下の写真はわかりにくいが持続点滴が刺さっている腕の写真。針は

手のほうから画面下向きに刺さっている。刺さってスグのところでは

管が閉塞しないよう、あえて管をトグロにまいている。管が赤いの

逆血(ぎゃっけつ)しているから。看護師さんはこの程度の逆血なら

チラ見で「あんまり腕を曲げないでね~」などとしか言わない。

         sessionmanのブログ-点滴ぶっ刺され中  
    




穿刺の続き。やはりどう考えても体の中に針が進入してくるというの

は、喜ばしいものではない。しかし西洋医学では、コレなしに治療は

成立しない。なので身を委ねてアキラメるしかないのだが、それにし

ては穿刺という行為はその底辺に、あまりにも多くの問題を抱えてい

る。そのあたりを限られたスペースでカンタンに報告していきたい。




オレのいた病院では点滴の針は3日目ごとに場所を移動するという

世界のナベアツ」がオオヨロコビしそうな掟があったが、そこで3日

目の担当看護師の朝番は誰で夜勤は誰で、針の移動は何時に行

われるのかという3つの組み合わせが、ロシアンルーレット的にドキ

ドキをもたらしたものだった。そのあたりは例えて言うなら目覚めて

スグの占いや気象ニュースに似ている。上手なヒトが担当と判っ

ときなど、随分と気持ちが軽やかになる。しかし、上手じゃないヒトが

担当と判ると、痛みか血まみれになるとか腕が腫れまくるといった

不幸を思い出し、気分は一気にブルーになる。これが穿刺の賭博性

に関する報告である。娯楽の少ない病院ならではの発現の仕方だろう。




次に穿刺の記憶が時間の経過と共に異なった感情に作用して、その本質

を幻惑してしまうケースを報告してみたい。ありがちだが奥深い話である。



体が辛いときは穿刺に反抗する気も起こらず「刺されちゃえば楽になるん

ですよね。ならば、ずずずっとやっちゃってください」などと従順なのだが、

体調も回復し余裕が出てきて「あのときの点滴は痛かった」などと記憶を

呼び起こせるようになるととたんに「看護師さん、点滴は痛くないところに

刺してね」と控えめながら加療者サイドにプレッシャーをかけるようになる。

だけれども、だ。だけれども、よく考えてほしいのだ。例えば歯医者。治療

を受ける前、あなたが緊張に身を固くしている時「痛いときは手を上げてく

ださい」と言われるはずだ。治療が始まり、あなたは激痛にうめき、思わず

手を上げる。そこで治療がストップしたことがあるか? 「痛みがあるよう

なので、この治療は止めて楽しく歌でも歌いましょう」などという医者が、

この世に存在するか? ゼッタイにNOだ。つまり患者はサービス提供者

に一切の自由を奪われているのだ。だから黙って身を委ねるべきなのだ。



どれだけバカな言い草を重ねても現状は変わらない。穿刺は痛く加療者

は刺し続け患者は少しでも苦痛の少ない方向へ逃げ続ける。これはもう

永遠のテーマなのだ。また穿刺問題は単に痛みだけでなく「血管に入らず

何度も抜き差しされた」とか「血が吹き出た」とか「針が体内で折れた」とか

様々な問題も包括している。実はオレもまだ報告したい事件を抱えている

のだが、永遠のテーマだけにキリがない。医療の入り口で起こるホットな

事件だけに、話題も尽きないのだ。と言うわけで通常の日記形式に戻る

ために今回はこのあたりで終了します。もうグロい写真はありません。