脇道へ少し寄ったら、帰り道が分からなくなってしまった。(^_^;)


 こうやって細切れに書いていると、全体が見えなくなっていけないね。


 おじさんは、論文や、小説まがいの文章を書き散らして、トータルで万枚以上は書いているだろうから、長いから収拾が覚束ないということはないつもりだ。


 ブログは、どこまで書いたかな? これは書いたかな? と確認するだけで結構面倒だ。


 ワードなどで全体を書き、適当な分量をブログに貼り付けていけば、全体が見渡せていいのだが、今度は構えてしまって堅苦しくなってしまう。


 結局、ブログに何回かトライして続かなかった時点に舞い戻るだけだ。


 まあ、こんな事を書きながら文字を埋めていると、何かのレポートで読んだアフィリエイトに必要な最低のブログの文字数ぐらいにすぐなってしまう。


 さて、これまで転(こ)けつ転(まろ)びつしながら、自伝まがいの事を書いてしまったが、ここまでの到達度は、おじさんとしては早かったと自負している。


 問題はここからで、喜怒哀楽を有するカミ――創造神と区別するため、中間的な神をカタカナで「カミ」」と表記することにする――が人にとってどういう立場に在るのかといった事を考えてみると、それを体系的に整理・理解するは遠大な作業が必要となりになり、1回生きたぐらいではとても追いつかないだろうと、今では思う。


 しかし、おじさんは若い頃はイケイケで、こんなもの、すぐに判明すると軽く見ていた。


 人間はすばらしい生き物である。果てしなく無限に見える道すら、駅へ行く道のように、すぐに到達可能なように、敢えて錯覚して生きることが出来る。


 一方、地に足がついた物理学が構築した時空間や宇宙の姿にも大いに興味があった。例えば、霊魂否定論者は、宇宙人やUFOも否定することが多い。


 有名なところでは、プラズマの世界的権威である大槻教授が有名だが、タレントの中でも反論する人は理論家が多い。


 例えば、UFOがいかに早い乗り物であっても、実験で光の速度が一定であることが証明された以上、アインシュタインが相対性理論で導き出したように、いかなる物も光の速度を越えることができない。


 よって、理論的に宇宙人の寿命が相当長いとか、世代を重ねて地球に到達することは可能かも知れないが、わざわざ、そんな年月と危険を冒してまで地球などにやってくるだろうか、というのが大きな否定の論拠になっているのである。


 片や、テレビなどで賛成?論者は何か与太者のような言説を吐いたあげく、嘲笑され、擁護者を増やすどころが、逆に減らすような場合がが多い。


 おじさんも反論の様々な言葉を考えた事があるが、前にも書いたとおり、今では敢えて否定論者を賛成に転向させる必要はないと考えを変えている。


 今のおじさんは、人は創造する生き物であり、生前、思念した地獄や天国は、多数の思念のパワーで本当にあの世に創造され存在する、と考えている。


 同様に、何億光年先から宇宙船に乗って出発したとしても、おそらく人類の知らない方法によって空間を短縮できたり、何かの方法によって光の速度を超える事が出来ると考えれば、そのように物事は創造されると考えている。


 人が思い浮かべた物は必ず実現すると言った偉人もいる。


 だったら、大勢でいい国をイメージし創造したら、いい国になると思われるが、それが実現しないのは、まだ現実的な眼で眺め、限界を感じている人が、おじさんのような人間の人数をはるかに超えているからだと思う。


 現実の力はとても大きく、よく自分の前で不思議な事が起きたためしがない、という人がいるが、現実を信じる力が、超能力を起こす力を超えているからそうなるのである。


 強い現実論者がいる場では、超能力実験は失敗することが多いのはそのためである。


 否定論者はますます力を得て確信を強くするという流れになる。