点滴がはずれたオレは有頂天だった。もともと有頂天になりやすいお調子者なのだが。で今までのように看護師さんに「足を洗ってほしいのじゃがご都合はいかがかな?」とたずねてしまった。彼女は少し考えて、冷静に、「それよりシャワーにでも入ったほうがさっぱりするんじゃない?」と答えた。尤もだ。100%の正解である。オレはいつまでも要看護な患者のつもりでいたのだが、両手両足が自由なら自分でシャワーにも入れるのだ。シツレイシマシタ、と入浴準備にかかるが、シャンプー、石鹸などが一切ない。むう、と悩んだ末に、これは看護師さんに頼んでどこかから調達してもらった。そんな、もう退院だっていうのに携帯用とはいえお風呂セットを買うのも馬鹿馬鹿しいじゃないか、というのがオレの言い分だ。そしてシャワーに。何日ぶりか忘れるくらい久しぶりの熱いお湯で、溜まっちまった汚れや、汚れちまった悲しみを洗い流す。人並みの生活のありがたさを実感し、感じ入り、噛み締め、かつそのアホさゆえにスグに忘れてしまった。晩飯はヤッパリお粥。まだまだ人並み以下なのだ。記憶力も含めて。節操のなさも。




そんなこんなで日付は変わり11月20日。昨日シャワーに入り最後の着替えを使い切ったオレは、それなのに安心していた。友人代表1号様がオレの洗濯物を洗濯して干して、着用できる状態で持ってきてくれる日なのだ。いやはや、ありがたいありがたい。彼も一人暮らしで大病を患った経験があるらしく「困ったときはお互い様ですよ、普段はこんなこと死んでもやりませんけど」とサラッとおっしゃる。当たり前のことを当たり前のように。年齢なんか一回りも下なのに。見習いたいもんです。で、夕方前にデリバリ終了。彼はこれから仕事だと去っていく。見習いたいもんだ。しかし彼はマンガ、アニメに精通する博覧強記の人なのだ。これは見習いたくない。まあそれ以外にもF1、車、バイク、自転車、料理などに色々あるんだけど。




おかげさまでシャワーへ。今日もお風呂セットを借りようと思ったら、本日担当の看護師さんはそれら一式を探してくれたのだが見つからず、「そーゆーのって個人でもってきてもらうことになってるんですよねー」とおっしゃった。これも正論である。しかしながらオレのココロモチとしてはだな、「お困りの患者さんにお貸ししたいのはヤマヤマだが、それらのものは見つからない、今日のところはご自身で何とかしていただきたい」と言ってほしかった。何も病院でお役所のような杓子定規の答えを聞きたくはないのだ。日本に根付く「まずは謝る」という文化は海外ではヒドイ目にあうそうだが、それで人間関係がうまくいくならイイんじゃねーかな、と思う。モチロン彼女の言っていることは正しいんだけれども。それはさておき、問題のお風呂セットは隣ベッドの「イビキチャンピオン」に平身低頭でお借りした。何しろ彼のお子様は「折り紙」が大好きで、何を隠そう昨日このオレはいただきものの折り紙セットを彼に進呈していたのだ(送り主の了承済み)。あまつさえ折りよく、彼の奥方が当のご子息とともにいらっしゃり、仲睦まじく「折り紙遊び」に興じておられたのだ。ふん、コレでは敵も断れまい。根回し成功、交渉成立。はあ、こんなことでは







立派な人間にはなれそうもない。





何故こんなにお風呂セットの購入を嫌がるかというと、オレは翌日退院することに決まったからなのだ。「どーせ、家でも使えるから」などといって安易に購入してはいけない。そんなものは洗面台の下の戸棚に入ったまま、永久に使われることもなくゴミになるのだ。同じようなことがホテルのシャンプーなどにも見られる。人間、安易に持ち物を増やしてはいけないのだ。いつか使えるものは永遠に使わないものなのだ。だから基本は自分で何とかする、だ。創意工夫で自活するのだ、って他人から借りてて言えることではないけれど。





さて、入院生活も食事は全粥のまま最終章に突入しようとしている。だがこの日、他にあったことが思い出せないので、この日記がいつまで続くのか判らない。判らないというのは困ったことだが、判らないといことはハッキリ判っているのだ。自分で書いておきながら主体性がないのだ。もっとも文章を書く行為は、先が見えないものなのでそれでいいのかもしれない。きっとそれでいいのだろう。いや、それでもまあいいか、というレベルでOKなのだろう。




文章が乱れてきましたので今回はこの辺でオヒラキで、ででででデデ、でデ。でデデ。ででデデデ。ではまた。