【麒麟がくる ゆかりの地めぐり】

 

斎藤義龍に落城させられた明智城

 

【明智城址】

土岐明智二郎下野守頼兼が1342年に築城したそうですから「麒麟がくる」から約200年前やね

美濃国緒旧記』には「明智光秀の代まで居城した」と記されているそうです。

明智光秀の出生地といわれてますが諸説あります。

稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受け

明智城代明智光安(光秀)は弟光久と一族の溝尾庄左衛門、三宅弐部之助、藤田藤次郎、肥田玄蕃

池田織部、可児才右衛門、森勘解由ら870人を集めて籠城。

対する義龍軍は3700人の軍勢で2日間にわたり攻撃、落城させて光安は弟光久と自刃し

妻妾も落城前に自刃してしまいます・・・・。

 『明智軍記』には落城が迫る中、光秀は(光安から)明智家再興を託され

明智城から逃れたと記録があります。

 

天龍寺から歩いてすぐ

明智城址に登ることができます。

 

姫路城に慣れた姫路市民には

どうしても「これが大手門?」となるよね

 

小汗をかく彼女さん「あとどれくらいで着くん?」を連発。

7分ほどで到着できると案内にはありました。

 

なんか撮影

 

頂上には銅像があります。

 

展望台で明智荘を見渡せます。

 

 

七ツ塚

 

 

頂上あたりまで来ると

住宅街があり生活道路が・・・さるるたちが登ってきた反対側は

住宅街なんかな?犬の散歩してる人もいました。

彼女さん曰く「こっちから登ったら楽やったんちゃうん~!」

しょ、しょうがないだろ・・・・。(唾棄)

 

「せいせいせい~!」と正拳突きしながら下山しました。

なんかレイザーラモンHGみたいな気合で吹き出しそうになった。

 

虫を上段受けで追い払おうとしてました。

(上段受けにそのような効用はないと思われる。)

 

大河ドラマにツッコミ入れてもしょうがないけど

この明智城から明智光秀たちは越前に逃亡するのですが

 

明智城(美濃・岐阜県)から越前(一乗谷・福井県)まで逃亡しようと思ったら

どうしても美濃の岐阜城の領地を縦進せねばならないんですよね

めちゃくちゃ迂回した可能性もあるかもだけど・・・・どのコースで逃亡したのか

そこらへんも気になりました。

実際、こうやって現地に訪れてこそ気づく(思う)こともあります。

これが歴史ヒストリアの醍醐味でしょうな。

 

さてここから

やっとこさ下呂温泉へ・・・・!

 

 

【麒麟がくる ゆかりの地】

■ドラマでは明智光秀に何かと協力する松永久秀の焼いた寺■

大阪府:堺市堺区【南宗寺】(前編)

■ドラマでは京や堺を騒がす三好衆の墓■

大阪府:堺市堺区【南宗寺】(中編)

■あの有名な明智光秀の自画像のあるお寺■

大阪府:岸和田市【本徳寺とコシノジュンコの生家】

■本能寺から見つかった信長の兜■

愛知県:清州市【総見院】(その2)

■本能寺の変の後に秀吉の居城を強襲!■

滋賀県:長浜市 【長浜城】

■明智光秀が足利義昭を招いた寺■

岐阜県:岐阜市西荘【立政寺】

■明智光秀が本能寺へと向かった道■

京都府:亀岡市【からと峠(本能寺への道)】

■ここから本能寺へ出発した城■

京都府:亀岡市【丹波亀山城】

■明智光秀の娘(細川ガラシャ)のお墓■

大阪府:大阪市東淀川区【細川ガラシャの墓】

■明智光秀が領民のために造成した堤防■

京都府:福知山市【明智藪】

■明智光秀が祀られた神社■

京都府:福知山市【御霊神社】

■明智家代々の墓■

岐阜県:可児市【明智家の墓】

■明智家の城■

岐阜県:可児市【明智城址】

 

 

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