資金証券部内の人員が異動で次々と入れ替わる中、日々金利決定委員会の資料作成や金利スワップ契約の管理、それに加えて、証券外務員試験、銀行業務検定試験「証券3級」、また昇格のための行内試験「財務管理」などの受験で慌ただしく1993年は過ぎていった。
証券会社のシンクタンクから購入した金利スワップ管理ソフトは、元本金額が減額してゆくアモチ型(amortization type)の入力が面倒で、あまり使い勝手が良いものではなかったが、このソフトで初めてWindows 3.1というOSを知った。
行内試験「財務管理」の参考書は「ケースで身につける企業の見方」(関口尚三著・金融財政事情研究会)というものだった。経済学部出身でありながら、貸借対照表や損益計算書などの見方をしっかり理解したのはこのときが初めてだった。なお「ケースで身につける企業の見方」は今も手許にある。
N銀行の人事部(研修室)は行員に年一回の通信教育の受講を推進していた。何となくTOEIC対策の講座を受講したのもこの年だった。金利スワップで英文契約書に触れ、何処かに英語学習意欲が芽生え始めていたのかも知れない。
因みにTOEICが日本で実施されるようになったのは1980年頃のことで、私が安田火災の新入社員時代の1983年3月に受験したのもTOEICだった。
1983年4月に事務管理部(総合システム部)に異動になったためか、この初回受験時のスコアは知らされなかった。ただ、試験を受けた感触はリスニングが全くできなかった記憶があるのでスコアは惨憺たるものだったろう。
通信教育を修了した1993年5月頃、力試しにTOEICを受験した。部内の入行2年目の女子行員も一緒だった。その時のスコアは600点をかつがつ超えた程度のひどいものだった。せめてもの救いはリーディングがそこそこ得点できたことで、やはり受験勉強の遺産が少しは残っていたのかな?と思えた。
一緒に受験した女子行員(九大・文学部卒)は、私よりも随分低いスコアでかなりショックを受けていたようだった。
このTOEICの受験で英語学習意欲に火が点くことはなかったが、英語よりは「ケースで身につける企業の見方」で学んだ財務管理に興味を持つようになり、銀行業務検定試験の「財務3級」⇒「財務2級」と受験してみようか?と思うようになった。
語学に関しては、資金証券部に隣接する国際部に英語や中国語が話せる日本人の行員が何人かいたこと、また、ニューヨーク支店勤務を経て当時本店・人事部門に配属されていた主任が、本店を訪れた外国銀行・証券など外国人顧客を相手に流暢な英語で本店内を案内していたことなど、やや刺激を受けることもあった。
なお、この人事部門の主任、昨年N銀行で最初の生え抜きの頭取に就任した。



