流離の翻訳者 青春のノスタルジア -16ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

先日、長崎県の波佐見焼の窯元を訪ねてきた。自宅の食器などで必要なものを買い揃えるためである。高速を使って2時間余り、ちょっとした小旅行となった。

 

家内に確認すると、前回から4年半ぶりくらいだったらしい。波佐見は観光施設や飲食店もかなり増えて少し賑やかになっていた。

 

 

前回、土日が休みのため行けなかった「白山陶器」で気に入ったものをいくつか見つけた。結局、「あれも欲しい、これも欲しい」となり結構買い込んでしまった。

 

帰り道、佐賀県嬉野の日帰り温泉に立ち寄った。ぬるっとした泉質で気持ちが良い。運転の疲れも少しとれた気がした。

 

帰途、高速道路から眺めた春の夕暮れがとてもきれいだった。「春宵一刻値千金」といった雰囲気である。

 

 

 

常日頃、「何か本を読もう」とか「何か勉強をしよう」という意欲はあるのだが、なかなか最初の一歩が踏み出せない。これは「読書」「勉強」が、楽しいものではなくある種の「苦行」として認識されるからだと思う。

 

若い頃から、もっと楽な気持ちで「読書」「勉強」に取り組めていたら、人生はどれくらい違っていたであろうか。そんなことを時々思う。

 

 

そんなことをテーマとした英作文の問題を見つけた。随分昔の東大の問題である。

 

(問題)

次の日本文の下線部を英語に訳せ。

 

私たちには、勉強はしんどいもの、今苦しくとも将来のためにがんばるものといった刻苦勉励型のイメージがしつこく残っています。考えてみれば、将来の幸福のために今苦しむという形でしか勉強を受け入れられないのは不幸なことなのです。私たちはただそれにならされてきただけではないでしょうか。

*野村庄吾『スコットランドの小さな学校』

(東京大学・1991年)

 

 

(拙・和文英訳)

We persistently have the image that studying is hard, and that we should do our best for the future even though it is hard now. But, when we think about this, it is unfortunate that we can only accept studying in the form of trying hard now for our happiness in the future. Haven’t we just got accustomed to doing such things?

朝は曇り空だったが午前中から雨となった。市内の小・中学校や県立高校でも始業式が開催されたらしい。制服姿の中・高校生を久しぶりに見た。天候面では生憎の新学期のスタートとなった。

 

 

桜のシーズンが過ぎ去ろうとしている。3月下旬に京都に行ったことが随分昔に感じられるくらい、季節はここ二週間ほどで桜とともに春へと入れ替わった。まあ、そんな思い出が残るからこそ旅は楽しいのだが。

 

 

しばらくブログから遠ざかっていた。年度が替わって少し思うところがあったからだ。振り返れば昨年度は怠惰に過ごしすぎたように思う。

 

読了した本も少なく勉強らしい勉強もできなかった。時間は有り余るほどあるのに何ら生産的なことができなかった。金融・経済分野の翻訳の試験にも3度挑戦したが、結局合格することができなかった。反省するところが多い一年だった。

 

とにかく「千里の道も一歩から」の気持ちを忘れずに、最初の一歩を踏み出す勇気を持って計画的に今年度を生きてゆこう。

 

 

少し古い写真を眺めていた。家内と過ごしたここ7年ほどの思い出が蘇ってきた。近郊ばかりではあるが、色々な場所を一緒に訪れた。旅先で買い求めた数々の焼物や食器など。それらを眺めているだけでも当時の情況が思い起こされる。

 

 

思い出を振り返るのは自分の習性だが、決して悪いことだとは思っていない。今年度もそんなスタンスでブログを続けられればと思う。

 

一昨日の夜の猛烈な雷雨がまるで嘘のように、昨日は青空が広がり桜も八分咲きの華やかな年度初めとなった。かねてより桜の下で家内との記念写真の撮影を予定しており、桜咲く好天の下、万事滞りなく撮影を終えることができた。

 

撮影はプロの写真館にお願いした。撮影場所は自宅から近くの「昭和池」というところ。花見客もさほど多くなく、桜の花びらが風に舞う中、美しい思い出を映像に残すことができた。

 

 

午後から地元の筍の名産地「合馬(おうま)」へと向かった。車で30分くらいのところだ。何年か前に買った同じ店で、今年も旬の筍を購入することができた。夜は家内が腕を振るい、久しぶりの「筍ご飯」である。筍は子どもの頃からの好物である。

 

こうして今日も穏やかな春の一日が過ぎていった。

 

 

(問題)

あなたの住んでいる場所について、2つの段落からなる文章をそれぞれ50~70語程度の英語で書きなさい。

 

(1)第1段落ではその場所の好きな点とその理由を具体的に述べなさい。

(2)第2段落では嫌いな点とその理由を具体的に述べなさい。

(東北大学・2003年)

 

 

(拙・解答例)

(1) Kitakyushu, where I was born and brought up, has a mild climate and few natural disasters. In addition, although it is an ordinance-designated city, the cost of living is not so high and there are many hospitals, which makes it an easy place to live in. Further, Kitakyushu is blessed with products from the mountains and seas, and the food is delicious. That’s why I love Kitakyushu. (67 words)

 

(2) However, I have some complaints about Kitakyushu. Kitakyushu has been experiencing a declining birthrate and an aging population. In addition, young people are concentrated in the city center, while only the elderly people can be found in the suburbs. Such regional disparities should be corrected, and Kitakyushu should be transformed into an attractive city for young people by establishing new educational institutions and attracting large companies’ facilities. (67 words)

 

小倉南区/貫川沿いの桜(2024.4.2)

 

京都市内には、市バス、京都バス、京阪バスなど様々な会社のバスが運行している。今回の旅行ではバスによく乗った。

 

バス停を探したり、バス停から観光地まで歩くことも多く、歩数が20,000歩を超えた日もあった。日頃マイカー中心の生活をしている私にとっては、かなりの運動量だった。

 

どのバスも観光客で溢れていたが、京都の人はそんな環境に慣れているのだろうか?嫌な顔をする人はほとんど見かけなかった。

 

混んだバスの中で赤ちゃん抱っこした外国人の女性に席を譲ったが、そんな経験をしたのも随分久しぶりのことだった。

 

 

以下は、「アメリカをバスで旅をすること」に関する東北大の問題である。たしかにバスに乗れば、その土地の町並みや人間、また風俗により直接的に触れられるのかも知れない。

 

 

(問題)

次の文章を読み、下線部(A)、(B)を英語に訳しなさい。

 

(A)アメリカはどこまで行っても同じ建物、同じ町並み、同じ料理で面白くない、アメリカ文化は画一的だ、という意見をよく聞かされる。しかしそういう人は、たぶん飛行機ばかり乗って旅行しているのではあるまいか。空港からタクシーやリムジンが送りとどけてくれる一流ホテルに泊り、一流レストランで食べ、表通りばかり見物していれば、全国画一的に見えるのは当たり前である。日本でもその点は同じだろう。ただ私たちは、日本については画一的でない裏街の日常生活も知っているだけなのだ。

私は徹底してバス旅行の徒である。(B)これには経済的な理由も大きい。自分で車を運転する人は別として、バスはアメリカで一番安い乗り物なのである。しかし長距離を行く時など、途中の宿泊費を含めればバスのほうが高くつくこともある。それでも、時間さえ許せば私はバスを選ぶ。バスで旅すると、ひとつひとつの土地や人間や風俗の変化がよくわかる。変化しない場合でも、その変化しないことが意味をもってわかってくる。

(亀井俊介『アメリカの心 日本の心』より)

(東北大学・2009年)

 

 

(拙・和文英訳) 

(A) I have often heard the opinion that America is not interesting and American culture is stereotypical because there are same buildings, same townscape, same food, no matter where you go in America. However, I think such people probably travel only by plane. If you stay at a first-class hotel which will take you to and from the airport by a taxi or limousine, eat dinner at a first-class restaurant, and only look at the main streets, it is natural that the whole country will look stereotypical. The same will also apply to Japan. The only difference is that we, Japanese, know about Japan of course, but we also know about the daily lives of the back streets, which are not stereotypical.

I'm a thoroughgoing bus traveler. (B) There are big economic reasons for using buses. Apart from those who travel by their own cars, buses are the cheapest means of transportation in America. However, when traveling a long distance, buses are sometimes more expensive if the cost of accommodation along the way is included. Notwithstanding, I choose buses if time permits. When I travel by bus, I can clearly see the changes in respective lands, people, and customs. Even if they don’t change, I can recognize that such unchanging lands, people, and customs themselves have a meaning.

 

 

ここ数日、雨模様が続いており何となく気が滅入る。血圧降下剤の副作用なのか、ここのところ眠りが浅く、睡眠薬を飲んで寝たら妙な夢ばかり見ていた。

 

「春愁」というにはまだ早いが何となく物憂い気持ちだ。「上洛」を終えた燃え尽き感なのか。目の前から目標が無くなってしまった気がして何かしら寂しい気持ちになる。

 

とにかく、必要なことを一つずつ片付けながら日々を過ごしてゆこう。不快な感情は行動により流れるものだ。行動を積み重ねた先に何がしかの目標もきっと見えるだろう。

 

 

「郷に入れば郷に従え」とは、「その土地(または社会集団一般)に入ったら、自分の価値観と異なっていても、その土地(集団)の慣習や風俗にあった行動をとるべきである。」という教えである。

 

京都で外国人旅行者(とくに白人)をたくさん見かけたが、彼らが食事する様子を見ると、器用に箸を使って日本食を食べている人もあれば、ナイフとフォークで洋食の人もいる。人それぞれである。

 

 

(問題)

次の文章を読み、下線部(A)、(B)を英語に訳しなさい。

 

旅が唯一の趣味であちこちによく出かけていくが、当然、その場所場所によって常識は違う。トイレのあと、紙で拭く国も水で洗う国もある。ごはんを箸で食べる国も、スプーンとフォークで食べる国も、手で食べる国もある。列車が時間通りくる国もあれば、時刻表がなんの役にもたたない国もある。

(A)しかし、考えてみれば、常識の違いに戸惑うということが、私にはあんまりない。違っていて当然であり、違っていなくちゃ困る、という気持ちもある。私が旅を愛するのは、自分というものがけっして普遍的な存在ではない、と知ることができるからでもある。私が「ふつう」と思っていることが、世界的スタンダードであるならば、旅に出たいとそもそも思わないだろう。

(B)異文化のなかにぽつんと出ていったとき、かたくなに自分の基準を守ろうとする人と、なんとか郷に従おうとする人がいる。私は後者である。自分の基準を守るのならば、これもまた、旅に出る必要がないではないか、と思っているようなところがある。

(角田光代「お金と沈黙」より)

(東北大学・2008年)

 

 

(拙・和文英訳) 

As traveling is my only hobby, I often travel from place to place. As a matter of course, common sense differs depending on the place. After using the toilet, bottom is wiped with paper in some countries, while it is washed with water in others. Rice is eaten with chopsticks in some countries, with a spoon and fork in others, and with hands in others. Trains come on time in some countries, while timetables are of no use whatsoever in others.

(A) However, when I think about it, I am not so often confused by the difference in common sense. It is natural that there is a difference in common sense, and I even have a feeling that it has to be different. I love traveling because it also allows me to recognize that I am not a universal existence. If what I consider “normal” were the global standard, I wouldn't want to travel in the first place.

(B) When going out into a different culture alone, some people stubbornly try to follow their own standards, while others manage to follow the local customs. I'm the latter. I even somewhat think that if I stick to my standards, I don't need to go traveling.

 

今でも年賀状の付き合いがある通訳者の方が何人かいる。翻訳会社勤務時代から通算でもう15年ほどになるのか。

 

会社は新日鐵(現・日本製鉄㈱)の系列だったため技術系の通訳が中心だった。技術会議や工場構内に入っての実作業での通訳である。この場合、通訳者も作業服を着て安全靴を履き、ヘルメットを被ることも多かった。

 

 

当時、社員にベテランの男性通訳者の方がおられた。私より一回り以上年上である。日頃は煙草を吸ってのんびりとされた方だったが、「いざ通訳」となると歯を磨き身なりを整え、顔つきから違って見えた。「これが通訳者の戦闘態勢なんだ!」と思った。

 

駆け出しの頃、「もう明日から来なくていいよ!」と言われるなど、随分痛い目にも会ったという。いつも優しくて愉快な方だったが、その方が亡くなられてもう5年になる。

 

 

以下は、「通訳者の要約能力」をテーマとした東北大の英作文の問題である。こんなことができれば理想的な通訳者だろう。自分なりの英訳を作成してみたが、かなりの難問だった。

 

 

(問題)

次の文章を読み、下線部(A)、(B)を英語に訳しなさい。

 

通訳をする場合、とくに逐次通訳の場合は、通訳者の要約能力が欠かせない。(A)もちろん、勝手に短くしたり省略したりなど編集することは許されないのだが、発言をひたすら訳せばよいかといえば、そうではない。だらだらと長いだけで、かえってわかりにくい結果になる。理想的には、通訳者自身が内容を十二分に理解したうえで自分なりに分析し、対象言語の論理構成にある程度合わせる形で要領よく、かつ過不足なく提示することである。

それがうまくいくと、通訳を通して聞いたことを忘れるくらい、スムーズに相手の話を理解できる。(B)通訳者にその能力が欠けていると、確かに訳してはいるのだが、意味不明だったり、発言者がいったい何をいいたいのかわからなかったりする。

(鳥飼玖美子『歴史をかえた誤訳』より)

(東北大学・2012年)

 

 

(拙・和文英訳) 

When interpreting statements, especially in the case of consecutive interpretation, the interpreter’s summarizing ability is indispensable. (A) Of course, it is not permissible to edit the statements, such as shortening or abbreviating them arbitrarily, however, it is not enough to interpret the statements simply word for word. Doing so makes the expressions just too long, which consequently makes the conversation rather difficult to understand. Ideally, the interpreter should fully understand the content, analyze it in his or her own way, and present it to the point, neither too much nor too little, in a manner that complies with the logical structure of the target language to some extent.

If this summarizing goes well, you can understand what the other person is saying so smoothly that you can forget what you heard through the interpreter. (B) If the interpreter lacks the summarizing ability, he or she may surely be interpreting, but it may not make sense, or may not understand what the speaker wants to say.

 

今日は少し暖かくなった。春の日差しが降り注いでいる。公立の小・中学校は今日が終業式だったようで笑顔で下校する子どもたちを多く見かけた。こちらの桜の開花予想は3月23日頃だったが、寒の戻りもあったので少し遅れそうな感じである。

 

 

以下、また少し京都のことを書いてみる。

 

1978年の3月下旬、私の下宿探しや独り暮らしの準備のため、母と祖母、私の三人で上洛した。私が独りでできるほど大人だったらよかったのだが、母もやはり心配だったのだろう。祖母までが京都に付いてきた。

 

下宿探しには少し出遅れた感があったが、なんとか大学に近い吉田二本松町の下宿を見つけることができた。これが前回のブログに書いたところである。

 

部屋は四畳半一間で家賃は月8,000円。トイレ・洗面所は共同、風呂は銭湯通いとなった。畳替えや大学生協で購入した机や本棚、炬燵などが届くまでしばらくの間、近くの旅館に滞在することになった。受験の時に泊まった「聖護院荘」という宿である。

 

私の独り暮らしの一通りの準備を終えて母と祖母が京都から帰る最後の日、三人で観光バスで京都市内を周遊した。観光バスの最終の目的地は「清水寺」。清水の舞台から美しい京の夕暮れを拝むことができた。

 

京都駅で母と祖母を見送った後、とうとう独りぼっちになった。まだまだ肌寒い早春の京都。19歳の春、その時の強烈な孤独感は今も忘れることができない。

 

 

今にして思えば、これが私にとって最初で最後の「親離れ」だったのかも知れない。結局、それ以降両親と一緒に暮らすことはなかった。従って、「親離れ」以来、随分長い時間旅を続けているようなものである。

 

父が亡くなって17年、母が亡くなって5年。両親には随分苦労をかけたが、気が付けば当時の父母よりずっと年上になってしまった自分を旅の空に振りかえる。

 

 

二泊三日の京都旅行を終えた。京都は思いのほか寒かった。桜で混雑するシーズンを避けた平日であるにもかかわらず、京都は特に外国人の観光客でごった返していた。

 

昨今、福岡(博多)も開発が進んだが、それとは比べものにならないくらい京都は巨大な国際都市へと変貌していた。とにかく様々な国籍の外国人で溢れた街となっていた。

 

 

一日目。

京都駅から地下鉄で烏丸今出川へ。同志社大学では卒業式が行われていた。そこから市バスで京大正門前へ。家内と大学構内をブラブラ散策し、生協の食堂で昼食を済ませた。味はまずまず。ひとり600円くらいで食べることができた。

 

大学構内を出て吉田二本松町の下宿へ。45年余りの時を経て下宿は健在だった。ベルを押して代替わりした大家さんに挨拶することができた。中庭に入らせていただくと当時の佇まいが一部残されていた。共同の洗濯機や屋上の物干し場が懐かしかった。

 

下宿を後に大学構内を南から北へ歩いて喫茶「進々堂」へ。教養部時代よく通って本を読んだ喫茶店だ。木製の長机はそのままだった。コーヒーを飲み終わって市バスで農学部前から出町柳へ。京福電鉄に乗り一乗寺へ。車両は随分お洒落に変わっていた。

 

一乗寺駅から東西に延びた学生街を通って一乗寺燈籠本町のアパートへ。よく通ったろばた焼き「京八」は無くなっていた。マスターが亡くなられたのが15年くらい前のことだ。アパート「さくら荘」や周辺の雲母漬老舗「穂野出」「雲母湯」はそのまま残っていた。

 

一乗寺清水町から5番系統の市バスで京都駅へ。四条河原町から烏丸通り渋滞のため思いのほか時間が掛かった。夜は大学時代の友人と居酒屋で旧交を温めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二日目。

京都駅から東山七条三十三間堂に向かったが結局徒歩になった。本尊の千手観音座像千体千手観音立像、また風神・雷神像二十八部衆像が実に荘厳で素晴らしかった。三十三間堂を後に近くの智積院へ。境内を散策したがとても寒かった。

 

智積院を出てしばらく歩き京阪バス四条京阪へ。道を尋ねると京都の人は皆優しく教えてくれた。四条木屋町から木屋町通りを食事ができるところを探しながら北上した。戻りは先斗町に入って路地を南下して再び四条通りへ。先斗町は焼き肉、鰻、京料理の店が多いが営業は夜が中心らしい。

 

新京極を通って錦市場へ。物凄い人だかりでまるで祭りみたいだった。立ち食いしている観光客もいたが、ここもやはり外国人が多い。人混みを逃れて甘味処で一休み。ほうじ茶と彩りのある団子で少し人心地が着いた。

 

四条通りに戻りブランド店などを散策しながら四条烏丸へ。地下鉄で京都駅へ。八条口に出て市バスで東寺へ向かった。東寺の花まつりのライトアップは18:00から。30分ほど近くの喫茶店で時間を潰した。外はどんどん寒くなっていった。

 

桜には10日ばかり早かったが五重塔や庭園のライトアップはとても綺麗だった。金堂の中も観ることができた。京都駅に市バスで戻り居酒屋で夕食と酒、なかなか美味かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三日目。

朝食を済ませてからこの日は家内と別行動。彼女は京都駅周辺でショッピングしたいとのこと。私は再び大学へ。今回は教養部(現・総合人間学部)構内を散策。ただこの日は生憎の祭日で生協の食堂・売店ともに休業。学生も少なく閑散としていた。

 

教養部を出て吉田の下宿周辺を散策。よく行った銭湯「平安湯」は改装されて健在。懐かしい街並みはそのままだが、当時からの建物や飲食店はほとんど残っていない。岡崎を経由して東山丸太町まで歩いて市バスに乗り銀閣寺道で下車。この辺りから冷たい雨が降り始めた。

 

銀閣寺道の喫茶店「ベア」で食事と休憩。この店は学生時代も何度か行ったことがあった。看板のSince 1960は噓ではない。学生時代より狭く感じたのは単に自分が膨れただけか。見覚えのあるコーヒーカップに懐かしさを覚えた。

 

銀閣寺道から白川通りを渡り今出川通りを西へ歩いた。通りの南側はよく遊んだ学生街だ。だが「餃子の王将」農学部前店など当時からの飲食店はほとんど無くなっていた。よく遊んだ卓球場もなくなり古本屋も少なくなった。通りを挟んで「天下一品」が見えた。ここにもよくお世話になった。

 

北白川から農学部に差し掛かったくらいに雨が強くなってきた。農学部前から市バスに乗って京都駅へ。思い出を辿る旅もこれで終わりとなった。京都駅で家内とおち合い新幹線の時間を2時間ほど早めて帰途に着いた。

 

 

大学2年の夏休み、小学校5・6年時の担任の先生(女性)の自宅を、同級生の男女4名連れだって訪問したことがあった。

 

そのとき先生がこんなことを仰った。「○○くんは、夏休みの宿題にいつも自主的に漢字の書き取り帳を提出していたねぇ!その頃から漢字を書きながらじっと力を蓄えていたんだねぇ!」

 

 

私は子どもの頃、ほとんど本を読んだことがなかった。覚えているのは祖母が話してくれたり読み聞かせてくれた絵本など昔話ばかりである。ただ、祖母は時間のあるときに私に漢字を教えてくれた。これが私と漢字との出会いである。

 

祖母は時折近くのバス停まで私を連れて行ってくれた。私がバスが走るのを見るのが好きだったからだ。いつの間にかバスの行き先の漢字が読めるようになった。これには周りの人たちも驚いた。それで、より一層漢字を覚えることが好きになった。

 

夏休みの漢字の書き取りが苦にならなかったのは、このあたりに理由があるようである。これが私が子どもの頃の心象風景である。

 

 

以下の問題は、子どもの頃に読んだ本の記憶と心象風景が結びついたケースである。

 

 

(問題)

次の日本文の下線部の意味を英語で表しなさい。

 

子どもの頃のわたしは本を読むことは好きだったが、定められた勉強は嫌いだった。そのことを、とても苦にしていた。どうやらいまだに自分は子ども時代の強迫観念からのがれられずにいるらしい。そう考えると可笑しさがこみ上げ、それに誘われるように、長い間想い出すこともなかった子どもの頃の情景が次々に心によみがえってきた。そうした心象風景のひとつひとつは、不思議なくらいに書物の記憶と結びついている。

(大阪大学(文学部以外)・2003年)

 

 

(拙・和文英訳) 

When I was a child, I liked reading, but I disliked the predetermined study. I was worried about that so much. It appears that I can't get rid of such an obsession in my childhood even now. When I thought about it, a laughter welled up in me, and as if I were invited by it, various scenes in my childhood that I had not remembered for a long time came back to my mind one after another. Strange to say, each of these mental scenes is just connected to the memory of the books I read in my childhood.

 

「もしもタイムマシンがあったら……」誰もが一度は考えたことがあるのではないか?

 

もしタイムマシンがあったら、私なら過去の世界に行って若い頃の自分に会ってみたい。もし彼が困っていたら相談に乗ってあげ、何かアドバイスをしてあげたい。また、それによって彼がどう変わるかも見てみたいし、今の自分までもが変わるのか確認してみたい。まるで映画バック・トゥ・ザ・フューチャーみたいだ。

 

以下は、そんな夢みたいな阪大の自由英作文の問題である。

 

 

(問題)

もしもタイムマシンがあれば、あなたは使ってみたいですか、使ってみたくないですか。どのように使ってみたいか、あるいはなぜ使いたくないのか、70語程度の英文で書きなさい。

(大阪大学・2013年)

 

(拙・解答例) 

If there were a time machine, I would like to use it. I want to go to the past on the time machine and see myself when I was young. If he is worried about something, I would like to talk to him and give him a piece of advice. Further, I want to see how such advice changes him, and I want to see if it would change what I am now as well. (75 words)