流離の翻訳者 青春のノスタルジア -45ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

旧友との再会は楽しいものである。杯を重ねるにつれて当時のことが思い出されてタイムスリップしたような気持ちになる。還暦を過ぎてからそんな機会が多くなってきた。

 

 

路を歩けばあちこちから金木犀の甘い香りが漂ってくる。柿の実が日々熟れてゆき紅葉が少しずつ始まる季節となった。日本の秋は美しい。

 

もう一つだけ「秋風」関連する漢詩を掲載する。

 

 

「曹丕」(字は子桓(しかん)、187-226)は「曹操」の子で、最終的には彼の後継者として魏の初代皇帝となった。

 

幼い頃から巧みに文章を書き武術では騎射や剣術を得意としたらしい。魏の皇帝としても博聞強識、才芸兼備で詩賦を能くしたと伝えられている。

 

「典論」を著述して文学独自の価値を宣言し、また多くの儒者に命じて最初の類書(内容を事項によって分類・編集した書物)とされる「皇覧」を編集させたことでも知られる。

 

 

 

「燕歌行」の冒頭部は、武帝「秋風辞」を彷彿とさせる。このように古詩に倣う技法を「擬古(ぎこ)」という。但し、中身は戦場の夫を想う妻の心境を切々と詠んだもので「秋風辞」とは全く趣が異なる。

 

enkakou

 

 

 

 

「燕歌行」                       曹丕子桓

秋風蕭瑟天気涼                 秋風蕭瑟(しょうひつ)として天気涼し

草木搖落露為霜                 草木搖落して露霜となる

羣燕辭帰雁南翔                 群燕辞し帰りて雁南に翔び

 

念君客遊思断腸                 君が客遊を念えば思ひ腸(はらわた)を断つ

慊慊思帰戀故郷                 慊慊(けんけん)として帰るを思ひ故郷を恋わん

君何淹留寄佗方                 君何ぞ淹留(えんりゅう)して他方に寄るや

 

賤妾煢煢守空房                 賤妾煢々(けいけい)として空房を守り

憂来思君不敢忘                 憂い来りて君を思い敢えて忘れず

不覚涙下霑衣裳                 覚えず涙下りて衣裳を霑(うるお)すを

 

援琴鳴絃發清商                 琴を援(ひ)き絃を鳴らして清商を発し

短歌微吟不能長                 短歌微吟すれども長くすること能わず

 

明月皎皎照我牀                 明月皎皎として我が牀(しょう)を照らし

星漢西流夜未央                 星漢西に流れて夜未だ央(きわま)らず

 

牽牛織女遥相望                 牽牛織女遥かに相望む

爾獨何辜限河梁                 爾独り何の辜(つみ)ありて河梁に限らる

 

 

(拙・現代語訳)

秋風が侘しく吹く涼しい季節となり、草木は葉を落とし露は霜となりました。燕の群は去り、雁は南へと飛んで行きました。

 

あなたが旅の憂いに沈んでいることを思うと腸(はらわた)が引き裂かれそうな気持ちになります。心が満たされないまま、すぐにでも帰りたいと故郷を懐かしんでおられるのではありませんか。何故いつまでも異国に留まっておられるのでしょう。

 

私はあなたの留守の家を独りで守っていますが、あなたのことを片時も忘れることができず、知らず涙がこぼれて衣装を濡らします。

 

琴を弾き弦を鳴らし澄んだ音を出してみましたが、歌えば声が小さくなってしまい、とても長く歌うことはできません。

 

月光が煌々と私の寝床を照らし、天の川も西に傾きましたが夜の帳はまだ明けることはありません。

 

牽牛と織女は遥か天の川を隔てて向かい合っています。私達は一体何の罪があって、このように引き離されてしまったのでしょうか。

『三国志の英雄で誰が好きか?』と聞かれれば、昔から迷うことなく『曹操!』と答えていた。

 

曹操は「治世之能臣亂世之奸雄」(治世の能臣、乱世の奸雄)と評される。これは「平和な世の中ならば有能な役人、乱世ならば悪知恵に長けた英雄」という意味であり、中国で曹操が長年にわたり悪役扱いされてきたことの根拠がここにある。

 

少し前に、中国の長編ドラマ「三国志Three Kingdoms」全48巻を観終えた。物語を通じて曹操の評価が、昨今随分と見直されているように思われた。「名誉回復」・「復権」と言った感じだろうか?

 

 

曹操(字は孟徳、155-220)は、政治家・兵法家としての才能に加えて文才にも恵まれ多くの詩を作った。曹操の詩は楽府(がふ)と呼ばれる伴奏を伴った歌詞の形式で、作風は簡潔ながら力強いものと言われている。

 

その文才は子の曹丕・曹植に受け継がれ三人で「三曹(さんそう)」と称され「建安文学」と呼ばれる詩文学を築き上げた。五言絶句・律詩、七言絶句・律詩などの漢詩の形式の基盤が確立されたのもこの時期のようである。

 


 

 

以下は「赤壁の戦い」(Battle of Red Cliffs、208年・冬)に臨み、曹操が詠んだとされる詩「短歌行」である。彼の豪快で潔い性格が垣間見えるとともに、如何に彼が有能な人材を集めようとしていたかが窺われる。

 

 

 

 

 

 

「短歌行」                       曹操孟徳

對酒當歌                          酒に対して当(まさ)に歌ふべし

人生幾何                          人生幾何(いくばく)ぞ

譬如朝露                          譬(たと)ゆるに朝露(ちょうろ)の如し

去日苦多                          去る日は苦(はなは)だ多し

慨當以慷                          慨して当に以て慷(こう)すべし

幽思難忘                          幽思(ゆうし)忘れ難し

何以解憂                          何を以てか憂ひを解かん

惟有杜康                          惟(た)だ杜康(とこう)有るのみ

 

青青子衿                          青青(せいせい)たる子が衿(えり)

悠悠我心                          悠悠たる我が心

但爲君故                          但(た)だ君が為の故

沈吟至今                          沈吟(ちんぎん)して今に至る

呦呦鹿鳴                          呦呦(ゆうゆう)と鹿は鳴き

食野之苹                          野の苹(よもぎ)を食らう

我有嘉賓                          我に嘉賓(かひん)有らば

鼓瑟吹笙                          瑟(しつ)を鼓し笙(しょう)を吹かん

 

明明如月                          明明(めいめい)たること月の如きも

何時可採                          何れの時にか採るべき

憂從中來                          憂ひは中より来たり

不可斷絶                          断絶(だんぜつ)すべからず

越陌度阡                          陌(はく)を越え阡(せん)を度り

枉用相存                          枉(ま)げて用(も)って相存(そうぞん)す

契闊談讌                          契闊(けいかつ)談讌(だんえん)して

心念舊恩                          心に旧恩を念(おも)う

 

月明星稀                          月明らかに星稀に

烏鵲南飛                          烏鵲(うじゃく)南に飛ぶ

繞樹三匝                          樹を繞(めぐ)ること三匝(さんそう)

何枝可依                          何れの枝にか依るべき

山不厭高                          山は高きを厭(いと)はず

海不厭深                          海は深きを厭(いと)はず

周公吐哺                          周公は哺(ほ)を吐きて

天下歸心                          天下心を帰したり

 

 

(拙・現代語訳)

酒を前にしては歌おうではないか。人生は短い、譬えれば朝露のようなものだ。月日はあっという間に過ぎてゆく。憤慨して怒りを晴らそうとしても、心の蟠(わだかま)りを消すことはできない。どうしたらこの憂いを解くことがきるだろうか。そのためには酒を飲むしかないのだ。

 

青い襟のある服を着た君よ。私の心は悠々と遥か遠くを見つめ、ただ私は君を待ちつつ、これまで思い悩んできた。鹿が呦呦(ゆうゆう)と鳴いて野の蓬(よもぎ)を食べるように、もし良き客があれば、私は瑟を奏で笙を吹いて客をもてなそう。

 

明るい月の光を手に掬い取ることができないように、有能な人材を味方に取り込むことは難しい。それを思えば、悲しみが心中から沸き起こり、断ち切ることができない。だが君は東西の道を越え、南北の道を渡り遠路遥々私に会いに来てくれた。さあ久しぶりに酒を酌み交わして、昔の誼(よしみ)を温め直そう。

 

月が明るく星が稀な夜、烏鵲(かささぎ)は南へ飛ぼうと、樹々の上を三度まわり、止まるべき枝を捜し求めている。山がどれだけ高かろうが、海がどれだけ深かろうが。昔、周公は口に含んだものを吐いてまで有能な人材をもてなした。天下の人々もその意気に感じたという。どうか私の許にも有能な人材が集まって欲しい。

秋風が心地よい日々が続いている。毎年のことだが「こんな季節がずっと続けばいいのに ……」と思う。

 

 

漢帝国・第7代皇帝の武帝(156B.C.-87B.C.)は、生涯を通じて、宿敵たる北方民族「匈奴」との戦いに明け暮れ、終にこれを打ち破り帝国の最大版図を築いた。

 

その一方で外征による国家財政の窮乏を招き、また自らの独断的な性格から、治世後半、帝国は衰退への道を辿ることになった。以下の詩は武帝44歳(全盛期)の時の作と伝えられている。

 

 

 

「秋風辞」                       漢・武帝(劉徹)

 

秋風起兮白雲飛                 秋風起こりて 白雲飛び

草木黄落兮雁南歸              草木黄落して 雁南に帰る

蘭有秀兮菊有芳                 蘭に秀(しゅう)有り 菊に芳(ほう)有り

懷佳人兮不能忘                 佳人(かじん)を懐(おも)いて 忘るる能(あた)はず

泛樓船兮濟汾河                 楼船を泛(うか)べて 汾河を済(わた)り

橫中流兮揚素波                 中流に横たはりて 素波(そは)を揚ぐ

簫鼓鳴兮發棹歌                 簫鼓(しょうこ)鳴りて 棹歌(とうか)を発す

歡樂極兮哀情多                 歓楽極りて 哀情多し

少壯幾時兮奈老何              少壮幾時(いくとき)ぞ 老いを奈何(いかん)せん

 

(拙・現代語訳)

秋風が吹いて白雲が飛び草木は黄葉して落ち雁は南に帰っていく。蘭の花が咲き菊が芳しい香りを放つこの季節、あの美しい女(ひと)のことが思い起こされ忘れることができない。

楼船(多層櫓付き軍船)を浮かべて汾河を渡れば、船は中流に横たわって白い波飛沫(しぶき)を上げている。笛や太鼓の音や舟歌が聞こえ歓喜極まる中、何故か哀しい気持ちになる。

若くて元気な時は後どれくらい続くのだろうか?老いていく我が身をどうしようか、どうすることもできない。

 

 

 

 

「佳人」を有能な家臣とする解釈もあるらしいが、やはり「美人」の方が自然に思われる。秋風が吹く中、大河の中流に浮かび波飛沫を上げる軍船。笛や太鼓、また舟歌が聞こえてくる船上の宴席で「老いの哀しみ」が詠われている。

 

 

「美女を想う英雄の孤独」といった感じか。いずれ英訳に挑戦してみたい。

 

 

一雨ごとに秋が深まっているが今週末には最後の残暑が戻ってくるらしい。そろそろ衣替えをする時期だがタイミングが難しい。

 

 

「秋の日は釣瓶落とし」とは秋の日が急速に暮れる様子を井戸に落とす釣瓶に喩えたものである。なお、近畿・東海地方の一部には「釣瓶落とし」という名の妖怪の伝説があり、大入道の生首然とした姿で、人が木の下を通ると急に落ちてきて人を襲う、人を食べると言われている。アニメ映画「千と千尋の神隠し」にもチラッと出てくる。

 

 

 

日が沈んだばかりの薄暗い頃を「逢魔時」と呼ぶ。「大禍時」とか前漢末の王莽(おうもう)(45B.C.~23A.D.)の災禍に擬えて「王莽時(おうもうがとき)」と書かれることもある。一般的には酉(とり)の刻(17時~19時、正刻18時、暮6つ)を指すが、いかにも魔物に遭遇しそうな時刻、大きな災禍が起こりそうな不吉な時刻を意味する。

 

「逢魔時」は英語で eventide, gloaming, spooky dusk, twilight などと訳す。Eventide は evening の《古・詩》(古語・詩的表現)のことである。秋分を越えて、「逢魔時」が日々長くなってゆく。

 

 

 

 

先週末の日経新聞にこんな記事(一部改訂)があった。今回は米国の労働需給と金利の関係である。

 

「9月の雇用統計で失業率が3.5%に低下し米労働市場の過熱感がまだ強いことが示され、企業が求人を減らしても失業率が上昇しないという米連邦準備理事会(FRB)の見方を裏付ける内容となった。このためインフレ抑制を優先するFRBは11月の米連邦公開市場操作委員会(FOMC)で大幅利上げを継続する見通しとなった。」

 

(拙訳)

In the US employment statistics in September, the unemployment rate down to 3.5% revealed a still overheated US labor market, which confirmed the Federal Reserve Bank’s (FRB’s) view that the unemployment rate would not increase even if companies reduced their job recruitments. For this reason, the FRB giving priority to curbing of inflation was forecast to continue its policy of substantially raising interest rates at the Federal Open Market Committee (FOMC) in November.

 

 

失業率が低下したことは、引き続き人手不足の状態が続いており、賃金の上昇通じてインフレの長期化につながると判断されたためである。米・ダウ工業株30種平均は、失業率の低下を受けて急落した。

 

失業率の低下⇒賃金の上昇⇒インフレの長期化⇒利上げの継続⇒景気の減速⇒株価の下落

というロジックだろうか?よくわからないしややこしい!

 

 

一からマクロ経済学のテキストを読み直すことにした。

 

陰暦の八月十五夜の月(仲秋の名月)と並び称されるもう一つの名月に、九月十三夜の月(栗名月)がある。因みに今年の八月十五夜は9月10日、九月十三夜が昨日、10月8日だった。

 

夕刻には水色の澄んだ空に美しい十三夜の月が見られたがは夜半からは残念ながら雲が多く朧に霞む名月となった。いずれかの名月を見損なうことを片見月(かたみつき)と呼び縁起が悪いとする風習もあるらしい。

 

 

 

九月十三夜と言えば詩吟でも有名な上杉謙信の以下の漢詩が思い起こされる。

 

「九月十三夜陣中作」        上杉謙信

 

霜満軍営秋気清                 霜は軍営に満ちて 秋気清し

数行過雁月三更                 数行の過雁(かがん) 月三更(さんこう)

越山併得能州景                 越山併(あわ)せ得たり 能州の景

遮莫家郷憶遠征                 遮莫(さもあらばあれ) 家郷遠征を憶うを

 

(拙現代語訳)

霜が陣営を白く覆って、秋の気配が清々しい。真夜中の月が冴えざえと照り映える中、幾列かの雁が空を渡ってゆく。越後・越中の山々に加え、遂にこの能登の風景も手中に収めることができた。故郷では家族が遠征にある我が身を案じているだろうが、とりあえず今夜はこの十三夜の月を眺めていよう。

 

 

(自作英訳・改訂第二版)

“A Poem on the 13th night at the camp” by UESUGI Kenshin

 

Frost has fully covered the camp amid the crisp autumn air.

Some rows of wild geese are passing under the silent moon at midnight.

Winning a splendid landscape of Noto together with Etchu and Echigo mountains.

For the time being, let me leave it aside the homeland worrying about our expedition!

 

 

以前から読みたいと買っていた本を昨日少しだけ読んでみた。J.M.ヘンダーソン、R.E.クォント著の「現代経済学」(創文社)というものである。

 

学生時代にゼミのミクロ経済学の副読本として読んでいる先輩や同期が多かった。通称「ヘン・クォン」と呼ばれており数学的な説明が多い。昨日読んだところにこんな文があった。

 

「数学は文章による議論を簡潔で矛盾のない形式に翻訳するのに役立つ」

 

銘記すべき言葉である。

 

 

 

以前は円安が進めば株式相場は上昇していたが、昨今はそうなっていない。これに関して昨日の日経にこんな記事(一部改訂)があった。

 

「海外投資家の『日本株離れ』が進んでいる。これはもはや円安が日本企業にとって大きなプラスとは言えないためで、ドル建てでの価値の目減りを嫌い、日本株を売る姿勢を強めているからだ。以前は大幅に円安が進めば輸出企業などの業績拡大が期待され、外国人の買いは増える傾向にあったが、日本企業は生産拠点の海外移転を進め、輸出数量も過去に比べて伸びなくなり、円安のメリットを享受しにくくなっている。また、海外で原材料を調達する企業にとっては円安によるコスト増のマイナス影響も大きく『円安なら海外勢買い』という構造は変わってしまったと言える。」

 

(拙訳)

Foreign investors have remarkably been “staying away from Japanese stocks,” because yen depreciation is no longer beneficial to Japanese companies. So, the foreign investors dislike a loss in the value of Japanese stocks in dollars and have strengthened their stance to sell Japanese stocks. Formerly, a drastic yen depreciation caused investors to expect an expansion in business performance of Japanese export companies, therefore investors tended to buy more Japanese stocks. However, since the Japanese export companies shifted their production bases to foreign countries and their export volumes didn’t so much extend as before, it has become difficult for the Japanese export companies to enjoy the advantage of yen depreciation. Further, a disadvantage of cost increase due to yen depreciation has been serios for such companies that would procure raw materials in foreign countries, thus it can be said that “a formula of Japanese stock buying by foreign investors at the time of yen depreciation” has completely changed.

 

 

 

 

2017年11月、ある通訳案件が入ってきた。北九州市の外郭団体「アジア成長研究所(旧・国際東アジア研究センター)」からのものだった。

 

 

今回はいつもの工業系通訳ではなく、海外から招いた学者たちとの国際会議(シンポジウム)の後の晩餐会の通訳だった。通訳は研究所の理事長および副市長に対するものだった。完全なホワイトカラーの通訳は初めての経験だった。

 

通訳者は2名、理事長および副市長の隣席が与えられて通訳を行い食事も支給されるというラッキー(?)な条件だった。

 

ベテランの女性通訳者がベターと判断した。女性通訳者のMBさんと同じく福岡在住のベテランの女性通訳者をアサインした。私も段取り方々会場のホテルに赴いたが総勢20名余りで和やかな雰囲気の会合だった。彼女たちは卒なく通訳をこなした。

 

 

彼女たちの活躍のおかげで「アジア成長研究所」から信頼を得ることができ、以後同研究所から学術論文や研究所の規程について翻訳(和文英訳・英文和訳)案件を引き受けることになった。

 

http://www.agi.or.jp/

金融英語シリーズが続いているが ……。

 

これも前日の日経新聞から欧州・ユーロ圏に対する欧州中央銀行(ECB)の動きに関する記述である。米国FRBの金融引き締めが世界中に影響を及ぼしている。

 

「欧州はウクライナ侵攻の影響でエネルギー供給の停滞が続くとの観測からユーロを売る動きが加速し、20年ぶりの安値を更新した。通貨安を警戒する欧州中央銀行(ECB)は政策金利を急ピッチで引き上げているが、同じく急速な利上げを進める米国との金利差を縮められていない。」

 

(拙訳)

In Europe, the anticipation that the energy supply would continue to stagnate under the influence of Russian invasion of Ukraine accelerated euro selling, and as a result, euro recorded a new low after an interval of 20 years. Although the European Central Bank (ECB), being on the outlook for the euro depreciation, has been raising the policy interest rate at a fast pace, they have still been unable to reduce the difference in interest rates between the eurozone and the US which has rapidly raised its interest rate in the same manner.

 

最近「金融英語の基礎と応用 すぐに役立つ表現・文例1300」(鈴木立哉著 講談社)を辞書的に使用している。

 

 

 

2017年10月、市内の観光スポット「北九州市立松本清張記念館」から展示品の解説文について和文英訳、和文中訳(繁体字・簡体字)、和文韓訳の案件が入ってきた。

 

原稿の内容は記念館の目的に始まり、松本清張(1909~1992)の生涯、作品の種類(系統)また展示物の紹介が中心だった。大した翻訳量ではなかったが、自社の作品が記念館に展示されるのは光栄なことでもあり緊張感をもって翻訳を遂行することができた。

 

https://www.seicho-mm.jp/

 

 

松本清張については、やはり「砂の器」が最も記憶に残る作品である。「なりすます」を英語では impersonate という動詞で表す。「(人)をまねる、(人)に扮する」の意味である。

 

The poor boy impersonated Eiryo Waga, the the first son who was killed together with his parents in the Osaka Air Raid in 1945.

 

「その貧しい少年は1945年の大阪大空襲で両親とともに亡くなった長男、和賀英良になりすました

 

 

この「なりすまし(Impersonation)」は以後も様々なミステリーで利用されているが、ネットや携帯電話の世界の中では別の意味に使われるようになってきた。

 

今回は昨日の日経新聞の金融記事(若干改訂)から少し長めの英訳に挑戦してみたい。

 

「日銀側が金融緩和の縮小にかじを切る気配はなかった。円相場は投機筋の動きで値動きが荒くなり、底割れして1ドル=200円まで落ちるとの観測も浮上した。………… あるストラテジストは『米国の物価上昇が続けば米連邦準備理事会(FRB)による金融引き締めが続くとの見方が強まり、円安につながった』とも話す。」

 

(拙訳)

In the BOJ side, there was no sign of weakening the monetary easing policy. The movements of the yen-dollar rate became volatile due to actions by non-commercial investors, and thus an anticipation was surfaced that the rate might fall as low as 200 yen per dollar, breaking through the previous lows. ……… Also a strategist said, “A view grew stronger that the monetary tightening policy by the Federal Reserve Bank (FRB) will continue if the prices in the US continue to rise, thereby resulting in the recent depreciation of the yen.”

 

 

 

 

市の外郭団体のコンサルタントの方の紹介で全く未知の分野の製品の製造業のHPの英訳を担当することになったのが2017年秋のことだった。

 

「未知の分野の製品」とは日本の伝統工芸品の「簾(すだれ)」だった。会社は福岡県の筑後地方にあった。とりあえずコンサルタントの方に同行して工場を見学したのが2017年9月の終わり、今から5年ほど前のことだった。

 

工場内では簾の全製造工程が職人たちの手作業で行われていた。工業製品ではなく芸術作品だった。「果たして自社の翻訳者の陣営で対応できるのか?」という不安が頭をもたげてきた。

 

簾のベースには『室礼(しつらい)』という概念があった。『室礼』とは「平安時代、宴や儀式などを行う晴れの日に、寝殿造りの邸宅の母屋や庇に屏風や几帳、御簾などの仕切り具、櫃や厨子などの収納具、また置畳や円座などの座臥具などを置いて、解放された空間を必要に応じて使いやすいように装飾したこと」を言う。

 

かなり難しい概念で、翻訳者の選定には神経を使った。結局2名の翻訳者をアサインした。「室礼」など伝統文化関連は早稲田大・文学部卒の京都府在住の女性翻訳者を割り当て、簾の製造・構造など「伝承技術(Craftmanship)」関連は東大・工学部卒のベテラン翻訳者KTさんにお願いすることにした。

 

HPの構成や遷移も複雑で作業は難航を極めたが、HP制作会社の担当女性エンジニアの活躍もあり何とか2018年1月一杯に納品を終えることができた。

 

 

それから6年近くになるが同社HPは大きく変貌を遂げており当時の面影は残っていない。どこまで貢献できたかわからないが、今後も同社の躍進を祈念するばかりである。

 

 

昨日の日経新聞にこんな日本語があった。

 

「日本は円安を奇貨としてインバウンド消費や対日投資を促す取り組みを強化すべきだ」

 

この英訳を考えてみた。まず「奇貨」が手ごわい。広辞苑によると①珍しい財貨②転じて、利用すれば意外の利を得る見込みのある物事や機会、とあった。

 

と言うことは「奇貨」=rare opportunity か。また句を使うのであれば take advantage of や avail oneself of あたりか。

 

(拙訳)

Japan should strengthen the activities to facilitate inbound consumptions and investments in Japan, taking advantage of a rare opportunity of the recent depreciation of the yen.

 

 

 

 

安田火災の「いいとも会」で「スクラブル(Scrabble)」というゲームが流行った時期があった。メンバーの一人がアメリカの大学院留学に向けて英語を猛勉強していた1986~1987年頃のことである。

 

GMAT や TOEFL などの受験のためにボキャブラリーを増強する必要があった彼は Vocabulary Builder などの他にスクラブルを購入してボキャブラリーの増強を楽しんでいた。効果的な学習法である。しかし、当時の私はこのゲームがからっきし苦手だった。

 

 

先日、このスクラブルを再度購入した。パートナーが英検受験のためのボキャブラリーの不足に悩んでいたからである。やってみるとなかなか面白いが、自分が簡単な単語の綴りすら覚束ないことに呆れもしたし反省もした。今は WORD がスペルを補強してくれるので甘えてしまっていたからである。

 

 

当時はあやふやな単語を投じると即座に Doubt! と周囲から声が上がったが、今はパートナーにはハンディとして英検単語帳の使用を許可しているしそんな緊張感は全く無い。まあ遊びは遊び、それで良しとしよう。

 

 

とは言え、結構長い単語が投入できたときは何となく「どや顔」になる。だが勝つためには2~4文字の短い単語を品詞にかかわらずより多く知っておくことだ。感嘆詞でも何でも構わない。但し固有名詞や略語(省略形を含む)は使用できないので注意が必要である。

 

 

写真の QUILL は何処かで見たような単語だったが一か八かで投入したらたまたま辞書にあったもの。意味は「羽柄(うへい)=鳥の翼または尾にある強くて丈夫な羽根」のこと。また BEAF は私のスペルミス。Doubt! が無かったのでそのままになったもの。

 

 

今はパートナーのボキャブラリーの増強を待ちつつ、このスクラブル、しばらく「独り打ち」をしながらより深く研究したいと思う。

 

 

「北斗七星」は柄杓状をなす大熊座(the Great Bear)の七星をいい、米語では the Big Dipper 英語では the Plough とか Charles’s Wain と表される。

 

この「北斗七星」に対比されるのが「南斗六星」と呼ばれるいて座(Sagittarius, the Archer)の上半身と弓の一部の明るい六星で、英語では Milk Dipper とか Southern dipper asterism within Sagittarius などと呼ばれている。

 

古代中国の道教(Taoism)では北斗七星を「死をつかさどる神(北斗星君)」、南斗六星を「生をつかさどる神(南斗星君)」とする思想があるらしい。

 

 

 

 

岡垣町(福岡県遠賀郡)の海岸では夏から秋にかけて「北斗の水くみ」という天文ショーが見られる。これは北斗七星が海面すれすれを通って再び空に上る姿が、まるで柄杓が海水を汲んでいるように見えることから名づけられたもので九州北岸に限られた現象らしい。

 

http://www.town.okagaki.lg.jp/s027/20151015194458.html

(※福岡県遠賀郡岡垣町ウェブサイトより引用)

 

 

 

 

秋は明るい星座が少なく寂しい夜空だが、時にはこんな天文ショーを楽しむような心の余裕を持ちたいものである。