英語の迷い道(その157)-「学者としての生き方」-湯川秀樹『旅人』より | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

今から15年前、ちょうど50歳だった2009年。フリーランス翻訳者として2年目の春を迎えていた。思ったように仕事が入らず、いつも苦しんでいた。

 

仕事が入ったら入ったで短納期に苦しむ、かと言って品質を落とせば仕事が来なくなる。そんなジレンマにも苛まれていた。

 

 

その頃は時間がたっぷりあったこともあり、気分転換に自宅の周辺をウォーキングした。毎日朝夕の2回は歩いていた。合計で2時間余りくらいだろうか。

 

春から夏にかけて体重はどんどん減ってゆき、夏の終わりには標準体重に近いところまでになった。

 

移り変わる町並を眺めながら黙々と歩いていると、流れる汗とともにストレスも解消されるような心地がした。夕方自宅に戻ってシャワーを浴びた後に飲む一杯のビールが爽快だった。

 

50歳と聞いて私が思い出すのは、そんな苦しかった日々である。

 

 

以下の文章は、ノーベル賞学者、湯川秀樹氏の自伝『旅人 ある物理学者の回想』の冒頭部である。学者としての生き方を指す「遍歴者」「開拓者」という厳しい言葉に深い感銘を受けた。

 

 

(問題)

次の文章を読み、下線部(A)、(B)を英語に訳しなさい。

 

昨年(昭和三十二年)の一月、私は満五十歳の誕生日を迎えた。つまりその日までに、私はちょうど半世紀を生きてきたことになる。

私の歩いて来た道は、普通の意味では別にけわしくはなかった。学者の家に生まれ、後には、それぞれ違った方面の学者となった兄弟たちと、一しょに育ってゆく過程において、また自由主義的な色彩の濃い学校生活において、世俗的な苦労は少なかった。環境的には、むしろ恵まれていたといった方がいいかもしれない。

しかし、「学問の道では」と聞かれると、簡単には答えられない。(A)好運だったとも思えるが、人一倍、苦労したことも否定出来ない。何しろ原子物理学といえば、二十世紀に入ってから急速に進歩した学問である。その上げ潮の中で、自分の好きなことを自分の好きな流儀で、やって来ただけだともいえよう。ただ、私は学者として生きている限り、見知らぬ土地の遍歴者であり、荒野の開拓者でありたいという希望は、昔も今も持っている。

一度開拓された土地が、しばらくは豊かな収穫をもたらすにしても、やがてまた見棄てられてしまうこともないではない。今日の真理が、明日否定されるかも知れない。(B)それだからこそ、私どもは、明日進むべき道をさがし出すために、時々、昨日まで歩いてきたあとを、ふり返って見ることも必要なのである。

(湯川秀樹『旅人』より)

(東北大学・2010年)

 

 

(拙・和文英訳)

In January, last year (1957), I celebrated my 50th birthday. By that time, I had lived exactly half a century.

The road I walked was not particularly bad in the ordinary sense of the word. Because I was born in a scholar’s family and grew up with the brothers, who became scholars of different fields later, and because I spent my school life in schools with strong liberal color, there were few worldly difficulties. In terms of the environment, it could be said that my background was rather blessed.

However, when I am asked how was it “in terms of academia,” it is not easy to answer. (A) I think I was lucky, but I can't deny that I had a harder time than anybody else. At any rate, atomic physics is a field of study that has advanced rapidly since the beginning of the twentieth century. Amid the rising tide, it can be said that I only did what I liked in my own fashion. However, as long as I live as a scholar, I have always had the hope of being a traveler in a strange land and a pioneer in a wilderness.

It is not uncommon for a land once cultivated to bring a rich harvest for a while, but before long to be abandoned again. Today’s truth might be denied tomorrow. (B) That’s why it is necessary for us to look back from time to time after we have walked up to yesterday in order to find the way for tomorrow.