流離の翻訳者 青春のノスタルジア -21ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

大晦日は朝から雨でしたが、今日は薄日のさす穏やかな年明けとなりました。拙ブログの読者の皆様、2024年、新年明けましておめでとうございます。

 

昨年5月から「英語の迷い道」シリーズを掲載していますが、タイトルが示す通り方向性の見えない展開となっています。今年も暫くは今のままフラフラと本シリーズを続ける予定でおります。本年も拙ブログをどうぞよろしくお願いいたします。

 

また残り少ない人生、今年はとくに健康に留意して一日一日を大切に充実して楽しく生きてゆきたいと思っております。本年が皆様にとって幸多き年となりますようお祈り申し上げます。

 

2024年1月1日

 

流離の翻訳者

 

 

曇りかと思ったら薄日がさしている。よく見ると朝霧だった。この時期には珍しいことだ。

 

新聞を読み終わるころ霧も晴れてきた。風もなく穏やかな年の瀬である。

 

新聞には今年の株高に関する記事が多かった。今年の株価は2022年末比で7369円の上昇、歴史的な株高だった。はたして来年の日経平均は35年振りに史上最高値を更新できるのか。

 

35年振りと言えば1989年(昭和64年~平成元年)。昭和は遠い昔となった。

 

 

朝霧で思い出すのは小学校で習った唱歌「冬景色」である。昔、英訳を試みた記事があるので以下にリンクする。

 

 

今はただ穏やかな年明けを願うばかりである。

 

 

今年も残すところ後僅かとなったが、寒さは一段落し年末年始は暖かいらしい。

 

陰暦12月を「臘月(ろうげつ)」と呼ぶが、「臘(ろう)」とは冬至後の第三の戌(いぬ)の日の中国の祭を指し、猟の獲物を先祖百神に供える行事を意味する。

 

以下に紹介するのは、天神、菅原道真(845-903)が十四歳の時に作ったと言われる漢詩である。

 

受験生道真のユーモアが感じられる詩である。十四歳と言えば今なら中学二年生くらいか。勉学に飽きて黄昏れることもあるだろう。その寸暇にも漢詩を作るとは風流な人である。さすが天才は凡人とは違う。

 

 

「臘月獨興」(臘月(ろうげつ)に独り興(こう)ず)         菅原道真

 

玄冬律迫正堪嗟           玄冬律(げんとうりつ)迫り正に嗟(なげ)くに堪えたり

還喜向春不敢賖           還りて喜ぶ春に向かはんとして敢えて賖(はる)かならざるを

欲盡寒光休幾處           尽きなむとする寒光幾ばくの処にか休(いこ)はむ

將來暖氣宿誰家           将に来たりなむとする暖気誰が家にか宿らむ

氷封水面聞無浪           氷は水面を封(ほう)じて聞くに浪無し

雪點林頭見有花           雪は林頭(りんとう)に点じて見るに花有り

可恨未知勤學業           恨むべし未だ学業に勤むることを知らずして

書齋窓下過年華           書斎の窓の下に年華(ねんか)を過ぐさむことを

 

 

(拙・現代語訳)

冬の寒さが極まり今年も残り少なくなったが、それを嘆いたところで仕方がない。その一方で季節は確実に春に向かっており、その訪れは決して遥か先のことではないのだ。

いずれ尽きるであろう寒さが終わるのはどれくらい先のことなのか。また、いずれ訪れるであろう春の暖気は、今どの辺りに留まっているのか。

しかし外を見れば、氷は水面を閉ざし波の音すら聞こえず、林の梢は雪に覆われまるで花が咲いたように見える・・・・・・(*_ _)。

あっ、しまった!また勉学に励むことを忘れて、書斎の窓から景色を眺めて詩歌など詠んで黄昏れてしまった。そんなことじゃ駄目なのわかっているのに・・・。

 

 

 

今月中旬、取引がある証券会社が主催するセミナーを受講した。来年に向けた株式投資の視点に関するものだった。

 

今年の振り返りから来年に向けて注目されるテーマ、半導体や生成AIなどに関連した企業(銘柄)の話が聴けて有意義だった。

 

 

セミナーの中で「株式投資の基本はバイ・アンド・ホールドである」ということが強調された。

 

バイ・アンド・ホールド(Buy and Hold)とは、長期保有を行うことを前提とした投資手法を言う。株式投資におけるデイトレード(投資期間:1日)、スイングトレード(投資期間:数日程度)、ポジショントレード(投資期間:数週間程度)などに代表される短期売買の投資手法に対する対義語で別名「買い持ち」ともいわれる。バイ・アンド・ホールドによる投資において選択対象となるのは成長期待度の高い企業になるのが一般的である。

(以上SMBC日興証券「初めてでもわかりやすい用語集」より引用)

 

 

過去半年間の自分の投資スタイルを振り返ると、上記スイングトレードないしポジショントレードを場当たり的に繰り返してきたようである。売買した銘柄は50近くにのぼる。これではじっくりと資産を形成することなどできない。

 

セミナー受講後、保有銘柄を半導体を中心とした成長期待度が高いと思われる銘柄に入れ替えた。また足もとの動きに一喜一憂せず、じっくり保有するバイ・アンド・ホールドのスタンスに変更することにした。

 

来年は株式投資に関しても良い年となって欲しいものである。

 

 

 

今までに一度だけ雪を見ながらの露天風呂を楽しんだことがある。もう10年近く前のことだ。場所は山口県長門市俵山温泉「白猿の湯」、時期は1月の終わりくらいだった。

 

「白猿の湯」の泉質は少しぬるっとしていて心地よい。同県下関市豊田町「一の俣温泉」に似た泉質である。

 

その日は雪が残る中、小雪が舞っていたが運転に支障はなかった。露天風呂に浸かっているとふわっとした雪が降りはじめた。

 

湯の上に降っては溶ける雪をただぼんやり見つめていた。日々の翻訳の疲れも湯の中に溶けて行った。

 

気がつくと雪がだんだん大きくなっていた。ふと我に返り帰りの運転が心配になった。急いで湯を出て帰途についた。

 

 

なお「白猿の湯」については以前の記事でも触れている。

 

山口県長門市「千畳敷」と呼ばれる高台がある。そこを初めて訪れたのは今から13年前、2010年のクリスマスの時期だった。

 

2010年は私にとって印象深い年だ。翻訳会社に詰めて朝から晩まで英訳に明け暮れる中、猛暑の夏が過ぎた秋口から冬にかけて毎週末のようにの一人ドライブ。まるでジプシーのように今日は大分、明日は山口と流離い、翻訳のストレスを発散させていた。

 

そんな中、クリスマス時期に登ったのが長門市の「千畳敷」である。天気は晴れていたが山頂には雪が残り吹く風は冷たく、翻訳で疲弊した心の垢を吹き飛ばしてくれた。

 

「いつかこの場所に好きな人を連れて来たい」としみじみ思ったが、その願いはそれから数年経って叶うことになった。

 

 

 

中国には重陽節(9月9日)に高台に登る習慣があるらしい。これは「登高飲酒」とも言われ、高台に登って酒(菊花酒)を飲むことで、高みを目指し邪気を祓い長寿が得られると信じられていたらしい。

 

漢詩にはこの「高台に登る」をテーマにしたものも多い。以下幾つか紹介する。

 

 

 

雪が止んだ昨日の午後から一段と冷え込んだ。これは雨上がりと同じである。今朝軒下に氷柱(つらら)を見た。随分久しぶりだ。なお氷柱は英語で icicle という。

 

昨日で終業式を終えたようで子どもたちも冬休みに入ったらしい。家内が今日から女三人の小旅行に出かけたので、随分久しぶりの静かなクリスマスとなった。

 

 

 

今年の英単語①②を以前書いた。今回を書いて三部作としておきたい。

 

オンライン英語辞典のメリアム・ウェブスター(Merriam-Webster)は今年の単語に authentic を選んだ。同辞典によると authentic は数年前から検索回数が増えていたが、2023年は、AI(人工知能)、セレブ文化、アイデンティティー、SNSに関する記事や話題の影響で、検索回数が大幅に増えたらしい。

 

検索回数がこれほど多いのは、虚偽や模倣ではない、自分自身の個性、精神、性格に対して忠実、など複数の意味があるためだと同辞典は解説する。

 

Real(本物)actual(現実)と同義語の authentic には「明らかに望ましい品質」の意味があり、料理などのアイデンティティー表現と結びつけられることもあるそうだ。

 

(英文例)

Amidst the rise of AI and celebrity culture, the public craves authentic interactions, leading to a surge in discussions about what it means to be truly genuine in today’s digital world.

AIやセレブリティー文化の台頭に伴い、一般の人々は本物の交流を求めており、現代のデジタル世界における真の本質的な存在とは何かについての議論が急増しています。

 

 

以下、大好きな漢詩を一つ紹介する。「代悲白頭翁」劉季夷(りゅうきい)と同じく夭逝の詩人、王勃(おうぼつ)「滕王閣」(とうおうかく)である。

 

透明で空虚な寂しさを感じさせる詩である。

 

 

朝起きたら辺りに雪景色が拡がっていた。雪は今も降り続いており久しぶりに12月の積雪となった。

 

 

今年も何とか年賀状の準備を終えて書き添えた「ひとこと」を読み返していた。今年は旧友・旧知との再会が多い年だった。その分「お元気ですか?」のフレーズが少なくなっている。

 

15年ぶりに上京して多くの旧友などと再会したのが3月のことだった。久しぶりの東京は新鮮だった。

 

以来4月、5月と福岡や北九州で旧友との再会が続いた。それにしてもみんな歳をとったものだ。

 

5月以降は、自宅への来客が続いた。家内の母親や義弟夫婦が来訪したり、娘夫婦が孫娘二人を連れて帰省したり。来客を一通り終えたら夏も終わりに近づいていた。

 

 

来年、2024年はもっと旅行や再会の多い賑やかな年にしたい。とくに京都は必ず再訪したい。そのためにももっと体力をつけなければ。健康あってこその行楽である。

 

 

まだ今年も10日ほど残っているが、気がつけば一年を振り返る記事となっていた。

 

 

こちらは昨日から寒くなった。そんな中、また一つ歳を重ねた。いよいよ高齢者の仲間入りだ。若くして病気などで亡くなる人も多い中、健康に歳を重ねることができただけでもありがたいと思うべきだろう。

 

とは言え「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」。体のあちこちガタが来ている。健康に気をつけつつ、これから一年も日々楽しく大切に生きて行こう。今はそんなことを思う。

 

 

今日初雪が降った。ほんの微かなものである。あまり寒くはないのであっという間に消えるだろう。

 

 

仕事からリタイヤして1年半ほどになる。昨年10月くらいから学生時代の経済学の専門書の読み直し(殆ど初読)を始めAmazonで古書を買い漁った。これらを読むと何か懺悔しているような気がして心が洗われる気持ちになった。

 

 

今年は4月くらいから金融英語の資格に挑戦した。サン・フレアTQEというものである。この試験かなり難しい。合格率は6%ほどだ。競争試験ではないので合格者ゼロということもある。2回挑戦したが合格点の70点になかなか到達しない。

 

とにかく、来年以降も知力・体力の許すかぎり合格できるまで挑戦を続けたいと思う。

 

 

忙中(ぼうちゅう)閑(かん)有りという言葉がある。これは、多忙を極める中にもわずかな暇はあるものだという意味で、忙しい中でも暇を見いだして満喫せよ、の意味で使われることが多い。

 

思い起こせば、忙しい時ほど本業以外のことにも真剣に取り組んでいた気がする。こんな状況を「生活が充実している」と表現するのだろう。時々そんな生活に戻りたい、と思う。

 

 

「和文英訳の修業」(佐々木高政著・文建書房)に以下の問題があった。

 

(日本語)

人間は非常に忙しいときでなければほんとうの意味で閑暇(かんか)を楽しむことはできない。無聊(ぶりょう)に苦しむということばもあるように無為の楽しみは多忙の中にこそあるのだ。

 

(同書・解答例より引用)

【訳例1】

It is impossible to enjoy idling (idleness) thoroughly unless one has plenty of work to do. In fact, as is confirmed by the phrase ‘to be bored to death’, it is only when we are busy that we can truly enjoy leisure.

 

【訳例2】

It is only when we are very busy that we can really enjoy leisure. We often hear people say, “It is very painful to have nothing to do.” They are quite right; only a busy life can make us realize what a blessing it is to have nothing to do, once in a while.

 

【訳例3】

One cannot truly appreciate one’s leisure hours, except under the pressure of business. They say justly that idleness is torture, when prolonged; the pleasure of idleness is tasted only in the midst of a busy life.