流離の翻訳者 青春のノスタルジア -14ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

一昨日から天候が夏に変わった。二十四節季の「小満」である。小満「草木が周囲に茂り、満ち始める頃」の意味があり、立夏のあとに訪れる。季節とはよくできたものである。

 

 

先日、日経新聞の文化面を見ていて、ちょっと心に残った文章を見つけたので、以下に紹介するとともに、英訳を試みたいと思う。その文章とは「原風景」に関するものだ。

 

「原風景」とは、辞書によれば「心象風景のなかで、原体験を想起させるイメージ」のことで、また「原体験」とは「人の思想形成に大きな影響を及ぼす幼少時の体験」をいう。

 

人には誰も忘れられない「原風景」「原体験」がある。小学生の頃によく遊んだ公園の遊具。公園のそばにあった駄菓子屋のおばちゃんの顔。駄菓子屋で買ったタコ焼きやアイスクリーム。

 

火薬を詰めて空に投げると落ちてきて地面で爆発するロケット弾。紐を引っ張るとプロペラが空に舞い上がるヘリコプターのオモチャ。灰色の冬空の下で鼻水をすすりながら興じた独楽回し。そんな子供の頃の遊びのシーンが、自分にとっての原風景のように思える。

 

 

以下の文章では、原風景を既に失われた過去の風景ではなく「はじまり」としてとらえ直そうと試みている。「原風景は何かが終わり何かがはじまる、可能性の風景だともいえる。」実に詩的な文章だ。

 

 

(日本文)

写真に収められたさまざまな「原風景」。見る人はなぜそこに原風景を感じるのか、解き明かす。

「原風景」という言葉から人が浮かべるイメージはどのようなもの?自分の原体験をかたちづくる起源の風景。そうとらえれば、原風景とはすでに失われ、変容した過去の風景になってしまう。だが起源ではなく「はじまり」の風景ととらえ直せばどうか。「はじまり」はそのつど起こり、原風景は何かが終わり何かがはじまる、可能性の風景だともいえる。

(日経新聞2024年5月20日朝刊/「原風景」への誘い(1)冒頭部より)

 

 

(拙・和文英訳)

Various “original landscapes” are captured in photographs. In this series, I would like to find out why people feel their original scenery in these photographs.

 

When people hear the word “original landscape,” what kind of image comes to their mind? Is it the landscape of origin that would shape their original experience? If we look at it in this manner, the original landscape becomes a landscape in the past that has been already lost and transformed. However, what if we look at it as a landscape of “beginning” rather than origin? As the “beginning” occurs each time, we might say that the original landscape is a landscape of possibilities, where something ends and something begins.

 

 

Chat GPTを使い始めてから、AIが身近に感じられるようになってきた。何時でも気軽に英会話の訓練をすることができ重宝している。何となく英会話の能力も上がってきたような気がする。

 

 

中野信子さんの「空気を読む脳」は、昨年の秋読んでこれまでにブログでも取り上げている。

 

https://ameblo.jp/sasurai-tran/entry-12825150449.html

https://ameblo.jp/sasurai-tran/entry-12825398296.html

 

 

以下の、大阪大学/外国語学部の英作文問題は、同書から「AIと人間の協働」の可能性をテーマとしたものである。同文の要旨をChat GPTとディスカッションしてみたが、協働(collaboration)が大切だという的を得た答えが返ってきて驚いた。

 

 

(問題)

次の日本文の下線部(1)~(3)の意味を英語で表しなさい。

 

(1)脳の進化の歴史をたどれば、人間は合理的に考えることのできる知性を発達させることで繁栄もしてきましたが、その合理性を適度に抑えることで集団として協調行動をとることが可能になりました。

それが、今日まで人類が発展を続けることができた大きな要素だったのではないかと考えることができます。果たして、(2)合理性だけが発達した人間は、どのように扱われるのでしょうか?彼らは、異質なものとして人間社会からは排除されてしまうのです。

(3)ただ、その人間がつくり出した合理性の塊が人工知能だとすれば、これは人間の不合理性とは補完的に働き、強力なパートナーシップを築くことも可能性としては十分にあり得ます。AIとの勝負、などと煽るつまらないビジネスをしている場合ではなく、このディレクション(使い方)ができるかどうかこそが人類の課題と言えるでしょう。

(中野信子.2020.『空気を読む脳』講談社より一部改変)

(大阪大学/外国語学部・2021年)

 

 

(拙・和文英訳)

(1) If we trace the evolutionary history of human brain, we can see that human beings have prospered by developing the intelligence that allows them to think rationally, on the other hand, they have become able to take cooperative actions as a group by suppressing this rationality moderately.

Above fact can be thought to be a major factor that allowed human beings to develop continuously up to the present. (2) How will the people who have developed only rationality be treated? They will be excluded from human society as an alien type.

(3) Nevertheless, if artificial intelligence (AI) is a mass of rationality created by human beings, there is a high likelihood that AI will work together with human irrationality complementarily and build a strong partnership. Now is not the time to amuse ourselves with a silly business that fuels competition between human beings and AI, but to verify whether or not AI can be used in this direction (way of using AI mentioned above), which could just be a subject for human beings.

 

昨日は少し暑くなり、日中の気温も27℃くらいになった。でも湿度が低いのでとてもしのぎやすい。こんな天気が続けばいいのに、と思う。

 

 

何処にも無責任なうわさを流す輩(やから)がいるものである。翻訳会社に勤務していた頃、私についてくだらないうわさを流されたことがあった。昔の上司が教えてくれた「言いたい奴には言わせておけ!」のスタンスで無視した。

 

まあ、そういうくだらないことをするのは心に僻(ひが)みや妬(ねた)みのある心の貧しい輩に違いない。もっと自分自身の幸せを考えればいいのに、と思う。

 

 

以下の文章は、インターネットにより「うわさ」がどのように変化しているのか、について論じたものである。なかなか興味深い視点である。

 

 

(問題)

次の文章を読み、下線部(A)、(B)を英語に訳しなさい。

 

(A)インターネットは無責任な発言やウソの情報が多いとして「うわさの巣窟(そうくつ)」と批判されることがある。しかし、インターネットのメディアとしての特性を考えると、この捉え方はそう簡単には賛成できない。

もちろん、ケータイやインターネットによって、うわさが変わりつつあることは確かだ。

たとえば、うわさの短命化である。「石油コンビナートの火災により、有害物質を含んだ雨が降る」といううわさが、首都圏を中心に東日本大震災当日、メールやツイッターなどを通じて爆発的に広まった。しかし、否定情報もすぐに流され、数日のうちに消え去った。ネット社会ではうわさが広まるのも早いが、消えるのも早い。

インターネットでは、誰もが情報の受信者であると同時に発信者になることができる。ゆえに、(B)インターネットの利用が一般化するにつれ、これまでのマスメディアが中心であった情報の流れ方が変わり、それによって人間関係や社会の仕組み自体が変化していくだろう。いや、すでに変化したとも言われている。しかし、「誰もが情報の受発信者」という特徴は「もっとも古いメディア」であるうわさも同じである。だとすると、うわさにはこれからの社会を捉えるヒントが隠されているのではないか。

(松田美佐『うわさとは何か-ネットで変容する「最も古いメディア」』より一部変更)

(東北大学・2016年)

 

 

(拙・和文英訳)

 

(A) The Internet is sometimes criticized as a “hotbed of rumors” because it contains a lot of irresponsible statements and false information. However, considering the characteristics of the Internet as a medium, I can’t agree with this view so easily.

Of course, it is true that rumors are being changed by mobile phones and the Internet.

For example, the life of rumors is being shortened. A rumor that “we will have a rain containing harmful substances due to a fire at a petrochemical complex” spread explosively mainly in the Tokyo metropolitan area through e-mails and Twitter on the day of the Great East Japan Earthquake. However, as the negative information was quickly transmitted, the rumor disappeared within a few days. In the Internet society, rumors spread quickly, but they also disappear quickly.

On the Internet, everybody can become both a receiver and a transmitter of information. Therefore, (B) as the use of the Internet becomes more common, the flow of information, which has been centered on mass media so far, will change, and as a result, human relationships and the structure of society themselves will also change. More likely, they are said to have already changed. However, rumors as “the oldest media” have the same feature that “everybody is both a receiver and a submitter of information.” If this is the case, such rumors may contain the hints that can catch the future of the society.

未明から激しい雨と風だったが、午前中にはおさまり青空になった。それにしても今年の5月はいつになく寒く、未だに半袖になれない。

 

 

一昨日、「オロチ」という種類の黒色のメダカを買ってきて少し水槽が賑やかになった。オレンジ色のメダカ「東天紅」とも仲良くやっているようだ。

 

他に少し大きいサイズの熱帯魚が3匹いるが、やや存在感が薄れてきた。株式と一緒で、人の注目は、次の銘柄、次の銘柄へと移るもののようである。

 

 

受験生の頃、日本史の問題で資料(古文)が出題されることがあった。日本史に加えて古文の知識までが問われたようで、古文が苦手の私は損をしたような不愉快な思いをしていた。

 

 

以下の問題は、英語の試験に「古文」が出題された珍しいケースである。受験生はかなり戸惑っただろう。特に理科系には不利(?)だったかも知れない。

 

でも、読んでみると大して難しくはない。現代語に近い文章である。どこかで聞いたことがあるような内容である。

 

 

(問題)

次の文章は「徳川家康御遺訓」の一部です。下線部を英語に訳しなさい。

 

(1)人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基(もとい)。怒りは敵と思え。(2)勝つ事ばかり知りて負くること知らざれば、害その身にいたる。己を責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。

(神戸大学・2005年)

 

(拙・和文英訳)

(1) Your life is as if you walk on a long road with a burden on your shoulders. Don't rush. If you think of inconvenience as usual, you will never feel shortage. If you have a desire in your heart, remember the time when you have hardships. Endurance is the foundation of a safe and long life. Think of anger as enemy. (2) Knowing only victory without knowing defeat will do harm to yourself. Blame yourself, and do not blame others. Too little is better than too much.

 

放射冷却によるものか朝方は冷えるが、昼はカラッとした暑さになる。今年も「冷たい麺」が食べたくなる季節になった。ソーメン、冷や麦、ざるそば……。冷たい麺には昔から目がない。

 

 

「物質的なゆたかさ」「精神的なゆたかさ」。よく使われる言葉だが、「精神的なゆたかさ」「物質的なゆたかさ」が前提になっているように思う。

 

「物質的なゆたかさ」だけでは人は真に幸福とは言えない。加えて「精神的なゆたかさ」が満たされて「真の幸福感」が得られるのではないか。

 

 

以下の神戸大学の問題は、そんな「真の幸福感」をテーマとしている。出典の中野孝次氏の『風の良寛』2000年のものである。今から四半世紀ほど前なので「平和」という面では、今とは少し状況が異なるだろう。

 

 

(問題)

次の文章を読んで、問1と問2に答えなさい。

 

過去半世紀、日本人は便利・快適でゆたかな生活を求めて、ほぼそれを実現した。史上かつてないくらい日本は経済大国になり、われわれは先祖の誰一人経験しなかったような便利・快適な生を享受している。かつては金持ちしか所有できなかったクルマ、冷蔵庫、洗濯機などがどの家庭にも備わっているなんて、過去の日本人には想像もつかぬ状態にある。食べ物、着るものは町にあふれ、テレビだの、コンピューター、ファックス、携帯電話なども日用道具であり、航空機や新幹線のスピードも珍しくない。平和も五十年以上続いている。

つまり、史上かつてない平和と繁栄の中にいま日本人はいる。と、そのことを誰もが知っている。

にもかかわらず、その一方で、ではなぜ、そのゆたかになった社会に生きる自分たちに真の幸福感が薄いのか、とも感じている。

(中野孝次『風の良寛』より一部改変)

 

問1 下線部を英語に訳しなさい。

 

問2 この著者の意見について、どう思いますか。あなたの意見を、50語程度の英語で述べなさい。

(神戸大学・2012年)

 

(拙・和文英訳/解答例)

問1

 

Over the past half century, Japanese people have sought a convenient, comfortable, and prosperous life, and have almost realized it. Japan has developed into a major economic power like never before in the history, and we are enjoying such a life of convenience and comfort as none of our ancestors could have ever experienced. It is just beyond the imagination of Japanese people in the past that current Japan is in a situation where every home is equipped with cars, refrigerators, washing machines, etc., which were once owned only by the rich. There are full of food and clothes in the city, and appliances such as televisions, computers, fax machines, and mobile phones are used as daily commodities. Further, the high speed of airplanes and Shinkansen bullet trains becomes ordinary affairs. We have been enjoying peace for more than 50 years.

In other words, Japanese people are now in an unprecedented peace and prosperity. And everybody knows this.

On the other hand, why do we feel, I think, a weak sense of true happiness despite the fact that we are living in such a prosperous society?

 

問2

 

Our lives and society have certainly become richer in terms of materiality, but I don’t think we have become richer in terms of spirituality. First of all, what is spiritual richness? It may be health, relationships, or work, which is different from person to person. Unless these things are satisfied, we won't feel true happiness.

(55 words)

 

今日は久しぶりの雨となった。数日前、庭の雑草に除草剤を撒いたが、昨日までに殆どが枯れたようである。明日はゴミ袋に詰めて廃棄しなければならない。

 

 

外山滋比古氏の「グライダー効果」については著書「知的創造のヒント」(1977年)でも取り上げられているが、「東大・京大で1番読まれた本」として知られる「思考の整理学」(1983年)では、「グライダー人間」「飛行機人間」を対比させて、現在の学校教育の問題点についても言及している。

 

以下の東北大の英作文の問題は、まさにこの「グライダー人間」「飛行機人間」を正面から取り扱っている。全文を訳そうとすると、主語を何にすべきか迷うところも多かった。しかし、英訳対象箇所についてはさほど難しくはなかったのではないか。

 

 

(問題)

次の文章を読み、下線部(A)、(B)を英語に訳しなさい。

 

人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。(A)受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。両者はひとりの人間の中に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基本的知識すら習得できない。何も知らないで、独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない。

しかし、現実には、グライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、という“優秀な”人間がたくさんいることもたしかで、しかも、そういう人も“翔べる”という評価を受けているのである。

学校はグライダー人間をつくるには適しているが、飛行機人間を育てる努力はほんのすこししかしていない。

(中略)

指導者がいて、目標がはっきりしているところではグライダー能力が高く評価されるけれども、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠である。それを学校教育はむしろ抑圧してきた。急にそれをのばそうとすれば、さまざまな困難がともなう。

他方、現代は情報の社会である。グライダー人間をすっかりやめてしまうわけにも行かない。それなら、グライダーにエンジンを搭載するにはどうしたらいいのか。学校も社会もそれを考える必要がある。

(中略)

(B)グライダー専業では安心していられないのは、コンピューターという飛び抜けて優秀なグライダー能力のもち主があらわれたからである。自分で翔べない人間はコンピューターに仕事をうばわれる。

(外山滋比古『思考の整理学』より)

(東北大学・2019年)

 

 

(拙・和文英訳)

 

Human beings have glider ability and airplane ability. (A) The former is to passively acquire knowledge, and the latter is to invent and discover things by themselves. These two abilities live together in one person at the same time. If a person lacks the glider ability at all, he will not be able to acquire even basic knowledge. So, if he doesn’t know anything at all and tries to fly all by himself, no one knows what kind of accident may happen.

However, actually, it is true that there are many “excellent“ people who have overwhelmingly strong glider ability and no airplane ability, and that such people are also evaluated as “flyable.”

Schools are suitable for cultivating glider people, but they make just a little effort to develop airplane people.

*snip*

In the field where there is a leader and a definite goal, the glider ability is highly valued, however, the airplane ability is indispensable for creating a new culture. As a matter of fact, school education has suppressed this airplane ability. If they try to develop it suddenly, they will face various difficulties.

On the other hand, as today is an information-oriented society, they can’t just give up cultivating glider people entirely. If it is so, how do we install an engine on a glider? Schools and the society need to think about this matter.

*snip*

(B) Why do we feel uneasy to be a full-time glider person? It is because the computer, which has outstandingly high-performing glider ability, has appeared. If a person can’t fly by himself, his job will be robbed of by the computer.

 

ここ数日、青嵐が吹く清々しい五月晴れとなったが、今日は午後から気温が上がり蒸し暑くなった。季節の変わり目のようである。今日、家内を見送りに福岡空港まで行ってきた。2週間ほど里帰りするからだ。

 

国際線ターミナルは相変わらず工事中だが、竣工は2025年は3月末の予定らしい。今はフードコートも無いに等しく不便を感じるが、いずれ国際都市の玄関口として新しく生まれ変わるだろう。

 

 

実は、海外に行ったことは今まで一度しかない。それも30年以上も昔のことである。それも英語圏ではなく韓国のソウルだ。

 

別に時間や金が無かった訳ではないのだが、何となく行きだせなかった。元来、物臭(面倒臭がり)の人間らしい。若い頃からしばしば海外に行く友人も周りにはおり誘われもしたが、とくに行きたいとは思わなかった。でも今にして思えば、海外旅行で恥をかくなどの経験は積んでおくべきだった。心底そう思う。

 

 

今年の秋には、弟夫婦と台湾に行こうと計画している。亡父の第二の故郷とも言える場所だ。父は若い頃、日本領の台湾の地で苦学生として随分苦労したらしい。そんな話を子供の頃よく聞かされた。

 

 

以下の文章は、「外国旅行をしなくなった若者たち」をテーマとしている。果たしてそうなんだろうか?だが、確かに昨今の円安であれば仕方ないとも思えるが……。

 

 

(問題)

次の文章を読み、下線部(A)、(B)を英語に訳しなさい。

 

日本の若者たちが外国旅行をしなくなったと言われて久しい。それもあって、私のような者にまで、もっと外国を旅せよという「檄(げき)」を飛ばしてもらえないかといった依頼が届くようになった。だが、申し訳ないけれど、そうした依頼はすべて断ることにしている。

(A)ひとつには、私も若いとき、年長者の偉そうな「叱咤激励」が鬱陶しいものと思えていた。だから自分が齡を取っても、絶対に若者たちに対するメッセージなどを発しないようにしようと心に決めたということがある。

(B)もうひとつ、旅への関心にはさまざまな段階があると思えるのだ。近いところから、少しずつ遠いところに関心が向かっていくというのも珍しいことではない。たとえ、いまは日本国内に留まっていても、何かのきっかけがありさえすれば、いつか異国への関心が芽生えるだろう。

(沢木耕太郎『絵馬の向こう側』より一部変更)

(東北大学・2018年)

 

 

(拙・和文英訳)

It has been a long time since young people in Japan are said to have stopped traveling abroad. Partly because of this, even I came to receive requests to “make an appeal“ to young people for traveling abroad more. However, I’m sorry to say that I refuse all such requests.

(A) For one thing, when I was young, I thought that such bossy “encouragement” from elders was annoying. Therefore, I made up my mind not to send out a message to young people even though I become older.

(B) As another reason for this, I think that interest in traveling would have various stages. It is not uncommon for someone’s interest to shift gradually from a near place to a distant place. Even if young people’s interests stay in Japan now, once they are triggered by an opportunity, they will develop an interest in foreign countries someday.

 

昨日、英会話スクールで10代の女性と一緒にレッスンを受講した。大学をドロップ・アウト(中退)して、携帯ショップで働いているという。

 

「何故英語を勉強しているの?」と聞くと父親の考えだという。「お父さんが英語が喋れるので高校の時から通っているんですが、でも全然上手くならなくて……。」と答えた。

 

「焦らずゆっくりやればいいよ!でも、若くて可愛くて夢があっていいね!」という言葉が自然に口から出た。彼女の若さがほんとに羨ましく思えた。

 

 

Z世代とは1995年から2010年代初頭生まれの世代を指すことが一般的なようで、実年齢にすると29歳以下(20代)の若い世代を指すことが多い。彼女もそんなZ世代の一人である。

 

以下の文章は、そんな若者たちが直面している「生きる意味の問い」をテーマとしている。「人間は何のために生きているのか?」歳をとっても簡単に答えられる問題ではない。

 

(問題)

次の文章を読み、下線部(A)、(B)を英語に訳しなさい。

 

戦後の人たちは、することがいっぱいあったと思います。(A)もっと生活をよくしたいとか、病気をなくさなければ、貧困をなくさなければというのがあって、それでがんばれた。けれども、それを達成してしまったあとに生まれてきた人たちは、どうすればいいかわからない。物はいっぱいあるし、ねだれば親は金をくれる。住むところもある。大学まですねかじりできるし、遊びもいっぱいある。恋人もいる、車もある。「で、何をしたらいいの」。そういう若者たちの数が増えてきた。

(B)彼らこそが、生きる意味の問いにもっとも直面しているんです。人間は何のために生きているのかという問いは、哲学の出発点でもあるし、宗教の出発点でもあります。

(森岡正博『生命学をひらく』より)

(東北大学・2017年)

 

 

(拙・和文英訳)

I think people after the Word War II had a lot of things to do. (A) They wanted to improve their lives, had to eliminate disease, and had to eliminate poverty, therefore they could do their best. However, young people who were born after they had achieved those things become at a loss what to do. They have already had a lot of things, and if they beg, their parents will give them money. They also have a place to live. They can sponge on their parents up to university, and they have a lot of fun. Further, they have their girlfriends or boyfriends, and their own cars. “By the way, what should I do?” The number of such young people has been increasing.

(B) It is just such young people who are really confronted with the question of the meaning of life. This question of what human beings live for is the starting point of not only philosophy but also religion.

 

夕方英会話スクールに行くとキッズとその母親の姿が目につく。スタッフに聞くとそんなキッズたちがスクールの収益源となっているらしい。

 

公立の小学校の3年生から6年生に英語教育が必須化されたのが2020年度だそうで、今年で5年目となるようだ。

 

 

市内の名門の私立小・中学校では、私が幼い頃から小学生に英語教育を行っていた。大学時代の友人の一人がその小・中学校出身だが確かに英語が強かった。大学卒業後、彼は大手総合商社に就職したが、今頃どうしているのか。音信が途絶えたままになっている。

 

 

以下の、ちょっと昔の神戸大学の問題は「公立小学校での英語教育」を正面からテーマとしている。私の考えは問2の解答例に記載した。

 

 

(問題)

次の文章を読んで、問1と問2に答えなさい。

 

公立小学校で英語など教え始めたら、日本から国際人がいなくなります。(1)英語というのは話す手段に過ぎません。国際的に通用する人間になるには、まずは国語を徹底的に固めなければダメです。表現する手段よりも表現する内容を整える方がずっと重要なのです。(2)英語はたどたどしくても、なまっていてもよい。内容がすべてなのです。そして内容を豊富にするには、きちんと国語を勉強すること、とりわけ本を読むことが不可欠なのです。

(藤原正彦『国家の品格』より)

 

問1 下線部(1)と(2)を英語に訳しなさい。

 

問2 公立小学校に英語教育を導入することに関するこの著者の意見についてどう思いますか。自分自身の考えを、50語程度の英語で述べなさい。

(神戸大学・2007年)

 

(拙・和文英訳/解答例)

問1

If they start teaching English in public elementary schools, all international people will disappear from Japan. (1) English is just a means of speaking. In order to become an internationally acceptable person, you first need to study Japanese language thoroughly. It’s far more important to arrange the content than the means of expression. (2) Speaking hesitant or dialectal English doesn’t matter. What is important is the content itself. And, in order to enrich the content, it is essential to study Japanese language properly, especially to read books.

 

問2

Indeed English is just a means of speaking, but it is important for children to experience English world. Of course, it is important to study Japanese language, but in order to become an international person, we need to read specialized English books in the future. Therefore, I agree to teaching English in public elementary schools. (55 words)

 

GWが終わり日本経済が再び動き始めた。気が付けばGW中に時節は「立夏」を過ぎた。はや夏の訪れである。

 

 

今日の日経平均株価は、米国市場での先物の流れを受け継いで600円ほど上昇した。利益が出ている銘柄を一部売って、有望と思う銘柄を2つほど新規に購入した。とは言え、これからは決算発表が続くが、それを見ながら株価は不透明感の強い動きとなるだろう。

 

一方で為替相場だが、先週1ドル=160円台と34年ぶりの円安水準まで下落した円相場は、政府・日銀の為替介入と見られる大規模な円買いで一時は151円台まで上昇したものの、現在は154円台半ばでの動きとなっており、こちらも今後不安定な動きが予想される。

 

……などと日経新聞の記事の受け売りもあるが、思うところを書いてみた。

 

 

英会話のレッスンにしても、紙のテキスト(本)ではなくデジタルのテキストで受講する生徒も多い。とくにキッズについてはなおさらだ。また、電子辞書の時代は既に終わり、今はスマホやタブレットを使っている生徒が大半だ。時代はどんどん進化してゆく。

 

私は、相変わらずアナログ派だが、紙の本には紙なりの良さがある。傍線を引いたり、マーカーでマークしたり、書き込みをしたり。もちろんデジタルでもすべてできるが、紙の本の使用感やそんな本への愛着は、一つの「楽しさ」と言っていいのかも知れない。

 

 

以下の文章は、東北大の英作文に出題された、渡辺昇一『知的余生の方法』からのものだが、実に共感できる内容である。

 

 

(問題)

次の文章を読み、下線部(A)、(B)を英語に訳しなさい。

 

インターネットで欲しい情報はすぐにどこにいても手に入る。(A)二百年以上の歴史を持つ有名な英国の百科事典が、もう新版を出さなくなったのもインターネットの時代になったからだと聞いている。

そこから出てくる一つの結論は、書物の時代が終わったのではないかという危惧(きぐ)である。報道などでも盛んに流布され、活字文化の未来予測は相当暗いと騒がれている。

情報はインターネットでよいのに、なぜ、私は書物をこれほど買うのか。どうして高価な古書まで買うのか。(B)それは書物から得るものが単に情報だけではないからだ。書物はインターネット上の情報が与えることのできない「楽しさ」を与えてくれるのである。それは古い装幀(そうてい)や世紀を隔てた匂いなどなど...。

インターネットの情報と、読書から得る知識とは本質的に違うのではないだろうか。その違いを比喩(ひゆ)で表現したら、食物とサプリメントの関係になるのではないだろうか。

(渡辺昇一『知的余生の方法』より一部変更)

(東北大学・2013年)

 

 

(拙・和文英訳)

We can get any information we want on the Internet right away, no matter where we are. (A) I have heard that the famous British encyclopedia, which has a history of more than 200 years, no longer publishes new editions due to the era of the Internet.

One conclusion deriving from this fact is the apprehension that the era of books may have ended. This apprehension has been widely circulated in the media, and it has been rumored that the future prediction of print culture is considerably dark.

When information is provided enough on the Internet, why do I buy so many books? Why do I even buy expensive old books? (B) This is because what I get from books is not only information itself. Books give me a “pleasure” that information on the Internet cannot give. It might be, for example, an old binding, a smell over a century ago, and so on.

Isn’t there an essential difference, I think, between the information we get on the Internet and the knowledge we get from reading? If this difference was expressed in a metaphor, it would be the relationship between food and supplements.