日本の政教分離の独自性⑦END(信長以後〜まとめ) | 平成の愚禿のプログ

日本の政教分離の独自性⑦END(信長以後〜まとめ)

さて、四国・中国・近畿地方は台風の真っただ中。近隣の皆様、くれぐれも警戒をお願い致します。という私も近隣・・・というか現場にいるのですが、不思議なほど静かです。



日本の政教分離を論ずるにあたって、ずいぶんと信長に入り込んできた。ある知り合いから「これって政教分離論というか、信長論じゃないですか・・・」との指摘を受けた。的確すぎて反論できない。



今日は信長以降の日本を俯瞰してこの項を終了したいと思います。



前回までで、結局のところ宗教をめぐる連鎖的な争いを止めるためには、結局暴力や騙し、といった手段を弄しては到底不可能であり、そのためには厳正中立な態度を取ることが不可欠だということです。



あるいは何百年間にわたる血みどろの争いに当事者が疲れ果て、お互いがお互いに「もういいかげんやめよう」と感じるようになるか・・・。



カトリックとプロテスタントの争いは収束しつつある、と言われるが、おそらくこれは後者のパターン。



今世紀になってもキリスト教とイスラム教の争いは激化しつつあります。ブッシュ大統領がタリバンとイラクのフセイン政権を、オバマ大統領がオサマ・ビン・ラディンを殺害したとき、「これはイスラム教との戦争ではない」と繰り返し主張された。逆にいえば、そういう見方が一般的であるが故に、それを打ち消すために行われたコメントとも思えます。



キリストとイスラムの争い、これをカトリックとプロテスタントの抗争の歴史に照らして考えると、同じようにお互いに疲れ果てるまで、今後何百年といった争いが続く、という不気味で悲しい予測も湧き上がってきてしまいます。



しかし、日本ではある天才の御陰でそれがピタリと止んみました。



一方物事には「功罪」というものがあります。それは私が好きな信長だって例外ではありません。公平を期すのならば、その負の遺産にも焦点を当てない訳にはいきません。



信長は、安土に自分自身を本尊とした寺院を創建し、「現人神」のような態度を取り始めます。この寺院の救済は専ら現世利益。



津本氏の分析を下敷きにしつつ、信長の言い分を想像すればおそらくこうなるのではないでしょうか。


「延暦寺、本願寺といった存在は来世での救済を唱えて莫大な信者を集めているが、そんな来世など存在するかわからないものに帰依するなんて馬鹿げている。そんな連中より様々な政策を実施して実際の庶民の生活を潤わせている儂こそが、最も崇拝に値すべきじゃないか。」



皆さんお気づきかもしれませんが、その後の政治権力が宗教を利用する、という日本独自の構図もまた、信長が事始めなのです。



そしてその路線は秀吉の「豊国大明神」、家康の「東照大権現」と踏襲されていきます。



また、明治維新後の新政府は、神道・・・日本教といったほうが相応しいかもしれません・・・の主催者である天皇家を国家君主に祭り上げます。

これも、天皇家の方から積極的に政治の実権を握ろうとした、というものではありません。時の明治政府には「不平等条約改正」という大願しか頭にありません。そして西欧に習って只管「富国強兵」。そんな風潮の中でヨーロッパのカトリック教会を見て、おそらく大久保か伊藤辺りが「日本にもこれに比肩する本尊を・・・」といったノリで君主の座に付けることを考えついて実行したのではないでしょうか。



というのも明治維新の時に天皇家をそのように祭り上げるのに適した風潮があったことも手伝ったのだと思います。知識人の中に「尊王思想」がそれまでにない程までに信仰として高まっていたのです。



これは読者のかたによっては不遜ととられる方もいるかもしれませんが、説明をしやすくするためにあえて天皇家の評判を株価に捉えて、日本史におけるその推移を俯瞰すると、必ずしも一定ではなかったと考えます。



おそらく後醍醐天皇が建武の新政に失敗して、南北朝の騒乱が発生した室町時代に、天皇家株価は底を打ちます。「天皇などいらぬ。宮中に木造でも飾っておけばよい」といった発言が時の有力者から公然と出てしまう始末。海音寺潮五郎氏などは室町幕府三代将軍:義満が、天皇の地位の簒奪を画策したと主張しますが、私はそういう事件が起こっても不思議ではない世相だったと考えています。



その後の信長や秀吉も、天皇の権威を凌ぐ存在になりたいという願望を抱いていたようですし、家康も「天照」に対する「東照」を自称して自己を神格化し、天皇の権威に対抗しようとする姿勢を抱いていたのは明らかです。


江戸時代の川柳などを見ても、幕府の中傷は御法度でししたが天皇家の悪口は書き放題。明治維新当初も一般庶民のレベルでは天皇家に対する崇拝はさほどでもなし。「俺たちの将軍様」を倒して東京に入った明治天皇に反感を覚えた江戸ッ子は「明治」を読み替えて「治まる明(めぇ)」と揶揄した程です。これが「現人神」として人々の心の中に転換・定着するには「日清戦争」「日露戦争」の勝利という「奇跡」を待たなければなりませんでした。



幕末における武家や知識人における「尊王思想」の高まりについては、幕府が自分の政権の安定と下克上の終結を狙って採用した儒教朱子学が、山崎安斎・浅見絹斎といった南学派と称される、当初は決して主流とは言えなかった学派における思想の変容と、水戸学派での栗山潜峯らの手を経て、いつのまにか尊王倒幕の思想に変異してしまったことや、本居宣長や平田篤胤による国学の流行が考えられます。



この辺の経緯については膨大な資料群を研究してその経緯を明らかにした山本七平氏や丸山眞男博士、それらの研究成果を敷衍・解説した小室直樹氏、最近では「自称、歴史には門外漢を名乗る」井沢元彦氏による研究成果の継承発展の努力によって知る他はありません。

特に前者は、幕府自らがその体制御持のために官学とした朱子学が、逆に幕府を打倒する「尊王思想」に変化していく経緯を、山本七平氏が「現人神の創作者たち」という大作で明らかにしています。以前に述べた「聖書」を御持するために起草された合衆国独立宣言や憲法が、最近は逆に聖書からの自由を唱える思想にまで変貌してしまった経緯と似たものが感じられ、お薦めです。



ともかく、新政府において、天皇側の主導で天皇を「現人神」に祭り上げたことでないことは確かでしょう。

その証拠に、これは明治維新前に一般的だった神仏習合の影響もあるでしょうが、皇室が決して神道儀式の主催者で一貫していた訳ではないことからも伺えます。皇族の中には厚い仏教信者もいたはずです。現に明治以前は皇族も京都の泉涌寺を菩提寺としてこれに帰依し、孝明天皇以前の歴代天皇の位牌が今でもあります。

ただ、明治政府によって「現人神」とされてしまった以上、その天皇が皇居の仏間で「チーン」とやっていたら体裁上まずかろう、ということで菩提寺とは縁切りになって今に至ります。



ここまで述べたような経緯を経て、日本では宗教団体が例外を除いて主体性を減じ、政治に介入する、ということが殆どなくなってしまったのです。



「創価学会と公明党はどうなる」そのように問われる方もいるでしょうし、この辺は意見の分かれるところでしょう。これはあくまで私の考えですが、世界の他の宗教勢力や、もともと彼らが拠としていた日蓮正宗の強硬さ(言い換えれば教えへの忠実さ)からは乖離し、「一天四海皆帰妙法」のマニュフェストもどこへやら・・・。

公明党は本来の日蓮宗の宗旨といったところからは乖離し、一政党に変貌し、創価学会も元々の「過激な」教団の下部組織としての色を薄め、素朴な気持ちで祖先を敬い供養する人々の親睦団体のようになっていないでしょうか。

それはそれで私は良いとは言わずがな日本的だと思うのです。


(ただ、最近の創価学会の組織中には日本の国益とも日蓮宗の教えにも関係ない、特定の偏った政治思想を掲げる人々に利用されつつあるように疑われる動きも感じられます。誰でも「やる気」さえあれば入会できる以上、氏・素性のわからない人々もフリーパスです。こういった親睦団体は色々な集団、中には政治的に偏った集団に温床を与えてしまうことに繋がり得る点には留意が必要です。)

これは他の日蓮宗派の民間団体にも言えるように思います。私は以前、亡き母親が霊友会に所属し、私も知らない間に会員になっており、おそらく今でも幽霊会員です。一度だけ、霊友会の久遠寺へ参拝する合宿のようなものに参加させて戴いたことがあります。まだ若く、今より偏屈で信心など持ち合わせない態度を示していた私にも、会員の方々は寛容に暖かく受け入れ、接してくださったのを今でも覚えています。

今考えれば驚くのは、その会員の方々へ成田山新勝寺(真言宗)に初詣に行こうと誘ったら、「ああいいよ、行こう。」とついてきてくださったことです。

今にして思えば日蓮の「真言亡国」の教えに背く行為であることは明らか。そんなことを知らなかった私の無知無神経はそれ以上に明らか。



ただ、これは母親も含め、そういった人々から受けた印象ですが、会員の方々は特定の宗派に属しているという意識から、というよりも、広い意味での仏の教えを信じ、ご先祖様の供養や家族、周りのお世話になった人々の幸せを願って、自分のできる範囲で真剣にお勤めをしている、そういう想いなのではないかと感じるのです(日蓮宗の団体に所属しているのは、あえてそれを選んだという人ももちろんいらっしゃるのでしょうが、他の宗派にそういう民間団体が見当たらないので、そこに所属した、ということなのではないかと考えています)。



それが現在の私たち日本人が抱く一般的な宗教観ではないでしょうか。一神教のような「神様中心」ではなく「人間中心」。ある意味穏やか、ある意味曖昧な風土に私自身も安心します。



ただあえて宗教を主体とする政教分離が達成され、宗教が他の国では普通であるところの他宗派への排他性という牙をなくしたことが信長をはじめとする先人の功績であるならば、負の部分も見いだせます。



例えば日本の仏教では「戒律」というものが、殆ど無きに等しいものになってしまいました。浄土真宗を除いて未だに妻帯禁止という「戒律」を公式に解いた宗派は存在しないはずですが、一部の貴重な例外を除いてお坊さんは奥さんを持ち、家庭をもっています。果たしてこれが仏教なりや、という有様です。



また、信長・秀吉の事業を継承した家康によって、本願寺は跡目相続をめぐる内部対立に乗じて東西に分断されて弱体化。檀家制度の創設によって政府の管理下に置かれ、他の宗派と共に信長以前の牙を完膚なきまでに削がれていきます。


更に、宗教法人の税制優遇の恩恵を被って、一部過疎化した地方の寺社を除き、概ねお寺は潤っています。私が以前、ある資格試験の模試を受けに会場の仏教大学を訪れた時に目にした、お寺の子弟である学生さんの所有と思われる高級外車がズラリ並ぶ威容。「一切衆生」救済のために、僅かな布施を頼りに修行に励む方々は極めて少数派です。これ、大乗仏教なりや。


また、宗派間やお寺の間での健全な競争がなくなった結果、宗教としての学説の発展は停滞。使命感の欠如。


例えばですが、オウム真理教のようなカルト教団が出現し不法行為を働きはじめた場合、こういった輩を抑止するのは決して警察や弁護士だけではなく、既存の宗教団体が積極的に立ち上がるべきだったのではないでしょうか。


数々の一流大学卒の若き秀才達が、「瞑想して空を飛んだり、妙なる音楽を聞いたりするということは、本物の宗教でしか起こらない」という大脳生理学の基礎知識を見落とした誤った危険な誤解を逆手に取られる形で、監禁や薬物などといった手法を通じてそれらを体験させられてマインドコントロールに陥り、凶悪犯罪に手を染めて、その結果多くの尊い命が犠牲になってしまいました。



教祖は大乗仏教を標榜しながら、一神教の最後の審判を前提とした終末思想を唱えるという、少しでも宗教に通じていれば5秒で論破可能な無茶苦茶な教示を掲げて部下を凶行へと走らせたのです。



こういう問題は宗派や、キリスト教・仏教という垣根を超えて団結し、そのインチキぶりを告発するのが、卑しくも宗教団体の重要な役割の一つなのではないでしょうか。この点は一時教祖を持ち上げていた複数の知識人、学者を含め、恥を知るべし。



最後に、現在「政教分離」の問題の対象となる天皇制や靖国神社について、若干の披見を付け加えてこの項を終わりにしたいと思います。



天皇制について、これはあくまで私の考えの披見にとどまり、皆さんに「かくあるべきだ」と主張するものではありません。


民主主義と天皇制は矛盾する。学生時代そのように考えていました。しかし年をとったということもあるかもしれませんが、例えば天皇制が崩壊してしまうという状態を想像すると、何かいい知れぬ不安を感じています。


それはおそらく、私の心の中で天皇の存在を日常生活といった「通常性の象徴」と捉えているからではないかと感じたりします。どういうことかというと、国民の幸せを願う天皇・皇后両陛下がいて、その下に私を含めたサザエさんのような平均的な日本の家庭が存在している。そして、例えば天皇制が崩壊し、皇族の方々が処刑されるような事態を想像するとき、ポルポト時代のカンボジアで、手始めに仏教僧が処刑されてその後大量虐殺の恐怖のカオスが襲ったのと同じように、私たちの通常性が根底から覆されてしまうような漠然とした恐ろしさを感じるのです。



ご高齢でありかつ超多忙であるにもかかわらず被災地などを訪れ、しゃがみこむ被災民の方々お一人お一人に目線を同じくして言葉かけるお二人の姿をテレビなどで通じて見ると、正直ホッとするのです。



ですから未来の皇族の方々がその立場の煩雑さなどを嫌って全員がその身分を自ら放棄することを希望するといった事態でもおこらない限りは、できれば日本教の通常性の象徴として、存在して欲しいと願うのです。

最後に靖国神社などへの玉串料の奉納について、これは私の「意見」として自分の考えに責任を持ち、皆さんのご批判を受ける覚悟で申し上げます。


軍隊や警察は必要である。これは以前に述べた通りで詳しく繰り返す必要を感じません。

そして軍隊といった組織を維持するには三つの基本要素が必要だと思います。まず軍事力、その軍事力に携わる人々へ相当な品位を保持できるに足る適切な報酬と尊敬を保てるようにし、そして殉職した軍人に名誉の付与と手厚い遺族保障です。

一般のサラリーマンや公務員と違い、軍人や警察官、海上保安庁の隊員、消防士といった人々は場合によっては任務を達成するために、つまり民間人などを保護するためにその縦のなって死ななければならない立場にある人々です。


「俺怖いからやだ」といったところで緊急避難などといった法理は適用されません。


ですからその一要素を満たすために国のために殉職したこれらの人々を顕彰して弔う公的施設は絶対必要なのです。そうでなければそういう職業に就く人々は使い捨て商品のようになってしまい「やってられない」ということになってしまいます。



そして、今まで述べてきたように、日本社会の宗教構造はその他の世界とは完全に異なっています。宗教団体、靖国神社が主体となって政治に干渉してくることはありえません、それによって他の宗教・宗派は圧迫・弾圧されることもありえません。そうであれば、明治時代に官営で創立され、現に前の大戦で散華した人々が祀られている場所があるのであれば、他の国々が各々の文化的慣習で行なっていることに習い、靖国神社を使えばいいではないか、と思うのです。


これで本テーマに関する私の話はおしまいです。

ここまで読んでくださったことに深謝します。英訳は・・・まぁ追って数ヶ月以内に・・・(汗)。

ご意見・ご指導・ご助言・ご批判・叱責・誹謗・中傷・誤字脱字の指摘。萬歓迎。