ツーリングルートの概略
メルボルンに到着後、オートバイツーリングを開始するメルボルンの南東約150kmに位置するコラック(Colac)へ電車で向かう。 コラックからオートバイを乗り出し、風光明媚なグレート・オシャーン・ロードを走りぬけ、ウオーナンブール(Warrnambool)~ナラコーテ(Naracoorte=世界遺産の数十万年前の哺乳類化石群洞窟)~南オーストラリア州の州都アデレード~中央砂漠地帯への入口の町ポート・オーガスタへと進んだ。
(Melbourne=メルボルンは地図の一番右側。ピンク色の線はツーリングルート。ただしメルボルンからコラックは電車で移動。地図の左上はPort Augusta=ポートオーガスタの位置)
詳細は以下の記する。
4月3日メルボルン到着
成田空港を4/2に夜8時過ぎに出発してケアンズ経由メルボルン空港の国内線ターミナルへ翌日午前11時過ぎに到着した。
空港に到着してまずやらねばならないことはオーストラリアの携帯電話のSIMカードを買うことだった。
国際線のターミナルへ移動してオーストラリア国内ではNo.2のOptusという携帯電話会社のSIMカードを買った。
28日間有効で60Gのデータ通信と国内電話かけ放題と日本も含む海外十数ヶ国へは400分の通話が可能なパッケージで25豪ドル(約2500円)とかなりお得だ。
テレストラ(Telestra)が国内最大の携帯電話会社だったが、SIMカードを販売するブースは空港には見当たらなった。
メルボルンの約150km南東に位置するコラック(Colac)という町で日本人の若者Mさんがメカニックとして地元のオートバイ店で働いている。
当方が借りる知人のオートバイはその日本人のMさんが整備を行ってくれている関係で、当方は翌日コラックへ電車で向かい、同オートバイ店からツーリングをスタートした。
借りたオートバイはスズキVストローム250。水冷250ccエンジン搭載のロードタイプのオートバイだ。
当方はBMW F700GS(800ccエンジン)とヤマハ・セロー250(250ccエンジン)を所有するが、Vストロームは250ccエンジン搭載モデルの割には重量感があり当方のBMW F700GSに似た感じだ。 足場が悪かったり、停車時にバランスを崩すと車体重量が重いため、立ちごけしそうな感じがする。
メルボルンの宿はサザンクロス駅から徒歩20分程度に位置するThe Village Melbourneというドミトリー形式のホステル(一泊42豪ドル=約4,200円)4人部屋ながら当日は当方一人で部屋を占有した。
(メルボルンのサザンクロス駅=中央駅付近。高層ビルと庶民感覚の下町が共存する)
2024年4月4日(木)ColacからGreat Ocean Road 経由Warrnamboolまで160km
心配したほど寒くもなく、気温20℃程度の薄曇りの中、海沿いを通るグレート・オーシャン・ロード沿いの観光名所に立ち寄りながらコラックから160km程先のワナンブール(Warrnambool)を目指す。
なだらかな牧草地の丘が広がる風景は、北海道の富良野の似ていると思った。
海側に出ると断崖絶壁で風光明媚な観光名所が数多くある。メルボルンから日帰りで訪れるには丁度良い場所故、中国、韓国等のアジア人観光客が多く訪れていた。
その日はWarrnambool(ワナンブール)市内のThe Cally Hotelという一階がパブになっている歴史がありそうな木造のホテルに宿泊した。木製の廊下を歩くとギシギシと音が出て、年代物だと感じられた。宿泊料は素泊まりで80豪ドル(約8千円)と当地では一番安いクラスだ。
人口数千人位の小さな町故、まだ明るい夕方6時台でも通りを歩く人々はほとんど見かけない。
(Colac=コラックのオートバイ店からオートバイツーリングを開始した)
(Colac=コラックからグレート・オーシャン・ロードへ向かう丘陵地)
(グレート・オーシャン・ロード沿いの観光名所の12Apostels=12人の使徒)
(アジア系観光客が多かった12Apostelsの展望台)
(グレート・オーシャン・ロード沿いのギブソン・ステップス=Gibson Stepsの断崖)
(Warrnambool=ワナンブールの町)
(Warrnamboolで宿泊したThe Cally Hotel)
4月5日(金)Warrnambool(ワナンブール)からNaracoorte(ナラコーテ) 290km、翌日は世界遺産のナラコーテ化石群洞窟を見学
Naracoorte(ナラコーテ)は1994年に世界遺産に登録された。
約50万年前から数十万年前の哺乳類の先祖の化石群が洞窟内で大量に発見された場所である。
化石に興味があるわけでも無いが、世界遺産という言葉に惹かれての訪問だった。ここでは管理事務所(Vistor Center)で入場料を払い、ガイド付きの見学だった。
ワナンブールからナラコーテまでのルートは幹線道路もあったが、道幅が3m程度と車一台しか通れない狭い道もあった。スマホカーナビのMaps.Meでは道幅に関係なく最短距離を示すので、たびたびこのようなことがある。
当方は田舎道をのんびり(と言っても時速80km)でツーリングをするのが好きなのでちょうど心地よいツーリングとなった。
ビクトリア州から州境を超えて南オーストラリア州には入ると一面ブドウ畑が広がる。このあたりから
南オーストラリア州の州都であるアデレード(Adelade)までブドウ畑が広がり、オーストラリアワインの一大産地となっている。
(牧場や牧草地の間をぬう農道)
(Victoria=ビクトリア州からSouth Austraria=南オーストラリア州へ入る)
(南オーストラリア州に入ると広大なブドウ畑が広がっていた)
(ナルコーテの町中心部)
(ナラコーテの不動産屋の農地の売り物件。2000ヘクタールの農地が1億数千万円)
コロナ禍が発生した時、オーストラリアの当時の首相がコロナ禍の原因を調査すべきと国際社会に訴えた。それに激怒した中国政府はオーストラリア産ワインに高率の関税をかけ、中国へのワイン輸出がほとんど止まったことがあった。
これだけ豊富なワインはオーストラリアだけでは消費出来ない。
日本や欧米へも輸出しているが、消費量が多い中国への輸出が止まれば、ワイン生産者は大きな打撃を被っただろう。
現在のアルバニージー首相になってから中国との関係が改善され、オーストラリアワインの関税率も引き下げられたと聞く。
ナラコーテではキャラバンパーク(Big 4 Naracoorte Holiday Park)という大型キャンピングカーでも駐車でき、シャーワーやキッチン(夏にはプールもある)等の設備が整ったキャンプ場で2泊した。
日中の気温は25℃程度だが、日差しが強い。そのため、汗だくとなってオーストラリアツーリング直前に購入した一人用テントを設営した。キャンプ場使用料は一泊31豪ドル(約3100円)。
(ナルコーテのキャンプ場で一人用テントを設営)
夜キャンプ場で南半球の星座が見れると期待したが、キャンプ場の街灯が夜空を明るくして、ほとんど星座は確認することが出来なかった。
昼間は25℃程度と汗ばんだが、早朝の気温はダウンジャケットが必要なくらいの6℃~7℃位まで冷え込んだ。
ナラコーテ化石群は洞窟内で発見された50万年前から十数万年前の数百種類の哺乳類の先祖の骨格や骨だった。
50万年前から数十万年前という長い期間に当時の動物が落とし穴の様に植物等で隠れた地面の小さな穴から洞窟内に転落して、洞窟内で死に絶え、その骨が保存が良い状態で発見されたという。
その洞窟周辺にハイキングコースがあった。一人でブッシュの中を歩いたが、落とし穴のように隠れた穴があるようだ。
(Narcoorte Caves Park=ナルコーテ洞窟公園のビジターセンター)
(ビジターセンター内の数十万年前の絶滅した哺乳類の先祖。写真左側は鼻が短いカンガルー。右側はオーストラリア大陸の食物連鎖の頂上に立っていた肉食獣のライオンの一種)
(ビクトリア洞窟で見つかった鼻が短いカンガルーの骨格)
4月7日(日)ナラコーテ(Naracoorte)から南オーストラリア州の州都アデレード(Adelaide)340km
4/7からオーストラリアは冬時間となり、ナラコーテ出発前に1時間時計の針を遅らせた。
夜露でテントが濡れているので朝日を浴びテントが乾くまで撤収を待つ。
この日は曇天後、晴天となったが、風は冷たい。ライディングジャケットの下にはダウンのベストを着込む。
本日のルートは幹線道路が多いため、快適なツーリングではない。片側一車線の道路の制限速度は時速110km。
当方が遅いと、後続車が列をつくるので他の車にあわせて高速走行となる。 非力の250ccエンジンのオートバイではつらい。また、オートバイには申し訳程度の大きさのウインドシールドがついているが、風よけには不十分である。高速走行では上半身に強い走行風を受けるため疲れる。
当方は出国前から鼻のアレルギー(花粉症)をこじらして、蓄膿症(ちくのうしょう)を患ってしまった。かかりつけ医に薬を出してもらったが、頭痛と喉の痛みのためオートバイの運転時は辛かった。
早くアデレードに到着して休憩したい思いで先を急いだ。
アデレードでもモーテルやホテルは最低でも一泊100豪ドル(約一万円)するため、ドミトリー形式の
宿(Adelaide Travellers Inn Backpakkers Hostel)に2泊することにした。
利用客はバックパッカー姿で旅行する欧州からの若者がほとんどだ。オーストラリアには中高年は宿泊できない若者専用のドミトリー形式のホステルが多いと聞くが、この宿には年齢制限がなかった。
欧米のドミトリーは男女共有の部屋となっているタイプが多いので、同室の女性客が着替える際には目のやり場に困る。もっとも宿泊客はそんなことは全く気にしない。
この宿で祖父の代にインドからフィジー島へサトウキビ畑の労働者として移民してきたニュージーランド国籍のインド系の初老の男と身の上話をした。
その男はニュージーランドのオークランドに在住だが、職を求めてアデレードへ一人で来たという。 宿に滞在中にアデレードにある工場で採用面接を受けることになっていると言う。
処遇は時給30豪ドル(約3千円)という。ニュージーランドよりアデレードのほうが給与(時給が)が高いようだ。ちなみに
ニュージーランドの最低賃金は時給24.75ドル(約2,475円)とその男から聞いた。
日本人の感覚では、ニュージーランドからわざわざアデレードまで求職に来るのかと不思議に思ったが、ニュージーランドとオーストラリアではEUのように両国間で移動の自由と求職の自由が相互に認められているという。ちょうど日本で地方在住の人が、職を求めて東京や大阪へ行くような感覚だろう。
翌日は散歩しながらアデレード街の雰囲気と博物館や美術館巡りで楽しむ。
(国道沿いの休憩所)
(アデレード博物館の外観)
(アデレード博物館には原住民だったアボリジニの展示品が充実していた)
(アデレード美術館の展示品。1799年のシドニー湾の風景)
(アデレードのメインショッピング街ランドル通り。左側にユニクロの店舗があった)
(アデレードのビジネス街。写真中央のビルの建物上部にはオーストラリア最大の時価総額の資源鉱物企業BHPの看板が見える)
4月9日(火)アデレード(Adelaide)からポート・オーガスタ(Port Augusta)360km
この日も幹線道路を避けてほとんどB級国道を通行する。300km以上に渡り、道路沿いの風景は単調だった。牧草を刈り取った農地が見渡す限り広がっている。
(刈り取った後の牧草地の景色が続く)
ポート・オーガスタ付近には銀、亜鉛、鉛等の地下資源が豊富で鉱山が多いと前日のアデレード博物館で知った。
その鉱物を約500km東のブロークン・ヒル(Broken Hill)の町から運搬する数百両連結の列車を途中の町で目撃することができたのラッキーだった。
アフリカのモーリタニアで見た石炭運搬の2百両連結の列車が今まで見た中で最長の列車だったが、オーストラリアの鉱物運搬列車はそれを凌駕する長さだった。
ポート・オーガスタが近づくに従い風が強くなる。曇天で気温が低いので、ダウンベストをライディングジャケットの下に着込んでいても寒かった。頭痛と悪寒がするため、ポート・オーガスタの市内へ入る直前のモーテルで一泊することにした。 宿泊はHighway One Motel 一泊90豪ドル(約9千円)。
夜中に体温が38度以上になり、風邪の症状が出てきたため、翌日はモーテルで静養して体力の回復を図った。
(途中の寄ったGladstoneという名の小さな町の歴史的なホテル。1880年立てられ現在も使用されている
Commercial Hotel)
(Gladstoneは午後2時ごろ(昼食休み)とあって人通りは無かった)
(Gladstoneの町で見かけたブロークン・ヒルから鉱石を運ぶな貨物列車)
(ポート・オーガスタが近づくと風が強くなってきた。寒さを我慢して走行していたら風邪を引いてしまった)
(ポート・オーガスタ手前ののHighway One Motel)
(Highway One Motelの室内。やはり一人でゆったりできる部屋が有難い)
以上