総集編最後アルメニア・ジョージア・トルコ~スペインまで7,600km(2023/5/25~7/14)
アルメニアとジョージアの走行ルート 1,100km
イランのノルドス(Norduz)国境からアルメニアへ入国~カパン(Kapan)~首都エレバン(Yerevan)~アルベルディ(Alverdi)~Ptghavan/Sadakhlo国境からジョージア入国~首都トビリシ(Tbilisi)~クタイシ(Kutaisi)~バトミ(Batumi)~トルコへ出国
(赤線は走行ルート。地図右下はイランのタブリーズ=Tabriz。地図左側上部はジョージアのバトミ=Batumi)
アルメニア
アルメニアとジョージアは当初のツーリング計画には無かった。しかし、イランで出会ったドイツ人ライダーにアルメニアとジョージアは風光明媚な国々だと聞かされ計画を変更してイランからアルメニア・ジョージアを経由してトルコ入りすることにした。
アルメニア入国時のイミグレーションや税関係官の猜疑心が強く冷たい対応から当方は<アルメニアへ来なければ良かった>と少し後悔した。
その後、小さな田舎町カパン(Kapan)の宿経営者の不愉快な対応や首都エルバン(Yerevan)でも微笑しない人々等を見て当方のアルメニアの印象はすっかり悪くなってしまった。
他方、美しい山々、草花が咲き乱れた高原や緑の小麦畑が広がる盆地はツーリングを楽しませてくれた。特に首都エルバンへ向かう途中のノアの箱舟伝説がある巨大なアララト山(標高5,137m)は圧巻だった。
アジアの国々のユネスコ世界遺産では外国人は現地人の5倍~10倍程度の入場料を徴収されたが、アルメニア及びジョージアではユネスコ世界遺産の寺院や修道院の入場料が無料であったことには驚き、感心した。 アルメニアには3つの世界遺産の建物があったが、当方は2つ(Cathedral of Echimiadzin, Haghpat Monastery)を見学した。
(アルメニアの山岳地帯。標高2千メートル級の山々には雪が残る。)
(カパン=Kapanの旧ソビエト時代の無味乾燥としたアパート群)
(右側はアララト山=標高5,136m。左側は小アララト山=標高3,935m。両山はトルコ領にあるが、アルメニア側からも眺めは良い。)
(雨上がりの牧草地帯)
(ユネスコ世界遺産エチミアジン・カテドラル=Cathedral of Echimiadzin。アルメニア正教の総本山)
(世界遺産ハグパッド修道院=Haghpat Monastery)
ジョージア
ジョージアはアルメニアより西洋化され、欧州の雰囲気が感じられた。また、人々もアルメニアより開放的であり、多くの外国人観光客が訪れていた。
ジョージアはロシアと領土問題で軍事衝突をした。
その後もロシアとは緊張状況が依然続き、欧州連合(EU)と連携を模索中だ。EU加盟を申請し、脱ロシアを目指している。
他方、アルメニアは隣国アゼルバイジャンと軍事衝突を過去から繰り返している。アルメニアはロシアと連携して、生き残りを目指している。
当方は首都トビリシ(Tbilisi)、クタイシ(Kutaisi)及び黒海に面するバトミ(Batumi)に宿泊した。
大相撲にはジョージア出身の力士が複数いる。最近引退した栃ノ心もそのひとりだ。トビリシのスマホ・ショップの若い店主がジョージア出身の力士の名前をすべて出して、大相撲を知っていると言ったのには驚いた。
(首都トビリシの中心的存在の自由広場=Liberty Square)
(高台から眺めるトビリシ市内)
(ジョージア文字は丸みを帯びた文字だった。)
(首都トビリシから約50km離れたムツケタ=Mtsketaのカテドラル=世界遺産)
(クタイシ=Kutaisiから10kmほど山の中にある世界遺産ゲラティ修道院=Gelati Monastery)
トルコ 2,700km
トルコの走行ルートは以下の通り:
ジョージアのバトミ(Batumi)国境から入国~リセ(Rize)~エルジンシャン(Erzincan)~シバス(Sivas)~オズコナック(Ozkonak)=カッパドキア地域~ハシベクタス(Hacibektas)~首都アンカラ(Ankara)~アフヨンカラヒサール(Afyonkarahisar)~パムッカレ(Pamukkale)=石灰棚とヘリオポリス遺跡~セルチューク(Selcuk)=エフェス遺跡~ベルガマ(Bergama)=アクロポリス遺跡~チャナッカレ(Canakkale)=トロイの遺跡~ダダーネルス海峡をフェリー渡る~サルキョイ(Sarkoy)~イスタンブール(Istanbul)
(トルコ地図。赤線は走行ルート。右側上部はジョージアのバトミ=Batumi。左側上部の赤丸印はイスタンブール)
(マルマラ海の最狭部=ダダーネルス海峡は幅1.2kmしかない。大型タンカーはタグボートに先導されて進む。)
美しい国土
ジョージアの黒海に面したバトミ経由トルコへ入国した。トルコの黒海側は温暖で湿潤な気候だった。山々は緑の木々に覆われ、内陸部の高原は丘陵地帯となり、草花が咲き始めた時期だった。
都市の新市街のビルや建物は比較的新しく町の景観が整っている。イスラム色の建物はモスク位しかなく、モスクが無ければ西欧の町並みに似ていると思った。
(トルコ黒海沿岸をリセ・トラブソン方面へ進む。)
(リセ=Rizeの町の広場)
(エリジンシャン=Erizincanの町と周囲を囲む山々)
(トルコ中央の高原)
(リセからエリジンシャンへ向かう途中の峠道)
親切で気前の良い人たち
トルコ最初の宿泊地のリセの町では、ホテルの隣のコンビニの店員は当方が日本からオートバイで来たと知ると、当方が買った食料品を歓迎の意味で無料にしてくれた。
エルジンシャンのペンションでは当方と同年配のペンション経営者が素泊まりの宿ながら、朝食用の軽い食べ物を取って行けと同氏が食べている食料を分けてくれた。
田舎道のガソリンスタンドでオートバイを給油した際には、ガソリンスタンドで世間話をしていた人達からお茶かコーヒーを飲んで休憩したらどうかと誘われた。
ハイウェイ走行中に出会ったオートバイ・クラブのライダー達には一緒に走行して、カッパドキアのライダークラブのキャンプに誘われた等々、トルコの人々にはいろいろ親切にしてもらった。
(リセのコンビニの従業員=大学院生は買った食料品を無料にしてくれた。)
(カッパドキア地方のオズコナック=Ozkonakの町に集まったトルコのライダーたちのチョッパー型の大型オートバイ)
世界遺産が多く見どころが多い
キノコのような形の高さ十数メートルの岩山やその岩山に洞窟を掘り住居とした地域がカッパドキアだ。トルコの自然世界遺産では一番有名で人気がある場所だ。観光シーズン真っ盛り中はホテルやホステル等の宿泊料金が高いため、当方は観光の中心であるギョローム(Gereme)を避けて周辺地域に宿泊した。
カッパドキアの後は、雪山のように白い石灰棚で覆われたパムッカレ(Pamukkale)、ローマ時代のエフェス遺跡があるセルチューク(Selcuk)、同じくローマ時代の遺跡があるベルガマ(Bergama)のアクロポリス神殿遺跡やトロイの木馬で有名なチャナッカレ(Canakkale)付近のトロイ遺跡等を見学。
また、カッパドキア地方には無数の地下都市もあり、観光場所には事欠かない。
その中で当方は規模が大きく、また遺跡の復元状況が良いエフェス遺跡は印象に残った。ローマ時代の円形野外劇場ではイエス・キリストが説法を説いたと言う。
他方、トロイ遺跡は復元が進んでおらず、崩れた石垣跡程度しかないため、ガイドの説明がなければ素通りするような遺跡だった。
観光地として古都イスタンブールが最も魅力的だろう。旧市街にはオスマントルコの歴代の皇帝が居住したトプカプ宮殿をはじめ、東ローマ時代の4世紀にキリスト教会として建てられ15世紀のオスマントルコ時代にはモスクとなったアヤソフィア、世界最大級のブルーモスク(スルタン・アフマド・モスク)等見どころが多く、またボスボラス海峡もイスタンブールの景観をエキゾチックにしている。
(カッパドキアの中心の町ギョローム=Gereme)
(カッパドキア地方オズコナックの地下都市の通路)
(パムッカレ=Pamukkaleの石灰棚)
(セルチューク=Selcukのエフェス遺跡。入口方面を見る)
(エフェス=Efes遺跡内の野外劇場。この劇場でイエス・キリストが説法したという。)
(ベルガマ=Bergamaのアクロポリス遺跡)
(トロイ遺跡のトロイの木馬は修復中だった。高さ6m~7mの木馬は周囲を安全メッシュで覆われていた。)
(トロイ遺跡の当時の城壁の想像図)
(トロイ遺跡の城壁跡。)
(イスタンブールを東西に分けるポスボラス海峡とボスポラス大橋)
(アヤソフィア・モスク)
(トプカプ宮殿の入口門)
(ブルー・モスク=スルタン・モスク。メッカのカーバ・モスクと同じ5本もミナレット=尖塔を持つ。ミナレットの数が多いほど格調が高いという。)
イスタンブールからスペイン・マドリッドまで3,800km
イスタンブールでオートバイ・ツーリングを終了したかったが、イスタンブールではオートバイを日本へ輸送する業者が見つからなかった。
そのため、以前からコンタクトを取っていたスペインの輸送業者がいるバロセロナまで行くことにした。イスタンブールからバロセロナまでは最短距離を進んだ。
イスタンブール~ブルガリア~セルビア~クロアチア~スロベニア~イタリア~フランス(南仏)のルートでバロセロナまで日中はただひたすらオートバイを走らせるだけの移動だった。
バロセロナの輸送業者とEメールでやり取りしている間に、バロセロナの業者が中古オートバイの日本への輸送に慣れていない印象を持った。そのため、6年前に当方がマドリッドからアルゼンチンのブエノスアイレスへオートバイを空輸した際にお世話になった会社の担当者に相談した。
その担当者は<中古オートバイの輸送に慣れているマドリッドの業者を紹介するので、直ぐにマドリッドへ来い>とアドバイスしてくれた。
そのため、行き先をマドリッドに変え、連日走行してイスタンブールから出発後9日目でマドリッドに到着して、日本へ海上輸送する業者の梱包倉庫へオートバイを持ち込んだ。
昨年9月にマレーシアのポート・ケランから始めたアジア・中近東ツーリングは10ヶ月間で約39,000kmの走行で終了した。
(イスタンブールからスペイン・マドリッドまでの最短距離ルート)
(クロアチアの首都ザクレブ近くのハイウェイ)
(スペイン・マドリッドの輸送業者の倉庫兼オフィースがツーリングの最終地点)
以上