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流離の翻訳者 日日是好日

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

「間奏曲」(インテルメッツォ)とは、元々「劇・歌劇などの幕間前後に演じられる短くて軽い劇または音楽。幕間劇。」をいい、それが転じて「器楽の短い中間楽章、あるいは独立した器楽小品の題名。間奏。」を意味するようになった。

 

2か月近く「入試英作文」の世界を懐かしく彷徨っていた。再び「福岡・博多慕情編」に戻る前に、間奏曲的にこの記事を掲載してみたい。

 

 

高校時代の友人たちと話していると「もうすぐ50年になるなぁ~」という話題になる。確かに我々が知り合ってから丸48年が経過しており、四度目の干支が回ってきたところである。

 

長いと言えば長いようで、あっという間だったような気もする。

 

 

昔書いた記事に、映画「わが谷は緑なりき」(“How Green Was My Valley”)のオープニングの映像がある。

 

この映画は父母、とくに母が好きだったもので、幼いころ「ゴールデン洋画劇場」などで観た映画である。

 

舞台はイギリス・ウェールズの炭坑町。以前は、父母や兄弟がそろって炭坑で元気に働く幸せな家族だった。それが労働争議、ストライキや落盤事故などで一人ひとり谷を去って行った。

 

父の死後、今や初老となった末っ子の男性が谷を去るときに、かつて緑だった谷を回顧するシーンがオープニングとなっている。「50年の思い出を残して。思い出か …。」という言葉が心に沁みてくる。 

 

 

 

それでは、次回から「福岡・博多慕情編」を再開する。

市内の「足立山」は別名「霧ヶ丘」とも呼ばれるらしい。霧の発生が多いからだという。現在の地名にも「霧ヶ丘」というところがある。こちらは足立山の麓だが、昨日高校時代の友人とその辺りを散策した。

 

そんな中、今朝こちらは名前の由来どおりの濃霧に見舞われた。足立山が見えないほどの濃い霧は随分久しぶりのことだった。

 

 

次の問題もややノスタルジックな内容である。自宅のある部屋に残された古いピアノ。娘たちをしっかりと育てあげた初老の紳士(婦人)が、ピアノを眺めながら巣立っていった娘たちを偲んでいる姿が思い浮かぶ。

 

但し、彼(彼女)はだた黄昏ているだけではない。次の行動を起こそうとしている。そんな静かな決意のようなものが感じられる文面である。

 

 

問.次の文を英訳しなさい。

 

我が家の古いピアノには懐かしい思い出がたくさん詰まっている。5歳からピアノを始めた娘たちもすっかり大人になり、今や誰も弾かなくなった。しかし、なかなか処分する気にはなれない。そういうピアノを買い取って再生させる会社があるらしい。プロの手で修理すれば、また美しい音を(かな)でることができるという。

2009年 京都大学・前期)

 

(流離の翻訳者・拙訳)

The old piano left in our house is filled with a lot of nostalgic memories. Our daughters, who started playing the piano when they were five years old, have fully grown up, so nobody plays it any more. Nevertheless, I cannot easily make up my mind to dispose of the old piano. I’ve heard that there are some companies which buy such pianos and recycle them. Our old piano, if it is repaired by a professional craftsman, is said to become able to produce beautiful sounds again as it used to.

 

 

約2か月にわたり「特集・入試英作文への挑戦」と題したシリーズを掲載してきたが、本記事をもって終わりとしたい。

 

昨今の大学入試の英作文は自由英作文の形式が多くなっており、一部の私大では英作文自体を出題していないところもある。やや残念に思う。

 

京大を中心とした日本文を指定して英訳させる形式は随分少なくなってきているが、京大がこの形式の英作文を出題し続けることを期待しつつペンを置くこととしたい。

翻訳者になった頃くらいから、自分の時間が増えたのか、暇を持て余していたのか、旧友たちとの交友関係が増え始めた。

 

収入がなかなか安定しないフリーランス翻訳者とは孤独な商売である。仕事が来なければ暇だし不安だし、一旦仕事が入り始めると納期に追われ、夜も昼も無くなる。泣く泣く仕事を断らなければならないときもある。辛い仕事である。

 

そんな時に声を掛けてくれたのが高校や大学からの旧友たちだった。実に有難く思えた。

 

私はそんなに強い人間ではないので、これまでも友人たちに相談したり意見を聞いたりしながら生きてきたし、これからもそうするだろう。もちろん彼らに迷惑を掛けない程度に。

 

 

翻訳者になって良かったのは旧友たちから英語に関する相談を受けることが増えたことである。和文の原稿を見て間接的に彼らの仕事を知ったり、協力して一つの作品(英訳)を完成することもできた。それらのすべてが良い思い出となっている。

 

 

次の問題文は、やや高尚で少し古い時代の友情について述べているように思われる。昔読んだ、武者小路実篤の「友情」の触りの部分を思いだす。

 

友情とはもっと人間的なものであり、そんなにストイックに考える必要はないのではないか、と思う。

 

 

問.次の文を英訳しなさい。

 

友情には、私利私欲をさしはさまないのが本当だと思う。私は友人に、私のために何か取計らってくれと頼んだり、物質的な利益を得られるようにしてくれと頼んだりしたことはほとんどない。ただ友人とのつき合いを楽しみ、彼らも私とつき合って喜んでいるのを見て満足しているだけである。

1991年 京都大学・前期)

 

(流離の翻訳者・拙訳)

I believe that a true friendship should stand aloof from self-interest. I have scarcely ever asked a friend to deal with something for me, or to bring some material benefits to me. I’m just enjoying relationships with them, and also being satisfied to see them feeling delighted with friendly relations with me.

与謝野鉄幹の「人を恋うる歌」に「友を選ばば書を読みて六分の侠気(きょうき)、四分の熱」という一節がある。

 

現代語に訳すと「友人を選ぶのなら、本をたくさん読み六分の義侠心(義理人情)と四分の情熱を持った人間がよい」という意味である。

 

高校時代に覚えたこんな英文を思いだす。

You cannot be too careful in choosing your friends.

「友人を選ぶにあたってはいくら注意してもしすぎることはない」

 

 

父が病に伏せていた頃、病院を訪ねると、「○○~!○○~!」と親友の名前を何度も寝言のように叫んでいた。後に知ったが、その方も遠き地でやはり病に伏せていたらしい。

 

我々家族はみな父のそばにいたが、このまま会えず終いになりそうな親友を思いだしていたのだと思う。父は夢をみていたのか、それとも(うつつ)だったのか?

 

 

自分の人生を振りかえるとき、高校1年時の友人(たち)と出会っていなかったなら恐らく自分は全く別の人生を歩んでいただろう、と思うことがある。

 

友人との出会い、また男女の出会いについても、たまたま同じクラスになったとか、たまたま席が近かったみたいに運命がなせる業であり偶然の産物と思えるが、思春期のある人との出会いが、人生を左右することもある。

 

 

京大の英作文にも「友情」をテーマとしたものがいくつかある。今回はその一つを取り上げる。

 

 

問.次の文を英訳しなさい。

人間の性格は見かけよりも複雑なので、相手のことが完全に分かることなどあるはずがない。とは言うものの、初対面の人物とほんの少し言葉を交わしただけで、その人とまるで何十年も前からつきあいがあったかのような錯覚に陥ることがある。こうしたある種の誤解が、時として長い友情のきっかけになったりもする。

2012年 京都大学)

 

(流離の翻訳者・拙訳)

Since a person’s character is not so easy to understand as his appearance, it is highly unlikely that one person could completely understand what the other person is. Nevertheless, despite the fact that I've just met a person first and exchanged only a few words with him, I sometimes feel by mistake as if we have had known each other for long years. However, such a misunderstanding may occasionally serve as a trigger for a long friendship.

父や叔父たちを見ていると、父方の家系は理数系科目が得意だったように思われる。叔父たちも皆、今でいう「エンジニア」と呼ばれる職業に就いていた。

 

それに加えて、父は若い頃から俳句を嗜み、また達筆でもあったため、私は小さい頃から「国語は日本人ならできて当たり前!ましてや数学など数字が数えられれば誰でもできる!」と言われ続けて育った。 

 

 

そんな私が数学に挫折したのは中学2年くらいのことだった。全く勉強しなかったこともあったが、中間・期末試験などの成績はひどいものだった。そんな状況が中学3年のときに一転した。家庭教師の千鶴さんのお蔭である。「因数分解」など代数系が面白くなった。

 

高校でも数学はスロー・スターターだった。高校1年時の数学の成績は目も当てられない状況だったが、高校2年のとき数学教師の全員が入れ替わり「数列」を学んだくらいから面白いと感じるようになった。

 

旺文社の問題集を買って解くようになり、高校1年時の「数学Ⅰ」の内容も自主的に復習するようになった。この辺りは「四人組」の影響が大きい。

 

大学では数学はさしたる勉強はしなかった。強いて言えば「文科系のための線型数学」(志村利雄著・東京図書)を読み上げた程度だった。微積分は「イプシロン-デルタ論法」で挫折した。

 

以来、数学についてまともな勉強は全くしていない。

 

 

今の仕事があとどれくらい続けられるかわからないが、時間ができたら数学を一からやり直してみたい。今は「数学検定」というものがある。できれば高校(理科系)卒業程度(「数学検定」準1級程度)までは頑張ってみたい。

 

 

次の問題は、珍しく数学をテーマとしたものである。これを真理と思うかどうかは人によるだろうが、久しぶりに技術英語を翻訳した気持ちになった。

 

 

問.次の文を英訳しなさい。

数学は、少し先へ進んで、わからないとなったら、どうにも手のつけようがありません。公式もなんにも知らないで、自力だけでなんとか解決のつくたちの仕事ではないからです。しかし、その際でも、ごく初歩の初歩から、そっくりやり直す気で勉強するうちには、案外数学もやさしい、やさしいどころか面白いものだ、そう思うに違いありません。

1994年 京都大学・後期)

 

(流離の翻訳者・拙訳)

In learning mathematics, once you become unable to understand it at a little advanced stage, it will be beyond your control no matter how hard you may try. This is because mathematics is not such a kind of work that can be solved only by yourself without knowing anything about its formulae. Nevertheless, even in such a case, while you are learning mathematics steadily from the very first step, intending to relearn all of it, you will surely think that mathematics is easier than you had expected, or you may even find it interesting, rather than being easy.

 

「海事」は広辞苑によると「海上の事柄に関すること」とある。英語では maritime affairs という。

 

形容詞 maritime を英英辞典で引いてみると、

Maritime is used to describe things relating to the sea and ships.

「海や船に関するものを表すときに(形容詞) maritime を使う」

 

 

英文契約書で時々貨物海上保険に関するものを翻訳したが、海事関連の英単語はちょっと変わった語が多い、という印象がある。

 

例えば、barge(はしけ), pier, quay, berth(埠頭), wharf(波止場), hull(船体), bow, stem(船首), stern(船尾), port side(左舷), starboard(右舷), charter(傭船・用船), moor(停泊する), berth, come alongside(接岸する) ……。

 

 

高校時代よく星を観察した。星図なども見れるようになり北半球の星座は殆どわかるようになった。これがきっかけで親友ができたことは以前の記事自叙伝(その5)-オリオン座ベータ星リゲルに書いた。

 

だが、南半球の星座となると実に奇妙な名前の星座が多かった。「羅針盤座」、「六分儀(ろくぶんぎ)座」、「八分儀(はちぶんぎ)座」、「竜骨(りゅうこつ)座」、「望遠鏡座」など航海用道具の名前や、「水蛇(みずへび)座」、「海蛇(うみへび)座」、「巨嘴鳥(きょしちょう)座」、「カメレオン座」などちょっと不気味な動物の名前など。

 

南半球には一度も行ったことがないが、明るい星が少ないことや星座の名前から「暗くてちょっと神秘的な星空かな?」などと推測していた。

 

次の問題は、そんな南半球の星座をテーマにした内容である。星座の名前から全く別の発想をする人もいるものである。

 

 

問.次の文を英訳しなさい。

南半球を旅行していた時に、見慣れない星々が奇妙な形を夜空に描いているのを目にした。こうした星座のなかには、航海に必要な器具や熱帯に住む動物の名前が付けられたものがある。星座の名前の由来について、私には正確な知識がないが、何百年か前の船乗りたちが何を大切にし、何に驚いていたのか、その一端がうかがわれる。

2013年 京都大学)

 

(流離の翻訳者・拙訳)

When I went on a trip in the southern hemisphere, I found unfamiliar stars form a strange figure in the night sky. Some of those constellations were named as an instrument for navigation or a tropical animal. I don’t have correct knowledge about the origin of the constellations; however, in view of such constellation names, I can understand some of what the sailors hundreds of years ago regarded as important, or what they were surprised at.

子供の頃、漫画本などを読んでいると、登場人物の声を自分の頭の中で勝手に想像し気が付けばそれが頭の中で流れるようになっていた記憶がある。たまたまその漫画がアニメ化されてテレビで放映されたりすると「この登場人物の声は自分のイメージとちょっと違う!」などと感じることがあった。

 

昔観た映画で「ネバーエンディング・ストーリー」というものがある。ドイツ映画で日本公開が1985年だからもう37年経つのか ……。これは子供が本に書かれた世界に飛び込んでいく物語である。

 

本の中の想像の国の名前は「ファンタージェン」。戦う相手は「虚無」(Nothing)。少年アトレーユが勇者となっていく物語で当時20代の私にも十分楽しめるものだった。

 

 

次の問題文は、子供と本の関わりについて自らの子供の頃の体験に基づいて意見を述べたものである。これもまた子供の頃のノスタルジックな思い出に言及した京大らしい問題である。

 

 

問.次の文を英訳しなさい。

 

子供のころに、本を読んで感動したり、わくわくしたりした思い出は、一生消えることのないほど強烈なものである。子供は未知の世界に対して新鮮な好奇心を持ち、想像力が豊かであるため、本の世界のなかで生きることができるのだ。成長してさまざまな試練に出会ったときに、そのような経験が思わぬ力を発揮する場合がある。

(2008年 京都大学)

 

(流離の翻訳者・拙訳)

The memories of having been impressed or thrilled by reading books in our childhood are so vivid that we cannot forget them even throughout our life. Because children have fresh curiosity about unknown world and also have a fertile imagination, I think they can live in the world of a book. When they grow up and encounter various hardships, such fantastic experiences may sometimes show unexpected power.

 

先日、地元の「松本清張記念館」に行ってきた。西高の親友Yと訪ねて以来3年半ぶりくらいである。前回は帰りがけに寄った八坂神社で七五三の催しを行っていたので11月半ばではなかったか。

 

「松本清張記念館」に展示されているパネルの説明文などの英訳、中国語(簡体字・繁体字)訳、韓国語訳を前にいた会社で引受けた。

 

以前はポータブルディスプレイ装置で言語を選択して各国語訳が表示されるシステムだったが、現在はQRコードを読み込ませるとスマホに各国語訳が表示されるシステムになっていた。訳文まで変更されていないことを祈るばかりだが ……。

 

 

今から干支が一回り前の2010年。その年は知る人ぞ知る猛暑だったが、思えばこの年は私にとって人生の転機となった。

 

その年、夏の終わり頃から天気が良ければ週末は独りドライブに明け暮れた。知らない町並みや景色を見ながら傷心を忘れようとしていた。

 

次の問題文にある「風景はそれを見る者の心を映す」という言葉が身に沁みる。その当時の自分の心もまた無邪気な子供のように澄んでいたのかも知れない。

 

 

問.次の文を英訳しなさい。

最近久しぶりに旅行して実感したのですが、田舎の夜空には星が驚くほどたくさん見えます。科学的に考えれば、汚染がなく空気がきれいだからでしょうが、風景はそれを見る者の心を映すとよく言われます。雑事に追われて忙しいだけの生活からしばしの逃避行を敢行したあの時の私は、もしかしたら、めずらしく無邪気な子供のように心が澄んでいたのかもしれません。

1999年 京都大学・後期)

 

(流離の翻訳者・拙訳)

Recently, I went on a trip after a long interval and realized that surprisingly many stars could be seen in the night sky in countryside. From a scientific perspective, this is probably because the air itself is clear without pollution, however, it is often said that a landscape reflects the feelings of a person who looks at it. At that time when I dared to go on the trip, escaping for some time from the just busy life with miscellaneous business, I might have exceptionally had a pure heart like an innocent child.

先週末桜を見てきた。空の青と菜の花の黄色。微風がそよぐ中、静かに散りゆく桜。時折聞こえる鶯など鳥の囀り。花冷えの春の宵にアクセントを添えていた。

 

東京から九州にUターンしてはや33年、さらに故郷北九州に戻って25年ほどになる。昭和の終りから平成の幕開けにかけて「本当に自分は東京で暮らしたのか?」と時々思う。

 

大学4年の時の就職活動では関西の企業は結局一社も回らなかった。別に東京指向だったわけではないが、志望する会社がすべて東京本社の企業だった。

 

 

私がまだ小学生だったころ、父が東京出張から大きな荷物を抱えて戻ってきた。私と弟への土産だという。大きな小包を開けてみると ……。そこには分厚い「広辞苑」とこれまた分厚い「のらくろ漫画全集」(田河水泡著)が入っていた。

 

玩具や甘いものを期待していた我々はがっかりしたが、父は「こんな本は東京にしか置いとらんのや!」と得意げだった。「広辞苑」はともあれ「のらくろ」は私も弟もストーリーを暗記するほどに読み返すことになった。

 

 

大学卒業を間近に控えた19823月。父が私に言ったことは「東京は何でも本物がある場所や!だから金を使ってでも絶対に本物を見てこい!」だった。たぶん父は、博物館や美術館、演劇などの芸能を想定していたのだと思うが、私が見た本物は何だったのか?

 

 

次の問題は、殺伐とした都会での暮らしを捨てて地方へ移り住む人々への(はなむけ)のような文章である。父の教えのとおりに東京で「本物」と出会っていたなら、今も東京で暮らしていたかも知れない。

 

 

問.次の文を英訳しなさい。

コンクリートの建物に囲まれ、機能第一主義の無機質な都会で生活していると、鳥や虫の鳴き声に耳をすませたり、名も知らぬような草木に目をやったりしながら、季節の微妙な移り変わりを実感するようなことがめっきり少なくなってきたように思う。もっと心に余裕を持ち、一回きりのかけがえのない人生をうるおいのあるものにしたいと考えて、田舎に移住することを決断する人が近年増えてきているのも無理からぬことである。

2008年 京都大学)

 

(流離の翻訳者・拙訳)

A function-first and materialistic urban life surrounded by concrete buildings seems to have remarkably reduced the opportunities that we could realize subtle transitions of the seasons while listening to the songs of birds and insects, or looking at unknown plants and trees. It is reasonable that there have been increasingly more people in recent years who have decided to move to countryside, hoping to enrich their one-time-only precious lives with more peaceful mind.

父は旅行にいくときには必ず時刻表や観光地図をみてきちんとした旅程を立てて行く人だった。私にはそれが父の楽しみのように思えた。

 

高校2年の夏休みに父と弟の3人で行った神話の国への旅。以下の記事には父が計画した強硬かつ緻密な旅程に従って思い出を記載している。

 

https://ameblo.jp/sasurai-tran/entry-12686579207.html

 

私は母に似たのか昔から無計画な旅が好きである。きちんと時刻表や地図を見ることなどまずない。それだと仕事みたいで自由じゃない!と感じてしまう。

 

 

以前は道路地図を見ての独りドライブが多かった。とは言っても地図を見るのは迷ったときだけで大体は勘に頼って運転していた。多少方向音痴なところはあるが、決して地図が読めないわけではない。

 

「話を聞かない男、地図が読めない女-男脳・女脳が「謎」を解く」(2000年、主婦の友社)という本がある。考えてみれば私の周りには「地図が読めない女」が多い。やはり脳の構造が違うのか?

 

 

次は約半世紀前の古い問題である。カーナビやスマホがある現代、特に若者には滑稽に感じられるかもしれない。だが、地図を見ながらの「路線バスの旅」などが面白く感じられるのは、心の何処かに回顧的、復古的なものへの憧れが潜んでいるからではないだろうか。

 

 

問.次の文を英訳しなさい。

 

地図というもののあることを知らないかのように見える人が多いのは残念だ。旅行に行くときさえ地図を持たずに出かける人があるが、自分の歩いた道順すらわからぬようでは、旅行の楽しみは半減してしまうだろう。ただし、地図を十分に活用するためには、地図を見ることに慣れていなければならぬ。

1973年 京都大学)

 

(流離の翻訳者・拙訳)

It is regrettable that there are many people who look as if they would not know the existence of a map. Further, some people go traveling without carrying a map with them, however, I think, the pleasures of a travel will decrease by half unless a traveler knows how he has walked his courses in the travel. Nevertheless, a person who wants to make full use of a map must be accustomed to reading maps.