後三国時代(後高句麗、後百済、新羅)が終わって、高麗が建国された。この高麗は高句麗の遺臣が建国した国であった。が、しかし、大部分はかつての新羅人であり、後期になる程、新羅語になっていった。
高麗は一時、元帝国に占領されたが再び独立した。この後に革命が起きて、李氏朝鮮となった。この革命で支配層の白丁は最下層の賎民に落とされてしまい、かつての賎民が支配層となった。
このかつての賎民とは、渤海国あたりに居住した靺鞨人の末裔で、朝鮮半島にも想像以上に流入していたようだ。彼らの言語が現在の朝鮮語であり、文字がハングル文字であり、それまでの高句麗・新羅語とは異なる言語と考えて良い。この李氏朝鮮の人々の末裔と彼らの言語が、それぞれ、韓国・朝鮮人と朝鮮語である。
すなわち、高麗時代に書かれた三国史記や三国遺事は現在の韓国・朝鮮人の先祖の歴史書では無かった。
雑談1
高麗と李氏朝鮮の違いは、
①言語が高麗語から朝鮮語になった。古代朝鮮語とは実は高麗語(高句麗・新羅語)であり、日本語に近かった。
② 宗教が仏教から儒教になった。
③ 支配者層と支配された賎民層が入れ替わった。
④ 漢文の読み書きが漢文訓読から直接翻訳になった。
⑤ 朝鮮語を書きあらわすハングル文字が発明された。
、、、など、文化的断絶が大きい。
雑談2
高麗の歴史書、三国遺事にある檀君神話はあくまで高麗の神話である。高麗の多くを占める高句麗・新羅人の祖先神話で、箕子朝鮮や衛氏朝鮮より古い神話であることを意図したと考えられる。
現在の韓国・朝鮮人には直接には関係無い!
雑談3
李氏朝鮮時代、豊臣秀吉が連れ帰った朝鮮人陶工とは当時は最底辺の被差別民の白丁であったが、かつての高麗時代は高麗茶碗なとの土器を作る高級技術者であり、高麗語を喋っていたと考えられる(参考)。
高麗語はかつての高句麗・新羅の言葉であり、日本語に近かったのであった。
だから、日本からやってきた豊臣秀吉軍と遭遇した陶工達は言葉が互いに通じて、話し合いで来日が決まったと考えられる。だから九州・山口にやって来た陶工達が直ぐに土地に馴染んだのであった。
豊臣秀吉の壬辰倭乱の前後で朝鮮語が中期朝鮮語から現在の朝鮮語に変化するとされている(wikiより)が、この混乱の中、日本に亡命した被差別民が想像以上に多かったのであろう。
ただし、渡邊大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』(柏書房)が、生捕りされ日本に連行された奴隷の存在を指摘している。好条件で処遇された旧高麗人の他に、奴隷扱いされた朝鮮人の存在を否定するものではない。
雑談4
埼玉県に高麗神社(こまじんじゃ)があるが、亡命して来た高句麗の王を祀っており、ここの神職が末裔である。
高句麗の王を祀るのだから、高句麗神社としても良さそうだが高麗(こうらい、こま)神社と呼んでいる。高句麗王の子孫からすれば、高句麗と高麗は同義語であったのである。
亡命して来た高句麗人達は埼玉県の高麗神社周辺の高麗の里や関東平野(狛江など)に暮らして来たが、現在の朝鮮語に相当する言葉を全く残していないことを指摘したい。
参考
① 高麗語(wikiより)
具体的にどのような言語が使用されていたかについては、資料的な制約のため中期朝鮮語ほど詳らかにされていないが、『鶏林類事』や『救急郷薬方』といった数少ない高麗語資料を見る限り、基本的には新羅語の流れを汲む言語であったと考えてよさそうである。ただし、語彙の上では高句麗語と共通するものも少数含まれていることから、高句麗語の影響も受けていることは確かである。
もともと高麗は統一新羅の支配していた旧高句麗領から起こった王朝であり、都の開京も旧高句麗領に位置するので、同地の言語には高句麗語の影響が色濃く残っており、それが高麗時代になっても一部の語彙に残存したものであろう。ただしこれらの高句麗語系語彙のほとんどは、時の経過とともに順次新羅語系語彙に置き換えられていったようである。
② 百済や高句麗を含む東夷諸国の言葉は当時の日本語であった(参考)
③ 高句麗・百済は扶余の末裔の国で当時の日本語を喋っていた(参考)
④ 新羅語も日本語とそんなに違っていなかった(参考)
⑤ 渤海国の支配者は日本語を喋っていたが、被支配者の靺鞨人は現在の朝鮮語に近い言語を喋っていたようだ(参考)
⑥-1 韓国・朝鮮人のルーツ(参考)、、、朝鮮語を喋る人々のルーツは靺鞨につながる。高麗時代に朝鮮半島に入り、高麗の支配者を倒して李氏朝鮮を建国した。
⑥-2 高麗末期、高麗人の女性は元帝国に献上され、靺鞨人などの奴婢の女性を孕ませた結果、生まれてきた奴婢の子供が社会の主流を占めて、李氏朝鮮につながった(参考)
⑦ 高麗で三国史記や三国遺事が書かれたが、漢文訓読法で漢文を読み書きしたが、李氏朝鮮では漢文と朝鮮語を直接に翻訳した(参考)
⑧ 被差別民の呼称の白丁(ペクチョン)について(参考)
李氏朝鮮になる前までは白丁とは良民(平民)のことであったが、李氏一族が王族と上流階級(両班及び良民)を占めると、以前の良民であった白丁たちは、そのまま下流の被差別民となった。
高麗時代では地方豪族が任命された下級官吏の胥吏(しょり)が、李氏朝鮮時代では世襲の被差別民として存続したことも、民族の入れ替わりを証明している。
⑨ 日本語の起源(参考)
殷人の末裔の秦や斉など、東アジアで広く喋られていた。