与謝野鉄幹の「人を恋うる歌」に「友を選ばば書を読みて六分の侠気、四分の熱」という一節がある。
現代語に訳すと「友人を選ぶのなら、本をたくさん読み六分の義侠心(義理人情)と四分の情熱を持った人間がよい」という意味である。
高校時代に覚えたこんな英文を思いだす。
You cannot be too careful in choosing your friends.
「友人を選ぶにあたってはいくら注意してもしすぎることはない」
父が病に伏せていた頃、病院を訪ねると、「○○~!○○~!」と親友の名前を何度も寝言のように叫んでいた。後に知ったが、その方も遠き地でやはり病に伏せていたらしい。
我々家族はみな父のそばにいたが、このまま会えず終いになりそうな親友を思いだしていたのだと思う。父は夢をみていたのか、それとも現だったのか?
自分の人生を振りかえるとき、高校1年時の友人(たち)と出会っていなかったなら恐らく自分は全く別の人生を歩んでいただろう、と思うことがある。
友人との出会い、また男女の出会いについても、たまたま同じクラスになったとか、たまたま席が近かったみたいに運命がなせる業であり偶然の産物と思えるが、思春期のある人との出会いが、人生を左右することもある。
京大の英作文にも「友情」をテーマとしたものがいくつかある。今回はその一つを取り上げる。
問.次の文を英訳しなさい。
人間の性格は見かけよりも複雑なので、相手のことが完全に分かることなどあるはずがない。とは言うものの、初対面の人物とほんの少し言葉を交わしただけで、その人とまるで何十年も前からつきあいがあったかのような錯覚に陥ることがある。こうしたある種の誤解が、時として長い友情のきっかけになったりもする。
(2012年 京都大学)
(流離の翻訳者・拙訳)
Since a person’s character is not so easy to understand as his appearance, it is highly unlikely that one person could completely understand what the other person is. Nevertheless, despite the fact that I've just met a person first and exchanged only a few words with him, I sometimes feel by mistake as if we have had known each other for long years. However, such a misunderstanding may occasionally serve as a trigger for a long friendship.