今回の入院は、「食べること」が大きなテーマだった。何しろ絶食期

間が12日間(バターボーロ、キャラメル、カンロ、水分は除く)に及び、

その間の栄養補給は点滴だけ。おかげで体重が10キロ減った。病

気で痩せるダイエットだ。ウレシくも何ともない。急激に体重が減った

ためか、まともに歩けず、頭はいつもがかかったようにボンヤリし、

シリアスなことを考えられなくなり、コケ、目つきが悪くなり、かつ

てない程に体力が落ちた。背も縮んだうな気がする。かつてビート

たけしが「食べることと出すことが自分で出来なくなると、その人はダ

メになる」というようなことを書いていたが、通りなのだろう。24時

間点滴でオシッコ袋ぶら下げ状態ならダメダメ状態ということだな。



そのオシッコ袋だが、オレは本当に忌み嫌っていた。看護師に向けて

「この医療行為を患者の承諾なしに行うのは患者への冒涜だ」とまで

言った。アホだから。しかし、なんと! この袋にもいいところがあった

のだ。当然かつ唯一のことだが、オシッコに行かなくて済む。というこ

なのだ。とくに夜中に尿意で目覚めたときや、読んでいる本が山場

差し掛かったときなど、トイレに行かなくてもいい、勝手に出ていって

れるというのは、今にして思えば画期的なことだった。


話は変わるがオシッコ袋が取れた後、オレは尿瓶で尿量を量るように

言われていた。トイレのたびに倉庫(各自の尿瓶がこちらに口を向けて

整列している)から尿瓶を出し、便器の前で尿瓶に尿を取り、排出量を

確認し、尿瓶を洗って倉庫に戻し、手を洗ってベッドに戻り、ベッドの脇

に張り出された排出量記録表に記入するのだ。それによると1日の最

大排出量は5リットルだった。多いのか少ないのかは別にして、面倒

ことこの上なかった。毎朝10時に看護師さんがそれまで24時間の

出量を合計しデータとして記録していくのだが、退院が近づくと、

その集計転記業務もおろそかになるようで「ハイハイ」の一言で終わっ

たり、チラ見で終わることもあった。別にオシッコの量を誉めて欲しくは

ないが、それなら「いっぱい出てます」の自己申告で良いと思うのだ。



その他、メカゴジラ退院後のイビキチャンピオンとは少し会話するよう

なり、オレと同じく絶食→飴玉OKの道を辿っていた彼とは、手持ち

の水溶性糖分補給用菓子の交換を何度か行った。女子中学生かとい

うのだ。これは、引きこもりがちな入院生活の中でのスキンシップだ

いえるだろう。それがどうしたといわれれば、返す言葉はないけれど。


ちなみに絶飲食→絶食+お茶、水、スポーツドリンク+飴、と徐々に

膵臓への負荷を大きくするにつれて、点滴の量は減っていく。入院し

た当初お徳用巨大点滴を両手にしていたのが、回復に伴い口から

水分を取れるようになり、点滴が片手のみになるか、お試しサイズに

なったりする(お試しサイズはウソ)。その変化は何がどれだけ回復し

たかがわかりにくい内臓疾患の病人にとっては大きな励みになった。

社会から隔絶された患者には、些細なことが嬉しかったりするのだ。



今回は水っぽい話に終始し、時系列に沿った具体的な出来事が書

なくなってしまった。ノーアイデアで書き出すとこうなるという、悪い

見本だ。次回は少しだけでもなんとかしたい。 ではでは。





前述のイビキバトルは、メカゴジラが退院の後はナンバー2がトップを

取り続けた。オシッコ袋が取れた日の夜にその恐怖を体験したオレ

は、途中でまともに寝るのをアキラメた。誰がなんと言おうが枕もとの

灯りをつけ、読書に耽ることにしたのだ。イビキぐらいで本人を起こす

ことはできないし、看護師を呼んでも問題の解決にはならない。隣の

ベッドになったのが残念なだけで、誰が悪いのでもない。彼も腹痛に

苦しみ、かなりの量の座薬を処方してもらったりしているのだ。が、そ

れで彼が看護師に「ぜんぜん眠れません」というのはなぜだ。眠れ

いのはオレだ。みんなが知っていることなのでハッキリと言うが、




眠っている君のせいで、オレが眠れないのだ。




しかし、イビキなんてカンタンに治るもんじゃない。したがって13日の

ならず、11月14日からもずっと、退院するまでオレは苦しんだの

だ。彼は今までも多くの人々を苦しめてきた。そしてこれからはもっと

多くの人々を苦しめ続けるだろう。コレがイビキバトルの真相である。





こんな感じで外因性の睡眠障害はあるものの、オレは完全に回復基

調にある、と自分で判断した。そこで改めて、2週間よりも早く退院し

やると決意を新たにし、バターボーロとお茶の日々を過ごすことに

たのだ。よって闘病の苦しみは「咀嚼が出来ない」ことに集約され

た。腹は減るが取りたてて苦痛は感じない。それより絶食のおかげ

で、便通がまったくないということの方が、便利でありがたい。実際、

入院してから一度も便通がない。便秘でもない。腹に何もないので

何も出ないのだ。病院側もそれを心配する様子もない。


くつろいだオレは、余裕をかましてバターボーロを3個連続でなめなが

らマンガを読もうとしたそのとき、なつかしの便意がやってきたのだ。



てなわけで、次回からの報告もこんな感じで続いていきます。では。





まだまだこの日の報告は続く、とはいっても事件が目白押しにあった

わけではない。ゆるい時間の中、ポツポツ小さなイベントが発生し

いただけなのだが、何しろ下界の慌しさから隔絶された病人生活

である。ひとつひとつのイベントに大きな意味を感じてしまのだ。

このとき病室にはオレと同年代が1名、60オーバーが2名の4名が

入院していた。そのうち同年代は同じく絶食中。夕方、還暦組が食事

をする音をやや疎ましく耳にしながら大人しく本を読んで過ごす。



そこに友人代表1号が登場。巨大なカバンに「鋼の錬金術師全20巻

(当時発売分の最新まで)」を持って登場。狂喜乱舞。非常にわかり

にくい道なのに仕事の都合をつけバイクで来てくれたのだ。ありがた

い話である。多大なる感謝。ベッド脇の小空間は一瞬にしてマンガ本

で埋もれた。1号と病室でライトな会話。そのうち彼が同じ症状で入院

した幼少期の話を聞く。モチロン症状が同じなだけで原因は同じでな

い。幼少期から酒で膵臓を壊す奴はいない。聞くと入院期間はやはり

1ヶ月ほどかかるのでは、とのこと。ショックを隠し、次回にドクター

来たときの質問事項になるような情報を記憶に残す。面会終了時

近づいたので点滴スタンドと三人連れで建物の外まで送り、入院

生活初めてのタバコを吸う。これも歩けるようになった者の特権だ。

ぞとばかりに大いに享受した。日を改めまた来るという彼に感謝

し、病室に戻る。その後は目立った事件もなく、今までになく明る

キモでベッドに入った。今後に期待できるコトが続いた日だった。



好事魔多しとはよくいったものだ。RCサクセションも「いいことばかり

ありゃしない」と歌っていた。確かあの歌は「あの娘が電話をかけ

てきた」とハッピーな内容になり「働いて眠るだけ」というシンプルな

ライフスタイルを歌い上げていたはずだ。オレの場合は眠れなくなっ

た。40年以上生きてきた中で、最強の「いびきかき」とそのナンバ

ー2の仕業だ。最強は還暦組窓側。コレは凄かった。メカゴジラなの

だ。一般的にいびきは片道派と往復派に分かれ、往復派は必然的

に迷惑度が片道派の200%になる。しかし往復派でも息を吐くときは

音程が下がっていく。ヒトは肉体構造的にそうなるのである。しかし

還暦組窓側は違った。息を吐き、横隔膜の運動が収まってきても、

金属音が混じった音で音程が上がっていくのだ! しかもインター

バルなしで! この人は翌日には退院したので1日しか観察できな

かったが、たぶんイルカのように背面か後頭部、または頭頂部に排

気口があり、そこから呼気を排出しているはずだ。そのときのエグ

ーストが金属的に鳴っているのだと思われる。マフラー交換をして

ただきたい。是非とも。早急に。家族はどうしているのだろう。



ナンバー2はオーソドックススタイルの往復派だったが、そのパワー

は「ウルトラヘビー級」だった。後日彼とは会話を交わすようになった

ので多くは語らない。素直で愛想が良く、子煩悩で家族を大切にす

お父さんで、友人になったとしてもおかしくないような人物だった。

しかし、看護師が「通路からでも・・・」とか「好調時はナースステーシ

ョンからでも・・・」というようなことを言うパファーマーだったオレ

ベッドは彼のベッドと並行に2メートルほどしか離れていない。さえ

るものはカーテン1枚。至近距離である。正直まいった。オレだって

団体生活の経験はあるし、男同士でイビキがどーのこーしみっ

たれたことをいうつもりはないが、これはもうタイヘンだった。退院し

ときに一番嬉しかったのは、やはり一人で寝れることだと言いたい。


この日の出来事を3つのチャプターに分けて報告してきたが、オレも

明るくベッドにはいったことだし、この辺で終わりたい。またこんど。





これまでオレは、内科ではない病棟にいた。緊急入院ということで、

どこでもいいから空いている病室のベッドに放り込まれていたのだ。

それ11月13日の朝、キチンと内科病棟に引っ越すことになった。

相変わらず車椅子+点滴2本+オシッコ袋のままで。ドレン挿入

現場を美人女医の助手としてガン見していた看護師さんに車椅子

を押されて。




新しい病室といったって、病院に変わりはない。大人しく、医療行為

を享受するまでだ。できれば窓側のベッドで陽光を浴びたいと思う

その選択権など一切オレにはない。しかし入院していると、本当

世間が狭くなる。仕事で外にでて世間と関わってきた感覚がま

くなくなってしまう。例えば窓側のベッドに変えろとか、メシの順番

遅いとか、メシがマズイとか、味噌汁が冷えてるとか、お茶が濃すぎ

るとか、風呂の湯の出が悪いとか、看護師が早口で何を言ってるの

か判らんとか、枕が低いとか、ついついありとあらゆる小さな不満を

看護師にぶつけうになる。オレはそんなこと言わないけど。挙句の

果てには「看護師がスグ怒る、怖い」などとおっしゃる患者さんがいら

っしゃる。そりゃあそんなどーでもエーことを、いちいちナースコールで

言ってれば、看護師も怒るわな。あんたの身内でも怒るだろう。体が

弱り誰かに甘えたいのだと思うが、大部屋でそんなみみっちい愚痴

を聞くでもなく聞かされるこちらは堪ったもんじゃない。あんたの家族

毎日見舞いに来とるじゃないか、とも言いたくなってくる。なるほど、

人は老いると子供に還っていくのかと実感させられる。



まあ、そんな病窓百景はさておき・・・・・。




引っ越した俺に初顔合わせの看護師さんがご挨拶にいらっしゃった。

訛りの抜けない、ペコちゃん人形の顔を正面から2回、頭上から1回、

鉄板で潰したようなお嬢さんである。その看護師さんが「先生がこの

中な歩いてもいいと言ってました。それから水とお茶以外に、スポ

ーツ飲料とか飴とかは口にしていいと言ってました」とおっしゃった。

オレは狂喜乱舞しそうになったが、ググッと冷静に「じゃ、これはどー

の」とオシッコ袋を指さして、優しく看護師さんに尋ねた。重ねて

「これじゃ、歩かれへんやん」と軽くプッシュ。するとペコちゃんは「取

っちゃましょか」といってオレのスウェットパンツに手をかけようとす

る。オレは慌てて自分でスウェットをずらして「エーッ、エーッ、とっ、

とっ、取るっ、取るっ、取るってーっ、とっ、とっ、取ってもいいの?」と、

うわずりながらも出来るだけ冷静に尋ねた。しかし早口。ペコちゃん

はしょーがないなーという顔つきで腰に手を当て「だってこれじゃー

歩けんもんねー」とおっしゃってくださった。「そっそっそうっそう、歩け

んもんなんよー、ふっふっ不便なん、不便なんなん」と解放への興奮

でカミカミのオレ。ペコは光の速さでオレのトランクスをずらすと「ちょ

っと痛いかもしれんよ」といった。「えっ、何がっ」と聞き返そうとした

き「シュッ!というものすごい擦過音が聞こえたような気がした。そ

の瞬間、オチンチンの内側にまさに膵炎の腹痛並みの激痛を感じた。

思わず体全体をひねり「むう!」と小さく叫んでしまう。そのときペコは

すでに、まったく何事も無かったかのように「男は強いねー、私ら我慢

できんもん」と謎の言葉を残しオシッコ袋の撤収にかかっている。オレ

は痛みの記憶に震える下半身に衣類を着け、オチンチンから異物の

なくなったことを実感し、またもや呆然。トランクスから撤収まで2秒。





ペコ・・・、おそるべし・・・。何が何やらサッパリわからん・・・。






一部に謎が残るチャプターだが、次回はそれを解説していこう。




でも手始めに一つだけ。


入院している間、オレは納得できないままオシッコ袋をぶらさげてい

ることに抵抗があったのだ。それがこの朝、一挙に払拭されたので、

ささやかながらもタイトルをクライマックスということにしたのだ。



See you.


上手く気持ちを切り替えられたこと、ベッドの位置が窓側で日当た

りが良く気分が良かったこと、看護師さんが皆さん聡明でカラカラと

よく笑う気持ちのいい女性たちだったこと、そして何より腹痛が治ま

り回復の兆しが如実に見え出したことなども含め、入院から3日間

オレが体験したことは、良いことも嫌なことも、どれも新鮮だった




例えば、

●着替えたいというと、看護師さんはアツアツの蒸しタオルを持って

やってきて、体を拭いて着替えを手伝ってくれたりする。俺は風呂に

入れる状態でないし入院しているのだから当たり前のことなのだろ

うが、足湯までやってくれるとは思わなかった。

●内臓疾患は劇的に回復するものではないので2、3日おきに検査

を受けて病状を確認する。オレの場合は朝6時の目覚まし採血だっ

た。寝起きの寝ぼけた状態で採血・・・・・。これは病院ならではの、

常にエポックメイキングでダイナミックな起こし方だといえる。もう

二度とごめんだ。

●入院時にオレが自分で書いた(強制的に書かされる)プロフィール

を見て「音楽家なんですね、スゴイですね」と話しかけてきた看護師

さんもいた。オレはプロフィールの職業欄に「ロックンローラー」と書い

ていた。彼女はオシッコ袋をぶらさげたままのオレを車椅子に乗せ

点滴台を2本転がし(1本はオレが持った)、病室から心電図を見る

部屋まで往復してくれた。そして大きなお世話な話なのだが、彼女

は父親がオレと同年代だと言った。

●前述の洗髪をしてくれた看護師さんたちは、すすぎの途中でオケ

の底を抜いてしまい病室を水浸しにした。彼女らは即効で院内に

めている清掃会社を呼び、どこかに消えた。オレが悪いのか。

●11日の夕方から、水かお茶の摂取が解禁になり11月12日から

はオシッコ袋がスグに満タンという有様で、看護師が尿を捨て来る

と、毎回「あら、いっぱい出てますねえ」といわれ、とてつもなく恥

かしい思いをした。絶食中で便通が無かったのが幸いである。


車椅子+オシッコ袋+点滴台2本でおれをCT撮影室まで運んでく

れた看護師さんがいた。オケの底を抜いた看護師さんである。


などとエピソードを挙げていけば枚挙に暇が無い。しかしオレは、環境

激変に伴い生活リズムを壊し、24時間のべつ幕なしにウツラウツラ

していた。いつでも寝ぼけ状態だった。だから許せたのかもしれない。

退院した今でも、いや入院する前でもボケているのは変わらないかも

しれない。体を壊すまでムチャをするのはそれが原因なのだろう。




12日の晩は兄夫婦が来てくれた。わざわざ事前にオレのマンション

によって着替えなどを取ってきてくれたのだ。二人とも仕事終わりだと

いうのに、本当にありがたいことである。ボケてるわけにはいかない。

頼んだものは携帯電話の充電プラグ、スリッパと水筒。文庫本2冊。

いしいしんじの「ポーの話」とロバート・B・パーカーの「背信」だ。現実

世界に生きる二人との会話によって、徐々に頭がハッキリしてくる。

容態の確認と今後の大まかなスケジュール調整を行う。病院側は具

体的な退院日を、例え目処でも目標でも決して口にしない。責任問題

になるからな。立場は判るが、この根性なしめと思ってしまう。オレは

の回りの世話をしてくれる看護師には気を許しても、入院のジャッジ

下したドクターには打ち解けていないのだろう。命を救ってくれた人

のかもしれないのに、本末転倒とはこのことだ。やはり相当ボケて

るのだろう・・・・・。





通院から入院という長い一日が終わって、翌11月11日。入院させら

たものは仕方が無い、と割り切って、それなら一日も早く退院して

ろうじゃないか、と考え実行した。つまり医師の指示には徹底して

従い、看護師には従順に振舞い、ココロ穏やかに過ごす。日ごろの

オレとは正反対だが、精神面肉体面ともに、一刻も早く回復してやろ

うと思ったのだ。二週間を切って退院してやると、決意したのだった。




それというのもオレの状態は、体から出ている3本の管が、体の向き

変えるだけで絡まってしまうパスタ状態で、そうなると点滴ポンプが

止まり、ピーピーピーピーと闇雲に異常を知らせ、その度に看護師を

呼んで可及的速やかにポンプをリセットしてもらわないといけないし、

自力で歩ことはモチロン不可能だし、着替えなどの日常行為もまっ

たく出来ない。余談だが点滴を両手にしたまま着替えが出来るのは、

たぶんMr.マリックかセロだけだ。当たり前だが袖が抜けんのだ。

は戻って、つまり自分じゃ何もできん寝たきり状態なのだ。看護師の

仕事は、そんな患者に適切な医療行為を施し、なおかつ患者が快適

な入院ライフを送れるよう気を配ることである。それなら患者も看護師

も気持ちよくコミュニケートできるようにしたいもんだ、と考えたのだ。




これは実行してみると非常に快適であるのが判った。自分自身がポ

ジティブな考え方になったし、周囲のオレへの待遇が親切モードへと

変わっていったのだ。例えば洗髪は、ベッドに仰向けに寝たまま美容

院状態で、看護師が二人がかりで必死になってやってくれたのだが、

クレームの多い患者は「胡桃沢さん(仮名)は自分で出来るでしょ」

どと、冷たく突っぱねられるということがあった。一人では背中も掻け

ないオレは、その光景に震撼した。そしてより過剰なサービスと快適

な入院ライフを求め、周囲に愛嬌を振りまくことを最優先としたのだ。





オレの日常にはない、そのような行動規範を実行することで、オレの

精神はズムズムと現実と夢の世界の境界に侵入していった。病院

での毎日が夢のように感じられ、入院前の世知辛い現実からのモラ

トリアムのように感じていたのだ。24時間ツラツラと、寝ては夢おき

てはうつつ幻の、的な世界に過ごし、身の回りの世話は看護師に

任せる生活は、真面目にコツコツと世間と渡り合っていくという当たり

前の考えを、徐々に消し去ろうとしていた。危険極まりないことだ。

社会復帰できなくなる。しかし腹痛が治まったオレは、この奇妙な

入院ライフが強制的に始まったことに、順応し始めていたのだろう。





体の自由が奪われ、ココロの均衡が乱れてゆく。兄に携帯メールで惨

状を伝えた頃には、点滴は左腕にも刺さっていたし、これがまた激痛

だった。ドクターは「両手に24時間点滴をしてドレンをしてもらいます」

とおっしゃった。のっぴきならない状況に追い詰められ、社会と隔絶

されていくのを感じ、それにつれてどんどん現実感が失われていく。




ましてやドレン挿入(オチンチンに管を挿して24時間強制的に排尿さ

せることで、これが入っている間はズーッとオシッコ袋と一緒に暮らす

ことになる)は、ガキみたいなことを書くが、かなり屈辱的だった。


そして最もココロが千千に乱れたコトバがある。この一言で入院せざる

をえないのか、とあきらめもついたが、沸々と怒りが湧きあがったのも

事実だ。それがこれだ。











朝一番から並んで、散々待たされたのは仕方ないにしても、そのまま

入院して1ヶ月も家を空けろというのか。それを先に言え、というのだ。

せめて一日準備をさせろというのだ。オレは一人暮らしなのだ。家賃

や各種料金の支払い、着替えの準備、郵便物やメールの処理、ガス

水道の元栓など入院前にしなければならないことが山盛りなのだ。

事前にこうなることを知っていればチャンと受け止めただろう。それが

緊急とはいえ心の準備すらなく、オシッコ袋をぶら下げたままで1ヶ月

だと! そこでオレの頭は思考を停止した。ドレンに関して書けば、

措置を施してくれたがまたスゴイ美人の女医さんだったことや、オレ

が思い出しただけでもチヂミアガルような激痛に耐える中、「あれ、

入れへん、あれ、あれ、エイ、クソッ」などとつぶやきながら何度も

やりなおしていただいたことなど、今なら鉄板ネタなのに、そのときは

茫然自失、ネタにする余裕はなかった。それは








のだ。インフォームドコンセントが、満足できる内容でなかったのだ。

ドクターの取った判断は正しくオレの感情は駄々をこねるバカ親父的

なものなのだろう。が、馬鹿なオレは「ハググググ」と半分は呪い、

半分は「夢なら醒めよ」という祈りのコトバをつぶやいていた。しかし、










というのが世間の常識である。兄が病室に来てくれたときには、

すっかり病人さん一丁あがり状態だった。しかも






絶飲食・・・




という情け容赦ないご沙汰。ここにいたってココロは大きな音をたてて

折れた。オレは朝から何も食っていないのだ。それまで食欲はなかっ

たものの、いざ食ってはいけないし水さえ飲んではいけない、といわ

れると、それって人間としてどーなの、と暴れたくもなってくる。膵臓を

休めるためには口から一切のものを摂取してはいけない、と教えられ

ても、そうカンタンに、了解しましたとはいえない。フツー体が弱ったと

きには、食えるものを食って体力の回復を図る、と教えられその教え

に従ってきたオレにとっては、根源的に馴染むものではないのだ。




ドクターは兄に「今からの容態を診て、悪ければICU(集中治療室)

です」などと、結構嬉々として病状の説明をしておられる。ワシは戦闘

意欲すら失せ(ここまで、ヤヤ頑張って逆らっていたのだ)、呆けたま

ま、オシッコを垂れ流している。やがて兄が帰り夜を迎えて他の患者

が食事をし看護師が職業的心配顔で「何か困ったことはないですか」

と次々に顔を出すようになった。さすがに「全部困ってます」などとは

言わなかったと思うが、ダダをこねていたのは容易に想像できる。

両手に点滴、チンチンにドレンの管、では寝返りすら打てないのだ。

また持続点滴は、バッテリー式のポンプで液を強制滴下させるように

なっており、管に水泡が出たり閉塞したりして滴下が止まったときは、

「ピーピー!」とやかましい電子音でお知らせしてくれるようになって

いる。腕を曲げると閉塞することがあるので、鼻クソもほじれない。

グッタリ疲れたオレは、コンタクトレンズをはめたまま目を閉じた。



この状態で1ヶ月だと。早くて2週間だと。グッスリ眠れるわけなどなく

悶々と過ごす夜が始まった。長い1日はようやく終わろうとしていた。











すべての祈りはどこにも通じず、呪いは常に倍返し

今朝は自分の足でここまで歩いてきたのに、わずかその数時

間後に、なぜ、1ヶ月間も危篤患者のような状態で過ごさねば

ならなくなるのか、が理解できず憤っていた

入院期間は普通1ヶ月くらいです。早くて2週間かな。

まずはドクターが処置室に駆け込んできた。「CTを撮ります。時間が

ないから取りあえず急いでください。で入院しましょう」とおっしゃった。

言うが早いか点滴で不自由な右手にペンを持たされ、CT撮影に同意

した旨の書類にサインさせられた。確かにCTスキャンは現像と技師の

関係で撮影時間が24時間対応していないのだ。しかし最後の「入院

しましょうとは何だ?」と訝しがるヒマもあらばこそ、ベッドごと院内を

ゴーゴーと撮影室に運ばれ、造影剤を注入され、点滴をぶら下げたま

ま、あっという間に撮影された。撮影室で看護師が交代。新しい看護

師は入院病棟の夜勤の看護師だったことが後になってわかる。オレ

この時点で、身柄を拘束されていたのだ! ベッドは再び診察室

運ばれ、そこでドクターの所見は「急性膵炎で重篤な可能性があり

す、このまま入院してください、ついては手続きをスグにしないといけ

ないのでここにサインしてください、症状については後で説明します、

時間がないのでとにかくサインしてください、サイン、サイン、サイン、

サイ、サイ、サイ、サイ、ササササイン」と、まるで悪徳金融機関のよう

に目を合わせずにただただサインを迫るのだ。その迫力に圧倒された

バカなオレは、不自由な手でサインをしながら、まだ油断していた。



今回は入院するつもりはまったくなかったのだ。しかし百歩譲って入院

致し方ないだろう。それならばだ、こっちも腹をくくってだ、いったん

に帰りタバコ吸ってメシ食って酒飲んで兄に電話して、でそこから

もう一回病院にればいいじゃん、くらいに考えていたのだ。そこで

「じゃ、いったん家帰って準備します」というとドクターはキッパリと、

オレの目をしっかり見ながら「ダメです」とおっしゃった。




何でも、家に帰って飲み食いしたら体調がどうなるか保証できない、

倒れる、昏倒する、死ぬなど事態は予測できないということなのだ。

オレの行動パターンなど、初顔合わせでも読まれまくっていたのだ。




重篤かもというのは、オレには自由はないということだったのだ。




事態がまったく把握できず、混乱の極みに突き落とされたままベッド

はゴーゴーゴゴーゴゴーゴゴーと入院病棟に運ばれ、途中看護師に

「身内の方にスグ連絡してください」とか「仕事関係の連絡は大丈夫

ですか(身柄を拘束しておいて大丈夫かもクソもネーだろ!)」などと

聞かれながら、オレは力なく「ダメだこりゃあ」とつぶやいていた。

しかし、直後に人生最悪、貞操の機器が待ち構えていたのである。





2泊3日の保護期間を終えて兄宅から帰ってきたのは、9日の夜だ

った。実際、非常に世話になった。この先、まだ迷惑をかけることに

なるとは、この時点では判らない。オレは明日に備えて準備をした。

兄宅に行くとき、もしやの事態に備えて泊まれる準備をしてあったの

だが、その補充をし、朝一番から総合病院へ診察を受けに行くため、

早めの就寝。腹痛はさらに穏やかになり、自分で主導権を握ったつ

もりでいた。明日の作戦は「キッチリ検査を受けて、どこが悪いかを

シッカリ聞いて、それを自分で治すための方法を聞いて実践する」

ってこと。金も仕事も無いのに入院なんぞしてられる訳がないのだ。



そして11月10日。早朝から意気揚々と目を覚まし通院に備える。

各種検査の結果をクリアに出すため、あえて朝食は摂らないという

殊勝かつポジティブな姿勢で荷物をもって家をでる。電車に乗って

シャトルバスに乗って8時受付開始時間に到着すると、すでに多く

の患者が待っている。手続きを済ませ9時診察開始、順番待ちで

10時10時半と時間が経ち、空腹を感じている自分に驚く。「これ

は絶好調じゃないか」と。やはり人間は食って動いてが基本だ、

などと浮かれつつ、辛抱強く待つ。やがて診察室に呼ばれドクター

と対面。症状を告げるも暖簾に腕押しな反応。触診は飛び上がる

ほど痛い。採血と検尿を言い渡され退出。検査結果が出たら再度

呼ばれることになる。結果待ちの気が遠くなるような時間にも空腹

が襲ってき、今日は診察が終わったらまずは腹ごしらえをしようと

企みつつ、14時頃だったか再度診察室に呼ばれる。ドクターは

一人で検査の数値を睨みながら「良くないな」などとおっしゃる。

こちらは回復基調にあるつもりで「なにをおっしゃるウサギさん」

などと言いたい気分の中、レントゲンを採ることに。このために今日

は食事をしてないのだ、とわが意を得たりな気分でレントゲン室に

行き、とっとと済ませる。現像が終わるが早いかスグに診察室に

呼ばれると深刻な顔つきのドクターはオレの顔をろくに見もせず、

「点滴しときましょか」などという。「なんだこの対応は」と思いつつ

も、点滴が終われば今後のお話を聞いて今日は終了だなと安堵。



点滴待ちでベッドに寝っ転がっていると、看護師さんがブルーな

顔つきでドクターと話している。「えっ、持続点滴ですか?」「そう、

持続」と聞こえる。ベッドに放置か? と思った頃に看護師さんが

哀れみの表情でやってきて、何気に「はい、チクッとしますよ」と

いつもと変わらぬ点滴の常套フレーズを口にすると、まさに刺す

ような痛みがビビビッと走った。看護師さんの申し訳なさそうな顔

は「ごめんね、これはドクターの指示だから。でも本当に酷いこと

になるのはこれからよ、かわいそうに」と告げていた。オレは訳も

判らず「何なんだこれは」と、自分のペースが大きく乱れつつある

のを感じていた。そしてまさかの大ドンデンが、一気に始まった。





この腹痛が始まって、ようやく医学という権威に「よく判らない」という

お墨付きをもらった訳で、これでオレは少しだけ冷静さを取り戻すこと

ができるようになったのだと思う。というか痛みがさらに治まったことも

あり、少し余裕が出てきたのだろう。町医者に点滴を打たれている時

にウトウトできたのもラッキーだった。点滴の最中に寝ぼけて体が




ビクン





と跳ね上がったのもお愛嬌だ。点滴の針が抜けるかと思ったが・・・。



そのようにして11月9日も引き続き兄宅にお世話になり、食事はオレ

だけ別メニューでお粥を用意してもらい、入浴もし、一日ゴロゴロとする

という贅沢な休息を取らせていただいた。あまつさえ、この日の夜には

オレの家まで車で送ってもらい、スープやお粥などもいただく、至れり

尽くせりの待遇だった。とてもとてもありがたいことである。固形物を

腹に入れたことで絶食は3日で終了し、足にも力が入るようになった。

自動的に明日の作戦は決定だ。朝一番に以前も入院したことのある

総合病院にいくのだ。自分の足で。電車とバスを乗り継いで。必要な

モノを持って。