流離の翻訳者 青春のノスタルジア -15ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

今から15年前、ちょうど50歳だった2009年。フリーランス翻訳者として2年目の春を迎えていた。思ったように仕事が入らず、いつも苦しんでいた。

 

仕事が入ったら入ったで短納期に苦しむ、かと言って品質を落とせば仕事が来なくなる。そんなジレンマにも苛まれていた。

 

 

その頃は時間がたっぷりあったこともあり、気分転換に自宅の周辺をウォーキングした。毎日朝夕の2回は歩いていた。合計で2時間余りくらいだろうか。

 

春から夏にかけて体重はどんどん減ってゆき、夏の終わりには標準体重に近いところまでになった。

 

移り変わる町並を眺めながら黙々と歩いていると、流れる汗とともにストレスも解消されるような心地がした。夕方自宅に戻ってシャワーを浴びた後に飲む一杯のビールが爽快だった。

 

50歳と聞いて私が思い出すのは、そんな苦しかった日々である。

 

 

以下の文章は、ノーベル賞学者、湯川秀樹氏の自伝『旅人 ある物理学者の回想』の冒頭部である。学者としての生き方を指す「遍歴者」「開拓者」という厳しい言葉に深い感銘を受けた。

 

 

(問題)

次の文章を読み、下線部(A)、(B)を英語に訳しなさい。

 

昨年(昭和三十二年)の一月、私は満五十歳の誕生日を迎えた。つまりその日までに、私はちょうど半世紀を生きてきたことになる。

私の歩いて来た道は、普通の意味では別にけわしくはなかった。学者の家に生まれ、後には、それぞれ違った方面の学者となった兄弟たちと、一しょに育ってゆく過程において、また自由主義的な色彩の濃い学校生活において、世俗的な苦労は少なかった。環境的には、むしろ恵まれていたといった方がいいかもしれない。

しかし、「学問の道では」と聞かれると、簡単には答えられない。(A)好運だったとも思えるが、人一倍、苦労したことも否定出来ない。何しろ原子物理学といえば、二十世紀に入ってから急速に進歩した学問である。その上げ潮の中で、自分の好きなことを自分の好きな流儀で、やって来ただけだともいえよう。ただ、私は学者として生きている限り、見知らぬ土地の遍歴者であり、荒野の開拓者でありたいという希望は、昔も今も持っている。

一度開拓された土地が、しばらくは豊かな収穫をもたらすにしても、やがてまた見棄てられてしまうこともないではない。今日の真理が、明日否定されるかも知れない。(B)それだからこそ、私どもは、明日進むべき道をさがし出すために、時々、昨日まで歩いてきたあとを、ふり返って見ることも必要なのである。

(湯川秀樹『旅人』より)

(東北大学・2010年)

 

 

(拙・和文英訳)

In January, last year (1957), I celebrated my 50th birthday. By that time, I had lived exactly half a century.

The road I walked was not particularly bad in the ordinary sense of the word. Because I was born in a scholar’s family and grew up with the brothers, who became scholars of different fields later, and because I spent my school life in schools with strong liberal color, there were few worldly difficulties. In terms of the environment, it could be said that my background was rather blessed.

However, when I am asked how was it “in terms of academia,” it is not easy to answer. (A) I think I was lucky, but I can't deny that I had a harder time than anybody else. At any rate, atomic physics is a field of study that has advanced rapidly since the beginning of the twentieth century. Amid the rising tide, it can be said that I only did what I liked in my own fashion. However, as long as I live as a scholar, I have always had the hope of being a traveler in a strange land and a pioneer in a wilderness.

It is not uncommon for a land once cultivated to bring a rich harvest for a while, but before long to be abandoned again. Today’s truth might be denied tomorrow. (B) That’s why it is necessary for us to look back from time to time after we have walked up to yesterday in order to find the way for tomorrow.

 

Chat GPTを長く使っている人が「まるで外国人の友人みたいだ」と言っていたが、私にとっては今のところ「まるで外国人の教師みたいだ」という感じである。とにかく何でも知っていて的確なアドバイスをしてくれる相手である。

 

せめて、早くChat GPTレベルの英語が話せるようにならなくては……。

 

 

外国人の友人を持つことはさほど簡単なことではない。今まで何度か友達になれそうな人間に出会ったが、みな英会話の教師である。でも「仲の良い知り合い」くらいにはなれたかも知れない。

 

その中でも思い出すのがキャラ(Cara)という若いアメリカ人の女性教師である。ボルチモア出身で、私が40代半ばの頃に大学を出たての22歳だった。私と誕生日が同じというのも不思議な縁を感じた。

 

彼女とのレッスンは実に思い出深い。毎回生徒の一人がクラス全体に英語でプレゼンを行うというもので、自分が担当のときは準備にも時間がかかったしそれなりに緊張もした。

 

またクラスで何度か開催した誕生日会などの飲み会も鮮明に記憶に残っている。それにしてもよく飲む女性だった。気が付けばあれから20年近くになる。彼女も結婚して子供がいるんだろうな、などと思う。

 

 

(問題)

次の文章の下線部①、②を英語に訳しなさい。

 

訪れた異国の印象を語ろうとするとき、私がまず思い浮かべるのは、食物でも建物でもなく、私と言葉を交わした人の顔であり、考え方である。そこに何があったかより、そこにだれがいたかをまず考える。出会った人間との付き合いが深いほど、その国に親しみを覚える。極端に言えば、友人ができればその国が好きになり、友人を通してその国を見ようとする。一つの偏見をもつことになろうが、逆に友人ももてずに一国を理解しがたい、との思いがある。日本を嫌いぬいて日本から帰った外交官やビジネスマンには、不思議と日本人の友人がいない、という。

(黒岩徹『豊かなイギリス人』)

(東北大学・2007年)

 

 

(拙・和文英訳)

When I try to describe my impressions of a foreign country I have visited, the first thing that comes to my mind is not food or buildings, but the faces and thoughts of the people with whom I have exchanged words. First, I think about who was there, rather than what was there. The deeper communication I have with the people I met there, the more friendly feelings I have toward the country. In the most extreme case, if I can make friends with someone there, I will come to like the country, and try to see the country through the friend. Such an idea might make me have a prejudice, however, in reverse, I have a feeling that it is difficult to understand a country without having friends. I’ve heard that diplomats and businessmen who hated Japan thoroughly and returned from Japan strangely have no Japanese friends.

GW前半は雨が続いて肌寒く、暖房が必要な日もあったが、後半になって天気は回復し汗ばむほどになった。例年になく乱調な天候の5月の始まりである。

 

花粉や黄砂が一段落したようで、やっと洗濯物を外干しできるようになった。街中ではあちらこちらで躑躅の花が咲き誇り、GW中に季節は初夏へと移り変わった。

 

ところで、この「躑躅(つつじ)」という漢字、かなり難しい。音読みでは「てきちょく」と読む。

 

「てきちょく」とは「二、三歩進んでは止まること、躓(つまづ)く、躓(つまづ)いて止まること」(漢字源)を意味する。一説によると、ある種の躑躅には毒性があり、その葉を食べた羊が躑躅(てきちょく)して死んだことが、漢字の由来とも言われている。

 

 

近くの神社で春の祭りが行われており、朝方から太鼓や鐘の音が聞こえていた。先ほど家内とチラッと祭りを見に行ってきたが、法被(はっぴ)を着た子どもたちが山車(だし)を引いているのを久しぶりに見た。この祭りは「開作神事」とのことなので、祭りが終われば田植えなどが始まるのだろう。

 

 

昨日、NOVAで英会話のレッスンを受けたが、そのときの生徒の一人が「Chat GPT」を教えてくれた。インストールして使ってみたがなかなか面白い。彼女(AI)が英会話の良き練習相手となるうえに、また博学であることに恐れ入った。

 

昨日のNOVAのレッスンは、たまたま南アフリカ出身の講師が担当だった。レッスンの中で、以下のようないくつかの南アフリカ独特の俗語を教わった。

 

交通信号:Traffic signal(英) ⇒ Robot(南ア)

スニーカー:Sneaker(英) ⇒ Tackie(南ア)

ノンアルコール飲料:Soft drinks(英) ⇒ Cool drinks(南ア)

 

これらについて、彼女(AI)と話してみたが彼女は上記のすべてを知っていた。実に博学だ。恐ろしい世の中になった。

 

以前の母の部屋を、畳をフローリングにするなど洋間風にリフォームして自分の寝室として使っている。母が使っていたベッドで寝ているがなかなか寝心地が良い。

 

朝方によく夢を見るようだ。夢から覚めるといつも朝の白い日差しが見える。夢は昔働いた会社のものが多い。複数の会社の同僚たちが混じり合って登場する。不思議な話だ。

 

 

目が覚めた後もすぐにはベッドを離れない。ここからの微睡(まどろみ)がまた心地よい。30分くらいあっという間に過ぎてしまう。家内が台所で何か始めた音が聞こえる。ようやく「さあ、起きるか!」となって動き出す。毎朝こんな感じだ。

 

 

「♪~サイレンかすかに遠くから響いて夜の帳(とばり)の幕引き係~♪」

 

上記は宇崎竜童さんの「身も心も」という曲の一部だが、「夜の帳」。阿木燿子さんの歌詞がカッコいい。

 

「帷・帳(とばり)」とは、「室内に垂れさげて、室内を隔てるのに用いる布帛(ふはく)。垂れ衣。垂れ布。」をいう(広辞苑)

 

本来的な意味での「帳(とばり)」だが、コロナ禍の余波で、今でも座席間にパーティション(仕切り)をしている飲食店をよく見かける。「帳(とばり)」も随分と無粋なものになってしまったように思われる。

 

さて、この「帷・帳」を英訳するとしたらどうするか?ストレートに訳せば、やはり curtainか?

 

朝の微睡の中で、そんなことを考えた。

 

 

(問題)

次の日本文の下線部を英語に訳せ。

 

われわれの知る世界地図において、すくなくとも人類の生活可能な地域については、ほぼ19世紀終わりまでに、すべての神秘の帷(とばり)は剥ぎ取られてしまったといってよい。海岸線という海岸線は、幾多大航海者の輩出によって、確実に跡づけられ、アフリカや中央アジアの内部まで、つぎつぎと明るみにだされた。

*中野好夫「世界最悪の旅」

(東京大学・1993年)

 

 

(拙・和文英訳)

On the world map as far as we know, it can be said that most of the curtains hiding mysteries in the areas at least where human beings could live had been ripped off by the end of the 19th century. Further, all the coastlines have been surely traced by the emergence of many great navigators, and the areas down to the inland of Africa and Central Asia have been exposed to light one after another.

 

これまで、アマゾンのマーケットプレイスで専門書などの古書をよく買ってきた。そんな古書の中に時折り、「書き込み」を見つけることがある。

 

 

専門書などについては本来、傍線を引いたり書き込みをしたりして読むのが当たり前、だと思ってきた。従って、自分が読んだ専門書はそれなりに汚れてくるし愛着も湧いてくる。そんな本を古本屋に売ることもなければ、まあ先方も買い取ってはくれない。

 

そのような本は、普通は本棚の中で朽ちてゆき、参照価値が無くなった時点で処分(廃棄)される。今はそんな時代だ。

 

 

だが、私が学生の頃は「書き込み」がある古書も数多く売られていた。特に、大学の授業のテキストに指定されているものにはそんな古書が多かった。古本屋を巡って少しでも安くテキストを手に入れようとしていた頃を思い出す。

 

卒業前に、思い出に残らない本はすべて古本屋に売却した。読めなかった専門書が多かったことを今でも後悔している。

 

 

以下の、大阪大学/外国語学部の英作文の問題は、「書き込み」をした本を売却することをテーマとしている。やはり愛着がある本は売却すべきではない。

 

 

(問題)

次の日本文の下線部(1)~(3)の意味を英語で表しなさい。

 

(1)書き込みをした本を売り払ったときは、しばらくすると気になる。私の場合、決まってそうだ。(2)今となってその書き込みが貴重に思われるとか、その本を手放したことで、取り返しのつかないことをしてしまったとか、という後悔とは違う。(3)過去をなつかしむ気持ちもいくらかはある。が、それよりも、見知らぬ人のもとに自分の一部を置き忘れたような落ち着かなさを感じるのだ。まさに「恥じらいと親近感の混じり合った複雑な気持ち」である。

(中村明『現代名文案内』)

(大阪大学/外国語学部・2010年)

 

 

(拙・和文英訳)

(1) If you sell off a book that you took notes in, you may feel uneasy after a while. In my case, I always feel as such. (2) This feeling is different from the regret that those notes seem precious now, or that I have done something irreparable by selling off the book. (3) I still have some feeling of nostalgia for the past. However, instead, I feel a feeling of restlessness, as if I have left a part of myself somewhere in the presence of a stranger. It is just like “a mixed feeling of shame and familiarity.”

 

先日、雨の晴れ間を縫って藤の花を見に行ってきた。市内の「吉祥寺(きっしょうじ)」という藤の名所である。ここには初めて来た。

 

紫の花は既に終わっていたが、白とピンクの花が見頃だった。白い藤の花にはそこはかとない気高さ感じられた。境内で売られていた藤の香のソフトクリームがなかなか美味しかった。

 

 

 

 

 

外出するときにいつも感じるのだが、女性は化粧など含めて出掛ける準備に何かと時間が掛かるようだ。

 

いつも「あと5分待って!」などと言われるが、それが大抵10分になり20分になる。それでいて、いざ車を発進させると「これを忘れた!あれを忘れた!」などと言い始める。まことに困ったものである。

 

以下は、そんな「化粧」が基本的な人類の特徴の一つである、と考える東大の英作文の問題である。あらためて「そうなのか?」と思ってしまう。

 

 

(問題)

次の日本文の下線部を英語に訳せ。

 

人類には、おそらく、生活の中に多少の閑(ひま)の時間を見出した前史時代から、生まれながらの顔に対して化粧をほどこすという風習があった。これは、他のいかなる動物にも見られないことである。二本足で立って歩くとか、言語を話すというのと同じような、基本的な人類の特徴だろう。

(東京大学・1997年)

 

 

(拙・和文英訳)

Probably, human beings have had a custom of applying makeup to their natural faces since the prehistoric times, when they found some free time in their lives. This custom is not found in any other animals. It may be one of basic characteristics of human beings, just like walking on two legs or speaking a language.

学生時代に歯が立たなかった「日本の思想」(丸山真男著)を、昨年40数年ぶりに何とか読破した。読破したと言っても、書いてあることが何となくわかった、というだけである。それにしても難解極まる本だった。

 

 

今は、経済学部に進学するのに文系と理系の両方から学生を募集する大学が多くなった。東大、京大、阪大、一橋大、東北大、九大、神戸大など一流大学が多い。

 

我々の時代、経済学部は文系からの募集だけだった。但し、経済学部はその必要性から教養部で数学を原則必須としていた。原則というのは「履修した方が望ましい」程度の意味である。その当時の数学のテキストが以下の二冊である。

 

①「位相解析入門」(入江昭二著・岩波書店)

②「経済のための線形数学」(二階堂副包著・培風館)

 

数学の最初の授業に出てみた。教官は理学部出身の助教授。内容は高校数学から全くかけ離れたものだった。最初から「なんじゃこりゃ~」ということになった。

 

数学が得意のつもりでいた自分のプライドはひどく傷ついたが、周りにもそんな学生が多かったと思われる。結局、自然科学うちの一科目は数学ではなく別の科目で単位を取得した。

 

特に「位相解析入門」については、今読んでみたところでちんぷんかんぷんだろう。

 

 

 

 

以下は、そんな「歯が立たない本」に関する東大の英作文の問題である。著者の吉田洋一氏(1898‐1989)は、数学者・随筆家らしい。

 

 

(問題)

次の日本文の下線部を英語に訳せ。

 

本がわかりにくいとき、それが本のせいではなく、読者の方が未熟であるためのことがないではない。こういう場合には、読者自身の成長する日を待つよりほかに手がないであろう。同じ本を年月を経てから読み通してみると、よくわかって面白かったという経験をもつ人は少なくないと思われる。

*吉田洋一「気儘な読書法」

(東京大学・1990年)

 

 

(拙・和文英訳)

When a book is difficult to understand, it's not because the book is too difficult, but because the reader isn’t mature enough to understand it. In such a case, there will be no choice but to wait for the day when the reader himself will grow mature. It seems that not a few people have had the experience of finding a difficult book well understood and interesting, when reading it again after many years.

ここ二日雨となった。先日「衣替え」をしたばかりだが気候は少し肌寒くなった。まだまだ半袖というわけにはいかない。

 

 

翻訳会社に勤務した頃、ベテランの和訳専門の女性翻訳者がいた。若かりし頃は東京・丸の内でBG(ビジネス・ガール=OL)をしていたという。

 

彼女は、和訳であれば契約書などの法務文書から技術的な文書まで何でもこなした。パソコンは使えなかったがワープロを巧みに使って実にスピーディに訳文を仕上げた。

 

彼女がよく言っていたのが「私の訳文はあくまで一次翻訳。直訳なのでしっかりチェックしてください。」ということだった。確かにその通りだった。

 

ただ、直訳ではあれ、とにかく早く一次翻訳が上ってくるので随分と助かった。まあ、確かにチェックには時間が掛かったが……。

 

 

以前、紹介した東北大の英作文問題の出典「歴史をかえた誤訳」(鳥飼玖美子著・新潮文庫)を読んでみた。

 

この本、通訳のみならず翻訳についても、かなり蘊蓄の深いことが書いてありなかなか面白い

 

翻訳のジレンマを女性に喩えた言葉『不実な美女か貞淑な醜女か』というものがある。昔からある表現らしい。

 

「原文という夫」に忠実な「訳という名の妻」はえてして見た目は醜く、誰が見ても美しい妻にかぎって夫に忠実とは言いがたい、という意味である。なかなか、「言い得て妙」な言葉だと思う。

 

昼食のついでに久しぶりに郊外まで車を走らせた。それにしても黄砂が酷い。遠くの山々まで霞んで見えた。黄砂がなければどんなにか穏やかな春の日だろうか、と恨めしい気持ちになる。

 

 

昼食を終えて農協系のスーパーに立ち寄った。入口付近にメダカなどの小魚が売られていた。何となく5尾入りのパックを買った。これで家の水槽が少し賑やかになる、と思うと小さな幸せを感じる。

 

 

スーパーで家内と買い物をしていて、いろんな人々の行動を見ていると少しづつ気分が晴れてきた。ここ数日、軽い「鬱」状態だった。何もやる気が起こらず寝てばかりいた。「春眠不覚暁」ではないがやたらに眠かった。

 

 

とどのつまり、人は皆、目の前の小さな目的のために行動している。その目的が自分のためのものであることもあれば、他人のためであることもある。そんな小さな目的を果たしていくことが「生きる」ことなのだ。あらためてそんなことを感じた。

 

 

近所に神社の祭りの幟が立ち始めた。「曽根の神幸祭」というものだ。暴風雨により未曾有の被害を受けた曽根新田の鎮守として、綿都美神社を造営し、五穀豊穣・風鎮汐留祈願の大祭を行ったことが始まりとされている。祭りは5月のGW中に行われるらしい。

 

思えば、昨年もこの祭りはあった。あっという間に一年が経っていた。時間は容赦なく過ぎてゆく。残り少ない時間。少しでも大切にしなければ。

 

 

頭の中の黄砂の嵐の中でそんなことを考えた。

 

先日、長崎県の波佐見焼の窯元を訪ねてきた。自宅の食器などで必要なものを買い揃えるためである。高速を使って2時間余り、ちょっとした小旅行となった。

 

家内に確認すると、前回から4年半ぶりくらいだったらしい。波佐見は観光施設や飲食店もかなり増えて少し賑やかになっていた。

 

 

前回、土日が休みのため行けなかった「白山陶器」で気に入ったものをいくつか見つけた。結局、「あれも欲しい、これも欲しい」となり結構買い込んでしまった。

 

帰り道、佐賀県嬉野の日帰り温泉に立ち寄った。ぬるっとした泉質で気持ちが良い。運転の疲れも少しとれた気がした。

 

帰途、高速道路から眺めた春の夕暮れがとてもきれいだった。「春宵一刻値千金」といった雰囲気である。

 

 

 

常日頃、「何か本を読もう」とか「何か勉強をしよう」という意欲はあるのだが、なかなか最初の一歩が踏み出せない。これは「読書」「勉強」が、楽しいものではなくある種の「苦行」として認識されるからだと思う。

 

若い頃から、もっと楽な気持ちで「読書」「勉強」に取り組めていたら、人生はどれくらい違っていたであろうか。そんなことを時々思う。

 

 

そんなことをテーマとした英作文の問題を見つけた。随分昔の東大の問題である。

 

(問題)

次の日本文の下線部を英語に訳せ。

 

私たちには、勉強はしんどいもの、今苦しくとも将来のためにがんばるものといった刻苦勉励型のイメージがしつこく残っています。考えてみれば、将来の幸福のために今苦しむという形でしか勉強を受け入れられないのは不幸なことなのです。私たちはただそれにならされてきただけではないでしょうか。

*野村庄吾『スコットランドの小さな学校』

(東京大学・1991年)

 

 

(拙・和文英訳)

We persistently have the image that studying is hard, and that we should do our best for the future even though it is hard now. But, when we think about this, it is unfortunate that we can only accept studying in the form of trying hard now for our happiness in the future. Haven’t we just got accustomed to doing such things?