大津市のいじめ問題について、おじさんはどう考えているかというと、まず、自殺した子供について、もう少し生きる方向で粘れなかったのかなと残念に思う。
大人でも借金苦ほかで年間、万を超える人が自殺している世だ。子供でも自殺はすると言ってしまえばそれまでだが……。
これをホ・オポノポノの立場から見ると、酷なようだが自分の感情が招いて体験したということになる。
そんな事、納得できない、彼は、何も悪いことはしていない、とほとんどの人はそう言うだろう。
おじさんも、ほんのこの間まで、そう考えていた。
じつは、おじさんも中学の時にいじめを受けていた。
陰湿さはそれほど無かったが、おじさんも見えないところで結構、いじめに遭っていた。
まず女の子に異常にもてたから、その嫉妬で、上級生から何やかやと呼び出されたり小突かれたりした。
同学年からは、それ程でもなかったが、ある数人の男子から、陰に日にもって回った嫌がらせを受けることがあった。
それでも、ルックスも知能もスポーツも劣る奴らには絶対負けないと思っていたから、次の日には忘れていた。
たぶん、相手はおじさんは体力があったから、喧嘩をしたらちょっと危ないと思っていた節が窺えたが、おじさんは相手の痛みが解りすぎて、人を殴れないから喧嘩は弱かったと思う。
でも、だから自殺した少年も頑張れたというつもりはない。
おじさんは多くの面で恵まれていたからだ。
彼は、十分思考力もあり、死んだ方がましという苦痛や恐怖も味わったに違いない。
誰にも頼れない孤独も味わったことだろう。
宗教という心の支えがあれば、死なずに済んだかも知れないが、普通の一般家庭なら、何処かの宗派の仏教寺院の檀徒だろうから、法事と盆と葬式ぐらいしか接する機会がない。
自殺への歯止めとなるには、やや結びつきが弱い。
あと、今生(こんじょう)の彼のテーマがどうだったかを思うと、もしかしたら、いじめに耐え、乗り越えるというテーマを課していたことも考えられる。