先週末桜を見てきた。空の青と菜の花の黄色。微風がそよぐ中、静かに散りゆく桜。時折聞こえる鶯など鳥の囀り。花冷えの春の宵にアクセントを添えていた。
東京から九州にUターンしてはや33年、さらに故郷北九州に戻って25年ほどになる。昭和の終りから平成の幕開けにかけて「本当に自分は東京で暮らしたのか?」と時々思う。
大学4年の時の就職活動では関西の企業は結局一社も回らなかった。別に東京指向だったわけではないが、志望する会社がすべて東京本社の企業だった。
私がまだ小学生だったころ、父が東京出張から大きな荷物を抱えて戻ってきた。私と弟への土産だという。大きな小包を開けてみると ……。そこには分厚い「広辞苑」とこれまた分厚い「のらくろ漫画全集」(田河水泡著)が入っていた。
玩具や甘いものを期待していた我々はがっかりしたが、父は「こんな本は東京にしか置いとらんのや!」と得意げだった。「広辞苑」はともあれ「のらくろ」は私も弟もストーリーを暗記するほどに読み返すことになった。
大学卒業を間近に控えた1982年3月。父が私に言ったことは「東京は何でも本物がある場所や!だから金を使ってでも絶対に本物を見てこい!」だった。たぶん父は、博物館や美術館、演劇などの芸能を想定していたのだと思うが、私が見た本物は何だったのか?
次の問題は、殺伐とした都会での暮らしを捨てて地方へ移り住む人々への餞のような文章である。父の教えのとおりに東京で「本物」と出会っていたなら、今も東京で暮らしていたかも知れない。
問.次の文を英訳しなさい。
コンクリートの建物に囲まれ、機能第一主義の無機質な都会で生活していると、鳥や虫の鳴き声に耳をすませたり、名も知らぬような草木に目をやったりしながら、季節の微妙な移り変わりを実感するようなことがめっきり少なくなってきたように思う。もっと心に余裕を持ち、一回きりのかけがえのない人生をうるおいのあるものにしたいと考えて、田舎に移住することを決断する人が近年増えてきているのも無理からぬことである。
(2008年 京都大学)
(流離の翻訳者・拙訳)
A function-first and materialistic urban life surrounded by concrete buildings seems to have remarkably reduced the opportunities that we could realize subtle transitions of the seasons while listening to the songs of birds and insects, or looking at unknown plants and trees. It is reasonable that there have been increasingly more people in recent years who have decided to move to countryside, hoping to enrich their one-time-only precious lives with more peaceful mind.