きだった。若き日の虚無と通じるところがあって、よく理解できたからだろうか。片や孔子はどちらかというと口うるさい教頭のような感じで、敬遠していた。それと苛烈な韓非子も好きだった。


 その偉人達と、今の中国国民は別の国の人間としか思えない。


 一度も近代国家になったことがない国が、どさくさ紛れで国を奪い、共産主義でありながら、資本主義の経済を取り入れ、一応、今は成功しているかのように見える。


 昔ながらの封建思想の感性のまま、そんな人間が経済力も得て、中華思想で世界を牛耳ろうとしているのだから、近隣の日本などは端迷惑も甚だしい。


 そんな折、先日、地方議員(県会議員)の一人が、事もあろうに、尖閣諸島を東京都が買うのは筋違いだなどと、さる専門家の総会の席で言ったものだから、皆言葉には出さなかったが、あきれかえった。


 件(くだん)の御仁は保守系の議員であるが、それですらこの発言をする有様である。普段、市民の味方を標榜する革新系首長の方々は如何かと伺えば、何処も震災の瓦礫の受け入れに対し、屁理屈を付けて反対なさっているようである。


 その一方で、尖閣諸島の問題は『相手を刺激せずに話し合いで』とお得意のご高説をお述べになっていたり、慰安婦問題で韓国のお立場に配慮して、謝るように決議なさった地方議会もあると聞く。


 領土・領海・領空・排他的経済水域などの事は考えたこともなく、国家観も定まらないか、歪んだ国家観を抱く輩が、甘言を弄して地方政治家になる。そして隙あらば国政に打って出て当選後も地方の時と同じような言を吐く。


 そろそろ我々も気付いたらどうだろう。耳に快い事ばかり言う輩を信じるなと。


 子供手当に高速道路の無料化、埋蔵金発掘で増税無しを標榜し、見事政権を奪取した民主党が野田になって不退転の決意とやらで消費税の値上げを決行した。消費税と社会保障の一体改革という理屈をひねり出していたが、取り敢えずは増税を先行なさった模様である。


 彼らがマニフェストに掲げたものは、何一つとして実現されたものはない。前提がまるで見込み違いだったのである。


 普通ならこれだけ見通しが狂えば、恥じ入り人前に出られないところだが、鉄面皮にも少しも反省の色は見られない。


 小澤一郎にしても、検察の謀略のような裁判に巻き込まれ、気の毒だとは思うが、彼がこれまでやってきたことは、師田中角栄から国家や国民への愛を抜いたような似非(えせ)角栄手法で政界の世渡りをしてきただけで、小澤に何かを任せようとは誰も思わないだろう。


 政治家として、これだけ選挙前に言っていることと違った上に、しないと言っていた増税を強行することは国民への裏切りであり、きっと国民は許さないという普通の政治的センスがあるだけである。


 だから小澤グループを次の選挙で投票するのは大間違いである。何故なら、最初のマニフェストは小澤が作成したも同然だからである。


 対する自民党にしても、確かに消費税増税は選挙に掲げていたが、今がそれをしていい時期かどうかの見極めすら出来ないのだろうか。そんな鈍磨した感覚で政治をするなど、次の選挙も甚だ心許ない限りである。


 やはり橋下の維新に賭けるしかないのではないか。


 話が逸れたまま戻らなくなった。


 章を変えて、次は神と人との間に無数に横たわる不思議をどう体系づけるのかについて考察したいと思う。