オーストラリア総集編 10,000km (4/3~5/21)
何故一周でなく半周ツーリングを計画したか?
オーストラリアの中央部を境に東西に分けて東半分を半周した。走行距離は約1万km強だった。
一周だと約2万km強になるとツーリング経験者から聞いていた。
<何故、オーストラリアを中途半端の半周ツーリングとするのか?>と他の人に聞かれたが、いろいろな理由で、是非とも一周しようとする高揚した気持ちになれなかった。
2017年に北米をほぼ一周したツーリング経験から、平原が広がる大陸のツーリングは直線道路が多く、あまり楽しくないだろうと想像していた。
半周ツーリングの時期が日本の10月~11月の秋に相当する時期だ。 一周するには急いでも3カ月のツーリング期間が必要となり、オーストラリアの冬にかかってしまう。寒さの中をオートバイでツーリングするのは楽しくない。
また、今回は自分のオートバイではなく、知人のオートバイをオーストラリアで借りてのツーリングだ。
半周ツーリングでオーストラリアが気に入れば、またの機会に再度行えばよいだろうと気楽さも手伝った。
(シドニーの世界遺産オペラハウス)
(メルボルン中心部を流れるヤラ川(Yarra)沿いの高層ビル群)
(クイーンズ・ランド州のバークリー・ハイウェイ。人家がある場所まで200km以上の草原が続く)
(ミッシェラン製オーストラリア地図。地図右半分のピンク色の線が走行ルート)
半周ツーリングの見所
オーストラリアの魅力はその雄大な自然だろう。
自然あふれる森や山では無く、人の開拓を許さない荒涼として、殺伐としたブッシュ(草や低木)の砂漠地帯や平原だろうとツーリングを終了してから思うようになった。
都市が集中するのはオーストラリアの東海岸沿いケアンズ、ブリスベン、ゴールドコースト等のクイーンズランド州東部の沿岸部、シドニーがあるニューサウス・ウェールズ州沿岸部からメルボルンがあるビクトリア州だろう。
18世紀後半からイギリス人によって入植が始まり、その後開拓も進み人口が集中するようになった地帯だ。
当方は当初人口が多いクイーンズランド州の東部沿岸部からニューサウス・ウェールズ州を経て南のビクトリア州にツーリングの楽しみがや見所があると思っていたが、これら地域は北米や欧州と同様に都市と都市を繋ぐ高速道路しかなく、あまり印象に残る場所ではなかった。
印象に残った場所はアウトバックとよばれるオーストラリアの未開発で、殺伐とした低木しか生えない砂漠地帯や見渡す限り地平線が続く平原地帯であった。そこではキャンプ泊で少し不自由をしたことがその地の印象を深くしている。
(アリス・スプリングス付近のスチュワート・ハイウェイにて)
(ノーザン・テリトリー州からクインーズ・ランド州へバークリーハイウェイ=Barkly Highwayを通行して入る)
(バークリー・ハイウェイで出会った67歳のポーランド人のサイクリスト。サイクリストは1日の走行距離では町や集落へ到達できない。十分な量の水と食料を持ってツーリングをするが、このサイクリストは飲料水切れに陥っていた。)
(熱帯のクインーズ・ランド州北部をアラフラ海に面するカルンバ=Karumbaを目指して走行中)
(テナント・クリーク=Tennant Creekからバークリー・ハイウェイを東へ移動中、道路一部が冠水していた。)
(サバンナ道=Savannah wayと呼ばれるノーマントンからケアンズへ向かうクイーンズ・ランド州北部の2級国道。舗装してある部分は道路中央の一車線分。大きな車とすれ違う時は、小さい車が未舗装部分を通行して、舗装部分を大きな車に譲る。)
エアーズ・ロック(Ayers Rock)とその周辺
ツーリングで楽しみとした場所はオーストラリア大陸のへそと呼ばれる高さ約350m、周囲約9.4kmの巨大な一枚岩のエアーズロックだろう。
エアーズロックへ来るまでのアウトバックと呼ばれる砂漠地帯までメルボルンから約2.5千kmを走行してたどり着ける場所だ。数日かかって来たという苦労が、エアーズロックを見る価値を高める。
エアーズロックの50km西に位置する高さ約550mの巨大な丸形奇岩のカタ・ジュタ岩山群(Kata Kjuta)も当方の興味を沸かせた。
エアーズロックへはエアーズ・ロックキャンプグランドでキャンプ泊をして日の出前と夕暮れ時に行った。
朝日と夕日を浴び岩の色が変化する様子が神秘的だった。
カタ・ジュタ岩山群を含むエアーズロック周辺だけでも半日で約200km走行した。
(夕日を浴びるエアーズ・ロックは色を変えていく)
(アボリジニ言葉で<多くの人の頭>を意味するクタ・ジュタ岩山群=Kuta Jkuta)
(カタ・ジュタの岩山と岩山の間の通り道。高さ200~300mの巨大の岩山の壁に圧倒される)
(エアーズ・ロックへ行く途中の道路には雨季の洪水の深さを示す柱が立つ。洪水が一番深かった時は1.4mあったという)
(オーストラリア中部の砂漠地帯はハエが多い。数十匹のハエが顔の周りに群がるので、顔を覆うネットは必需品)
(エアーズロック近くの頂上が平のテーブル・マウンテン Mt. Conner標高約860mだが、地上からの高さは300m位だろう。)
(エアーズ・ロック・キャンピンググランドでテント泊)
カルナボン国立公園(Carnarvon National Park)
クイーンズランド州政府の観光パンフレットとキャンプ場で出会った人に勧められた場所だった。
この場所もキャンプ泊をして、終日カルナボン渓谷沿いの森をトレッキングして枯れ川の谷底を歩いたり、長年の鉄砲水で削られた川底から高く垂直にそびえる岩壁を見て感動した。
ここのキャンプ場へ至る農道のような道では、カンガルーが集団で道路を横切ったり、ディンゴ(犬のような動物)の姿を見る数少ない機会を提供してくれた。
(カルナボン国立公園=Carnarvon National Park)
(カルナボン国立公園をトレッキング)
(カルナボン国立公園内の枯れ川)
(カルナボン国立公園内のトレッキングコースの最終地点)
(カルナボン国立公園内の数万年から数千年前にアボリジニの先祖が岩壁に描いた絵文字)
(カルナボン国立公園内のトレッキングコースのイラスト図。最深部まで往復約20km=8時間かかった)
スチューワート・ハイウェイ(Stuart Highway)と鉱山町
スチュワート・ハイウェイはオーストラリア南部のポート・オーガスタからティモール海に面する北部のダーウィンを南北に結ぶ長さ約3,000kmのほぼ直線道路だ。
この道路沿いには町や集落はあまり無い。
あるのは約200km毎にガソリンスタンドと簡易宿泊所やキャンプ場を兼ねたロードハウスと呼ばれる平原や砂漠の大きな一軒家だ。
こんな人気がないところでも若い男女も併設のカフェやパブで働いている。若者たちは刺激がある都会でしか働きたがらないかと思った。
アウトバックのハイウェイを走行するにはガソリンや食糧、飲料等を揃えておく必要がある。
あまりにも直線的な道路故、景色も見るのも飽きる。ロード・トレインと呼ばれる全長50m以上の4両編成のトラックが疾走する。
アウトバックのハイウェーの交通量は少ない。ハイウェイと言っても片側一車線の対面通行の普通の道路だ。
一日500km~600km走行しても真っすぐな道だ。目的地まで到達するのは1,000km単位の人家も森も林も無い場所をただひたすら走行する。
疲れたら道路沿いに設けられた休憩所で止まり、また走行するの繰り返しだ。
その殺伐としたブッシュ地帯のアウトバックのツーリングが限りなく広いオーストラリアを実感する場所だった。
(ポート・オーガスタ=Port Augusta付近のスチュワートハイウェイ)
(ノーザンテリトリー州の制限速度時速130kmでスチュワート・ハイウェイを疾走するトラック・トレインは通常3両の荷台をけん引する)
(スチューワート・ハイウェイ沿いの休憩所)
(スチューワート・ハイウェイ沿いのエルデュンダ・ロードハウス=Erldunda Roadhouse)
オパール鉱山のクーバー・ペディー(Coober Peddy)
ポートオーガスタとエアーズロックの中間地点のスチュワート・ハイウェイ沿にクーバー・ペディー
という名のオパール採掘で栄えた町がある。 現在もオパールの採掘は続いている。
元オパール炭鉱だった横穴をキャンプ場とした施設にテントを張った。
洞窟内のキャンプ泊は初めてであったが、なかなか快適であった。 この時期日中の気温は30℃以上となる一方、朝や夜は冷える。
ただし、洞窟内の気温は18℃程度と一日中一定である。また雨で濡れる心配もない。
(オパール鉱山跡を利用したキャンプ場=Ribas Underground Campingのキャンプサイトへの入口)
(地下の鉱山だった場所にテントを張る。暑くもなく寒くもなく居心地は良かった)
オパール鉱山のイラスト図。深さ10m~20mの地下の坑道で細かく砕いたオパールを含む原石を直径30㎝位の筒状の吸引機で地上まで上げ、商業用になるかくず石として廃棄するか峻別する。)
(地下鉱山ではオパール原石を含む細かく砕いた岩石を円筒状の集塵機で地上まで揚げる)
(オパールの原石。特殊な光を当てるとオパールは反射する)
(色が黒味がかるほどオパールの価値は高いと言う。白いオパール原石は捨てられるものもあると言う)
(鉱山で販売されてオパールのペンダントは250~750豪ドル(約2.5万円~7.5万円)の値札が付いていた。一番右側の最上段のオパールが340豪ドル=約3.4万円、その下が300豪ドル=約3万円)
物価高への対応はキャンプ場でテント泊
計画ではキャンプ泊はエアーズ・ロックがある場所で数泊程度行おうと考えていた。
しかしながら、アウトバックを中心に15回キャンプ泊をする結果になった。 全てキッチン、温水シャワー、トイレ付きの有料キャンプ場だった。 簡単に夕食をすませるため、冷凍食品等をスーパーで買い、電子レンジで温めた。
当方は一人用の小型テントを持って行った。一人用の超小型テントの内部は狭いので、テント内ではほとんど身動きが取れず不自由するが、宿を探したり、予約する手間が省けて気楽であった。
キャンプ場の入場料は20~50豪ドルと(約2千円~5千円)様々だ。
有料キャンプ場を利用するには午後5時前にチェックインする必要がある。午後5時に受付が閉まってしまうからだ。
キャンプ泊に慣れるとドミトリー形式(相部屋)のホステル泊も苦にならない。
テントの設営や撤収が無く、時間が節約できるホステル泊のほうが、キャンプ泊より楽と感じるからである。 宿泊に当たり、当方の優先順位は費用も考慮してホステル ー> キャンプ泊 ー> ホテルの順であった。
多くのオーストラリア人は大型のキャンピングカーあるいはキャンピングカーをピック・アップトラックで牽引して家族連れや夫婦で旅をする。
キャンプ場はそのようなキャンピングカーを主に対象としてするオートキャンプ場なので、テントを設営する人は少ない。当方のみがテント泊というキャンプ場が多くあった。
中にはキャンプ場のキャンピングカーに年単位で定住して、仕事をしている人もいた。
電源あり、洗濯機、シャワー、トイレ等の設備が整っているためキャンプ場でも快適な生活が可能だ。
(ビクトリア州ナラコーテ=Naracorteのキャンプ場 Big 4 Holiday Park)
(ビクトリア州ナラコーテのキャンプ場のキッチン)
(チャーターズ・タワーズ=Charters Towersのキャンプ場で2年住んでいると言ったウェーン氏=Wayne。同氏には
カルナボン国立公園を薦めてもらった。)
クイーンズ・ランドの東海岸からビクトリア州まで雨天続き。
都市は物が豊富で投宿には便利ではある。しかしながら、人が多すぎたり、オートバイの駐車場がなかったり、また都市へたどり着くまでの交通渋滞等のデメリットがある。
それ以上にいやだったのが、雨だった。天気予報で雲の動きを伝える衛星画像は東海岸沿いに雨雲が断続的に覆い、雨を降らせているのが判る。3週間位連続して雨天模様だった。
ケアンズ以降、オーストラリアを南下してブリスベン~シドニー~キャンベラを経由してメルボルンへ至る4,500kmのツーリングは、内陸部のルートに入った一週間を除けば、ほぼ連日の雨だった。
(ブリスベンの高台から見ると豪雨が雨雲から降り注ぐ様子が良くわかる。写真右側の白くなっている部分が豪雨)
ワーキングホリデー
ワーキングホリデーを利用してオーストラリアに来ている外国の若者が多い。そんな若者は宿泊費が安いホステルで生活する。 ワーキング・ホリデーは休暇も楽しめて、何やら楽しそうなイメージを持つが、実態は厳しい。
日本では農家、工場や建設関係等の特定業種の不足補うため外国人に働いてもらう研修制度がある。ワーキングホリデーは日本の研修制度より短期間であるが似たような制度だと思った。
出会った若者は仕事に追われてホリデーを楽しむどころではないようだ。 また、職がなかなか見つかず、財布の中身が気になりだした若者もいた。
当方が住む横浜のオートバイ店でオートバイパーツ注文で世話になった店主の娘婿の韓国人青年がいた。 ブリスベンでワーキングホリデー中に知り合った日本のオートバイ店の娘と知り合い、その後来日して結婚。そしてオートバイ店を切り盛りするようになったという。
その韓国人が<ブリスベンでは奴隷状態だった>と言ったことがあった。 当方はその韓国人が日本語を間違えて<ワーキングホリデー中はブリスベンの外にあまり出られなかったので、刑務所の囚人状態だった>と言いたかったのではと勘違いしていた。
経済が崩壊状態のアルゼンチンから出稼ぎのためワーキングホリデーを利用している複数の若者にもキャンプ場、ホステル等で出会った。 ワーキングホリデーのビザは1年間限りだが、農業等の一次産業で88日間働けば2年目のビザの延長が可能だ。
アルゼンチンの3年の稼ぎがオーストラリアで1カ月で稼げるというのだ。
(オーストラリア最東端のバイロン・ベイ=Byron Bayの灯台隣接のカフェで働く2名の日本人女性リカコさんとアイさん。ビザを延長せず近々帰国すると言っていた。)
(アルゼンチンから数日前にメルボルンに来て仲介人を介して仕事を探していたカップル。仕事が決まり明るい顔になっていた。)
(クーバー・ペディーで出会ったアルゼンチン人カップル。2年目のビザ延長のため仕事を探していた。田舎での農業関係の仕事はアルゼンチンで女医だった彼女にはきついと言っていた。)
(ビールを飲みながらいろいろ話してくれた中国人移民のサムエル・シュー氏=写真中央。20年前苦学してオーストラリアの大学を卒業後、現在は会社を経営している。 オーストラリア人は裏表なく本音で接してくれて自分には合っていると言っていた。)
資源産業
かつてはゴールドラッシュで沸いたオーストラリアは依然資源大国だ。ニュー・サウス・ウェールズ州のシングルトンの町で、当地で最大級の石炭の露天掘り鉱山についてレクチャーを聞く機会があった。
そもそもオーストラリアの物価が何故高いかとの疑問を解くカギだった。オーストラリアドルを安くしなくても、オーストラリアの輸出産業は十分国際競争力を持つからだ。 石炭、鉄鉱石、天然ガス等の資源では世界有数の規模を持つ。
またオージービーフで代表される牧畜業も規模の優位性で生産性が高い。自動車や機械類等の工業製品を海外から輸入しても、資源や畜産物の輸出で十分賄え、貿易収支は黒字だ。 日本の様に通貨安に頼って輸出を伸ばす必要が無いのだ。
感じたのはオーストラリアの物価が高いのでは無く、長年のデフレに円安が加わり日本の物価が安すぎるということだ。 州によっても異なるらしいが、ビクトリア州の最低賃金は時給21豪ドル(約2,100円)と日本の2倍だ。
賃金をベース考えれば、物価が日本の2倍以上高いのは異常ではない。
マクドナルドのハンバーガーセットが15豪ドル(約1,500円程度)、メルボルン市内のランチセット20豪ドル前後(約2千円)、床屋の散髪代が45豪ドル(約4,500円)ということは賃金比較の相対物価は日本と変わらない。
(ニュー・サウス・ウェールズ州のシングルトン付近のハンターバレーの上空からの写真。灰色な部分が長さ数kmに及ぶ石炭の露天掘鉱山。この地区には数カ所の露天掘り鉱山がある。)
(露天掘りはビルのような巨大な機械で石炭層を削り取り300トン積のタイヤの高さが3mくらいある巨大ダンプトラックで運び出す)
(マウント・アイサ=Mr. Isa鉱山。世界最大級の地下鉱山では銀、銅、亜鉛、鉛等を産出する)
(マウント・アイサで鉱山ツアーで削岩機の作業を試す。機械の振動と音がすさまじかった。)
クレジット・カード社会
オーストラリアほどクレジットカードの利用が普及した国はあまりないだろう。現金無しでもお金の支払いには困らない。 1ドル(約100円)の支払いでもクレジット・カードで済ませる。
2ヶ月弱の当方の滞在期間中、クレジットカードを使用できない場面は2回あった。
ケアンズの果物市場で2~3ドルの果物を買った際、クレジット・カードでの支払いはカード会社の手数料がかさむから遠慮してほしいと言われ現金で払った時と、ベナラの洗車場の機械が1ドルと2ドルのコインでしか作動しなかった時だけだった。
もちろん現金での支払いも可能だが、アウトバックの雑貨店でもクレジットカード払いが可能だったことには驚いた。
(文面とは関係ないが、メルボルンの北西150kmに位置するバラット=Ballartは19世紀中ごろから20世紀にかけてゴールドラッシュで栄えた。ゴールドラッシュ時代の街並みを再現したアトラクション(ソブリン・ヒル)を観光した。)
(19世紀中ごろの新聞社の女性の服装)
(現在のバラットにはゴールドラッシュで栄えた時代の立派な建物が多く残る。 写真右側の時計台がある建物はタウン・ホール=市役所)
以上