西暦2001年になるとき、

つまり21世紀に入るときですが、

私は母から「次の時代は愛の時代になると思う」と

言われたことがありました。

 

私は、母が何を言わんとしているのか、

そのときなりに理解できていました。

 

20世紀は物質の時代であり、

その奪い合いの時代だった、ということ。

 

そして新しい時代は、ものに満たされたあと、

人々が何に気づき、どこへ向かうのかというテーマを与えられ、

その行き着くところは「愛」なのだ、ということ。

 

母が言いたかったのは、そういうことだったのだと思います。

 

甚だ気恥ずかしいと思う人もいるでしょうが、

ここで言う「愛」とは、

人間が「損得」ではなく「善悪」で物事を考えるようになる、

という変化を表していて、

自分ではない他者を思いやる能力が磨かれる、

ということを指しているのだと思います。

 

 

さて、そういうときに、現代はどうでしょうか。

 

一見、愛の時代とは正反対の方向に向かって動いていると感じます。

私もずっとそう思ってきました。

 

けれど、ひょっとしたら、ちがうのかも知れない。

今はそんな気もしています。

 

というのは、変化というのは、いつも指数関数的に起こるので、

初めのうちは非常にゆっくりとしか動かないものだからです。

 

それに、目標が達成されるとき、というのはいつでも、

事前の想像したような経路を通らないでいくため、

実はすでに目標を達成しつつあるのに、それそのものに気づかない、

ということが往々にしてあると思うのです。

 

そう考えると、世界に渦巻く国粋主義や、

トランプ政権、安倍政権に見る政治の没落はすべて、

変化が顕在化する前の、最後のあがきなのかも知れないと思うのです。

 

人の歴史を見たときに、悪政というのは絶対につづきません。

いつか、必ず終焉を迎えます。

 

悪政かどうかの判断は、「そんなのは嫌だ」という人が

相当数いる、ということであり、先日の国会前を見ても明らかなように、

少なくとも、これだけ明確に「現政権にNO!」という人がいる、ということは、

たとえそれが過半数ではなかったとしても、

政権がいつか終わりを告げることを確約しているのです。

 

あとはただ、タイミングの問題なだけです。

 

 

さて、いよいよ安倍政権の終わりが見えてきたように思います。

 

普通の政権ならもう10回くらい

辞めてなければいけないほどの腐敗ぶりでしたが、

さすがに国民を舐めすぎたのでしょう。

 

彼らがB層(バカのBです)と呼ぶ一般市民も、

ここまでわかりやすく腐敗ぶりが明らかにされると、

さすがに嫌気がさしてきました。

 

いま、政権交代ができない理由はただひとつで、

一般市民が「他の人に任せる」という想像力を

持てていないから。ただそれだけです。

 

次が決まっていなくても、さすがに今が悪すぎると思えたとき、

国民は受動的ではあっても、他の道を選ぶようになるでしょう。

その日も、本当に近いと思います。

 

 

次への希望がどこへ向かうかはさておき、

いよいよ安倍政権の終わりも見えてきました。

 

ここのところ議論の第一線では

憲法改正の「け」の字も聞こえてこなくなりましたね。

それどころではないからです。

 

これはつまり、現政権を潰すことこそが、

彼らの手による憲法改悪を防ぐ最高の手段だ、ということです。

 

もしそれができれば、国民は勝利し、

戦後日本の歴史の中で初めて、

国民がその手で民主主義を守った、という実例になることでしょう。

 

今までの歴史の中で、日本の国民が、

朝廷や幕府や政府の横暴を抑えたことは、まだないのです。

 

日本人は、政府の敵は実は自国民なのだ、ということや、

世界中の軍隊が殺してきた人の割合でいちばん多いのは、

実は自国民だ、という事実を知りません。

 

お人好しなんですね。

だから、今までいちども、自分の手で自分の命を守ったことがない。

それを初めてやっているのが、実は今なのです。

 

安倍政権から日本国民を守る。

その戦いの第一ラウンドが、

ようやく終わりに近づいたということです。

 

本当に長い戦いだったし、まだ終わっていませんが、

安倍政権が蹂躙した日本の形を、

可及的速やかに直して行く必要がありますね。

 

そこも見据えつつ、まずは安倍内閣の最後を

しっかり見届けましょう。

 

彼らのことですから、

まだまだ、最後の悪あがきをしてくるはずです。

気を抜かないように。