体に拘束された部位はない。明け方とは一転、午前中には病室の大きな窓から冬直前の最後の暖かい陽射しが差し込み、絶好の散歩日和となっていた。
ここまで書いて保存しておいたら、PCが壊れた。このところ処理速度が遅くて困っていたのでハードがヘタッタか、と思っていたら、案の定そうなった。堪忍な。
体に拘束された部位はない。明け方とは一転、午前中には病室の大きな窓から冬直前の最後の暖かい陽射しが差し込み、絶好の散歩日和となっていた。
ここまで書いて保存しておいたら、PCが壊れた。このところ処理速度が遅くて困っていたのでハードがヘタッタか、と思っていたら、案の定そうなった。堪忍な。
またしても何も考えず書きだしてしまった。20日の行動や事件を思い出せない。だがそれはきっと、たいした事件がなかったからなのだろう。かろうじて思い出すのは、明日に備えて身の回りの品を片付け始めたことだ。そう、翌日は退院なのだ。外気温が10度を超えるくらいの寒さになっている。この病院に訪れた日は、セーターだと汗ばむくらいの陽気だったのに。10日ばかりの間にスッカリ季節まで変わってしまった。そしていろいろな事件があった。精神的なアップダウンも経験した。だが肝心の謎は解けていない! 本当にオレは死にかけていたのか、という問題だ。でも、それも大したことではないように感じられる。目を閉じればいつでも眠れてしまう。「イビキング」(ゴロがいいのでこちらの名前を採用)が寝かさないからだ。このベッドに長居するのは脳神経外科的に危険だ。睡眠障害を起こしている。退院したら膵炎のことをユックリ調べようと思う。他にも洗濯、掃除、郵便物やメールの整理、冷蔵庫の中身の整理、食料の買出し、金をめぐる関係各所への連絡および手続きに必要なものの準備など、考え出したらキリがない。なのに焦りがない。退院したら自分一人しかいないのに。でもユックリやればいいわ、と開き直っている。その原因も判っている。
病院時間だ。
このマッタリとした時間の流れがすべての病室内を包み込み、現実世界を遠ざけているのだ。48時間以上の寝たきり生活で、足はスッカリ弱ってしまった。体重は10キロ減った。顔が縮んでシワだらけになった。手の甲もシワシワだ。病院食を食べるようになって新陳代謝が始まったのか、手の指の皮がベロベロにめくれあがった。点滴のアザは相変わらず現代アートのように目を惹いている。こんな状態で外出はできない、ましてや人に会うなんてとんでもない、という有様なのに、マッタリしたまんまやったんよねー。
2回目の入院ということで、1回目と同じ轍は踏むまいと秘かに心に誓っていたことがある。退院時に余計なものをもらわない、ということだ。前回、退院前に病棟内を探検と称してウロウロしていたのだが、どうやらその過程でトンデモナイものをもらってしまったらしい。
水疱瘡(みずぼうそう)のウィルスだ!
まずはみんなに「お前は子供か!」とバカにされた。オレは幼少時に感染していなかったのだ。こやつの潜伏期間は10日から20日。発症する10日から20日前にオレは病院から脱走などしていない。近所の学校で水疱瘡がブームになっているという話もない。感染源は病院なのだ。肝臓を壊して入院して会社を休み、その10日後に水疱瘡で会社を休む、致し方ないとはいえ社会的にアホの烙印を押されてしまった。コレと同じコトを繰り返したりしたら、オレはもうダメだと思った。周囲の人間も思うだろう。そうならないためにオレは病院内でも手洗い、うがいを繰り返した。タバコを吸いに行っては、帰ってきてうがいをした。世間ではコレをマッチポンプというだろうが、精一杯のことをやっておるのだ。おかげさまで余計なものはもらわずに帰宅し、生活に戻れた。唯一頂いたのは喫煙スペースで拾った病院のボールペンが1本だけ。4色ペンがほしかったのだ。
点滴がはずれたオレは有頂天だった。もともと有頂天になりやすいお調子者なのだが。で今までのように看護師さんに「足を洗ってほしいのじゃがご都合はいかがかな?」とたずねてしまった。彼女は少し考えて、冷静に、「それよりシャワーにでも入ったほうがさっぱりするんじゃない?」と答えた。尤もだ。100%の正解である。オレはいつまでも要看護な患者のつもりでいたのだが、両手両足が自由なら自分でシャワーにも入れるのだ。シツレイシマシタ、と入浴準備にかかるが、シャンプー、石鹸などが一切ない。むう、と悩んだ末に、これは看護師さんに頼んでどこかから調達してもらった。そんな、もう退院だっていうのに携帯用とはいえお風呂セットを買うのも馬鹿馬鹿しいじゃないか、というのがオレの言い分だ。そしてシャワーに。何日ぶりか忘れるくらい久しぶりの熱いお湯で、溜まっちまった汚れや、汚れちまった悲しみを洗い流す。人並みの生活のありがたさを実感し、感じ入り、噛み締め、かつそのアホさゆえにスグに忘れてしまった。晩飯はヤッパリお粥。まだまだ人並み以下なのだ。記憶力も含めて。節操のなさも。
そんなこんなで日付は変わり11月20日。昨日シャワーに入り最後の着替えを使い切ったオレは、それなのに安心していた。友人代表1号様がオレの洗濯物を洗濯して干して、着用できる状態で持ってきてくれる日なのだ。いやはや、ありがたいありがたい。彼も一人暮らしで大病を患った経験があるらしく「困ったときはお互い様ですよ、普段はこんなこと死んでもやりませんけど」とサラッとおっしゃる。当たり前のことを当たり前のように。年齢なんか一回りも下なのに。見習いたいもんです。で、夕方前にデリバリ終了。彼はこれから仕事だと去っていく。見習いたいもんだ。しかし彼はマンガ、アニメに精通する博覧強記の人なのだ。これは見習いたくない。まあそれ以外にもF1、車、バイク、自転車、料理などに色々あるんだけど。
おかげさまでシャワーへ。今日もお風呂セットを借りようと思ったら、本日担当の看護師さんはそれら一式を探してくれたのだが見つからず、「そーゆーのって個人でもってきてもらうことになってるんですよねー」とおっしゃった。これも正論である。しかしながらオレのココロモチとしてはだな、「お困りの患者さんにお貸ししたいのはヤマヤマだが、それらのものは見つからない、今日のところはご自身で何とかしていただきたい」と言ってほしかった。何も病院でお役所のような杓子定規の答えを聞きたくはないのだ。日本に根付く「まずは謝る」という文化は海外ではヒドイ目にあうそうだが、それで人間関係がうまくいくならイイんじゃねーかな、と思う。モチロン彼女の言っていることは正しいんだけれども。それはさておき、問題のお風呂セットは隣ベッドの「イビキチャンピオン」に平身低頭でお借りした。何しろ彼のお子様は「折り紙」が大好きで、何を隠そう昨日このオレはいただきものの折り紙セットを彼に進呈していたのだ(送り主の了承済み)。あまつさえ折りよく、彼の奥方が当のご子息とともにいらっしゃり、仲睦まじく「折り紙遊び」に興じておられたのだ。ふん、コレでは敵も断れまい。根回し成功、交渉成立。はあ、こんなことでは
立派な人間にはなれそうもない。
何故こんなにお風呂セットの購入を嫌がるかというと、オレは翌日退院することに決まったからなのだ。「どーせ、家でも使えるから」などといって安易に購入してはいけない。そんなものは洗面台の下の戸棚に入ったまま、永久に使われることもなくゴミになるのだ。同じようなことがホテルのシャンプーなどにも見られる。人間、安易に持ち物を増やしてはいけないのだ。いつか使えるものは永遠に使わないものなのだ。だから基本は自分で何とかする、だ。創意工夫で自活するのだ、って他人から借りてて言えることではないけれど。
さて、入院生活も食事は全粥のまま最終章に突入しようとしている。だがこの日、他にあったことが思い出せないので、この日記がいつまで続くのか判らない。判らないというのは困ったことだが、判らないといことはハッキリ判っているのだ。自分で書いておきながら主体性がないのだ。もっとも文章を書く行為は、先が見えないものなのでそれでいいのかもしれない。きっとそれでいいのだろう。いや、それでもまあいいか、というレベルでOKなのだろう。
文章が乱れてきましたので今回はこの辺でオヒラキで、ででででデデ、でデ。でデデ。ででデデデ。ではまた。
オレが入院するのは2度目で7年前のことだった。酒から肝臓という黄金リレーでお世話になったのだが、当時の担当医が今は部長職に就いておられる。若いが有能そうなドクターで「次に飲んだら必ず死にますよ」と、諭していただいたものだ。今回は酒から膵臓という陰の黄金リレーで、健常者になじみはないが致死率50%(病状による)というオマケがついた。今回のドクターも若く無駄口を叩かず迅速な判断を下していく。有能で出世中なのだろう。そうやって月日は流れていく。病院自体も7年前は病棟内に喫煙スペースがあったり、日中は看護婦さんが「天気のいい日はカーテンを開けて日光を浴びましょう」ってなコトを言ったりしていた。タバコは判るが相部屋でのカーテン閉めっぱなしというのは、プライヴァシーを重視するようになった結果なのだろう。以前には体中に刺青の入ったジジイが、自分の病気自慢を一日中していて閉口させられたが、今では考えられないことである。他には入退館のセキュリティがべらぼうに厳しくなった。今では夜8時から朝7時は一切出入り禁止である。モチロン急患は除く。以前と変わらないものもある。この病室の窓は東向きで壁全面の掃き出し窓で、天気のいい日の朝にはいつも荘厳な日の出が見える。今回もそうだった。で11月19日当時、日課になっていたのが朝7時までには起きて朝一番の日光を浴び一服するということだった。朝晩の冷え込みが厳しくなる中、病棟から出て陽だまりで震えながらタバコを吸うという、どこまでもアホなことを日課にしていたのだ。早朝寝起き採血のおかげかもしれない。すべて二度とゴメンだ。
主治医からは今週末にも退院という内示があった。食事の全粥などズズズッとイッキにすすり飲んでしまう。便通も復活した。前途は明るい。そして、さらに明るい事件が起こった。
点滴がすべてはずされたのだ。
両手24時間から片手になり、これで晴れて24時間の点滴はなくなった。もう寝返りし放題である。院内を闊歩するのも大手を振って歩けるというものだ。便通時に狭い個室に入って点滴台をガンガンと壁にぶつけることもないのだ。シャツの袖を手首まで伸ばして着ることもできる。やはり両手が自由になるというのは素晴らしい。ただし両手ともに青、赤、紫とサイケデリックな色に染まっているが。
そういえば書き忘れていたことがある。この日に来てくれた友人代表
1号から、とてもとてもありがたい提案があった。オレの家に放置され
ている洗濯物を洗濯して病室まで持ってきてあげようかというのだ。
まあ男の一人暮らし同士で何をやってんだという話もあるが、病院か
ら出られないオレとしてはヒジョーにありがたかった。友達付合いをし
ているからと言って誰が好き好んでそいつの無人の家に入って汚れ
た洗濯物を回収し、自分の家で洗濯し乾燥し、それを病院まで届け
てくれるなんてできるだろう。「ご迷惑ではござらぬか」と再三再四の
確認をしてお願いすることにした。またしてもオレは人の世話になって
いる。それにしてもありがたいことである。持つべきは優しき隣人だ。
そして日記に戻ろうかと思うのだが、このあたりの出来事がうまく思い
出せないのだ。両腕にブッ刺さっていた点滴が11月18日以降くらい
で片腕になったと思うのだが、日付が定かでない。点滴が片腕になる
というのは、点滴の量が半分になるということで画期的なことなのだ。
また喫煙のための移動にしても格段に動きやすくなるのだから、スゴ
いコトなのだが記憶がない。やはりアホである。体がズンズン回復し
ており食事は重湯から三部粥に推移していった頃でオレは浮かれて
いたのだろう。そんなことでオレの意識は自分の体の中のことから、
下界のことへと、これまたズンズンとスライドしていったのだ。
この時期かすかに覚えているのは、病院の事務員さんに入院費用の
概算を出してもらったり、生命保険の担当者に必要書類のことや手続
き方法を確認していたことだ。アホなくせに、というかアホだからという
か、調子がチョット良くなって、あわてて余計なことを考えていたのだ。
ドクターから週末までには退院できるかも、などと匂わされていたこと
も影響しているのだろう。携帯でいろいろと電話をかけまくってみた
が、悲しいかなオレは病院暮らし。書類を送ってもらうことも出来ず、
持参してもらったにしても印鑑がない。保険契約時にどの印鑑を押し
たかなど、オレが家で調べないことには、な~んも判らないのだ。
オレは途方にくれてしまった。
そして、何もしないことに態度を決めた。「まずは体を治すこと」などと、
地に足の着いた考えからではない。「何にもできましぇ~ん」とすべて
をうっちゃったのだ。人として何か間違っているのかもしれない、オレ。
オレが入院していた病院は、朝8時から朝食だった。食事が供される
患者は、自動的に8時に起こされる。絶食組は起こされない。その
日、11月17日のオレは6時に起こされた。6時といえばオレがようや
く眠りにつく時間で、その原因は当然ながら「イビキチャンピオン」にあ
る。彼が静かになるのが明け方5時以降で、オレが安眠できるのはそ
れ以降というわけだ。「ぐむぅ~」と寝ぼけながら考える、いったい何だ
ろう、と。病院には早朝炊き出しなどないので決して食事ではない。
採血だ。
だいたいオレはこの病室で、いつ寝ろというのだ。正統派イビキチャン
ピオンは、夜が更けるにしたがってそのパワーを発揮する。全うな時
間に眠ることは許されないのだ。さすがにすごいと思ったのは、とある
深夜、彼のイビキが突然止まったのだが、次の瞬間に彼は鎮痛剤を
飲み、直後にイビキが始まったことである。イビキは呼吸か? いや
はや驚いた。そんな芸当は生まれて初めてだった。で、そんなことは
さておき、寝起きを起こされたオレは採血のために穿刺され、ズタズ
タになった睡眠の断片を拾い集めていた。時間は過ぎ、フラフラと朝
の儀式を済ませる。ボンヤリしていると時の経つのは速く、病院の食
事時間になる。オレはソソクサと屋外にある喫煙スペースへいき、爽
やかな朝の光をニコチンで汚しにかかる。変わらぬ一日が始まるの
だが、オレには希望があった。過日ドクターから、この日の朝の採決
の結果がよければ食事を始める、ただし重湯から。というお達しが
あったのだ。病室で待つうちにチンチンつながり(オレがそう思ってい
るだけ)の女医さんがやってきて「結果は良好」と告げてくれた。オレ
にとって何日ぶりの食事だろう。人は都会でも飢餓に襲われるのだ。
午前中には通りかかる看護師さんや、お茶を供してくれる「昔のお嬢
さん」たちが「今日から食事でよかったね」と声をかけてくれる。どうや
ら医局内にオレの噂が広まったかとほくそ笑むが、100%そんなこと
はない。業務通達がシッカリしているだけなのだ。そして正午、昼食
時、昨日に購入した割り箸の出番だ。ベッドテーブルをセットして待つ
オレの前に出されたのは、大きなトレイに乗った大振りの茶碗、中に
は乳白色のにごり水。ノリの佃煮の小分けパックだけだった。割り箸
は不要だった。イッキに飲み干したオレは食事を終えた。1分弱。病
院食におかわりはない。トレイを下げ、テーブルを戻し、頭を抱えたが
重湯は重湯でしかない。人は都会にいても飢餓に襲われるのだ。
空腹は人を混乱させる。オレは昨日のことを思い出した。たしか友人
たちが来てくれて、バカ話にウツツを抜かし、楽しい時間を過ごした
のだが、その直後のことを報告していなかった。友人らが帰り、病室
に戻ったオレは、奇妙な声を耳にした。やや年配の女性らしき胴間声
だ。「よろしくね」という声も聞こえる。同じ病室の患者にもそんな見舞
い客はいない。不思議に思っていると、その声が白衣を着て現れた。
熟年を5回ほど経験したような看護師さんだった。思わずのけぞるオ
レにその看護師さんは「あんた今日からゴハン食べられるようになっ
たんやて、よかったな」といい、口がふさがらないオレの返事を待た
ずに消えた。オレはこの日の友人たちへのメールに「君らのバカさが
あまりにヒドイので看護師さんが地底人になってしまった」と書いて
いた。また彼女が点滴交換の担当でなくてよかった、と不謹慎にも
思ってしまった。都会でも田舎でも病院でも、トラップは必ずある。
今回はかなり時制が乱れている。ご勘弁を。退院してから時が過ぎ、
こまかな事件の発生順序を覚えていないのだ。 では、また。
点滴などの穿刺にまつわる話題になるとついつい熱くなってしまうが、
このままだといつまで経っても退院できないので、話を先に進めよう。
11月16日は日曜日。あいにくの曇り空だが、友人代表1号が2号、
3号とともに、お見舞いに来てくれた。ざっと紹介すると1号はオレより
一回り年下の男性、スポーツマン、高学歴、高身長、好青年、独身一
人暮らし。2号は一回り以上年下のチャーミングな女性、独身、家族と
同居。3号は1歳年下の男性、ショットバーのオーナーマスター、妻帯
者。以上の3名で共通点は3号が経営する店の常連である。このオー
ナーマスターは日本アホアホ党の党首を自認しており、オレたちはす
べて構成員になっている。そんな3人がわざわざ来てくれた。二人は
休日を潰して。一人は仕事の前にわざわざ。とてもとてもありがたい。
それぞれのこの日の任務だが、1号は「鋼の錬金術師全巻」の引き取
り。3号は新たなマンガ本の差し入れ。それぞれ入院生活には欠かせ
ないものだ。そして紅一点の2号はなんと折り紙の差し入れだった。
しかもフルカラーのごっつい教則本付きで。「これで退屈な入院生活も
大丈夫ですね」と言われたのだが、思わずドン引き。まあ彼女も洒落
で買ってきてくれたのだが、それをどーしろというのだ。40才過ぎで
独身、無職のオッサンが入院中に無心に折り紙を折っていれば、また
たく間に重大事件の重要参考人として公安にマークされる。最低でも
保健所に捕獲されてしまう!
まあ、この辺りがアホアホのアホアホたる所以だろう。そんなこんなで
デイルームでバカ話に花を咲かせる。途中、3号にわざわざタバコを買
いにいっていただき、今後の入院生活のストックを蓄える。拉致された
状況をリポートし、ドレン挿入時の状況を面白おかしく話したりするうち
に楽しいときは時は経ち、友は帰る。そして折り紙だけが残される。
そういえばこの日、悲しい事件が起こった。昨日の点滴が失敗だった
のだ。またしても点滴の話だが、フリだけでオチがないというのは、関
西人としては許せないのだ。それでまずは昨日、とんでもないところに
針をぶっ刺され、直後からひどい痛みを感じていたのだが、やり直しが
イヤで我慢していたのだ。しかし針の先から直線で2センチほど先の
腕が、パンパンに腫れている。オレは怖くなってしまった。利き腕を避
けて左に刺してもらったのに、これでは意味がない。判断力が鈍った
頭で「あーでもないこーでもない」とヘタの考えを巡らすが、まさに休む
に似たりで、痛みがひどくなってくる。そこに看護師さんが現れたので
「あのー、チョット腕が腫れたりなんかしてから、これは点滴的に大丈
夫的な要素は通常の場合ですか?」と思わずシドロモドロで聞いてし
まった。看護師さんは「あー、コレは漏れてるわ、やり直しましょ」と、
問答無用でやり直しとなる。この看護師さんは新人教育の担当を務め
るベテランなのだが、口調や態度からどうもオレとは愛称が合わない
ような雰囲気がプンプンと匂う。オレはこういうことには敏感なのだ。
確かにこのヒトはベテランで院内でも幅を利かせているようなのだが、
漏れた点滴をはずすのに、べーーーーっとテープを剥がす。腕の痛さ
でオシッコをちびりそうになる。ドレンが入っていればチビレるのに、と
バカなことを考えてしまう。次のテープを剥がすのにカリカリと立てた
爪が、地肌を引っかく。針を抜いたところから血を溢れさせるなど、必
要な処置を半分済ませた段階でオレはグッタリしてしまった。針が腕
の中で動く感覚が非常に気持ち悪く、吐き気までしてきた。グッタリ
のまま残り半分が始まり、気分の悪いオレが右手を差し出しながらも
「顔でも足でも好きなところに刺してもらっていいですよ」と悪態をつく
と、いたく気分を害されたようで「左手は硬くなっててダメね、うん、右
でいこう、右ならいけるわ」とオレに聞こえる独り言をつぶやき、なん
とか終了。しかし腕にトグロはなく、ひらがなの「ぬ」のような形の管が
テープで止められていた。さらにシーツには直径5センチほどの鮮血
が染みていた。看護師さんはなんとかしなきゃ、と張り切ったのだろ
う、オキシドールをもってきてシミを拭いてくれた。お礼をいったがオレ
は一人になりたかった。穿刺の瞬間が痛くなかったのは、グッタリが
良い方向に働いて、究極の脱力状態だったからだろう。相手のおもう
ままに、なすがままにされるのが点滴の妙諦なのだろう。このように
点滴は些細な医療行為なのだが、色々な事件の温床なのである。
次回に続く。が、この日オレは1回の売店で割り箸を買った。なぜだ?
実務が伴っていなかったのだ!
下の写真はわかりにくいが持続点滴が刺さっている腕の写真。針は
手のほうから画面下向きに刺さっている。刺さってスグのところでは
管が閉塞しないよう、あえて管をトグロにまいている。管が赤いのは
逆血(ぎゃっけつ)しているから。看護師さんはこの程度の逆血なら
穿刺の続き。やはりどう考えても体の中に針が進入してくるというの
は、喜ばしいものではない。しかし西洋医学では、コレなしに治療は
成立しない。なので身を委ねてアキラメるしかないのだが、それにし
ては穿刺という行為はその底辺に、あまりにも多くの問題を抱えてい
る。そのあたりを限られたスペースでカンタンに報告していきたい。
オレのいた病院では点滴の針は3日目ごとに場所を移動するという
「世界のナベアツ」がオオヨロコビしそうな掟があったが、そこで3日
目の担当看護師の朝番は誰で夜勤は誰で、針の移動は何時に行
われるのかという3つの組み合わせが、ロシアンルーレット的にドキ
ドキをもたらしたものだった。そのあたりは例えて言うなら目覚めて
スグの占いや気象ニュースに似ている。上手なヒトが担当だと判った
ときなど、随分と気持ちが軽やかになる。しかし、上手じゃないヒトが
担当と判ると、痛みとか血まみれになるとか腕が腫れまくるといった
不幸を思い出し、気分は一気にブルーになる。これが穿刺の賭博性
に関する報告である。娯楽の少ない病院ならではの発現の仕方だろう。
次に穿刺の記憶が時間の経過と共に異なった感情に作用して、その本質
を幻惑してしまうケースを報告してみたい。ありがちだが奥深い話である。
体が辛いときは穿刺に反抗する気も起こらず「刺されちゃえば楽になるん
ですよね。ならば、ずずずっとやっちゃってください」などと従順なのだが、
体調も回復し余裕が出てきて「あのときの点滴は痛かった」などと記憶を
呼び起こせるようになるととたんに「看護師さん、点滴は痛くないところに
刺してね」と控えめながら加療者サイドにプレッシャーをかけるようになる。
だけれども、だ。だけれども、よく考えてほしいのだ。例えば歯医者。治療
を受ける前、あなたが緊張に身を固くしている時「痛いときは手を上げてく
ださい」と言われるはずだ。治療が始まり、あなたは激痛にうめき、思わず
手を上げる。そこで治療がストップしたことがあるか? 「痛みがあるよう
なので、この治療は止めて楽しく歌でも歌いましょう」などという医者が、
この世に存在するか? ゼッタイにNOだ。つまり患者はサービス提供者
に一切の自由を奪われているのだ。だから黙って身を委ねるべきなのだ。
どれだけバカな言い草を重ねても現状は変わらない。穿刺は痛く加療者
は刺し続け患者は少しでも苦痛の少ない方向へ逃げ続ける。これはもう
永遠のテーマなのだ。また穿刺問題は単に痛みだけでなく「血管に入らず
何度も抜き差しされた」とか「血が吹き出た」とか「針が体内で折れた」とか
様々な問題も包括している。実はオレもまだ報告したい事件を抱えている
のだが、永遠のテーマだけにキリがない。医療の入り口で起こるホットな
事件だけに、話題も尽きないのだ。と言うわけで通常の日記形式に戻る
ために今回はこのあたりで終了します。もうグロい写真はありません。
病院というところに長くいるか頻繁に通うなら、克服しないといけない
壁がある。言うまでもなく体に針を刺されることである。これは避けて
通れない。大の大人が予防注射を打たれる子供のように泣き喚き、
アバレまくることはないだろうけど、注射が好きな奴はいないし、イヤ
なものはイヤなのだ。だからって「飲み薬にしてください」などといって
いては採血すらできない。この「針を刺される問題」は医療にまつわ
る話の中では「行われてトーゼン」と認識され、特に長期にわたって
加療されている方や、重篤な症状の方、医療行為従事者の場合、
話題にも上らないが、治療される当人にとっては大きなウエイトを占
めるのだ。一日の目覚めにその日の占いや天気予報を気にするよう
に、イベントの始まりや終りに行われる穿刺(せんし/病気に対する
検査や治療の目的で体内に針を刺すこと)について報告したい。
そういえば、診察されてから入院して退院まで、注射を打たれていな
い。絶食をカバーする栄養も薬液もすべて24時間の点滴で行われて
いた。その点滴を刺すところの図。↓
実際はステンレスの針をポリエチレンの針が覆っていて、しかも一体
になっている。さらにポリエチレンは2センチくらい体内に入るようにな
っている。それで、①2つの針を刺す。②ステンレスの針を抜く。③体
に残ったポリエチレンの針をさらにグググッと中まで刺す。という手順
を踏むのだ。そうすれば体には柔らかいポリエチレンだけが残り、腕
への負担は少しでも軽減されるのだ。下がインターネットで配信され
たもので、世界一汚い手書きの図だ。
↓
この図で、さらに判らなくなったと思うがこれが24時間対応の点滴の現在
の姿である。いやはや医学の進歩は誠にありがたいが、それだけに患者
には思いもよらない新しい不幸を生むことになる。この点滴イタイねん!
へたくそな絵を描いて画面を汚しているうちに、タップリと時間が経ってしま
った。今回はタイムアップなので、次回も穿刺とかの続きだ。 チャオ。
闘病日記と冠しているのに前回は単なるエピソードの羅列で終わってしまった。初心に帰り、何とか時系列に沿った内容にしたい。しかし退院してから時は流れ、いつ何があったかは定かでなくなってしまった。よってごった煮的な内容でいく。何を言われても、勘弁いただきます。
要するに14日に何があったかを覚えていなっかたのだが、今思い出した。メカゴジラの後にスグに入ってきたオッサンは、ソートーな変わりもんだった。このオッサンも「拉致された」と言っていたが、その同じ口で「救急車に乗ってきた」とも言っていた。なら確信犯じゃねえか。酒の飲みすぎで肝臓がドーにかなって運ばれたともいい、現在のかかりつけ医者から紹介されたともいい、酔ってコケて肋骨が折れてる、とも言う。自分の症状くらい説明できないとダメだよ、オッサン。などと感じ入ったのが14日から11月15日にかけてのことだった。非常に少ない会話の中でもキモチの悪い奴はすぐに判るもんだ、当たり前か。
なおこのオッサンはその後も、病院側の措置に対する悪口を、関係者がいないときに、汚い言葉で、他の患者に聞こえるように、自分はひとかどの人間なんだと思われたい空気プンプンで撒き散らしたが、全員無視。入院患者はみんな自分のことで精一杯なのだ。これ以上余分な荷物を背負うほどバカではない。このように変なオッサンは入院してスグに孤独な嫌われ者としてのポジションを、ラクラクと獲得した。
また15日は土曜日ということもあり、兄が来てくれた。入院時にオリエンテーションを受ける余裕がなかったため「入院申込書」という保証人が必要な書類が書けておらず、その記名捺印のためだ。ひつこいようだが、オレは入院を申し込んだ記憶はない。合わせて洗濯物をどうするかの打ち合わせ。兄は結局10キロ離れた町から電車を3本乗り継いでやってきて、書類に記名捺印し、売店でカンロ飴を買ってきてくれて、洗濯物をオレの家に持ち帰ってくれた。わざわざ、それだけのために休日を潰してきてくれているのだ。とてもありがたいことである。
この日の夕刻、点滴の交換だった。持続点滴は24時間点滴が可能だが、1ヶ所に刺しっ放しだと腕の筋肉が堅くなるので、3日ごとに場所を変えるのだ。当然いったん針を抜くのだが、このスキに看護師さんに洗髪してもらった。この病室では底の抜けるオケを装備した、仰向け洗髪が可能なマシンは使わず、椅子に座ったまま洗面台に突っ伏した状態で洗う方法を採用していた。なるほどコレは安心。点滴が抜けて腕は自由になるし、湯音も水量も満足で非常にサッパリ。こーゆーコトがウレシーんよね。ついでに体を拭いて着替えもする。サッパリ度はさらにアップした。そして再点滴。患者が最も恐れる瞬間である。
このときの看護師さんは、液漏れでアザだらけ、しかもガッチガチに硬化し、腫れあがって触るだけでも痛いオレの両手を、ひねったり、裏返したり、たたいたり、もんだりしながらため息をつき「困ったねー」と言った。イヤな予感はしたが「気持ちよくしてね」とオドケてみた。看護師さんはオレのコトバを無視し「ココがあった」と言いながら指先に近いところを消毒している。オレは少し前から目を堅く閉じていたし、感覚がない腕では針の場所が判らない。そして不安感はマックスになった。
ご飯を食べる前には「いただきます」、写真を撮る前には「はい、ポーズ」。点滴前には「チョット、チクッとするよ」が業界の常識で、そのようにコトはすすんでいったのだが、チクッの直後から左手に不気味な鈍痛が始まった。オレは非情な決断を迫られた。液漏れが治まることを期待して痛みをこらえるか、点滴針挿入テイク2に臨むかだ。オレの腕は本当にカラフルに変色し、腫れあがり、握力が落ちるほど変わり果てている。それなのに今ダメだしをすると、入ったばかりの針は抜かれ、新たな場所に刺されてしまう。その場所で上手くいく保証はない。点滴針は通常の注射針より格段に痛く、すべての患者が「点滴だけは、上手なヒトにしてほしい」と願うものなのだ。オレも例外ではない。なので瞬間的に泣き寝入りを選んだ。泣き寝入った人間は、悪代官に必ずこう言う、「はあ~そんな殺生な~、ヨヨヨヨヨ~」だ。オレはココロの中で泣き崩れ、看護師さんには「ありがとう」とつぶやき、手首に刺さった針と、手の甲でトグロを巻く管を、にじむ瞳で見つめた。