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さて、織田信長の宗教抗争における基本方針とその実行に関して私の考えるところは前回述べた通りです。
日本人が今日、外国の宗教衝突を見て「仲良くやればいいのに。馬鹿だな~。」と笑える宗教的寛容性は、実は四半世紀前の信長からの贈り物である、そう私は思うのです。
さて、もう一つ。信長の宗教勢力に対する方針と実行を探る上で外せない事象があると思います。それが「安土宗論」です。
安土宗論(あずち-しゅうろん)
天正7年(1579年)5月、織田信長が安土城下の浄土宗荘厳院で行わせた、浄土宗と日蓮宗の論争。浄土宗の勝ちとなり、日蓮宗側は詫び証文を書かされるなど厳しく処罰された。日蓮宗の勢力増大を嫌った信長の計画的な弾圧とされる。
(「精選版日本国語大辞典」[小学館]より抜粋。)
これが安土宗論に対する定説です。戦前の日蓮宗研究の第一人者、田中智学氏は「信長公記」や当時の資料を慎重に考証しつつ、信長が仕組んだ企みを論証しています。つまり、日蓮宗弾圧のために、信長が仕組んだ「いかさま」試合である、という考え方が一般的、というか「常識」です。
しかし・・・です。そんな詐欺的手法を弄して宗教団体を弾圧しても、それは今の「日本以外」の宗教を巡る復讐の連鎖を招くだけではないでしょうか。そんな方法を信長がとるでしょうか。
特に、前に申し上げた日蓮宗の特徴を思い出して下さい。
「不惜身命」の覚悟で他宗派の「折伏」に専心する。これが日蓮宗の基本方針です。特に日蓮宗には「法難」という考え方があります。これはどういうことかというと、日蓮宗の信徒の方々が奉じる「法華経」には、この経典の教えを布教する者は弾圧を受ける、と書いてあり、この「弾圧」を「法難」と呼ぶのです。
これを私も含めた一般の方々に解りやすいようにするために、日蓮宗における信仰の構図を強いて簡単に図式化することが許されるならば、下記のような形になるのではないでしょうか。
「法華経」の教えは正しい→だからこの「法華経」を広めるために「折伏」する→「折伏」すると(そこには、「念仏無限」などといった他宗派への全面否定が含まれていますから)弾圧される→「法華経」には「折伏」すると「法難」を受けると予言してある→だから「法華経」の教えは正しい(信仰がスパイラル上昇しつつ冒頭に戻る)
このようにいわば「先鋭化・原理主義化」していくのです。
こういう事情からか、一方で日本の中では民間団体(創価学会、霊友会、立正佼成会・・・)による活動が活発であり、他方で異色の宗派と見られがちです。
しかし、宗教というものを世界的な基準から鳥瞰してみれば、日本で唯一、最も宗教らしい宗派と問われればそれはおそらく日蓮宗です。その世界の諸宗教の中でも(開祖日蓮の教えから逸脱して「折伏」に「暴力」を含めるといった、今日では存在しないか、存在するとしても極めて少数例外な教団、信者を除けば)平和的かつ非常に穏健な方だと思います。
そうはいっても、先に述べたような性格を持つ宗派であることは間違いありません。
「いかさま試合」を仕掛けられておきながら、おめおめと「詫び証文」を書くなどということが有りうるでしょうか。当時の日蓮宗側は「詫び証文」を書かなければ宗徒を皆殺しにする、と信長から脅された、と弁明していますが・・・。
私は絶対にないと思います。「折伏」の過激さを当時の為政者に咎められて鎌倉の海岸で打ち首にされそうになった開祖日蓮が、「すみませんでした。今後行動を慎みます。」とおめおめ屈したでしょうか。
違います。彼は処刑場に連行される間、心配そうに見つめる弟子たちを尻目に「これほど痛快なことはない」と豪快に笑いながら闊歩し、自分を殺そうとする御家人の信仰対象であった八幡神社を通りかかった時に拝殿に向かって「八幡宮よ。今日本で最も知識のある修行者が殺されようとしている。その男には後ろめたいところは何ひとつない。それでもお前はその男を助けられぬか。」と放言し、挑発しています。
彼が不屈の信念を抱き、死すら辞さない決意を抱いていた証拠です。だからこそ、そのような彼の姿を見た人々によって日蓮宗は生まれ、発展したのです。
今の日本人は、これは私も含めて「命をとられるくらいなら・・・」と考えがちですが、それは世界の、そして信長以前の日本では違います。科学が発達していなかった昔は今の人が想像できないほど信心深いのです。「進めば極楽往生。引けば無間地獄」の標語に喜んで進んで信長勢と闘い、命を捧げた一向宗徒の人々のことを思い出して下さい。
井沢元彦氏は安土宗論の後に法華一揆が一件も起っていない事に注目し、定説に疑問を投げかけます。そうなのです。定説に従って「八百長試合」を仕掛けられたのに詫び証文を書かされておめおめ帰ってきた日蓮宗の僧たちを、日蓮宗の信者はどう迎えるでしょう。
まず「詫び証文」を書いてきたこと自体が教団への重大な裏切りですから、八つ裂きにされる筈です。その上で詫び証文の撤回を宣言し、逆に信長への謝罪と宗論のやり直しを要求して武装蜂起するはずです。
信徒の数で一向宗に比肩する日蓮宗、しかも信長が重要な財源としていた町人衆の多くが帰依しています。おそらく日本全土で日蓮宗が同時多発的に武装蜂起し、信長政権は1ヶ月と持たずに潰れていただろうと思うのです。
にもかかわらずそんなことにはなりませんでした。それどころか宗論に参加しなかった教団の幹部や信徒代表まで追随して詫び証文を信長に提出し、以後過激な「折伏」を放棄した彼らは、他宗派の庶民の子供からから街中で馬鹿にされるまでになってしまいます。「皆殺し」の脅しに接して、臆病風に吹かれたのでしょうか。
決して日蓮宗を否定したり馬鹿にしたりするつもりはないことをご理解ください。そして、何が申し上げたいかというと、定説こそ実は結果的に日蓮宗を愚弄しているのではないかということです。そして、上述したような背理法的な論証によってその不都合が強く疑われるのですから、つまり定説自体が間違っているのではないかということです。
この点、八百長否定説をぶち上げた井沢元彦氏の見解を私なりに敷衍しながら、宗論の内容に踏み込んでみようと思います。宗論の内容自体はそれほど長いものではない(おそらく開始から終了まで5分か長くても10分程度)のですが、その筋を理解するために大乗仏教に関する若干の基本知識が必要になると思いますので、非力ながら私なりの説明を試みた上で、皆さんへの判断材料を提供できるように努めたいと思います。
次回に向けてウェキペディアに掲載されている信長公記による問答を転記しておきます。(斜字は私の独自訳です。)(以下転記元URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%9C%9F%E5%AE%97%E8%AB%96
)
天正七年己卯年五月二十七日辰刻
最後まで読んでくださった方々に深謝します。