霊魂、占いと、おじさんの中で一つずつ問題が解決されていった訳だが、自分の葉を求めてインドへ行こうとは思わなかった。理由は特にない。
記憶が曖昧で恐縮だが、確か、アガスティア自身は占星術で占っていたと思われる。
何故なら、おじさんはそのあと、インドの占星術だとか、インドの医学であるアーユルヴェーダの本をひとしきり読んでいた記憶があるからである。
その時から、インド人は奥行きの深い国民であるとの認識を持ち、それは現在でも続いている。
話は逸れるが、同じく歴史のある大国、中国に関しては、多くの世界的に有名な偉人を輩出して来たにも拘わらず、奥行きの深さは感じない。
その理由をあれこれ考えると、我こそ世界の中心だという中華思想に原因があると思われる。
それに孔子の論語にしても、それを包含した所謂(いわゆる)四書五経にしても、むしろ獣の様な国民性だから、それを律するために編み出されたと見ることも出来る。おじさんは国民性が優れているからだとは見ない。
そして易姓革命という腐敗した国家を転覆させる理屈をひねり出すが、これは所詮、支配者すなわち姓が変わるだけで、封建国家から近代国家に移ると入った歴史的必然性があるわけではない。
おじさんは老子が好きだった。若き日の虚無と通じるところがあって、よく理解できたからだろうか。片や孔子はどちらかというと口うるさい教頭のような感じで、敬遠していた。それと苛烈な韓非子も好きだった。
その偉人達と、今の中国国民は別の国の人間としか思えない。
一度も近代国家になったことがない国が、どさくさ紛れで国を奪い、共産主義でありながら、資本主義の経済を取り入れ、一応、今は成功しているかのように見える。
昔ながらの封建思想の感性のまま、そんな人間が経済力も得て、中華思想で世界を牛耳ろうとしているのだから、近隣の日本などは端迷惑も甚だしい。
そんな折、先日、地方議員(県会議員)の一人が、事もあろうに、尖閣諸島を東京都が買うのは筋違いだなどと、さる専門家の総会の席で言ったものだから、皆言葉には出さなかったが、あきれかえった。
件(くだん)の御仁は保守系の議員であるが、それですらこの発言をする有様である。普段、市民の味方を標榜する革新系首長の方々は如何かと伺えば、何処も震災の瓦礫の受け入れに対し、屁理屈を付けて反対なさっているようである。
その一方で、尖閣諸島の問題は『相手を刺激せずに話し合いで』とお得意のご高説をお述べになっていたり、慰安婦問題で韓国のお立場に配慮して、謝るように決議なさった地方議会もあると聞く。
領土・領海・領空・排他的経済水域などの事は考えたこともなく、国家観も定まらないか、歪んだ国家観を抱く輩が、甘言を弄して地方政治家になる。そして隙あらば国政に打って出て当選後も地方の時と同じような言を吐く。
そろそろ我々も気付いたらどうだろう。耳に快い事ばかり言う輩を信じるなと。
子供手当に高速道路の無料化、埋蔵金発掘で増税無しを標榜し、見事政権を奪取した民主党が野田になって不退転の決意とやらで消費税の値上げを決行した。消費税と社会保障の一体改革という理屈をひねり出していたが、取り敢えずは増税を先行なさった模様である。
彼らがマニフェストに掲げたものは、何一つとして実現されたものはない。前提がまるで見込み違いだったのである。
普通ならこれだけ見通しが狂えば、恥じ入り人前に出られないところだが、鉄面皮にも少しも反省の色は見られない。
小澤一郎にしても、検察の謀略のような裁判に巻き込まれ、気の毒だとは思うが、彼がこれまでやってきたことは、師田中角栄から国家や国民への愛を抜いたような似非(えせ)角栄手法で政界の世渡りをしてきただけで、小澤に何かを任せようとは誰も思わないだろう。
政治家として、これだけ選挙前に言っていることと違った上に、しないと言っていた増税を強行することは国民への裏切りであり、きっと国民は許さないという普通の政治的センスがあるだけである。
だから小澤グループを次の選挙で投票するのは大間違いである。何故なら、最初のマニフェストは小澤が作成したも同然だからである。
対する自民党にしても、確かに消費税増税は選挙に掲げていたが、今がそれをしていい時期かどうかの見極めすら出来ないのだろうか。そんな鈍磨した感覚で政治をするなど、次の選挙も甚だ心許ない限りである。
やはり橋下の維新に賭けるしかないのではないか。
話が逸れたまま戻らなくなった。
章を変えて、次は神と人との間に無数に横たわる不思議をどう体系づけるのかについて考察したいと思う。