自分を取り巻く世界が、自分の生き方に関係する事を否定する人はない。


 哲学的? に言ういうなら世界観と人生観ということになるね。


 相対性理論は面白い。というより、相対性理論が描く世界が面白い。


 一知半解なおじさんが相対性理論を語ることは遠慮しておくが、文系のおじさんより相対性理論をご存じない方のために、最低限の事だけ話しておくね。


 まず、光の早さが一定だという観測がなされた。


 それは今まで人間が知る物理の常識とは異質だった。例えば音速を考えてみると、音を発する物体が動いていると、物体の発した音の速度は、物体の運動速度プラス音の速度となる。


 光もそうであろうと考えられていた。


 音は伝える物質がないと伝わらない。光も同様で、真空中に光が伝わるのは、そこにエーテルか何かが充満しているからだと考えられていたんだね。


 ところがマイケルソン・モーリーの実験によって、光の差異が観測されなかったんだ。いや、正しくは観測されたんだが、それは誤差と解釈された。


 よって、アインシュタインは光の速度を一定とする式を立てた。


 かの有名な  E = mc2  という式のcというのが光速度。


 また、宇宙では自分(観測者)と相手(対象)の相対的な速度の関係しかなく、それによって様々な現象が発生する。


 ただ、おじさんが理解できないのは、相対的な速度しかないのは解るが、説明の際によく用いられる『双子の兄弟』の話だ。兄は地球にとどまり、弟は光速で宇宙に旅立つ。何年か後、弟が地球に下り立つと、兄は歳を重ねて老人になっていたというものだ。


 つまり、相対性理論が論理的に導く世界は、速度が上昇し光速に近づくと時間が遅れると言われている。


 だから運動速度と時間は反比例すると考えてもいいのかな。光速に近づくほど時間が遅くなり、速度の遅い方が時間が早く進むので、兄は地球で年を取ってしまったということなんだ。


 ところが、おじさんが読んだ解説書には、仮に互いの時計を見ることができるとして、一方が早く一方が遅く表示されているというなら解るが、どちらも遅れて見えるというんだよ。


 だから、その論拠を探して、限られた書物を漁ってみたが、ローレンツ変換がどうたら、加速度がどうたらで、おじさんの能力では理解できなかった。


 光速に近い速度で運動している者は時間が遅れることは良しとしよう。だが、どちらが光速運動しているのかは、宇宙では双子の実験のように出会うまで不明だということでいいのかな。


 おまけに光速にするためには無限のエネルギーが要るというんだ。


 そんな物理的制限がある宇宙空間で、限りなく光速に近い速度の宇宙船に乗って来たとしても、最大数十億年もかかるのだから、それは不可能であるとまともな理性を持っているなら、そりゃ、言うわな。


 だから、おじさんは霊魂はしぶしぶ承知したとしても、UFO宇宙人飛来説は最後まで保留していた。


 世界観が人生観を制限した例だね。


 だから、今でも最先端物理学は割とアンテナを張り巡らしている。


 最近のニュースでは素粒子の一つである、ヒッグス粒子が発見されたかもしれないというニュースはしかりと押さえている。


 これは物質に重量を与える素粒子だという。


 おそらくノーベル賞級の大発見だ。日米欧の研究者のトップは間違いなく、生きていればノーベル賞を受賞する。


 さて、またぞろ横道へふらりと入ってしまったが、金運だの恋愛運だのを司るカミ様たちは、神とどのような関係になるのだろうか。