おはようございます。
不登校の子どもがゲーム三昧になる、というのは
もはや王道みたいなもの。という感じがしますが、
ゲームをすること自体は受け入れることが出来たとしても、
それでも今度は、【子どもがゲームをする様子】が、
どうしても受け入れられない、ザワザワしてしまう・・
というお話をよく聞きます。
特に、私もでしたが、自分がゲームに興味がないと、
何故そこまでのめり込むのか理解できないし、
その異様とも見える姿に
恐怖感や、嫌悪感すら抱くこともあるかもしれません。
思春期男子に多いのかもしれませんが、
ゲームに興奮して、怒り狂う様な様子や、
ゲームに向かってイライラして暴言を吐いている様子が、
どうしても受け入れられない、というママは多いですよね。
「そんなにイライラするぐらいなら止めればいいのに!」
とか、
「楽しんでやっているなら許せるのに・・」
とか
「こんな興奮して暴言を吐く態度を見ると、
将来この子がどんな暴力的なことをやらかすかと心配になる」
とか・・・
そんな不満や不安で苦しくなってしまっているんですね。
で、これですが、その不安や不満の中身を
「子どもが・・」ではなく、
そう感じる「自分が」何を恐れているか、
何をされたと感じて嫌だと反応しているのか
向き合って具体的にしてみるといいと思います。
子どもが“ゲームに”イライラしている姿を見ると、
なぜ自分が、モヤモヤするのか。
子どもが“ゲームの中で”暴言を吐いていると、
それをどう捉えて、どう感じるのか。
将来への不安は、本当に憂うべき心配なのか・・・など。
確かに、周りにイライラしている人がいたら
良い気分にはならないかもしれないけれど、
自分に向けて何か言われているわけでも、何かされたわけでもない、
つまり、直接被害はないのに、
悩みの種となるほどザワザワするのは、
本来おかしな話、ですよね。
ママの心に、もともと不安や不満の種があるから、
子どものゲームの態度に何かを自動的に結び付けて
心の不安、不満材料が刺激されているだけ、かもしれません。
現代のゲームって、本当にのめり込めるように作りこまれてますよね。
(私はやらないので、実際のめり込んだ経験はないけれど)
特に不登校の子どもが、ゲームに執着するのは、
ある意味その、【現実を忘れるぐらいの逃避できる世界】
を無意識に求めているから、という説もあります。
(もちろん、ただ暇つぶし、快楽のためのケースもあると思いますが。)
だとしたら、そこでどっぷりのめり込んで、
人格が変わって見えるくらいに、我を忘れる事、
それこそが、そういうやり方でのエネルギーチャージ、
なのかもしれません。(ひとつの捉え方としての話です。)
ほら、私たち女性が、ジャニーズとか、韓流とか?
あーいった世界にのめりこんで、
普段絶対にないくらい大声でワーキャー叫んだり、
ライブで、あり得ないくらい汗かくくらいジャンプしちゃったり、
あれって、体力的な消耗はかなりあるはずだけれど、
我を忘れてのめり込めるからスッキリする!やめられない!
そんなことってありますよね?
思春期男子にとってのゲームの暴言も、
そんな類のものなのかな~って
そんな風に考えると、少し見え方が変わりませんか?
これは、一つの違った視点の一例ですが、
自分のモヤモヤの中身をスッキリさせると、
こういった、相手側に立った様々な角度からの視点、
を持つことが出来るようになります。
そうすると、自分の中でモヤモヤイライラしていたものも、
スーっと楽に手放せる、気にならない程度になる、
そういうことが実は沢山あるんじゃないかって思います。
自分一人だと、なかなか自分だけの視野、世界から
抜け出せないことが多いかもしれません。
そんな時は他の人の視点、から自分の内面に気付かせてもらう、
他の人のフラットな視点を借りてみる、
というのも、大きな意味があると思いますよ