Brisbane~Coffs Harbour~Sydney 1,100km (5/6~5/12)
ブリスベン滞在からオーストラリア最大都市シドニーに至るツーリングを記した。
この期間も雨が多く、オートバイツーリングにとっては辛かった。
途中寄ったバイロン・ベイ(Byron Bay)とコフズ・ハーバー(Coffs Harbour)ではワーキング・ホリデーを利用して働く日本人の女性4名と出会った。(アフリカツーリングの時も何故か日本人の女性しか会わなかったが)
ニューカッスルに近いハンター・バレーで(Hunter Valley)はオーストラリアの重要産業である石炭産業の知識を深める機会を得た。
ハンター・バレーでは日本企業も含め世界の有数の資源会社が石炭の露天掘りを行っている。 日本の電力会社や高炉製鉄企業もここから石炭を輸入している。
シドニー手前のゴスフォード(Gosford)の森の中の一軒家ゲストハウスでは、経営者の中国人が無料で食べられないぐらいの量のごはんと夕食を作ってくれた。
その中国人からはこのゲストハウスに来る日本人は皆オートバイライダーだと言われ、同氏も刺激を受けていると言う。
それもそのはず、このゲストハウスを最近訪れた日本人ライダー達は、口コミや紹介で訪れているので、偶然ではない。
詳細は以下に記す。
(ブリスベンからシドニーまでの東海岸の走行地図。赤線は走行ルート。地図右上がブリスベン、地図右下がシドニ一の位置。赤丸印の場所は投宿した町や都市)
(シドニー湾をハーバー・ブリッジから見渡す。写真右側にオペラハウスの建物が見える。)
ブリスベン滞在
ブリスベンでの3連泊はあっという間に終わった。
一日はブログの更新に終日かかった。ブログ原稿書きとスマホの写真の整理に時間がかかる。
また整理した写真をパソコンのアプリでデジタルサイズ(ビット容量)を縮小する。
縮小しないとブログが容量超過になってしまうからだ。
天候が不安定だ。晴れ間がでても直ぐに黒い雨雲が現れて豪雨となる。ブリスベン市内を見渡せる
標高100m位の丘がある。
丘の上の展望台からはブリスベン市内はもとよりブリスベンを囲む郊外の森や更に森の背後の山々も見える。観光名所となっている。
この展望台からブリスベン周辺の雨雲がよく判る。 ある地域では黒い雨雲から降っている豪雨で空中が真っ白になって、生き物のように動いている。
ブリスベンには思い入れは無かったが、テニスの全豪オープンの前哨戦としてブリスベンでの大会がある。数年前までは日本の錦織圭選手がよく出場していた。
2032年には当地で夏季オリンピックが開催される予定だ。 街の中心部のビジネス街は高層ビル群があるが、それ以外は意外と低層の建物が多い都市だった。
街の中心部では建設中の複数の高層ビルが目立った。 オリンピック誘致の経済効果だろうか。
(ブリスベン郊外のマウント・コーサ展望台からブリスベン中心部を見る。写真右側の地区は豪雨が降っていた。)
(ブリスベン市内中心部の高層ビル群とブリスベン川)
(ブリスベンのビジネス街)
(ブリスベン中心部。写真右の時計台がある建物はタウン・ホールとブリスベン博物館。写真中央の高層ビルの上部には日本のNTTの看板文字が見えた。)
(1880年のブリスベン湾の様子)
(ブリスベン博物館展示の浮世絵のような絵。1952年Kenneth Jade作のGrey St. Bridgeの題名)
5/8 ブリスベン~バイロン湾(Byron Bay)経由コブス・ハーバー(Coffs Harbour)460km
ブリスベンからほぼ海岸と並行して南下する無料高速道路M1を通って本日の投宿予定地のコブズ・ハーバー(Coffs Harbour)を目指す。
ブリスベンから南に約100km区間は交通渋滞が激しい。
この区間にはオーストラリア屈指のリゾート地であるゴールド・コーストが控えるためだ。 片側3車線から4車線の高速道路は車両でギュウギュウ詰めといったところだ。 当方はコールド・コーストを素通りした。
ブリスベンから郊外へ向かう車線はまだ動きがあるが、ブリスベン方向へ向かう車線は超渋滞で車が動いたり止まったりという状況だった。
バイロン・ベイ(Byron Bay)はオーストラリア大陸の最東端ということで訪れたかった。 オートバイライダーは大陸の端とか島の端を目指す癖があるようだ。
バイロン・ベイには三日月形のこじんまりとしたビーチがあり、サーファーが多くいた。サーファーは若者ばかりでなく、中年のおじさんが多いことに驚いた。
高台にはオーストラリアの灯台の中で一番遠方まで灯台の明かりが届くバイロン湾灯台がある。
この海域で海難事故が多く、1901年に建てられたという。灯台の明かりが50km遠方の海上から確認できるという。
バイロン湾の灯台に隣接する場所に屋外テラスがあるカフェがあった。 高台から海を眺めるのにちょうど良い場所だった。若い東洋人の女性が2名が働いていた。 英語で話しているうちにワーキング・ホリデーを利用して働いている日本人だと判った。
ブリスベンから約200km走行したバイロン・ベイまでは雨に降られずに済んだが、雲行きが怪しくなった。高速道路上での停車は禁止されているし、また、危険を伴うのでバイロン・ベイで給油した際にレインウェアを着込んだ。
雨雲に追われるように先を急いだ。 バイロン・ベイからコブズ・ハーバーまで約240kmの距離があったが、豪雨に見舞われたのはコブズ・ハーバー到着前の10km位の区間だけだった。
コブズ・ハーバーのホステル(Jetty Blue Backpackers 一泊30豪ドル=約3千円)でもワーキング・ホリデーを利用してコブス・ハーバーのパブで働く日本人の女子大学生と求職のためコブズ・ハーバーに来たという日本人女性と出会った。 女子大学生はビザ延長のため農業関連のアルバイトでベリーの収穫も朝から日没まで手伝ったという。
ワーキング・ホリデーには1年間のビザしか付与されないが、農業等の第一次産業の特定業種に88日間従事すると2年目の延長が可能だという。
不人気の業種の人手不足を外国人の若者の労力で補う制度だ。 日本で働く外国人の研修制度(労働)をより簡素化した制度だ。 よく考えられていると思った。
(オーストラリア最東端のバイロン・ベイ=Byron Bayの灯台)
(バイロン・ベイの海岸)
(1944年当時のバイロン・ベイ灯台の航空写真)
(1921年起きたバイロン・ベイの座礁事故。大型船は強風と波を受けて座礁)
(バイロン・ベイ灯台隣接のカフェで働くエリカさんとアイさん)
(バイロン・ベイ灯台付近はすべて有料駐車場だった。オートバイのナンバープレートの番号を機械にインプット後、クレジット・カードで駐車料金を支払ったが、駐車料金を払ったか否かどのように確認しているのか分からなかった。)
(コフズ・ハーバー=Coffs Harbourで投宿したホステル。4人部屋なのに、この時期宿泊客が少ないようだ。一人で部屋を使用することが出来た)
(早朝のコフズ・ハーバーの海岸)
(コフズ・ハーバーは漁港だが、クルーザーも多く係留していた。)
5/9 コブス・ハーバー~シングルトン(Singleton) 450km
数日前まではシングルトン(Singleton)は日程の中に入っていなかった。
クーバー・ペディー(Coober Peddy)でオパール鉱山ツアーに参加した際、 ツア参加者一人から、ニューカッスル(Newcastle)近くの石炭の産出で有名なハンター・バレー鉱山(Hunter Valley Mines)では、一般の人でも石炭鉱山の見学が可能だと聞いたことを思い出したからだ。
インターネットで調べてみるとハンター・バレーには複数の鉱山会社あり、その中心となっているのが
シングルトン(Singleton)の町だと分かった。 ニューカッスルの約70km西に位置する人口1万程度の町だ。
更にそのシングルトンに所在する石炭産業センター(Coal Industry Centre)がツーリストにも石炭鉱山のツアーを行うとインターネット上で情報を得た。
同センターへ電子メールで問い合わせてしてみると、雨天が続き露天掘りの石炭採掘現場の道路状態が悪いため、現場まで行けないとのことだった。
しかしながら、当地の石炭産業の説明とシングルトン付近の石炭関連施設の見学は可能との返事をもらった。 参加費用は150豪ドル(約1.5万円)。
せっかくオーストラリアの重要産業の現場近くまで来たのだからと思い、同ツアーに急遽参加するためシングルトンへ行くことにした。
コブズ・ハーバーからシングルトンへはシドニー方面へ向かうハイウェイーM1を南下する。
朝から雨だ。 コブス・ハーバーを出た直後は20km程度渋滞があったが、その先は交通量は多いものの車の流れは順調だ。
雨が多い土地のため、高速道路沿いの森の木々が高さ20m程度にまで育ち大きい。
シングルトンの町が近づくと15m~20m先も見えないぐらい視界が悪い豪雨になった。 当方の前方を走行する車も見えず、まだ午後の3時台だというのに、夜のように暗くなった。
事前にBooking.Comで予約していたホテルへカーナビ(Maps.Me)を頼りに辿り着く。
投宿ホテルはRoyal Hotel Singleton(一泊80豪ドル=約8千円)(1階がパブになっている)
(コフズ・ハーバーからシングルトンへ向かうハイウェイ。高速道路沿いの木々は降雨の恩恵か背が高い)
(シングルトンで投宿したRoyal Hotel Singleton)
5/10 石炭産業センターでのツアー参加(シングルトン)~ゴスフォード(Gosford)140km
前日に予約した石炭産業センター(Coal Industry Centre)は2階建ての小さな建物の一部を間借りしてあった。 大仰な名前に反して小さな組織のようだ。
定年退職後の初老の男性と初老の女性しかいない。 参加者は当方一人のみだった。
名前から想像して、公益法人かなと思ったがそうでは無く、石炭産業の理解を深めるための研修等を請け負っている団体のようだ。
ここで、元地元の高校教師だったという男性からハンターバレーで操業する石炭鉱山について1時間ほどレクチャーを受ける。
この鉱山の特徴は地上の地面を堀り、石炭を採る露天掘りだ。 採掘コストが安価で、鉱山事故が少なく地下炭鉱より安全だという。
このハンターバレーの鉱山では火力発電所で使用される一般炭を中心に年間2億トン産出される。その8割がニューカッスルの港から輸出されている。日本が最大の輸出向け地だという。
(石炭には発電所等で燃やされだけの燃料用の石炭=一般炭と高炉鉄鋼会社で鉄鉱石と一緒に鉄の原料となる原料用石炭=一般炭より付加価値が高く高値で取引される2種類がある)
ハンターバレーには鉱山会社専用の貨物列車の引き込み線があり、貨車一台に50トンの石炭を積み込み、100両編成(5千トン)の石炭専用列車として70km先のニューカッスル港へ運ぶ。
ニューカッスル港では排水量5~10万トンクラス(専用貨車での輸送10~20回分=貨車千~2千両分)の石炭運搬船に積み替えられて輸出されるという。
ニューカッスルの石炭産業は2.5万人を直接雇用して、州政府も14億豪ドル(約1,400億円)の鉱山会社からロイヤリティー収入を得ているという。 石炭に関連する税収を含めれば、州政府の最大収入源の一つだという。
日本の三井物産もこのハンターバレーの鉱山に権益を持つようだ。
その後、説明してくれた男が運転するトヨタのランドクルーザーに乗り込み、周辺のビジネスパーク内に事業所を構える鉱山用重機のタイヤ販売業者、鉱山機器の安全点検を行う業者、石炭の品質検査を行う業者や石炭採掘現場付近をドライブしながら、説明を受ける。
オーストラリアでの労働者の平均年収は約9万豪ドル(約9百万円)だと言うが、鉱山会社の従業員は12時間交代の週40時間労働で年収約20万ドル(約2千万円)を得ているという。
給与水準が高いため、人気の業種らしい。
シングルトンの町も、鉱山関係者のお陰で潤っているという。
石炭産業ツアーの所要時間はレクチャーも含め約2時間程度で午前中で終了した。
午後にはシドニーへ向かう途中のゴスフォード(Gosford)の森の中の一軒家のゲストハウス(Farm Guests House)で一泊した。 一泊70豪ドル(約7千円)
(ハンター・バレーの航空写真。灰色の部分は石炭の露天掘り現場。)
(どのように石炭層を露天掘りするか説明するイラスト図=プレゼン資料からの抜粋)
(石炭産業センター=Coal Industry Centre展示の岩のような石炭。
透明のケースの上段入っているのは粉末状の石炭パレット。掘り出した石炭の塊は小さな岩に砕き、水で洗浄された上で粉末状にされる。粉末状にすると爆発するように燃えると言う。石炭の塊は軽いので水に浮く。)
(石炭と一緒に採掘された岩は捨てられる。処分する岩を超大型トラックで運び出す。処分された岩の山は時間をかけて
植林して採掘前に近い自然環境に戻されると言う。)
(石炭を運ぶ貨車の引き込み線がある石炭の集積場。白く見える機械で貨車に積まれる。)
(マン・ツー・マンで説明してくれた石炭産業センターのMr.Ross Fleminng)
(ゴスフォード=GosfordのFarm Guests Houseオーナー=写真右のJesse Leng氏はオーストラリア在住歴20年の中国人。家族をシドニーに残して一人で住んでいる。62歳だと言う)
(Jesse Leng氏が作ってくれた夕食。大皿いっぱいに野菜炒めを作ってくれた。ごはんも2~3合くらい炊いてくれて、全部食べてくれと言ったが、とても食べきれる量ではない。)
5/11ゴスフォード~シドニー(Sydney) オートバイのエンジンオイル交換 80km
借りているオートバイを返却する時期が来た。ベナラ(Benalla=メルボルンから約200km東の町)の知人へオートバイを返却する前にエンジンオイルとオイルフィルターの交換を済ませたいと思い、5店ほどのオートバイ店に電話でオートバイを持ち込めば直ぐにエンジンオイルの交換をしてくれるか問い合わせた。
すべてのオートバイ店では事前にアポイントがないと対応できないと言う。中には<6週間先までアポイントが一杯だ>とか、<6月に入ってからなら対応できる>等のさんざんな返答だった
それなら、アポなしでオートバイ店を訪問して、直接交渉してみようとシドニー市内のスズキのオートバイも取り扱うバイク店を訪れた。
やっぱり、修理・サービス関係の対応は断られた。 メカニックが一人しかおらず、仕事が溜まってニッチもサッチも行かないとの理由だった。
その代わり、そのオートバイ店の近所にバイクの修理屋らしき零細の業者があることを教えてもらった。
業者の看板が出ていないので、先に訪れたオートバイ店にて教わった場所へいくと5坪ほどの小さな修理屋らしき建物があった。
オーストラリアに12年在住のスペイン人が趣味でオートバイを改造する小屋だと言う。当方が学生時代と会社員時代にスペインに住んでいたことがあると言うと、その男と意気投合して、直ぐにエンジン・オイルとオイルフィルターの交換をしてもらった。
通常のオートバイ店だとエンジンオイル交換の工賃だけでも150豪ドル(約1.5万円)する。 2.2Lのオイル代を含めれば200ドル(2万円)以上するだろう。
問い合わせしたオートバイ店の中には、エンジン・オイル交換だけは行わず、エンジンオイル交換と簡単なバイクの検査のセット価格が350豪ドル(約3.5万円)と費用見積もりをした店もあった。
しかしながら、このスペイン人には175豪ドル(約1.75万円)でオイルとオイルフィルターの交換(交換部品は持参)、更にチェーンの清掃およびチェーン・テンション(張り具合)の調整をしてもらった。
シドニーの投宿はNomads Sydneyというドミトリー形式のホステル(一泊50豪ドル=5千円)
(エンジンオイルとオイルフィルターを交換後、チェーンを張り具合を調整する前にチェーンを洗浄する。)
(オーストラリア在住12年のスペイン人Francisco Garrido氏。スペインのガリシア地方出身。オーストラリアは全てを受け入れてくれて居心地良いと言う。)
シドニー2泊目(一日市内観光観光)5/12
シドニーを地図で見ると湾が陸地の奥まで入り込み、市街地が大きい。
実際、前日オートバイでゴスフォードの町からシドニー入りをしてオートバイショップを探している時には湾に架かる大きな橋を2回程通過した。
こんなに大きな都市なのに2泊しかぜず観光ができるだろうかと思ったが、当方のような外国からの観光客が訪れる場所は限られている。
19世紀の港や倉庫等の港湾設備があったザ・ロックス(The Rocks)と呼ばれる旧市街とハイドパーク(Hyde Park)周辺から世界遺産のシドニーオペラハウスに至る場所とジョージ・ストリート(George Street)と呼ばれるザ・ロックからビジネス街を通り内外のブランド店等が並ぶショッピング街だろう。
午前9時から市内中心部の投宿先から歩きながら、市内見物を始めた。前述した界隈を駆け足で回ったのだが、結局この時期の日没時刻の5時まで歩き回っても、時間が足らなかった。
ショッピング街には日本のユニクロや良品計画のMUJIの店舗もあった。ユニクロでは同じような商品でも日本の2倍近くの価格で販売されていた(オーストラリアの個人所得が日本の2倍あるので、所得比較では日本と同じ価格となるが)。
ウルトラライトダウンのベストが100豪ドル(約1万円)。これで売れるのだろうか?
MUJIの店舗では店内の客数に人数制限を設けており、店舗の外で列を作って待って入店を待っている客が数十名いた。当方は良品計画の株主でもあるので、店舗の中を見てみたかったのだが、入場制限のため入れなかった。
(ハーバー・ブリッジから見たシドニーのオペラ・ハウス)
(シドニー・ハーバー・ブリッジを見る。日曜日の昼下がりは観光客がリラックスして、生バンドを聞きながらビールや食事を楽しんでいた。)
(シドニー・ハーバー・ブリッジ。この鉄橋の頂上まで登るツアーもある。)
(オペラハウスから見たビジネス街の高層ビル群と観光船がでる写真奥の波止場)
(波戸場付近にあるザ・ロックス=The Rocks地区の元倉庫を使ったショッピングビル。横浜市の赤レンガ倉庫のような存在だ。)
(シドニータワー。高さ260mの展望台がある。)
(シドニ湾入り口にあるミセス・マクワイリー・ポイント=Mrs. Macquarie's Point から見た100年以上前の写真)
(上の写真と同じ場所から撮影すると100年以上前にあった島がない)
(シドニーのASX証券取引所ビル。写真を撮った際には博物館の職員に現在は証券取引所としては使用されていないと聞いたが、インターネットで調べると依然使われているようだ。どちらが本当か判らなかった。)
以上