ポート・オーガスタ(Port Augusta)~エアーズロック(Ayers Rock)~アリス・スプリングス(Alice Springs) (2,000km) 4/11~4/18
概略
ポート・オーガスタ(Port Augusta)で風邪のため2泊した後、アウトバックと呼ばれるオーストラリア中央部に位置する巨大な一枚岩でできたエアーズ・ロック(Ayers Rock)へ向かい赤土の不毛地帯へ進みだす。
ポート・オーガスタはオーストラリア南部のアウトバックの入口の町。アウトバックとは手つかずの自然が残る広大な内陸部のこと指す。
そのアウトバックにはポート・オーガスタからティモール海に面する北部のダーウィン(Darwin)までオーストラリアを縦断する約3,200kmの長さのスチュワート・ハイウェイ(Stuart Highway)が通っている。
ハイウェイと言っても片側一車線で対面通行の普通の道路だ。 と言っても砂漠とブッシュ地帯の中の交通量が少ない直線的な道路なので、普通ではないかもしれない。
途中の見どころはクーバー・ペディー(Coober Pedy)と言うオパール鉱石の採掘が盛んな町と
オーストラリアのへそとも言われる巨大な一枚岩のエアーズ・ロックだった。
このルートの約一週間(8日間)では6日連続キャンプ場でのテント泊をした。テントの高さが約90㎝位しかない一人用の超小型テントでは、立ち上がって腰を伸ばすことが出来ず、窮屈をした。
キャンプ場でのテント泊は一泊20豪ドル(約2千円)~40豪ドル(約4千円)とホテルやホステルの個室に比較すれば安く済む。
ロードハウス(Roadhouse)と呼ばれる砂漠道のガソリンスタンドやカフェ併設の宿泊所(災害時のプレハブ建て簡易避難所に似ている)のような個室でも一泊1.5万円の料金だ。
観光客に人気のエアーズロックではこのような宿泊所でも一泊2.5万円位と高い。
アリス・スプリングスの町ではBooking.Comのホテル予約サイト上では当方が行く前日には一泊5万円のホテルの部屋しか空きがなかった。
当日はそのホテルの空室もBooking.Comのサイトから消えて、文字通りアリス・スプリングスには空室がない状態だった。
当方はアリス・スプリングで3軒のホステルとホテルを訪れて空き部屋があるかどうが尋ねたが、やはり空き部屋無かった。
後でわかったことだが、その日までアリス・スプリングスではフェスティバルがあり、宿泊客でにぎわっていたようだ。
この時はキャンプ用品を持ち合わせていて良かったと感じた。
キャンプ場でテントを張れば宿泊は何とかなるからだ。
話が長い詳細は以下に続く。
(ポート・オーガスタから北はアウト・バックと呼ばれるオーストラリア内陸部だ)
(カンガルーの交通事故は多い)
(メルボルンからアリス・スプリングスまでは赤線が引いてある。メルボルン海に面する地図右下。アリス・スプリングスは地図左側中央部。約3,300kmの距離だ)
(エアーズロックを背景に三脚で撮影を試みた。三脚上のスマホの位置が低すぎて、エアーズロックが大きく写っていない)
4/11~4/12 ポート・オーガスタからクーバー・ペディーへの移動 580kmとオパール鉱山等の観光
日の出とともにポート・オーガスタのモーテルを出発。今日の目的地は約600km先のオパール鉱山の町と知られるクーバー・ペディー(Coober Pedy)だ。 オーストラリアをほぼ直線的に縦断する一本道を進むだけだ。
ポート・オーガスタを数キロ離れると道路横に建てられた<ようこそアウトバック>の看板が目に付く。
約180km先のピンバ(Pimba) ロードハウスまで住む人がいない荒野の道を進むと道路脇にカンガルーの死体が目立つ。
夜間に道路を渡ろうとして交通事故に遭ったのだろう。180kmの区間にまだ比較的新しいカンガルーの死体が二十数個あった。
地元の人はカンガルーよりダチョウのように飛べない大型の鳥類エミューの方が危ないという。
荒野で野生のカンガルーは見なかったが、エミューは所々で道路脇に集団でたむろしてたり、道路を横断しているのを見た。
スチュワート・ハイウェイの交通量は少ないが、3~4車両を連結したトラック・レインが曲者だ。
対向車線を時速110kmで走行するトラックトレインとのすれ違い時の風が台風のように強く、強風でオートバイがふらつく。
ピンバ(Pimba)で給油したのみで、その後は昼食なしで、15時位までひたすら走り続ける。
クーバー・ペディーの町が近づくと道路の左右に掘削用重機が無造作におかれ、高さ4~5m程の土を積み上げた多数の小山が目につく。 後で知ったが、地下に坑道を堀り、オパール鉱石を採掘しているのだ。
クーバー・ペディーの町にはオパール鉱山の廃坑跡をモーテルやホテルに利用した宿泊施設がある。
当方は廃坑の地下空間(洞窟)を有料キャンプ場としている場所を知人から聞いていた。
クーバー・ペディーの町から6km程離れた荒野の丘にあるRibas Underground Campの洞窟内にテントを張って二泊した。 一泊18豪ドル(約1,800円)でお湯がでるシャワーや自炊設備があるキッチンも備わっている。
日が沈むとあたり一帯は真っ暗闇に包まれる。夜空に光る星座がきれいで印象的だった。
洞窟内は快適だった。 砂漠の気候は日中には30℃と暑く(陽射しが強いため、炎天下では温度計以上に暑く感じられる)、夜間は10℃程度まで冷えるが、洞窟内は気温18℃~20℃と一定だ。
(ポート・オーガスタから北のアウトバックの始まりはこんな風景)
(クバー・ペディー=Coober Pedyの入口付近)
(クーバー・ペディーの洞窟キャンプ場の入口)
(洞窟キャンプ場の一区画にテントを張った)
翌日(4/12)のオパール鉱山ツアー
翌日はオパール鉱山の見学や月面のような景色の砂漠へ行くツアーに参加した。大型トラックを改造したアドベンチャーバスに乗って地元ガイドが案内してくれる。
ガイドがいろいろ説明してくれるが、分かりにくい英語だ。アメリカや欧州でも英語ガイド付きのツアーには参加しているが、オーストラリアのガイドの説明ほど分かりにくい国は無かった。
クーバー・ペディーは国内のオパール産出量の9割を占めるオーストラリアで最大のオパール産地だ。
人が入れるくらいの穴を深さ10~20m位掘り、そのあと横に坑道を堀る単純な採掘現場だ。
そもそもオパールは、2千万年前~7千万年前の海中生物が砂岩の中で鉱石化したものだ。化学元素は知らないが、光を充てると反射板の様に光る鉱石がオパールの原石だ。
重機で横穴を掘りながら出る土砂を大型掃除機のようなもので地下から吸いだして鉱石か土か区分けする。
色が黒いほどオパールとして価値が高いという。白いオパールはあまり価値が高くないので、そのまま土と一緒に捨てるものもあるという。
(オパール原石の採掘様子をイラストに描くとこんな感じだ)
(オパール採掘現場では壁を機械で削り取った砕石をこの管で地上へと吸い上げる
(磨き上げる前のオパール原石)
(磨き上げたオパール。色が黒っぽいほど価値があると言う)
その後、月面のような砂漠地帯へ向かうが、ツアーバスが途中で故障して動かない。 バッテリーにトラブルが発生した。急遽、救助車に助けを求めた。
後でわかったことだが、バッテリーへ充電する発電機(オールタネーター)が故障したとのことで、一番楽しみにしていた月面のような荒れた小山までツアーバスは行けず、数十km離れたクーバー・ペディーの町へ引き返すことになった。
ツアー行程の8割は終了していたが、驚いたことにツアー翌日にツアー会社は参加費110豪ドル(約1.1万円)を全額払い戻してくれた。
(視界を遮るものが何もない砂漠)
(長さ3,000km以上に続くディンゴ・フェンス(柵)。ディンゴ(イヌ科の動物)が大陸を移動できないようしてある)
(ディンゴ・フェンスの向こうに水場があるとかぎつけたエミューはフェンスに遮られて先へ進められない)
(ツアーバスのエンジンがかからなくなり、四駆の救援車両とバッテリーを繋げる)
(砂漠の中を駆けつける四駆の救援車両)
(ツアーバスから偶然見えたカンガルーの親子。後にも先にも生きたカンガルーは一回しか見なかった)
4/13~4/14 Coober Pedy~Erldunda~Yulura(Ayers Rock) 750km
2日間かけてクーバー・ペディーからエアーズ・ロック(Ayers Rock)国立公園内にある
エアーズ・ロック・リゾート内のキャンプ場(Ayers Rock Campground)へ進んだ。
クーバー・ペディーから最初の宿泊所のエルデュンダ・ロードハウス(Erldunda Roadhouse)まで約500kmだった。途中で南オーストラリア州からノーザンテリトリー州へと州境を越える。
エルデュンダ・ロードハウスは砂漠の中の一軒家のようなガソリンスタンドとバーを備えた宿泊設備だった。有料のキャンピング場も備えている。
このあたりに来るとガソリン価格が今までの1リットル2豪ドル(約200円)から3豪ドル(300円)と高くなる。 競争相手のガソリンスタンドがないため、強気の価格でもガソリンは売れる。
食糧品の価格も高い。 1.5Lのペットボトル入りのミネラルウオーターが6豪ドル(600円)だ。 ただし2本買えば8豪ドル(約800円)だと店員が言うので、当方は荷物になるが2本買った。
エルデュンダでもErldunda Roadhouse Campにテント泊する。一泊18豪ドル(約1,800円)
温水シャワーや電気湯沸ポット,ガスコンロ等の自炊設備も備わっているキッチン施設もある。
(全長53mのトラックトレイン)
(ガソリンスタンド・レストラン併設の宿泊施設があるカデニー・ロードハウス=Cadeny Roadhouse)
(南オーストラリア州からノーザンテリトリー州へ入った)
翌日はエルデュンダ(Erldunda)~エアーズロック・キャンプグランド(Ayers Rock Campground)への道を250km進む。
ノーザンテリトリー州に入って気が付いたことがあった。 砂漠というより低木(ブッシュ)が多い荒野で、道路わきには草が青々と茂っている。雨が降るのだろう。
道路の路肩には豪雨が降った場合の洪水の深さを示す柱が立っていた。
一番深かった洪水は道路から1.4mほどあったという。こんな広大な大地が洪水になるとは信じがたい。
エアーズ・ロックが位置する辺りは広大な国立公園となっている。公園内ではキャンプが禁止されている。
エアーズ・ロック・リゾートという小さな町のような宿泊施設の中にキャンプ場を含めてホテル等の宿泊施設が充実している。スーパーマーケットもある。
当方はここでもエアーズ・ロック・キャンプグランドにテントを設営して2泊した。一泊35豪ドル(約3,500円)とキャンプ場としては高いが、ホテルやキャンプ場内のキャビン(一棟貸し)より安い。
(洪水の場合の水の深さを測る測量計)
4/15 エアーズ・ロック(Ayers Rock)観光
前夜キャンプ場で知り合ったオランダ人旅行者から日の出と日没のエアーズロックの姿がとても美しいと聞いた。 当方はその日の出のエアーズロックを見るため、まだ暗いうちにキャンプ場から約25km先のエアーズロックの日の出を見る場所へ行った。
朝日を浴びると日の出前の黒色のエアーズ・ロックが赤い色に変化する。
エアーズ・ロックは高さ360m強、周囲9.4kmと近づくとその大きさが実感できる。アボリジニの聖地といことで現在はエアーズ・ロックには登れない。また、落石の危険性からか、エアーズロックのそばには近づけず、巨大な岩山の周囲を回る遊歩道しか歩けない。
エアーズ・ロックの西側約45kmに位置する奇妙な姿の岩山が当方の目を引いた。
人間の頭のよう形をした巨大な岩山が複数ある。 アボリジニ言葉で<たくさんの人の頭の山>という意味のカタ・クジュータ(Kata Kjuta)と名の岩山の山脈のようだ。
一番高い岩山は地上から500m以上の高さがあるという。
この奇妙の形の岩山と岩山の間の谷を岩壁に沿って奥に入れる。
ニューヨーク・マンハッタンの巨大な超高層ビル群の谷間に入る感じだ。もちろん高層ビル群より迫力がある。
この周囲をオートバイで約5時間程駆け回った。国立公園が広いため、2つの聖地の山を往復したりするだけで約200kmの距離を走行した。
日中は暑さを避けてキャンプ場の日陰で涼む。
空気が乾燥しているため、日当たりでは汗がでる暑さだが、日陰に入れば涼しくて気持ちが良い。
(エアーズ・ロック=Ayers Rockの約150km手前にあるマウント・コナー=Mt. Conner 高さ約500m)
(ハエが大群が襲ってくるのでハエ除けネットは必需品だ)
(朝日を浴びるエアーズ・ロック=Sunrise)
(日没前の夕日を浴びるエアーズロック)
(カタ・クジュータ=Kata Kjutaと呼ばれる人の頭をした岩山)
(カタ・クジュータの岩山と岩山の谷間をぬうような散歩道)
(エアーズ・ロック・キャンプ場=Ayers Rock Campground)
(蚊帳を木につっただけのテントでキャンプする人もいた)
4/16~4/18 Ayers Rock Resort(Yulara)~Alice Springs 470km (アリス・スプリングス3泊)
Ayers Rockから2日前に泊まったエルデュンダ・ロードハウス(Erldunda Roadhouse)へ引き返し、再度スチューワート・ハイウェイーを北上してアリス・スプリングス(Alice Springs)まで進む。
一日の走行距離としては長くないが、30分走行するかしないかのうちに強烈な睡魔が襲ってくる。
連日のテント泊で疲れているのか、出国前の蓄膿炎が全快せず睡眠時に呼吸が乱れて睡眠が浅いためか判らないが、30分毎に小休止していてはなかなか先に進めない。
約250km走行した後、エルデュンダ・ロードハウスのカフェで30分ほどカプチーノを飲みながら休息後は体も楽になった。
その後は頻繁に眠くならなかったので、16時頃には宿泊地のアリス・スプリングスに到着した。
アリス・スプリングスではキャンプ泊は避けたかった。
到着前日にはBooking.Comのホテル予約のサイト上で唯一の空き部屋の料金は500豪ドル(約5万円)だった。 当日Booking.Com上では空き部屋があるホテルは無くなっていた。
現地でホテルかホステル探せば何とかなるだろうと考えていた。
3軒ホステルとホテルを回ったが、すべて満室だった。
後で判ったことだが、アリス・スプリングスではフェスティバルが当日まで催されて観光客でにぎわっていたようだ。
こんな時オートバイに積んでいるキャンプ道具が役立った。行きついた先は有料のキャンプ場だった。
このキャンプ場(Alice Springs Tourist Park)に当方がチェックインした際、テントが張れる最後の一区画を残すだけだった。キャンプ場の料金は一泊37豪ドル(約3700円)
(緑の木々が多くなったエルデュンダ(Erldunda)から
アリス・スプリングスへ向かうスチュアート・ハイウェイ)
(スチュアートハイウェーを最高速度110km~130kmで疾走するトラック・トレイン。
州によって最高速度は異なる。南オーストラリア州の制限速度は時速110kmだが、ノーザン・テリトリー州は時速130kmだ)
(小さなコミュティーと都市を結ぶ定期飛行機の滑走路は赤土を固めただけだった)
(ハイウェイ沿いの無人の休憩所)
(休憩所の中にはトイレがあったりする場合もある)
翌日はアリス・スプリングス観光
アリス・スプリングスはこの砂漠の中では人口約2.5万人の一番大きな都市だった。
1870年~1872年にかけて南のポート・オーガスタと北部のダーウィン(Darwin)の3,200kmを電信線でつなぐ一大事業を行った。
この時の電信ケーブル敷設の監督役(Superintendent)がチャールス・トッド(Charles Todd)で、その夫人がアリスだったことから、アリス・スプリングス(泉)と命名した。
実際に電信施設跡の横には150年前と同じところに泉のような池があった。実際は泉ではなく、降雨が川の一角に溜まったものを泉に勘違いしたらしい。
ここでは町を一望できるアンザックの丘(Anzac Hill)、 1872年に完成した電信施設を復元した施設跡と約50年前から遠隔地の牧場や観光施設等で働く家族の子供たち向け通信遠隔小学校(Alice Springs School of the Air)を見学した。
コロナ禍でリモートワークやリモートで学校の授業を受けることができるようになったが、オーストラリアでは50年前からリモート授業を行っている実績がある。このリモートでの学校は日本の4倍の広さの校区をカバーするという。毎年約120名程度の小学生がリモートで授業を受けている。
この日ドミトリー形式だが、やっとベットがあるホステルに投宿した。
Alice’s Secret Travellers Inn (3人部屋で一泊38豪ドル=約3,800円)
ブログの更新には手間がかかった。ブログ用の写真を撮っていたカメラが壊れてしまい、スマホ写真を使いだした。
そのスマホから写真をSDカードに移行する際に、誤ってSDカードを初期化(データが消える処置)してしまった。
半日かかっても写真データは復元できず、結局ライン等のSNSに残した数少ない写真で対応することにした。
記念になるような場所や物を撮影したが、データが無くなってしまったのは残念だった。
(アリス・スプリングの町。最高温度は45℃、最低はマイナス7.5℃を記録したことがあると言う。
写真は背後のMt.Gillenには雪が積もったこともある。
アリス・スプリングスは南回帰線のちょっと南に位置する。北半球に当てはめると台湾の台北市あたりの緯度だろう)
(1872年に完成したアリス・スプリングスの通信施設=Telegragh Station。北のダーウィンと南のポート・オーガスタ間の約3,200kmが通信線で結ばれ、インド洋やインドネシア等の一部の海底ケーブルの区間を含め英国とオーストラリアのポート・オーガスタ間が電信でつながった。)
(19世紀の電信・郵便事務所のカウンター)
(19世紀のアリス・スプリングスの泉は通信施設の横にあった)
(現在も19世紀と同じ場所にある泉。実際は泉では無く、雨水がたまった場所だ)
(19世紀に南のダーウィン付近で通信用の海底ケーブルを敷設する作業)
(19世紀の原住民の生活風景)
以上