闘病日記と冠しているのに前回は単なるエピソードの羅列で終わってしまった。初心に帰り、何とか時系列に沿った内容にしたい。しかし退院してから時は流れ、いつ何があったかは定かでなくなってしまった。よってごった煮的な内容でいく。何を言われても、勘弁いただきます。



要するに14日に何があったかを覚えていなっかたのだが、今思い出した。メカゴジラの後にスグに入ってきたオッサンは、ソートーな変わりもんだった。このオッサンも「拉致された」と言っていたが、その同じ口で「救急車に乗ってきた」とも言っていた。なら確信犯じゃねえか。酒の飲みすぎで肝臓がドーにかなって運ばれたともいい、現在のかかりつけ医者から紹介されたともいい、酔ってコケて肋骨が折れてる、とも言う。自分の症状くらい説明できないとダメだよ、オッサン。などと感じ入ったのが14日から11月15日にかけてのことだった。非常に少ない会話の中でもキモチの悪い奴はすぐに判るもんだ、当たり前か。

なおこのオッサンはその後も、病院側の措置に対する悪口を、関係者がいないときに、汚い言葉で、他の患者に聞こえるように、自分はひとかどの人間なんだと思われたい空気プンプンで撒き散らしたが、全員無視。入院患者はみんな自分のことで精一杯なのだ。これ以上余分な荷物を背負うほどバカではない。このように変なオッサンは入院してスグに孤独な嫌われ者としてのポジションを、ラクラクと獲得した。




また15日は土曜日ということもあり、兄が来てくれた。入院時にオリエンテーションを受ける余裕がなかったため「入院申込書」という保証人が必要な書類が書けておらず、その記名捺印のためだ。ひつこいようだが、オレは入院を申し込んだ記憶はない。合わせて洗濯物をどうするかの打ち合わせ。兄は結局10キロ離れた町から電車を3本乗り継いでやってきて、書類に記名捺印し、売店でカンロ飴を買ってきてくれて、洗濯物をオレの家に持ち帰ってくれた。わざわざ、それだけのために休日を潰してきてくれているのだ。とてもありがたいことである。




この日の夕刻、点滴の交換だった。持続点滴は24時間点滴が可能だが、1ヶ所に刺しっ放しだと腕の筋肉が堅くなるので、3日ごとに場所を変えるのだ。当然いったん針を抜くのだが、このスキに看護師さんに洗髪してもらった。この病室では底の抜けるオケを装備した、仰向け洗髪が可能なマシンは使わず、椅子に座ったまま洗面台に突っ伏した状態で洗う方法を採用していた。なるほどコレは安心。点滴が抜けて腕は自由になるし、湯音も水量も満足で非常にサッパリ。こーゆーコトがウレシーんよね。ついでに体を拭いて着替えもする。サッパリ度はさらにアップした。そして再点滴。患者が最も恐れる瞬間である。




このときの看護師さんは、液漏れでアザだらけ、しかもガッチガチに硬化し、腫れあがって触るだけでも痛いオレの両手を、ひねったり、裏返したり、たたいたり、もんだりしながらため息をつき「困ったねー」と言った。イヤな予感はしたが「気持ちよくしてね」とオドケてみた。看護師さんはオレのコトバを無視し「ココがあった」と言いながら指先に近いところを消毒している。オレは少し前から目を堅く閉じていたし、感覚がない腕では針の場所が判らない。そして不安感はマックスになった。




ご飯を食べる前には「いただきます」、写真を撮る前には「はい、ポーズ」。点滴前には「チョット、チクッとするよ」が業界の常識で、そのようにコトはすすんでいったのだが、チクッの直後から左手に不気味な鈍痛が始まった。オレは非情な決断を迫られた。液漏れが治まることを期待して痛みをこらえるか、点滴針挿入テイク2に臨むかだ。オレの腕は本当にカラフルに変色し、腫れあがり、握力が落ちるほど変わり果てている。それなのに今ダメだしをすると、入ったばかりの針は抜かれ、新たな場所に刺されてしまう。その場所で上手くいく保証はない。点滴針は通常の注射針より格段に痛く、すべての患者が「点滴だけは、上手なヒトにしてほしい」と願うものなのだ。オレも例外ではない。なので瞬間的に泣き寝入りを選んだ。泣き寝入った人間は、悪代官に必ずこう言う、「はあ~そんな殺生な~、ヨヨヨヨヨ~」だ。オレはココロの中で泣き崩れ、看護師さんには「ありがとう」とつぶやき、手首に刺さった針と、手の甲でトグロを巻く管を、にじむ瞳で見つめた。