一昨日から天候が夏に変わった。二十四節季の「小満」である。小満は「草木が周囲に茂り、満ち始める頃」の意味があり、立夏のあとに訪れる。季節とはよくできたものである。
先日、日経新聞の文化面を見ていて、ちょっと心に残った文章を見つけたので、以下に紹介するとともに、英訳を試みたいと思う。その文章とは「原風景」に関するものだ。
「原風景」とは、辞書によれば「心象風景のなかで、原体験を想起させるイメージ」のことで、また「原体験」とは「人の思想形成に大きな影響を及ぼす幼少時の体験」をいう。
人には誰も忘れられない「原風景」や「原体験」がある。小学生の頃によく遊んだ公園の遊具。公園のそばにあった駄菓子屋のおばちゃんの顔。駄菓子屋で買ったタコ焼きやアイスクリーム。
火薬を詰めて空に投げると落ちてきて地面で爆発するロケット弾。紐を引っ張るとプロペラが空に舞い上がるヘリコプターのオモチャ。灰色の冬空の下で鼻水をすすりながら興じた独楽回し。そんな子供の頃の遊びのシーンが、自分にとっての原風景のように思える。
以下の文章では、原風景を既に失われた過去の風景ではなく「はじまり」としてとらえ直そうと試みている。「原風景は何かが終わり何かがはじまる、可能性の風景だともいえる。」実に詩的な文章だ。
(日本文)
写真に収められたさまざまな「原風景」。見る人はなぜそこに原風景を感じるのか、解き明かす。
「原風景」という言葉から人が浮かべるイメージはどのようなもの?自分の原体験をかたちづくる起源の風景。そうとらえれば、原風景とはすでに失われ、変容した過去の風景になってしまう。だが起源ではなく「はじまり」の風景ととらえ直せばどうか。「はじまり」はそのつど起こり、原風景は何かが終わり何かがはじまる、可能性の風景だともいえる。
(日経新聞2024年5月20日朝刊/「原風景」への誘い(1)冒頭部より)
(拙・和文英訳)
Various “original landscapes” are captured in photographs. In this series, I would like to find out why people feel their original scenery in these photographs.
When people hear the word “original landscape,” what kind of image comes to their mind? Is it the landscape of origin that would shape their original experience? If we look at it in this manner, the original landscape becomes a landscape in the past that has been already lost and transformed. However, what if we look at it as a landscape of “beginning” rather than origin? As the “beginning” occurs each time, we might say that the original landscape is a landscape of possibilities, where something ends and something begins.