とにかくいろんな所に連れていってくれて、いろんな事を体験させてくれました。
小学一年生の秋、学校から帰ると、「スケートいくぞ」スケート場にいくと私だけスケート靴を履かせて自分はベンチに座ってます。私は当然どうやればいいのか解りません。
親父はやらないのかと聞くと、「俺は冬はラグビーばっかりやっていたから、冬にやる他のスポーツは駄目だ」との事
スイスイ滑っているお兄さんに手招きし、相手の都合お構い無しに、「コイツに教えてくれ。」となかば強制的にコーチを依頼します。私も素直にお兄さんに初歩からレッスンを受けます。
しばらくしてそのお兄さんも友達と遊びたくなり、親父に私を返しにいくと、お礼を言い。又別のうまそうなお兄さんに手招きです。
その日三人の臨時コーチに指導頂き、一度も転ばずに周回できるようになりました。
その年の冬、今度はスキーです。比叡山スキー場に向かうケーブルカーの中で早くもお兄さんに話を付けて自分はロッジでビールを飲んでます。
一度も転ばずに上から滑り降りたら100円くれると言うので、実際その日のうちに直滑降で降り、小遣いを貰いました。私の運動神経もすごいけど。
その他、小学生の間に
乗馬。
アーチェリー。
これは少し凝って各1年位
ボーリング。これも凄いブームでした。私にマイボールマイシューズをもたせました。親父は180~200位、私はベスト160程でした。
ボーリングの待ち時間にビリヤード。これもみっちり仕込まれました。親父の腕前も凄く、アンちゃんに賭けを挑まれ。お互い五千円札をテーブルに並べて勝負して親父が鮮やかに勝ったのを覚えてます。
あと、訳が分からないのは、琵琶湖で2人乗りのヨット

、上手に操作して1日走り回ったり。
大きなモーターボート?船外機のじゃなく、ちゃんと前の方でハンドル握るやつ。
沖に出て安全を確認すると私に自由に操縦させてくれました。
時代がもう少し後ならパラグライダーやスカイダイビングとかやらされていたかも知れませんね。
山登りや釣り、飯ごう炊飯。旅行にもふたりでいきました、着替えを私のリュックに入れ京都駅に行き、入場券で改札を通り。その時発車するどこ行きかもわからない特急に飛び乗るミステリーツアーです。
降りるときの改札は二手に別れて私は「後ろでおじさんがまとめて渡します」なんてか細い声で言います、自動改札じゃなくて駅員さんが回収している時代です。もじもじしていたら、改札詰まるんで、子供1人ぐらい通してくれました。
無賃乗車ですね。ドキドキしました。
そんな事して、奈良の飛鳥や天橋立に行きました。
木屋町や祇園の高そうな寿司屋や料理屋で腹一杯食わしてくれましたが、いくらぐらいとられてたのか?想像するのも恐ろしい。
飯の後は綺麗なお姉さんのいるクラブや上七軒の怪しい店まで、まるで自分の息子を接待してました。
今思うと、親父は自分が子供の時、叶わなかった親子で過ごす時間を、私と2人で反対側から取り戻していたんではないかなと思います。
濃密な付き合いを続けていたんですからこのあとの私の反抗期は辛かったろうな。
さて、これで一段落して、メインテーマ
ラグビー人生の話を再開していきます。
よろしくお願いいたします。