Alice Springs~Mount Isa~Cairns(ケアンズ)2,700km 4/19~4/26
アリス・スプリングスからケアンズまで約一週間かけてノーザンテリトリー州北部からクイーンズランド(Queens Land)州へと入った。
この辺りはオーストラリアでも最も人口が希薄な地域らしい。 150kmから200kmごとに簡易宿泊所を兼ねたガソリンスタンドしかない。
最長では260km区間ロードハウス(ガソリンスタンド)も民家もなかったところがあった。親切にも道路わきの標識には<次の260km区間には補給がない>と注意書きがあった。
雨季には洪水になる地域が多く、道路端の標識には<洪水の場合は通行不可>との注意書きも書いてある。
川がないため、多量の降雨があると雨水が行き場所が無く、その場所に溜まるのだろう。一見水はけよく見える乾いた土地の地下は雨水を通さない岩盤になっているのだろう。
南のポート・オーガスタと北のダーウィンを結ぶスチュワート・ハイウェイ(Stuart Highway)からテナント・クリーク(Tennant Creek)にてバークリー・ハイウェー(Barkley Highway)へとケアンズ(Cairns)がある東方向へと変えた。
もっともここからケアンズまでは約2,000kmの距離がある。
降雨で湖の様になった低地あり、牧草地帯あり、そして山あり谷ありの風景といろいろ楽しませてくれる風景もあるが、一日中500km~600kmの距離を走行してもほぼ真っすぐな一直線には飽きる。
この人口希薄地帯で困ったことがあった。 当方の携帯電話(携帯電話ではオーストラリア第二位のOptsuのSIM利用)の電波が届かないのだ。
一週間の内4日間電波が全く届かないロードハウスや集落のキャンプ場に泊まったため、電話はおろかインターネット回線にも繋がらない。
アラフラ海(ニューギニア島)に面するクランバ(Karumba)の町や内陸のジョージタウン(Georgetown)では唯一繋がる携帯電話はオーストラリアNo.1の携帯電話会社テレストラ(Telestra)だと住民に言われた。
銅、銀、亜鉛等を採掘する世界最大規模の地下鉱山のマウント・アイサ(Mount Isa)では鉱山見学ツツアーに参加した。 鉱山と言っても既に閉山となった地下坑道を元鉱夫のガイドに案内されて坑道を歩いて、鉱山の説明を受けるという単純なツアーだ。
当方が走行したノーザンテリトリー州やクイーンズランド州にはクリーク(Creek)の名前がつく地名が多い。 雨が降ると川になったり、水が溜まる場所に19世紀のイギリス移民が定住し始めたからだろう。
クリーク(川や水たまり)に掛かる橋には欄干が無いことに気が付いた。 降雨で川が氾濫した祭、流木等が橋の欄干に引っかからないようにするためだろう。
ツーリングの詳細は以下に記載した。
(メルボルン近くのコラックからケアンズまでの走行ルートは赤線。地図右下はメルボルン、右上はケアンズの位置。コラックからケアンズまで約5,800km)
(オーストラリア中部を東に結ぶバークレイ・ハイウェイ=Barkely Highwayは草原が多かった。)
(デビルズ・マーブルズ=Devils Marblesの丸みを帯びた直径3m~5mの花崗岩の巨岩群)
(テナント・クリーク=Tennant Creek付近の蟻塚)
(鉱山の町マウント・アイサ=Mount Isaでは地下鉱山見学。鉱山用重機で記念撮影)
(カーペンタリア湾に面するカルンバ=Karumba。ニューギニア島へと海が続く)
(ノルマントン=Normantonので過去に捕らえられた世界最大のワニのレプリカ。体長8.5m 推定体重2トン)
4/19アリス・スプリングス~ワーチョプ(Wauchope) 400km
アリス・スプリングスに3連泊中にブログの更新をしようと思っていたが、スマホで撮った写真をSDカードへ移行するとき誤って写真データを消去してしまった。 半日かかっても消去した写真データを復元することが出来きなかった。
ブログの原稿は書き終えていたため、写真をブログに載せるだけの更新作業だったが、この先数日間はこの作業さえ出来なかった。
それはオーストラリアがあまりに大きくて人口が希薄な地域や場所では携帯電話の電波が届かないからだ。
アリス・スプリングスからスチュワート・ハイウェイをひたすら北上するが、ほとんど直線道路で景色が単調のため、どのぐらいの距離を進んだかも判らなくなってきた。
既に南回帰線を越えて亜熱帯地域に入ったためか、道路わきの樹木が今までより高くなっている。
この付近の見どころとして数千万年の風雨で浸食され、丸みを帯びている花崗岩の大きな岩がごろごろある場所がある。
デビルズ・マーブルス(Devils Marbles)という場所だ。
その日はデビルズ・マーブルズに近いワーチョップ(Wauchope)のホテルに宿泊することにした。
ホテルとは名ばかりで、実態は災害時の緊急避難所のようなプレハブ建ての部屋だった。
この付近で請負工事をする作業員が利用するようだ。
宿泊はDevils Marbles Hotel(一泊77豪ドル=約7,700円)。
ここでは携帯電話の電波が受信圏外だった。 ホテルにはWiFi設備は無い。
(旅人や家畜の喉を潤したスチュアート・ハイウェイ沿いの19世紀の井戸。地下28mの深さから地下水をラクダや馬を使って汲み上げていた。)
(デビルズ・マーブルズの奇岩群)
(デビルズ・マーブルズ・ホテルの部屋はプレハブ建ての避難所のように簡素だった)
4/20 ワーチョップ(Wauchope)~カモウィール(Camooweal)600km
ワーチョップ(Wauchope)から120km北上するとテナント・クリーク(Tenannt Creek)に到着する。
このスチュアート・ハイウェイ沿いではアリス・プリングスに次ぐ規模の町らしい雰囲気がある。
この先数キロでスチュワートハイウェイから進路をオーストラリア東部方向へと変えバークリーハイウェイ(Barkley Highway)へ転換する。
バークリー・ハイウェイを東へ約2千km進むと太平洋を臨むタウンズ・ビル(Towns Ville)に出る。
この地域にはクリーク(Creek)のが付く地名が多い。クリークとは水がある淵や入り江を指すが、
この地域では降雨の後、低地には水が溜まった状態でクリークのようになる。
バークリーハイウェイを走行中に一カ所だけ道路が降雨後冠水したままの状況だった。
直径と高さが3m位ある巨大な蟻塚を見つけた。 蟻の巣が洪水被害を受け難くするため、アリは蟻塚をつくるのだろう。
バークリーハイウェイを東方向に進むに従い、景色も変わってきた。緑が多い森や草に覆われた草原になってきた。牛を放牧する牧場もある。
夕日を背に浴び、今日の目的地まで先を急いでいると道路わきにペットボトルを片手にあげて手を振っている男がいた。 男を少し通り過ぎ、オートバイを止めると、その男が飲み水を求めているのが判った。
その男はポーランド人の67歳のサイクリストで飲み水がなく、近くでブッシュキャンプをするつもりだという。
67歳で自転車でオーストラリアの旅は大変だろうと飲み水を差し上げた。
このあたりの区間は約260km何も無い無人地帯だった。サイクリストは水と食糧の補給が大変だろうと当方と同年のサイクリストに敬服した。
この日は約600km走行後、カモウィール(Camooweal)という集落の有料キャンプ場(Camooweal Post Office Hotel &Caravan Park)に日没と同時にたどり着いた。
キャラバンパーク横のパブにスマホのデータ通信が可能な唯一のWiFiスポットがある。しかしパブは午後の9時には店じまいだ。
(高さと直径が3m位の巨大蟻塚)
(蟻塚を至近距離でカメラに収めようとして、幹線道路から100mくらいブッシュの荒れ地に入ると方向感を失う。どこを見てもこのような風景だ。蟻塚の周囲を回っていたら、道路に戻れなくなり、しばらくあたりをさまよった。)
(道路が一部冠水した状態のバークリー・ハイウェイ=Barkely Highway)
(雨季にはBarkely Highway沿いの荒れ地が湖の様になる)
(バークリー・ハイウェイを東に進み、ノーザンテリトリー州からクイーンズランド州へ入る)
(バークリー・ハイウェイで出会ったシニアのポーランド人のサイクリスト)
(コモウェール=Comoowealの街並み。と言っても幹線道路沿い300m位にガソリンスタンド、パブと雑貨店があるぐらい)
4/21 カモウィール(Camooweal)~マウント・アイサ(Mount Isa) 約200km
前夜のキャンプ場には当方以外のキャンパーはいなかった。
この集落の唯一のビストロ(カジュアルなレストラン)は既に当日の営業を終了して、食事ができる場所が無かった。
ガソリンスタンドで買ったカップヌードルを誰もいないキャンプ場でお湯を沸かして夕食とした。
夜間風が少し強くてテントが揺れ、テントが吹き飛ばされるのではと心配した。
エアーズ・ロックがある砂漠地帯のキャンプ場では朝夕は冷え込んだが、このあたりまで北上すると
朝方でもさほど冷え込まず、心地良い気温になってくる。
マウント・アイサまでは約200kmしかないので、今日はのんびりした気持ちで、キャンプ場を出発した。日曜日の午前9時台でも、幹線道路(バークリー・ハイウェイ)の交通量は皆無だ。もちろん人もいない。
マウント・アイサに近づくと地肌が見える程度に木々が立つ山がある地形となる。山の裾沿いのワインディング道路となり、オートバイのライダーとしてうれしい走行だ。
午後1時ごろに当日朝に確保した宿(CitySide Accomodation=一泊80豪ドル=約8千円)に到着した。やはりキャンプ泊の後、ベッドに横になれるのはうれしい)
(マウント・アイサ=Mt. Isaに近づくと周囲は小高い山がある起伏した大地になった。)
(マウント・アイサのライダー達)
(操業中マウント・アイサ鉱山=Mount Isa Minesの正面。地下で採掘した銅、銀、亜鉛等の原石を製錬しているようだ)
4/22 マウント・アイサ連泊で鉱山見学
宿泊したモーテルの経営者に鉱山見学を勧められた。 マウント・アイサには銅、銀、亜鉛や鉛等を産出する世界最大規模の地下鉱山がある。
マウント・アイサの町の地下には深さ1.3kmの坑道が縦横無尽に広がっているという。人口2.5万人町にしてマウント・アイサ鉱山の従業員数は4,700名と鉱山の町だ。
操業中の地下鉱山の見学が可能と思ったが、実際は既に廃坑となったハード・タイムズ鉱山(Hard Times Mines)という会社の坑道跡と博物館だった。
元鉱夫がガイド役となり参加者のグループを地下の坑道へとエレペーターに乗り案内する。
この鉱山は地下21階レベルまで坑道があったと言う。
更に坑道専用のトロッコに乗り採掘が行われた現場へ連れて行ってくれる。
本来は写真の撮影は案内の邪魔になるので禁止されているが、ガイドが所々で当時の採掘工事を参加者に体験させてくれる。 この時の様子を写真に撮せてくれた。
地下鉱山は坑道での出水と高い気温が一番の敵だという。雨季になると地下水脈から坑道に流れ出る水をポンプでくみ上げるが、ポンプの排水では追いつかずに、多くの坑道が水没するという。
鉱山の事故対策には十分気を使い、鉱夫がどこ坑道のどの現場にいるか等リアルタイムで判るような装置を鉱夫一人ひとりが持っていたという。 操業していた当時は24時間3交代で働いていたという。
入場料は大人85ドル(約8,500円)だった。
ところが当方が、<オーストラリア人のガイドの英語説明は分かり難かった>とクーパー・ペディーでのオパール鉱山ツアーでの当方の経験を受付の女性に言ったら、受付の女性は<そうね。オーストラリア英語は外国人には分かりにくいかもね>と同情して、当方にシニア割引の料金68ドル(6,800円)を適用してくれた。
シニア割引(Concessionと呼ぶ)は本来、シニア証明書が必要でありオーストラリア人とニュージーランド人に発行されているという。
(ハード・タイムズ鉱山=Hard Times Minesのエレベータータワー)
(坑道で岩盤を空圧削岩機で掘る模擬体験)
4/22 マウント・アイサ~カルンバ(Karunba)590km(アラフラ海に出る)
マウント・イサから更に東の方向へ進んだ。地形が今までと違う。 高くはないが、山あり、丘や谷ありで道路はアップダウンの繰り返しとワインディング(曲がるが続く)道路だ。 しかしこの地形も長くは続かず、100km程度走行すると、また単調な直線道路となる。
クローンカレー(Cloncurrey)から北上してノルマントン(Normanton)を目指した。
その日はノルマントンあたりで宿泊しようと考えていたが、ノルマントンから約70km更に北上すれば、それより先に進めない海に面したカルンバ(Karumba)に行き着く。
せっかくここまで来たのだから、行けるところまで行こうと夕日の中をカルンバまで急いだ。
カルンバはアラフラ海(ニューギニア島)につながるカーペンタリア湾(Gulf of Carpentaria)に面した漁業が盛んな町だ。
この辺りは、クイーンズランドでも熱帯地域に属するため、高温多湿の気候だ。ライダーズジャケットを着用してのバイク走行は、蒸し風呂状態に近く大変暑く感じる。その日からTシャツ姿で走行する。
道路で見かける動物の交通事故跡も蛇やトカゲといった熱帯の動物に変わっていた。
この辺りのクリークにはワニが多いと聞いた。
ノルマントンの町で過去に捕らえられた体長8.5m推定体重2トンの世界最大ワニのレプリカが町のシンボルとして公園に展示してあった。
カルンバでの宿の予約は無いため、カルンバのガソリンスタンド(Karumba Point Service Station)で<清潔で安い宿を教えてほしい>と親切そうなシニアの経営者に聞いた。その経営者が心当たりあるホテルに電話してくれて、部屋の値段と空き状況を聞いてくれた。
ガソリンスタンドの経営者は、<本来のところ130豪ドル=1.3万円とのことだが、親戚の知人が経営しているとのことで110豪ドル(1.1万円)でいいよと言っているけどどうする?>とホテルと交渉までしてくれた。
当方は<110豪ドルは高いな>と決断を渋っていると、 ガソリンスタンド(Karunba Point Service Station)の横に釣り客用の簡易宿泊施設があるという。
温水シャワー・トイレとキッチン付きだが、4人部屋となっている。そのガソリンスタンドの経営者が<ここでよかったら、一泊5千円でいいよ>と言ってくれたので、当方はそこに宿泊することにした。
田舎の町には午後6時を過ぎれば、開店している雑貨店が無いので、その日は持っていたカップヌードルやパン等で簡単に夕食を済ませた。 オーストラリアの地方や田舎を旅するには食糧や飲料水は常時携帯する必要がある。
(マウント・アイサからしばらくは起伏がある風景だった)
(マウント・アイサから100km程度東へ進めば平原となる)
(カルンバ=Karunbaへ行く途中の草原の中の一軒家=ロードハウスを兼ねたカフェ・レストラン)
(カルンバへ向かう途中の道路。暑くてTシャツ姿になる)
(カルンバの70km手前のノルマントンの世界最大ワニの大きさに注目してほしい。横に立っている人が小さく見える)
カルンバ付近にはワラビーが多いようだ。夕方になると道路沿いに集団でたたずんでいた。)
(ノルマントンとカルンバの間70kmは湿原が広がっている)
(カルンバで一泊した釣り客用の簡易宿泊所は写真左手の建物)
4/23 カルンバ~ジョージタウン(Georgetown)400km
カルンバは小さな町だった。
この町が栄えたのはナイル・パーチと似た種類の大型魚(体長1.4m 体重は20kgにもなる)のお陰だった。
カルンバの町が位置するノルマントン川河口と沿岸部でこの大型魚が捕れ、マウント・アイサまで空輸されるという。 現地ではバラムンディ(Baramundi)と呼ばれている。 最近は卵のふ化から養殖されているものもあると言う。
前日通った道路をノルマントンまで引き返して、サバンナ道路(Savanah way)と呼ばれるオーストラリア北部を横断する道路をケアンズ方向へ向かう。
一日でケアンズに到着できる距離ではないので、途中のジョージ・タウン(Georgetown)というかっては金で栄えた町に宿泊するつもりだった。 この道路では20分~30分走行しても一台の車ともすれ違わない超閑散とした道路だった。
そのためか、所々で道路が整備されていない状態の旧道の状態だった。 旧道は車一台分の舗装しかしていないく、対向車がくると大きな車に舗装面を譲る。
カーナビにはロードハウスをはじめ数軒のホテルやモーテルがあることになっているのだが、一軒のモーテルを除き廃業していた。
モーテルで一泊しようと訪ねたが、家族用の広い部屋しか空きがなく一泊150豪ドル(約1.5万円)とのことだった。 田舎町で1.5万円出すのは惜しいと思い、結局キャンプ泊をすることにした。
宿泊地はゴールド・フィールズ・キャラバンパーク(Goldfields Caravan Park)一泊テントサイト20豪ドル(約2千円)
テントの設営後に食糧を求めて、ロードハウスが経営の唯一の雑貨店へ行った。夕方の6時を回ったばかりなのに既にガソリンスタンドと雑貨店は閉まっていた。(町と言っても住人350名程度の集落)
キャンプ場の管理人に唯一のパブが夕方6時過ぎでも営業していると教えてもらい、そこで食事することにした。
(交通量が少ないため、道路中央部分のみ舗装。多分昔は道路幅は一車両分しかなく、その後拡張したが
全面舗装までに至っていないようだ)
(ノルマントンからケアンズ方面へと東へ向かう道路はサバンナ道=Savanah wayと呼ばれている)
(カルンバが面するカーペンタリア湾で釣りをする人)
(カーペンタリア湾のペリカン)
(ノルマントン川河口やカーペンタリア湾でとれるバラムンディ=Barramundiと呼ばれる大型魚)
(大型魚バラムンディの展示施設)
4/25 ジョージタウン~ケアンズ(Cairns)420km
この日は祭日(オーストラリアの日=ANAC day)のためか、ロードハウスは朝方も営業していなかった。
前夜までにすべての飲料水を飲み切ったため、まずは朝一番で飲料水を確保せねばと思っていたのだが。
この熱帯地方での走行では、ライディングジャケットは着用せず、Tシャツのみの姿だった。 昼頃やっとマウント・サプライズの集落に到着して飲料水を買い求めることが出来た。
当方は400kmの走行を楽観視していたが、ケアンズの手前150km位からスピードが出せないようなくねくね道になりだした。日本の箱根や伊豆半島の道路の様にくねくねしたカーブがあり、時速50km~60kmの制限速度が設けられている。
ずっと暑い場所を走行してきたが、ケアンズに近くなると寒くなり始めた。
大陸横断道路の最後区間は熱帯雨林地帯と乾燥地帯の分水嶺にあたるアセルトン(Atherton Tablelands
)高原となっていた。 この高原が寒さの原因らしい。
天気が曇ったり、ところどころ降雨の跡がある。
天気が変わりやすく、降雨が頻繁にあるため、道路沿いの牧場の草が緑色のジュータンの様に奇麗だった。
ケアンズに到着するとムッとするような湿った空気を感じたが、思ったより暑く無い。夕方になり、涼風が吹けば、Tシャツ姿では少し寒く感じた。
ケアンズでは夜間には少し雨も降ってきた。
宿泊はYHA Cairns Centralというドミトリー方式のホステル(一泊35ドルと駐車料金10ドル)
(クリークに架かる橋は欄干が無い)
(ケアンズ西部に位置する高原)このあたりが乾燥地帯と熱帯雨林地帯との分水嶺)
(ケアンズ市内は熱帯雨林の樹木が大きく育ち、トロピカルな雰囲気を醸し出していた。)
(ケアンズのウオーターフロントは渡り鳥の大きな干潟になっている。)
以上