【麒麟がくる ゆかりの地めぐり】

 

福知山の日帰り旅行だけど

記事にして計7本・・・・今回で8本目となります。

我ながら自画自賛だけど、さるるには旅を楽しむ才能があるように思います。

いやただね・・・・人より感受性がヘンに強いからだと思うんですがね

ただ同行する人間がさるると同じ感想かどうかはわかりませぬ。

 

良い悪いの問題ではありません

それが人の世だということです。

 

ふむ

いきなり余談が過ぎた。

 

明智光秀は領民思いのお殿様でした!

 

謀反人

主君殺しをした挙句、三日天下・・・・あまりいいイメージがない

でも【明智藪】でもわかるように

領民のために善政を行ったお殿様でもあるのです。

 

明智光秀を祀る【御霊神社】

(さるるママンとタロさんが映り込んでる・・・・。)

 

1705年のことですから明智光秀が死んでから123年後

当時の福知山城主である朽木氏が、かつて当地を「福智山」と命名し

福知山城を改修するなど

善政をしいた明智光秀の合祀を許したことが始まりとされています。

ここからもわかるように

明智光秀は領民たちからは慕われていたと思っていいのでは?

 

子供たちが賑わう公園の中にあります。

 

画像右の石碑にご注目を

 

『免税を決めて 光秀名を残し』

 

民に慕われた明智光秀も

本能寺の変を境に歴史上では悪党みたいな扱いになります。

明智光秀のエピソードのほとんどは創作だそうで

まあ秀吉からすれば明智光秀が悪であれば悪である方がいいわけです。

それは豊臣家を滅ぼした徳川家康が秀吉の墓まで破壊し

秀吉を悪と定義したことに通じますね。

 

『勝てば官軍』なんて言葉がありますが

ようするに歴史は勝者の都合の良いものへと書き換えられ

都合の悪いものは封印されます。

強者と弱者が入れ替わり歴史が続いていく・・・・まさに

『歴史は繰り返す』ですな。

 

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