『海の絵』 

  • 13Nov
    • 個人が担う限界を超えたものを担えという制度、習慣、人の義務とやら。

      自民党の憲法草案が、そのまま、この国の憲法になどなってしまったら、思うだに恐ろしい負担増が、個人を襲うこと必定だ。今でも、個人では抱えきれないほどの負担を、国民一人一人が負っているのに、政府は、負の連鎖を、いやが上にも増そうとするだろう。全ては自己責任で、家族相互扶助の原則を強調し強化し、家族は互いに助け合いなさいと、道徳を説き、政府の負担を減らし、無料の在宅介護者に、大いに貢献させ、税の拠出を渋り、多大なる肩代わりをさせようとするだろう。それで、肝心の家族なるものが、逆に崩壊してしまうだろう。重い荷を担わさせられると知り、絶望を早めるものもいるだろう。人生100年時代というものが、どんなに恐ろしいものか。これからその実践篇に入り、それにどれだけの人が、耐えられるものか。100年の生を支えるように、そもそも人は設計されているものだろうか。健全に老いてこその、せめて80年というものではないか。それ以上を生き続けるのはいいが、誰かが犠牲になることなく、自立して生きられてこその人生。他者を犠牲にしてまで生きる生の、どんな意義を求めればいいのだろう。それでも生きるべしとするなら、そのような仕組みを作るべきであって、とても、個人の担えることではない。個人の限界を超えることを為せと、させるほうはいいが、させられるほうは、どうなるかということであり、緩慢な極刑とでもいうべきものとなるだろう。一人がもう一人を潰し、さらに二人を、三人を潰し、すべてを潰す。果たしてそれでいいのだろうか。それが、憲法で規定され、罰則までが与えられ、雁字搦めの金縛りにしようというのだろうか。道徳で縛り、税で縛り、法で縛り、過大な義務から抜けられない社会を作る。そうしてみんな不幸になる。それならば、最初から、この世に生を受けないほうがいいのであり、最初から、最後を考えて、あらゆる自縛を避けなければならなくなるのであり、昨今の非婚化は、それを表しているのかもしれない。人が責任を負い、義務を負うと言っても、100年は長すぎるだろう。せいぜいが、70年か80年だ。ところが、現在、90歳でまだ半数の人が生きている時代。健康年齢的には末期であっても。なんという猶予のない社会。悲惨な結末は目に見えている。しかし、政府は引き、個人に担わす。例えば、寝たきりの場合の高齢者と、健康な高齢者は、全く別の負担度であり、問題は自立できない高齢者の問題であり、その一人に関して、どう負の連鎖を防ぎ、喰い止めるかということであって、如何ほどかの年齢、事情で、免責を与えられて然るべきであり、そこを越えたら、個人の責任は、それぞれの真の意味の自己に限り、連座制にも等しいお仕置き同様の縛りは、過酷というものだ。

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  • 05Nov
    • いろんな老後対策本や、個人blogでも、老後の生活費のシミレーションが示されているが、

      大方は、安気に過ぎるもの。一生、死ぬまで、何事もなく、調和と均衡に恵まれた場合に限るもの。そういうことが崩れていくのが老後であることに一切、考慮していない。政府は、容赦なく、マクロスライドで年金を減額しながら、徴収する社会保険料は、漸次上げて行くばかりでなく、制度改訂によって、負担を劇的にも上げる。それで、果たして支払う側がその負担増に耐えうるかどうかなどは、お構いなしである。1割が2割になり、2割が3割になったとしても、そんなことは知らぬ顔の半兵衛である。よきに計らえと年貢の割合を決めさせ、お上の御定法には黙って従えとした封建時代と変わらない。否も応もないのである。それで、支払えるだろうか。年金生活者が、2割負担、3割負担。(健康保険の差ならまだ極端ではない。最も問題なのは、介護保険だ。一割の負担差が、何倍にもなる。それだけの負担差に比例する所得差でもないのに。それだけの負担差に見合う所得があれば、それはそれでいいだろう。僅かな収入、所得の差でしかないにも関わらず、多額の支払いを余儀なくさせる制度。しかも、それぞれが所属する健康保険組合がもしも同じでなければ、医療・介護の高額医療費合算制度の適用も外される。そのような決まりになっているから。たとえば、後期高齢者医療保険と、国民健康保険の制度に入っていれば、それは、別々となり、家族であっても、合算されない。何もかもおかしな制度設計になっている。)介護保険の適用度を越えて使用すれば、全額10割自己負担。ほんの僅かに年金が多いだけで、数倍も負担が増えることに。仮に非課税枠に入っていれば、減額を受けられ、もし、施設に入っても、8万円くらいで済むところも、課税、一般所得者は、一割負担で15万円、2割負担枠になれば、20万円。3割負担となれば、25万円と考えればいい。自己負担となる諸雑費を除いた場合で。年金の平均受給額なんて、要介護にでもなれば、全部、持って行かれることになる。莫大な費用がかかることを、大抵の人が予想していない。みんなピンピンコロリと、死ぬまで自立して健康に暮らし、あっという間に死ねると思っている。もしものことがあっても、年金受給額に少し足すくらいで済むと思っている人さえいる。現実に起きることとして、真剣に考える人はあまりいない。全員が非課税者なら、そういうこともありうるだろう。税金や社会保険料を、ほぼ払わず、独身なら、自宅を引き払い、人生も引き払うような思いで、光熱水道料の負担もなくし、カバン一つを持って、どこかへ行く。非課税者なら、受給する年金の全てを介護業者や、リース業者の餌食になることで、何とか貯金の持ち出しも最小限度に抑えられる人もいる。だが、一般所得者と既定されたり、高所得者と政府基準で分類されたら、非課税者よりも何倍も悲惨なことになる。在宅であっても同じこと。ショートステイでも、デイサービスでも、ヘルパーさんを派遣して持ってもらうにしても、施設より安いだろうと考えている人も多いだろうが、最低限に抑えられるとは限らない。要介護度の認定が、実情よりも下げられる傾向は歴然としている。政府が、負担を増やしたくないためだ。今後は、ますます介護度の認定が、厳しくなるだろう。必要な介護の補助を求めれば、全額自己負担となる。かえって、施設のほうが、定額の安心があるかもしれない。近頃は、在宅の介護破産のケースが増えているのだ。★そういうこと、真剣に考える人も無いまま、制度改訂は進められて行く。実際に、自分自身がそうなった時、対処できる人が、どれくらいいるだろう。*ロコモであれ、認知症であれ、不測の病であれ、老化する心身や脳に確実に忍び寄り、現実のものとして姿を現し、多額の費用をもぎ取るべく、ゴーストのように、枕元をうろつき始めているのに。

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  • 04Nov
    • 「無理が通れば道理が引っ込む」今の世の中はそんな世の中

      いつだって非道な世と言えば、いつの時代も、そうには違いないが、とりわけ、日増しに、その感を強くする。昔は、まがりなりにも、表向きだけでも、世間体だけでも、少しは気にしたものだったが、今は、大手を振って通る。理想に遠くかけ離れるばかりか、現実に完璧に絡み取られ、天を恐れないどころか、人目も憚らず、恥も外聞もなく、なりふり構わず、悪が白昼堂々闊歩する。理非無きことも、居丈高に迫る。そんな時代だ。

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  • 03Nov
    • 介護は、スウェーデンのように、個人から切り離し国家が担当することにすべきではないだろうか。

      そうしないと、個人の手には余るから。70代で死んでいた時代と違って、今は、女性の半数が90歳を迎える時代。90代になり100歳を迎えようとする時も、まだ寿命が尽きない人が、そんなにも沢山いる社会。団塊の世代が70代に突入し、介護難民が大量に発生する。大量の介護難民が、10年20年、30年と、この国の根底を揺るがす。よくある定年後のシミュレーション。あのシミュレーションから完全に抜け落ちているもの。介護費用、毎月15万円から30万円。それを別建てとする老後シミュレーションなら、全く意味がない。自然淘汰ということもなく、長い寿命が与えられ、なぜか生き延びてしまう時代。支え切れるものではない。個人でそれを賄おうには、どれほどの資産を持っていればいいのか。座して喰らわば山また空し。ましてほぼ金利のない社会。生命の負債だけが降り積もる。70歳まで定年延長し、年金を支給するのを70歳ないし75歳からとして、まだそこから20年生きる時、その頃は、病気がちとなり、医療や介護の費用が、受給する年金以上にかかるようになる。毎月30万円として、いったい誰がそれを払えるのだ。5年、10年と支払い続けられる人は、定年後も、現役時代同様の収入がある人や、一握りの、恵まれた富裕者ばかりだ。残る家族の生活費だっているのだから。長生きを目指すなら、医者にはかからず、病気になったらチャンスととらえ、できるだけ速やに死ぬのが、後生を楽に終わらせる唯一の方法かもしれない。他者を自分の犠牲にしてまで生きて何とする。弱者という名の最強者が出現することになるだけであって、その残りの生がもたらすこの世への貢献は何も無い。そのような状況になったら、私は食を絶ち、死のうと思う。医療で生き長らえても、何一つ、良い事は無いのだから。生命体として、思考し、決断する能力がある間に、自分のことは自分で決めたいと思う。その時期を漫然と為すすべなく過ぎてしまえば、家族に迷惑をかけ、生ける屍と化して、ただ命があるというだけで、医者も殺すわけにもいかず、家族も持て余し、自分自身も情けない思いで、余命を数えるばかり。自己さえ失くして、物体のように存在するのではなく、思考力のあるうちに、人間として死にたいものだ。もちろん、ぴんしゃんと自立して元気で生きていられるなら、90歳だって、100歳だって、生きていたいものだが。

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  • 02Nov
    • 「大恋愛~僕を忘れる君と」

      戸田恵梨香、ムロツヨシ、松岡昌宏、そして母親役の草刈民代みんな適材適所で、期待を裏切らない。如何にキャスティングが大切かということで、戸田恵梨香は、一枚も二枚も皮がむけたというか、若年性アルツハイマーの女医役に身魂を打ち込んでいるようだ。ムロツヨシも、落ちぶれた小説家で今は引っ越し屋という役が、知性を感じさせる個性ゆえに生きている。松岡昌宏も、いつのまにかいい役者になっている。主演カップルの一方でも、もし適役でなかったら、視る気もしなくなるもの。例えば、『高嶺の花』がそうだった。脚本もつまらなかったが、まず、自転車屋のぷーさんを演じた峯田和信は、本業ではどうか知らないが、また、NHKの朝ドラの脇役でなら味のある役者でもあったのだろうが、大画面で、主役で視たいと思う容貌ではなかった。ほぼあれで、低視聴率が決まってしまった。それは、俳優のせいではなく、キャスティングしたプロデューサーの責任だろう。俳優のせいとすれば、その仕事を受けた責任はあるが、与えられた役を一生懸命演っただけだろうから。「大恋愛~僕を忘れる君と」は、主題が明確。アンサンブルもいい。期待をもって最後まで視られそうだ。

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    • 江波杏子さん逝去。惜しい女優さんをなくす。

      大映の役者さんには、市川雷蔵をはじめ、クールで、独特の雰囲気があるスターが多かった。江波杏子、田宮二郎、成田三樹夫など、それぞれ凛とし、颯爽として、その人が立ち現れると、周囲のだらけた気配が一変した。どこにいても俳優、何をしていても女優。涼やかな眼。毅然として美しい立ち居振る舞い。御冥福を祈ります。

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    • ナショナリズムは如何に形成されて行くか 昨今の風潮を見ればよく解るのである

      しかも、それに、異議を唱えたところで、どうしようもないことも。極小の声の無意味さも、マスの恐ろしさも、何もかも。結局のところ、全体に吸収され、全体とは、ナショナリズムそのものであることを意識すらしない無数の集合意識であり、それに抗することなど、できようもない流れであり、諦めを以て見るしかないものであり、自分自身の身の情けない現状を思えば、ただに傍観するしかない流れなのである。

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  • 01Nov
    • 絶望しかない。この先いいことなんて起こらない。

      世の中、正しいことなんて通らない。間違ったことでも、力さえあれば、堂々と罷り通る。国民の最低線の権利も、権利ではなく、政府への嘆願でのみ、下げ渡される。災害被災者も、万年被災者も、事業企画経営者も、その承継者も、等しく嘆願する立場に置かれ、政府、自治体の恵みを待つのみ。自由と平等を奪いながら、権利を剥奪しながら、認可と下賜の仕組みに集約される。永遠に道半ばで、永遠に努力目標で、永遠に災害被災者も、万年被災者も救われることはない。国土強靭化といえば、ただそれで儲ける業者だけに金が流れ、対策が喧伝される。人々が、恐怖のもとに暮らすことは変わりない。原発、自然災害、失業、貧困、介護、医療、教育、その他、恐怖と共存する日々が続く。人々は満足している。若者は楽しんでいる。確かに。内閣府の統計では。満足度調査的には。ハロウィンのお祭りみたいに。楽しいの?

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    • 野球のお蔭で見損なった。「獣になれない私たち」

      延長のせいなの?野球なんて視ていないんだから、延長になったことも、テロップで流れたとしても、番組の時間帯が変更になったことも知らないじゃない。今日は中止にして来週にしてくれたほうがよかった。勝手に放映時間変更されても。予告にしろ、断りにしろ、そもそも視ていないし。飛んじゃって来週待ちかと思ってしまった。延長しているなんて知らないもの。再放送はないんだろうし、見逃しただけで終わった。最後のところだけ5分間くらい偶然に視ただけだ。いっそこんな時間にやっていることを知らないでいたほうがよかった。野球だの体操だの、今日は、スポーツ番組ばかり。その上に、ニュースは、ハロウィーン、ハロウィーン。集まった渋谷の群衆を写すばかり。最悪のテレビ視聴日だった。スポーツ好きの人には怒られるだろうけど、スポーツに興味のない人間にとっては、厄日。オリンピックの頃なんて、死んでる。毎日が忌日。毎日が喪に服しているようなもの。テレビが土砂に埋められたも同じ。暗黒時代が毎日続くようなもの。毎日、毎日、延々と。いったい何週間我慢すればいいのか。オリンピックが終わるまで、終わっても、まだ、熱狂と興奮冷めやらぬとやらの中継。静かになるのは、いつのことやら。普段の番組編成に戻るのはいつのことやら。スポーツなんて視ない人間にとっては、毎日がブラックアウト。★だいたい、せっかく勝ち上がっても、最後の最後でまた二位のチームに入れ替わって相手リーグと戦うなんて、そういう制度も変だ。双方のそれまでの戦いは何だったの。せっかく勝ち上がっても、簡単に入れ替わるなら、それまでの努力が水の泡というわけで。ペナントレースの意味も価値もないということになる。普通に双方のリーグの一位同士戦えばいいじゃない。でなかったら、あくまでも敗者復活の妙味を言うなら、サイコロでもくじ引きでもすればいいじゃない。振り出しに戻るんじゃ意味ないよ。たとえ、二位三位と限定されていても。もともと6チームしかないんだから。半分ガラガラポンじゃない。

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  • 31Oct
    • 世の中には幸福な人がいる。

      幸福に生きればいい。現生を肯定的に、前向きに生きる人々。私には関係ない。幸福な人たちに、私たちが関係ないように。別々の世界が存在するのだ。同じこの世界に。

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    • 何を書いても無駄だし、何をしても無駄。

      無駄から無駄へ生き、やがて死ぬのみ。生まれて来る必要はなかったのだ。こんな世界を見るために生まれて来たなんて思いたくない。でも、現実は、こんな世界を見るために生まれ、こんな世界を見るだけで死んで行く。それでも、原爆に焼け爛れて死ぬよりはましだ。どんな悲惨より、酷い悲惨。あんなことをよくも出来たもの。あんなことが現実にあり、私たちは、その世界に生きている。今も。

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    • 世界と協調できなくても生きるしかない。生きる力もないが、自ら死ぬほどの力もないから。

      どんな世界であれ、どんな人生であれ、生きるしかない。神様なんていない。もし神様がいたら、広島や長崎に原爆を落としたりしなかった。あるいは神は悪魔に負けたのだろうか。悪魔よりも弱い神なら、役立たずの神。あんな残酷を許したのなら、神が悪魔。この世を支配しているのは、多分、悪魔なのだろう。悪魔という実在はないが、悪魔のような思考が、この世を支配している。そんな世の中を生きる人間という生き物。哀れな存在。哀れだが、人類の集合知が世界の行方を決めるなら、愚かしい以上に悪魔より悪魔的な存在でもある。☆「レ・ミゼラブル」の中のフォンテーヌは、小さな女の子を残して死んだ。逃げ出した囚人であったジャンバルジャンが、その小さな女の子、コゼットを育てた。だが無慈悲なこの世を代表して、刑事ジャベールが、どこまでも追って行く。蝋燭の最後の灯は、伝えられたのだろうか。革命など、どこにも起こらない。パリは燃えたりしない。世界中もうどこにも革命もなければ、正義が存在することもない。悪魔が支配し、富と力が支配する。暗闇に灯を点すものはいない。

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    • サガンは言った。「破滅する自由がある」と。

      白い墓に今は眠っている。友人のお蔭でオンフルールの館に住んではいたが、無一物になった上に、フランス政府に税の未収金を残して亡くなったサガン。莫大な印税も、どこかへ消えた。自らの生き方を通して、そして死んだ。二作目を、銃で待ち構えていた世間は、どこまでも、一生涯、銃で狙っていた。墓の下までは、弾丸は届かないだろう。「安らかならず眠る」人のもとに。

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    • 今の世の中は、正しい悪いではない、お金があるか力があるかが問題であり、それだけとなっている。

      メルケル首相が大敗し、責任を取って、首相の任期を終われば、政界から引退するという。ブラジルでは、ブラジルのトランプと言われる候補が勝利を得た。日本での安倍首相をめぐる数々の問題も、不問となった。首相夫妻は、大きな顔をして世界を飛び回っている。「この世の中、金と力」と思い知らさせる事ばかり。こんな世の中を見るために生まれて来たのだろうか。多分そうなのだろう。これが現実だというわけなのだろう。極右勢力の台頭を止める手立てがない。何一つない。そう望んでいる人が多いのなら、そういう世の中になって行くのだ。多数決、ポピュリズム、自国第一主義。どこまで行くのだろう。もうどこまでも行くがいい。消え去る覚悟さえすればいい。

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    • 徴用工の問題。報道の解説者もみな解決済みなのにと国家間の約束を踏み躙るのはと韓国に厳しいが

      既に、1965年の日韓基本条約で解決済みだし、国家間の約束を破ったら何もできないと強調するが、その解決金としている5億ドルなんて、ニューヨークにビルを建てたらお終いのような金額。当時とは貨幣価値が変わったとしても、何ほどのものだろう。困窮していた時代の韓国政府が、喉の渇きを潤すように受け入れた条約。どれほどの徴用工を犠牲にし、どれほどの人の人生を変えたのだ。戦争の時だから仕方がないというのは、こっちの勝手だけれど、向こうの人にしたら、何を言っているのだと言うことだろう。辛酸をなめ、塗炭をなめても、我慢させられて、それで済んだのは、日本の元々の国民だけで、(それだって、本当は、日本人だって、訴訟をし、空襲の被害の賠償を求めた裁判もあったが、日本政府が日本の裁判で勝っただけのこと。戦争は、国民みんなでしたこと、国家がした戦争なのだから、被害も等しく受忍し、諦めろと言われているだけのこと。誰に訴えようもないことと、諦めさせられただけのこと。)しかし、途中から、植民地にされ、第二国民として徴用され、日本に連れて来られ日本人以上に苛酷な労働をさせられた朝鮮半島の人たちにすれば、もう解決済みだと言われて、ああそうですか、解りましたとは言えないだろう。謂わば、セカンドレイプのようなものだろう。日本側の誠実さを、認め、納得はしないだろう。個人賠償は、韓国政府に求めよ、日本としては解決済みと言っても、なかなか納得できるものではないだろうと思う。経済的、政治的力関係が対等ではない条件下で起きたことゆえ、たとえ一旦解決済となっていても、現在位置から、どうあるべきか、人間として、どう対処すべきか考えて対応すべきだと思う。例えば、日本人だって、アメリカには、原爆投下のことについては、謝ってもらいたい。心から、人間として、謝ってもらいたい。日本人にというのではなく、原爆を投下されたその当事者に。広島や長崎で「焼却」された人たち。なぜ灼かれなければならなかったのか。その必要があったのか。絶対に無いはず。その無い理由を、戦争終結を早めるためなどといううその理由で街ごと灼かれた人たちに、心から謝ってほしい。そして、「国体護持」などという愚かな理由で戦争終結を遅らせ、アメリカに、マンハッタン計画最後の実地検証の格好の口実を与え、原爆投下を招いた日本政府にも。同様に心から謝ってほしい。でもそれは永遠にないだろう。あれば、今頃は、核や原発を持っていないだろうから。

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    • 「現場に責任」と勝俣元会長 「津波は予測できず」とも では何のために存在するのか。

      勝俣元会長「原発の安全は、一義的に現場が全て行うので、責任も現場にある」「津波のことまで頭に思い浮かばなかぅた」なんて卑怯な東電幹部。なかんづく天皇と呼ばれた勝俣会長の、「責任は現場に」論。自らは責任無し、「津波も予測できず」、と当然のようにうそぶく。では何のために存在するのか。事故の責任も取らず、経営者としての判断能力もなく、ただ威張って高額の報酬を得て痛みを感じない人。こんなトップがいた悲劇。責任は全部現場に、と言うなら、高額の報酬も現場に差し出したらどうか。いざという時の責任も取らないトップなど要らない。勝俣元会長の言通りなら、彼は、いったい何の役に立っているのか。卑怯極まりない、尊大なだけの役立たず。そんな幹部が、三人も四人もいて、福島の事故を招いたのではないか。

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  • 27Oct
    • 上下のエレベーター、エスカレータを是非全駅に。それも探し易い位置に。

      上りはあるが、下りがない。そういう駅が多い。下りはエレベーターのみ。時には、それも無い駅も。いったいなんで、こんなにバリアフリー化が遅れているんだろう。2020年には間に合わせるのだろうか。別に外人が利用しなくても、国内利用者だけでも必要なはず。ホームドアも必要だし、エスカレーターもエレベーターも必要。劇場でも駅でも、ほんとにまだまだ遅れている。というより、最初から、あまり必要性を感じていないのかな。上りより、下りが必要だという認識がないのかな。設計者は全員、若くて、足腰丈夫な人ばかりなんだろうか。まぁ、そうなんだろう。だから、上りばかり重視して、下りエスカレーターが少ない。無いところも、非常に多い。

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    • 渋谷駅、表参道駅の苛酷さよ バリアフリー化足らざる東京

      駅構内図も頭に入れず、ゆきあたりばったりで動くと、大変なことになる。地下4階、5階の立体構造も、どうなっているのかわからず、連絡口も、その度に何度も見回して探すようだし、そもそも全体をつなぐコンコースが無い。谷底状の地形を上へ下へと発達した街と、欠陥甚だしいタコ足状に発達した駅に、さらに改造が加わり、さらにややこしくなった。階段を降りても降りりても、まだ降りなければならなかったり、上っても上っても、まだ上らなければ上らなければならなかったり。4階分くらいの階段を上下する羽目になったり、惨憺たる目にあってしまう。東京の駅は、全然バリアフリー化されていない。エレベーターがあったとしても、長い長い通路の端っこまで歩かなければならなかったり、そもそも下調べでもしておかなければ、一目瞭然というわけでもないし、苦労する。

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  • 24Oct
    • プラスティック世記の産物

      ウィーン医科大研究:8カ国の人の便からプラスチック 2018/10/24 07:00 BMWリコール、世界で160万台に拡大 ハンコ消えても紙のまま、疑問の声も  【ブリュッセル八田浩輔】ウィーン医科大学などの研究チームは23日、日本を含む8カ国で採取した8人全員の便からマイクロプラスチックが検出されたとの研究結果を発表した。研究チームは「人間の消化器にプラスチックが到達していることを確認した初めての研究」だと指摘。健康への影響を評価するため、大規模な調査を進める必要性を訴えた。  ウィーンで開催中の国際学会「欧州消化器病週間」で発表した。  マイクロプラスチックは5ミリより小さなプラスチック片の総称。海に流れ込んだごみが細かく砕けるなどして発生し、地球規模での汚染が深刻化している。これまで大小さまざまな海洋生物の体内や、世界各地の水道水からも検出されたことが報告されている。  発表によると、今回の研究は日本のほか、フィンランド、イタリア、オランダ、ポーランド、ロシア、英国、オーストリアの33~65歳の男女計8人が対象。全員の便に0・05~0・5ミリのマイクロプラスチックが含まれ、平均で便10グラムあたり20個のマイクロプラスチックが見つかった。検出されたのは9種のプラスチック素材で、食品包装などに広く使われるポリプロピレンと、ペットボトルの材料のポリエチレンテレフタレートが多くを占めた。  被験者は便を採取する前の1週間の食事を記録し、全員がプラスチックに包装された食品とペットボトル飲料を消費したほか大半が海産物を食べていた。菜食主義者は含まれなかった。研究チームによると、今回の研究は小規模のため、食行動とプラスチック摂取の関係は分からないという。  発表した同大学のフィリップ・シュワブル医師は、マイクロプラスチックが消化器に炎症反応を促したり、有毒物質を吸着したりして悪影響を及ぼす可能性もあると指摘した上で、「人体への潜在的な危険性を評価するには、さらなる調査が必要だ」とコメントした。

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