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流離の翻訳者 日日是好日

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

先日の日経新聞にこんな記事があった。

 

レトロ(懐古趣味)とユートピア(理想郷)を組み合わせた「レトロトピア」――。ポーランド出身の社会学者ジグムント・バウマン氏が、2017年の著書「退行の時代を生きる」で世に問うた造語である。

 

激動の「現在」に強い不安や不満を感じるがゆえに、手探りの「未来」に希望が持てず懐かしい「過去」に楽園を見いだす。

 

 

 

 

ここ1年半ほど自叙伝らしきものを本ブログで綴っている。内容は小学校時代の1970年代前半から始まりやっと2020年までの50年近くに亙るものになった。

 

まあ「懐古趣味」と言われればそれまでだが、孔子の「論語」為政扁に「温故知新(故きを温ためて新しきを知る)」という言葉があるように過去を回顧することは決して悪いことではないと感じている。

 

 

因みに、バウマン氏の「レトロトピア(Retrotopia)」の定義をネット上で見つけたので拙訳とともに以下に記載しておく。

 

Retrotopia” means looking to the past so as to be reassured about an uncertain, troublesome future, where our comfort zones seem threatened by an increasingly diverse world and competing models. A favorable environment in which we can act, secure resources and identify goals in a way that makes us feel safe.

 

(拙・日本語訳)

レトロトピア」とは、我々の「安全地帯」(ホッと落ち着ける場所)が、益々多様化する世界や競合するモデルによって脅かされるように感じられる不確実で面倒な未来を再確認するために過去に目を向けることを意味する。我々が安全だと感じる方法で行動でき、資源を確保でき、また目標が確認できる好ましい環境。

 

 

最近、学生時代に講義を受けた(実際は受講できたのにしっかりと受講しなかった)教官の著書をアマゾンの中古品で探し出して読んでみようという懐古的(回顧的)な試みをしている。

 

古書が届いて中を開くとノスタルジックな雰囲気が漂う。ある意味過去の「罪滅ぼし」のような気持ちにもなる。西村京太郎の小説によく出てくる「過去への旅」みたいなものかも知れない。

 

既に他界されている先生方、ご存命の方でも90歳前後になるだろう。自分も随分歳をとったものだ。

 

 

 

 

 

 

2019年12月、通訳案件が片付き一段落した。以降2020年1月にかけて過去に翻訳・通訳の取引があった企業のうち再受注が見込めそうなところを洗い出して片っ端から電話をして営業をかけるという活動を行った。こちらは「過去への営業」みたいなものである。

 

地場のゼネコン、精密機器や非破壊検査の会社、また北九州貿易協会とタイアップして技能実習生の監理団体を訪問したこともあった。

 

そんな営業の最中、嬉しかったのはメルマガの送付先である九州工大の先生から「一度会って英語談義をしたい」というお誘いがあったことである。専門書に埋もれた研究室で先生に淹れていただいたコーヒーを飲みながらのひと時。営業の疲れを忘れて癒された気持ちになった。

 

 

それから暫く経った2020年1月の中旬。一年で一番寒い頃である。ある「冬将軍」が我々に近づきつつあった。この「冬将軍」、後に COVID-19 と呼ばれることになる。

 

 

なお「冬将軍」とは、モスクワに突入したナポレオンが、厳寒と積雪とに悩まされて敗北した史実に因む冬の異名で冬の厳しさを擬人化した表現をいう。英語では Russian Winter, General Winter, General Frost, Jack Frost, Old Man Winter などと表す。このうち Jack Frost、Old Man Winter はイングランドの神話や童話に由来するものである。

 

Jack Frost is nipping at my nose and ears.

 

「冬将軍(霜の妖精)が鼻と耳を痛いぐらいに凍らせている」

 

Old Man Winter withdrew and allowed flowers to blossom and birds to sing.

 

「冬将軍が立ち去り、花は咲き鳥は歌えるようになった」

 

 

 

 

11月中旬ともなると街のあちこちでクリスマスのライトアップが始まり、年の瀬のカウントダウンのような慌ただしさを嫌でも感じさせられる。そんな地上のイルミネーションを他所に、夜空では美しい冬の星座が競って煌めいている。

 

 

おおいぬ座のシリウス(Sirius of Canis Major)、こいぬ座のプロキオン(Procyon of Canis Minor)、オリオン座のベテルギウス(Betelgeuse of Orion)を結ぶ図形「冬の大三角」(Great Winter Triangle)は有名だが、これとは別にもう一つ図形がある。

 

それは、おおいぬ座のシリウス、オリオン座のリゲル(Rigel of Orion)、おうし座のアルデバラン(Aldebaran of Taurus)、ぎょしゃ座のカペラ(Capella of Auriga)、ふたご座のポルックス(Pollux of Gemini)、こいぬ座のプロキオンの6つの一等星を結ぶ図形でこれを「冬のダイヤモンド(または冬の大六角形)」(Winter Diamond or Great Winter Hexagon)と呼ぶ。澄んだ冬の夜空に煌めく美しい星の宝石。一見の価値がある。

 

 

 

「冬の星座」                                           作詞:堀内敬三 作曲:ウィリアム・ヘイス

 

木枯らしとだえてさゆる空より                   地上に降りしく奇(くす)しき光よ

ものみないこえる静寂(しじま)の中に       きらめき揺れつつ星座はめぐる

 

ほのぼの明かりて流るる銀河                      オリオン舞い立ちスバルはさざめく

無窮(むきゅう)をゆびさす北斗の針と       きらめき揺れつつ星座はめぐる

 

 

 

「立冬」を過ぎたが冬はまだ足踏み状態のようである。今のうちにせいぜい晩秋を楽しもう。

 

 

これは今の時期に限ったことではないが、数匹の猫、時には十数匹の猫が集まりじっと座って日向ぼっこをしているのを時々見かける。これを「猫会議」とか「猫の集会」と呼ぶそうで、英語では cats’ gathering とか clowder(猫の群れ)と表す。

 

「猫会議」は普通夕方から夜にかけて催されるようで、その目的は地域内の猫同士の顔見せやメンバーの確認、合コン(婚活)、その他政治的な話し合い(ボス決め?)など様々な説があるらしい。

 

「猫会議」の場所は公園の片隅や駐車場などで、また猫間の間隔は 50cm~1m で緩やかな円を描いて座る…、などなど色々分析する向きもあるが、本来集団行動より単独行動を好む猫たち、この寒空の下、屋外での「猫会議」より炬燵が恋しくなる季節となった。

 

 

 

因みに「かじけ猫」(寒さに悴(かじか)み日向など暖かい場所にじっとしている猫)、「竈(かまど)猫」(温もりが残る竈の灰に埋もれてじっとしている猫)、「炬燵猫」(炬燵の中や炬燵布団の上でじっとしている猫)はいずれも冬の季語である。

 

 

 

 

猫に関して、学生時代こんなことがあった。

 

ある冬の日、友人の下宿の部屋で麻雀を打っているとドアの外で「カリカリ」と引っ掻く音がする。開けると猫が入ってきた。猫は我々が麻雀する炬燵のそばで気持ちよく眠っていた。

 

その日の麻雀は深夜におよび、眠さを堪えて麻雀を続けていると気持ちよく寝ている猫が恨めしく思えた。誰かが配牌や自摸の悪さの腹いせに猫を叩き起こした。猫は驚いて飛び起き、暫くするとまた眠った。このような虐待が何度か続いた。

 

そしてある時……、叩き起こされた猫がついに怒った。猫は麻雀卓に跳び上がり牌を一通り破壊すると、部屋の隅に行きじっと動かなくなった。以後叩いても起きることはなかった。まるで「置き猫」だった。やはり猫を麻雀に付き合わせてはいけない。

 

 

 

洗牌(しーぱい)の音聞こえずや炬燵猫

 

※洗牌は麻雀牌を混ぜること。学生時代を思い出しつつ一句ひねってみた。

 

 

 

 

二十四節気の「霜降(そうこう)」はとっくに過ぎて、明日11月7日ははや「立冬」である。朝晩少し肌寒く感じられるのも時節である。

 

 

セイタカアワダチソウ(背高泡立草)の黄色い花があちこちで盛りとなっている。北米原産の外来植物だがその由来は第二次大戦後、米軍の輸入物資に付着した種子により分布が拡大したものらしい。

 

元々観賞用、蜜源植物として導入されたが、喘息などの原因と誤解されたこともあり外来生物法により要注意外来生物に指定されている。

 

 

 

気が付けば紅葉が見頃となってきている。これから2週間くらいがピークだろう。今年はウィークディにゆっくりと紅葉狩りができそうだ。

 

因みに「もみじ」は上代には「モミチ」と発音された。漢字も上代では「黄葉」。平安時代以降「紅葉」と書かれるようになったらしい。

 

山野に紅葉をたずねて鑑賞することを「紅葉狩り」と呼ぶが、昨今の地球温暖化の影響で紅葉の色づく時期も年々遅くなっている。なお葉の黄色の色素はカロテノイド(carotenoid)、赤色の色素はアントシアン(anthocyan)と呼ばれている。

 

 

「山行(さんこう)」    杜牧(とぼく)

 

遠上寒山石径斜             遠く寒山に上れば 石径(せっけい)斜めなり

白雲生処有人家             白雲生ずる処(ところ) 人家有り

停車坐愛楓林晩             車を停めて坐(そぞろ)に愛す 楓林の晩(くれ)

霜葉紅於二月花             霜葉は二月の花よりも 紅(くれない)なり

 

 

 

(拙現代語訳)

遥々と寂しい山に登っていくと、石の多い小道が斜めに続いている。白い雲がかかっているあたりに人家が見える。

車を停めて思わず夕日に照り映えた楓の林の景色を眺めてみた。霜にあたり紅葉した楓の葉は二月の桃の花よりもずっと赤くて美しい。

 

 

(拙英語訳)

“Mountain Walking” by Du Mu

 

Desolate mountain top afar off commands a stony path running slantwise to a house under the white clouds in the distance.

Stopping the cart to stroll around the maple trees in the twilight, frosted leaves look redder than plum blossoms of February.

 

 

 

「気難しい」という日本語からまず浮かぶのは fastidious という形容詞である。この語の定義は以下の通り。

 

Fastidious:

1) If you say that someone is fastidious, you mean that they pay great attention to detail because they like everything to be very neat, accurate, and in good order.

「全てのことについて非常にきちんと、正確で、順序正しくあることを好むがため、細部わたり大きな注意を払う人」

 

2) If you say that someone is fastidious, you mean that they are concerned about keeping clean to an extent that many people consider to be excessive.

「大抵の人が行き過ぎだと思うような程度まで清潔に保つことに気を遣う人」

 

2)は潔癖症のこと。1)のような輩と付き合うのは面倒だ。それが顧客であればなおさら厄介なことである。

 

 

 

 

「気難しい」ならまだしも、それを越えて「偏屈」となるとコミュニケーション自体が難しくなる。これを表す cantankerous という形容詞がある。定義は以下の通り。

 

Cantankerous:

Someone who is cantankerous is always finding things to argue or complain about.

「いつも論争(自説を主張)したり、不平不満をぶつけたりできるものを探している人」

 

不運にもそんな輩に巡り合い仕事上暫くの間コミュニケーションを取らなければならない時期があった。まあ今は人間関係の修業だったと考えている。但し、英文ではこの単語見かけたことは無い。

 

 

2019年11月初旬、新日鐵(現・日本製鉄㈱)関連のN社からベルギー・ブリュッセルへの通訳派遣の案件が舞い込んできた。言語は日本語⇔英語、期間11月末から12月初旬の1週間ほどだった。

 

11月下旬には例の「日中韓三カ国環境大臣会合」の大規模多言語通訳を控えていたが引き受けざるを得なかった。また、コーディネートも私がする以外なかった。

 

 

通訳の内容はN社がベルギーのD社に納入した設備(equipment)の障害の対応に関するもので、インバーター、インダクター、キャパシターなどの用語が出てきたが文系の私にはさっぱりわからなかった。

 

 

 

 

N社の担当エンジニアI氏は幸い大学の後輩(工学部・学士)で、門外漢の通訳者と私に丁寧に技術的基礎を説明してくれた。但し、ある問題があった。それは「D社の担当者がかなり気難しい年配の技術者」らしいことだった。いわゆる前述の fastidious である。

 

ただ、これに関してはI氏が既に相応の対策を講じていた。D社担当者に対する受け応えのポイントをルール化して簡潔に整理していた。

 

「この男は捌ける!」と思った。「Iさん何年目ですか?」ときくと「今3年目です。」との答えが返ってきた。まさに「栴檀は双葉より芳し」と思えた。

 

 

I氏に同行した男性通訳者は、ベルギー・ブリュッセルでの通訳を卒なくこなして帰国してきた。

 

 

令和改元のお祭りムードが続いていた2019年の後半、通訳案件でビジネスも活況、来る2020年もこんな好景気が続くと思っていた。

 

何処からともなくブラっとやってくる凄腕のガンマン。決して正義派ではないが、結局そんな風来坊が悪を滅ぼす。だが往々にして風来坊は複雑な事情を抱えている。マカロニ・ウェスタンにはそんなストーリーが多い。

 

 

風来坊を英語で vagabond という。定義は以下の通り。

 

Vagabond:

A vagabond is someone who wanders from place to place and has no home or job.

 

「町から町へとさすらう住所不定・無職の輩(やから)。放浪者。」

 

 

マカロニ・ウェスタン(Macaroni Western)とは1960年代から1970年代前半に作られたイタリア製の西部劇を表す和製英語で、イギリスやアメリカ合衆国、またイタリアではスパゲッティ・ウェスタン(Spaghetti Western)と呼ぶらしい。

 

このマカロニ・ウェスタン、BGMがとにかくカッコいい。日本の「必殺シリーズ」などはこの影響を受けているように思われる。

 

 

主役がフランコ・ネロのものが特に好きだ。「続・荒野の用心棒」(1966年)はあまりにも有名。背景は南北戦争後期の西部か。主人公は北軍の流れ者。愛を失くし黄金しか信じられなくなった男。棺桶に隠した機関銃。墓地での最終決闘。発想も面白い。

 

 

 

また同じ年の「真昼の用心棒」(1966年)。主人公は次男。父親が違う飲んだくれの兄だが実は凄腕。実の父・弟との確執。狂っている実の弟。ちょっと変わった中国人のピアニスト。ネロのアクションとBGMが最高である。

 

 

 

以下は「必殺シリーズ」第一弾の「必殺仕掛人」(1972年)の主題歌「荒野の果てに」と第三弾「助け人走る」(1973年)の主題歌「望郷の旅」である。何となくイメージが似ている。

 

 

最後に京都に行ったのが翻訳者にデビューした2008年の9月だから、気が付けばもう14年になる。その10年後の2018年11月、京都旅行を企画してホテルまで押さえたが残念なことにドタキャンになった。

 

以来、コロナ禍もあって行けていない。学生時代、ブラブラ、ダラダラと過ごしたのが噓のように敷居の高い街となってしまった。

 

 

 

 

 

 

阪急京都線は桂で嵐山線と分岐する。大学2年から3年にかけてその阪急桂駅に週2回通った。家庭教師のアルバイトをしていたからだ。

 

生徒は中学生2年生の男の子で進級を挟んで1年余り教えた。勉強が好きな子ではなく腕白だったが大したことも教えられず、彼の話し相手、遊び相手になっただけだった。

 

母親とは死別しており父子家庭だったが、父親も高校生の兄も料理が得意で講義のあとの食事が楽しみでもあった。

 

その子の家は阪急桂駅から歩いて5分くらいのところにあった。毎週2回、夕方2時間ほど主に英語と数学を教えた。駅から家まで行く途中に川があったような無かったような ……?記憶が定かでない。

 

結局その子は、父親の勧めもあり推薦でトヨタ自動車直営の全寮制の工業高校に進んだ。卒業後はトヨタ自動車への入社が保証されていると聞いた。理科も車も好きだったから良かったのではないか。今は高給取りになっているかも知れない。

 

 

 

その子から面白い(?)話を聞いた。ある日、彼が桂川の近くを友人(悪ガキ)たちと歩いていると一人の老人が川岸に腰かけて尺八を演奏していた。老人は自らの演奏に悦に入り河岸の風景に完全に溶け込んでいたという。

 

そんな老人に対して彼ら悪ガキどもが悪戯を仕掛けた。老人の背後の地面に爆竹を仕掛け導火線を長くして火をつけた。爆竹は爆発、老人は驚いて川にはまり、老人愛用の尺八も川を流れて行った。勿論彼らは一目散に逃げた。

 

老人が無事だったのか ……?どこまで本当の話なのか ……?それはただ桂川のみが知ることである。

 

 

 

この曲の最後のフレーズ「遠い日は二度と帰らない 夕やみの桂川」を聴くと少しほろ苦い思い出が蘇ってくる。なお、英訳は10年近く前に若気の至りで作ったものを改訂してみたが、決して満足できるできではない。

 

 

 

「京都慕情」

 

あの人の姿懐かしい 黄昏の河原町

恋は恋は弱い女を どうして泣かせるの

苦しめないでああ責めないで 別れのつらさ知りながら

あの人の言葉想い出す 夕焼の高瀬川

 

遠い日の愛の残り火が 燃えてる嵐山

すべてすべてあなたのことが どうして消せないの

苦しめないでああ責めないで 別れのつらさ知りながら

遠い日は二度と帰らない 夕やみの東山

 

苦しめないでああ責めないで 別れのつらさ知りながら

遠い日は二度と帰らない 夕やみの桂川

 

 

(拙英語訳)

“Longing for Kyoto”

 

I remember that man, standing at Kawaramachi in the twilight.

Why would love make such a feeble woman cry so much?

Don’t tease me! Ah, never blame me! For all I know how hard a breakup is, Takase River at the sunset reminds me of what he said to me.

 

Embers of love in those days are simmering in Arashiyama.

Why couldn't I forget and erase any and all about him?

Don’t tease me! Ah, never blame me! For all I know how hard a breakup is, Mt. Higashiyama in the twilight makes me learn that those days never come back again.

 

Don’t tease me! Ah, never blame me! For all I know how hard a breakup is, Katsura River in the dusk brings me home that those days never come back again.

 

秋月は、筑前の小京都とも呼ばれる静かな城下町である。

 

「三連水車の里あさくら」で果物や野菜を買い込んだ帰りに短い時間立ち寄ってからもう3年になる。武家屋敷の佇まいの中、少しだけ色づいた紅葉と清流のせせらぎ、石畳に響く寺の鐘の音が消えたとき、暫し時が止まったような錯覚を覚えた。

 

 

 

 

「秋月レトロ市」と称する骨董・アンティークモールが常設されており20店ほどが出店している。これらを巡るのも楽しい。骨董店で値切って買った火鉢は、庭で植木鉢となって今も活躍している。

 

 

 

レトロな玩具やガラス細工、子連れの若い夫婦などを見ていると幼い頃の記憶が蘇ってくる。

 

 

 

「八丁峠道路(八丁トンネル)」が開通してアクセスが良くなった。紅葉もこれからが見頃だ。夕方5時のヴェルナーの「野ばら」のメロディが暮れてゆく小京都を優しく包んでいた。

 

 

秋晴れが続く中、街路樹の緑が少しずつ赤や黄色に色づいている。空の青に葉の緑。青緑ならぬ緑青と書いて「緑青(ろくしょう)」と読む。銅の表面に生じる緑色の錆のことで、寺社仏閣の屋根や銅像の表面に見られ風雅な味わいを醸し出している。

 

 

 

この「緑青」、銅に空気中の水分と二酸化炭素が作用して生じる塩基性炭酸銅などを主成分とするものでほとんど無害で、その化学反応は以下の化学式で表される。

 

2Cu + O2 + CO2 + H2O → CuCO3・Cu (OH)2

 

 

「緑青」を英語でpatina [pətíːnə]というが patina を英英辞典で引いてみると第2義に以下の定義がある。

 

Patina:

The patina on an old object is an attractive soft shine that has developed on its surface, usually because it has been used a lot.

 

「使い込まれて古びた物の表面に生じる魅力的で柔らかな光沢のこと。古色。」

 

英語では「緑青」という語自体が「古色」の意味をもつ。古色蒼然とした佇まいの寺社や仏閣。紅葉の見頃はこれからである。

 

 

 

 

「日中韓三カ国環境大臣会合(TEMM21)」歓迎レセプション会場の「リーガロイヤルホテル小倉」に入り北九州市環境局スタッフの控室に向かった。控室では数名のスタッフがレセプションの準備に慌ただしく動いていた。

 

中国語と韓国語の同時通訳者が早めに到着した。英語の逐次通訳者が一人、また一人と到着していた。暫くすると学生や若手ビジネスマンの市内視察に同行した中国語と韓国語の逐次通訳者が戻ってきた。

 

環境関連施設や「いのちのたび博物館」での専門用語の通訳に苦労したらしく二人ともかなり疲弊していたが、ある意味開き直ってもおり安心感が持てた。

 

 

女性通訳者が集まると何かと喧しい(まあ喋るのが商売なので仕方ないが)。やや気圧されていたが、顔馴染みの英語の男性通訳者が到着して味方を得た。

 

控室にはサンドイッチやおにぎり、またペットボトルの飲み物を市環境局のスタッフが用意しており女性通訳者が我先にとパクついていた。「やはり通訳は体力なんだ!」と改めて思い知らされた。

 

 

夕刻が近づき宴会場へと入った。宴席の後ろには多くのマスコミが待機していた。通訳者の配置などは環境局スタッフの指示に従った。あとは各通訳者に任せる他なかった。

 

程なく歓迎レセプションが始まった。挨拶の順序は、①北九州市長(ホスト・開会の挨拶)⇒②中国の環境大臣⇒③韓国の環境大臣⇒④日本の環境大臣(小泉進次郎氏)⇒⑤福岡県知事(挨拶+乾杯)だった。

 

挨拶の文言は1センテンス毎に、日本人のスピーカーであれば、①日本語(スピーカー)⇒②韓国語(日韓通訳者)⇒③中国語(日中通訳者)という形で逐次に通訳された。同時通訳というよりは正式な逐次通訳である。

 

事前に挨拶の原稿は渡されているものの誤解が生じない通訳、臨機応変な対応および度胸が必要だと感じた。市環境局の担当者が「同時通訳レベルの通訳者が必要!」と言っていた理由が何となく理解できた。

 

 

ただ中国・韓国の環境大臣が同伴してきた中日・韓日通訳者の日本語レベルは決して高くはなく「その程度か?!」と思えるところもあり妙な安心感を覚えた。

 

中国語・韓国語の同時通訳者は問題なく北九州市長および福岡県知事の挨拶の通訳をこなし歓談が始まった。中・韓・英の逐次通訳者は首尾よく歓談のサポートを行った。

 

私は円卓をはしごしながら各通訳者の様子を見て声を掛けてまわった。来賓に声を掛けられることもありその日に交換した名刺は50枚を超えた。午後9時頃、歓迎レセプションは無事終了し解散となった。

 

 

それにしてもコーディネーターとは面倒な仕事である。ただ本通訳は私にとっても貴重な経験となり、以後「大概の通訳は怖くない」と思えるようになった。