流離の翻訳者 青春のノスタルジア -13ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

6月は良いことばかりだった、などとブログに書いたら早速その反動がでた。7月に入った早々、家内⇒私と立て続けにコロナに感染した。

 

家内が何処からか貰って来たものだろう。濃厚接触者たる私も巻き込まれた。人間万事塞翁が馬。人生先は誰にもわからない。薬を飲みつつ、しばらくは大人しくしておく他はない。

 

コロナ発生から4年半、今まで感染しなかったのが不思議なくらいだが、医学や薬学の成果は大したものだ。人類の敵であるコロナ災禍を克服しつつある。今まで戦い続けてこられた医療従事者の方々には頭が下がる。

 

 

「人間万事塞翁が馬」、意味は一見、不幸せに思ったことが幸せに転じたり、その逆だったりすることがあるので、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないという中国の故事に由来する諺である。

 

この「人間万事塞翁が馬」を英訳するとどうなるか?AIに翻訳させてみた

 

〇Wordの翻訳機能

“All human beings are horses.”

「すべての人間は馬である」

 

〇みらい翻訳

“Every human being is a horse.”

「すべての人間は馬である」

 

いずれも話にならない。

 

〇Google翻訳

“Unpredictable events unfold before your eyes.”

「思いも寄らないことが目の前で起こる」

 

こちらは、なるほどと頷ける感じの訳文である。

 

7月に入った。今年もはや後半である。今日は北九州市に「土砂災害警戒情報」及び大雨警報・洪水警報が出された影響で市立の小・中学校は休校になったらしい。強い雨音を除きいつになく静かな月曜の朝となった。

 

雨は昼前から小降りになったが、鬱陶しい日々はこれからだ。あと2週間余り。一日も早く梅雨が明けて欲しい。

 

 

私にとって6月はかつては「魔の季節」だった。季節は梅雨に入り精神的にも悩んだ経験が多かったからだ。大学4年の時、小学校以来の親友が自殺したものこの時期だ。もうあれから43年になる。

 

いつも「6月さえ乗り切ればきっとなんとかなる」と思ってきた。梅雨が明け夏になると何となく悩みは解消していた。それがどうしたことだろう?今年は6月に結構良いことが重なった。パートで翻訳の仕事が決まり、英会話のレベルもアップした。

 

 

季節ではなく、一日の時間でも「魔の刻」と呼ばれる時刻がある。少し季節外れだが、それが、日が沈んだばかりの薄暗い頃で「逢魔時(おうまがとき)」と呼ばれる。

 

「大禍時(おおまがとき)」や前漢末の王莽(おうもう)(45B.C.-23)の災禍にこじつけ「王莽時(おうもうがとき)」と書くこともある。

 

一般的には酉(とり)の刻(17時~19時、正刻18時、暮6つ)を指すが、いかにも魔物に遭遇しそうな時刻、大きな災禍が起こりそうな不吉な時刻を意味する。

 

「逢魔時」は英語でeventide, gloaming, spooky dusk, twilightなどと訳されるがeventideはeveningの《古・詩》(古語・詩的表現)である。

 

先日、ある酒店で白ワインを買って出てきたところ、NOVAで一緒に授業を受けたことがある男性(Mさん)に出くわした。彼はニコッと笑うと「私もこれから酒を買うところです」と答えた。何かしら戦友に会えたような心地がした。

 

Mさんとは今まで何度か一緒にレッスンを受けたことがある。リスニング・スピーキングとも私より遥かにできる。海外駐在の経験があるのか英語も流暢だ。酒とゴルフが好きな、どことなく好感が持てる典型的な中年サラリーマンである。

 

今度会えた時は以前より会話が弾むことになるだろう。こんな縁は大切にしたい。

 

 

現在、仕事で米国の法律、「移民国籍法(Immigration and Nationality Act)」の条文の翻訳(英文和訳)を行っている。アメリカ法の和訳は初めての経験だ。「移民国籍法」とは、アメリカ合衆国の移民と国籍に関する事項を定めた1952年の法律をいう(通称「マッカラン=ウォルター法」)。

 

和訳でもAI翻訳を活用しているが、訳語が1:1に対応していないのが不思議だ。例えばAlienという単語を、あるときは「外国人」あるときは「エイリアン」、またあるときは「宇宙人」と訳していた。機械の脳の振舞いは実に不思議である。

 

そんな中で妙な単語に出会った。Batteryという語である。AIはそのまま「バッテリー」と訳していたが、前後の文からも浮いた訳語である。辞書を引いてみた。

 

 

単語batteryには〘法〙で「暴行(罪)」という意味があった。これで意味がスッキリ通った。これの動詞がbatterである。英英辞典の定義は以下の通り。

 

Batter:

If someone is battered, they are regularly hit and badly hurt by a member of their family or by their partner.

ある人が、家族のメンバーまたはパートナーから日常的に殴られたりひどく傷つけられたりされている(虐待されている)こと

 

 

The County originally accused him of assault and battery, and sexual misconduct charges, but the judge reduced the latter charge to misdemeanor disorderly conduct.

郡は当初、強制わいせつおよび暴行、ならびに性的不品行の罪で彼を告発したが、判事は後者の罪状を軽犯罪の治安紊乱行為に引き下げた。

自分の英語のリスニングの能力は大したことはないと常日頃思っている。今から20年あまり前、TOEICを受験していた頃もリスニングよりリーディングの方がスコアが良かった。

 

昨年の10月から週1回程度NOVAに通ってきた。純粋に趣味として英会話を楽しむためである。今から25年前の1999年~2001年、以前のシステムのNOVAに通った頃は毎日が競争だった。他の生徒とのつばぜり合いで疲弊した。でも、そんな世界はもう卒業した。

 

NOVAで学んで9か月、スタッフの勧めもあって昨日レベルチェックを受けてみた。結果レベル8にレベルアップした。久しぶりに「うれしい」と感じた。結局他人との競争ではなく自分を楽しく鍛えることが大切なのである。

 

 

随分昔の話だが、人生で一度だけ占いを受けたことがある。大学2年、20歳くらいの頃のことだ。地元に「よく当たる」と噂の占い師がいた。あるスナックのママさんである。友人がその店でバイトしていた関係で無料で見てくれた。

 

彼女が私に言ったことは実に印象的だった。「私の周りにはアルファベットが見える」らしい。「きっとアルファベットを操るような仕事に就く」とも言った。

 

今なら英語かIT関係だろうと何となく想像できるが、パソコンなど無い当時に不勉強な私の頭に浮かんだのは「それってタイプライターを作るみたいな仕事」という幼稚な発想だった。

 

 

しかし、今振り返れば彼女の予言は私の人生に符合する。大学卒業後は損害保険会社に入社、入社2年目には情報システム部に配属された。毎日がIBMの英語マニュアルとの格闘の日々だった。プログラム言語も英語、JCLもすべて英語だった。

 

地方銀行に転職してからも、情報システム関連の子会社、資金証券部、営業部で外為を担当した。どの部門でも英語と縁が切れることはなかった。

 

1999年を境として、受け身ではなく自分から積極的に英語にアプローチするようになった。英会話を始めるとともに英語を一から勉強し直した。以後翻訳者になるまで9年掛かった。

 

そして今もまた、アルファベットに囲まれた世界に自分の最後の職場を見つけることができた。思えば実に数奇な人生だった。

 

昨日からやっと梅雨らしい天気になった。短時間ではあるが結構降った。沖縄は梅雨明けしたそうだが、これから約1か月こんな梅雨空が続くだろう。

 

家内が日本語教室のボランティアに行ってきた。以前の職場で勤務していたベトナム人の若い男性が教室に来ていたそうだ。彼も子供が生まれて幸せそうに見えたらしい。職場のメンバーも随分入れ替ったようである。

 

 

午後からある友人に久しぶりに電話を掛けた。1年半くらいぶりだろうか?以前英会話学校で知り合いもう20年余りの付き合いになる。私と同い年で福岡市出身。早稲田の理工卒で地元の大手企業で定年までロボティクス関連のエンジニアとして勤務していた。

 

彼は、最後の職場として地元の私立大学の警備員の仕事を始めていた。デスクワークではなく体を動かす仕事がしたかったらしい。夜勤が中心のようである。その彼、昨今、右目を患ったという。私も目は酷使しており一度検査に行かなくてはと感じた。彼とは近いうちに一献傾けることになろう。

 

 

私も先週から、ある法務事務所で翻訳を含む事務の仕事を始めた。この歳で翻訳ができるのはありがたい。私の周りでも、70歳を過ぎて翻訳・通訳を続けた人が何人かいたが、単発の仕事が中心で継続的なものは稀だった。これからも好きな仕事が続けられるのは幸せなことだが、おそらく此処が最後の職場となるだろう。

 

 

新しい環境に慣れるまでは何かと気を遣うものである。それは相手方も同じだろう。そんな時一番大切なのはコミュニケーションである。以下の京大の問題はそんな情況をテーマとしている。

 

 

(問題)

次の文を英訳しなさい。

 

初対面の時には相手が一体どんな人か分からない。何となく重苦しい雰囲気で、緊張しているし、多少とも不安である。そんな時、お互いにニコッと笑い合えたら、それで意思が通じ合えたような気になり、安心して話せそうに思えてくる。

(京都大学・1993年)

 

 

(拙・和文英訳)

When you meet someone for the first time, you don't know what kind of person he is. Amid somewhat oppressive atmosphere, you might get nervous or feel a little anxious. In such a case, if you can smile at him each other, you will feel as if you could have communicated with each other, and you may think you can talk to him at ease.

 

九州北部は一昨日梅雨入りした。昨年より19日も遅い。それが昨日はまるで梅雨明けのような雲一つない晴天となった。この先、天気はどうなるのだろうか?

 

 

「縁」とは不思議なものである。昨日、随分昔にアメリカに帰国した英会話講師との縁が再び繋がった。18年くらいぶりである。まだ翻訳を業とするなど考えてもいない頃だった。当時の同じクラスの仲間たちや楽しかった宴会の情景が目に浮かぶ。

 

写真を見ると懐かしさがこみ上げてきた。彼女も既に2児の母親となっていた。時の流れは恐ろしく速い。

 

 

懐かしいという感覚はとても心地よい。先日の日経新聞の【春秋】欄に以下の文章を見つけた。バスで海水浴場に行った思い出など、物心が着くか着かないかの遠い昔のことである。

 

 

(日本語)

バスと海岸という取り合わせには、海沿いの出身でなくてもどこか懐かしさを感じよう。バスに乗り海水浴に行った体験や、そうした場面を映画などで見た記憶が呼び覚まされるからだろうか。夏を巡るこの共通体験がだんだん危うくなりつつある。路線バスの減便と廃止、海水浴場の開設中止が各地で広がっているのだ。

(日本経済新聞【春秋】2024年6月17日刊より一部抜粋)

 

(拙・和文英訳)

A combination of bus and beach will make you feel somewhat nostalgic even if you are not from seaside areas. I think it is probably because such a combination reminds you of the experiences that you went sea bathing by bus, or the memories that you saw such scenes in the movies. This common experience in summer has been in danger of gradually vanishing away. Sad to say, the reduction and abolition of local bus services and the cancellation of the opening of bathing beaches have been spreading in various places in Japan.

 

自宅から車で5分くらいのところに一軒のファミレスがある。土曜日の朝にそこへ行くとちょっと可愛らしい(?)ウェイトレスさんがいる。年の頃なら80歳近くの方だ。

 

きちんとファミレスの制服を身につけてしっかりとした対応だ。客のベルに対する反応も早く声も大きい。レジなどもしっかり処理している。

 

その歳まで社会の役に立とうとしている姿勢に誰もが感動する。「自分もブラブラしていないでしっかりしなきゃ……」と思う。

 

 

「イタリア料理と言えばトマトとオリーブオイル」みたいなイメージを持っていたが、以下の文章を読むと、そんなイメージはごく近年に植え付けられたものだ、ということがわかった。物事の起源に立ち返ることは大切なことである。

 

 

(問題)

次の文を英訳しなさい。

 

「イタリアといえばトマト」という印象が一般にはあるが、トマトの原産地はイタリアではなく南米である。さらに、イタリアでトマトが食用とされるようになった歴史はたいへん浅い。せいぜいこの二百年あまりにすぎないのである。イタリア料理の原点が古代ローマ時代にさかのぼることを思えば、「昨日」からの付き合いのようなものなのである。

(内田洋子、シルヴィオ・ピエールサンティ、『トマトとイタリア人』 一部改変)

(京都大学・2004年)

 

(拙・和文英訳)

There is a general impression that “Speaking of Italy, tomatoes are famous,” however, the origin of tomatoes is not Italy, but South America. Further, it has been a very short time historically since tomatoes came to be eaten as food in Italy, which is over the past two hundred years at the longest. Considering the origin of Italian cuisine that dates back to the ancient Roman times, such years are like a relationship from “yesterday.”

 

翻訳には大きく分けて文芸翻訳産業翻訳がある。随分前のNHKの朝ドラ「花子とアン」日本の文芸翻訳の草分けの話だった。

 

文芸翻訳では、海外の小説などの外国語を和訳するケースが圧倒的に多いが、これには文才が必要となる。従って翻訳者は日本語ネイティブ(日本人)であることが殆どである。

 

一方で、日本の小説などを外国語訳する文芸翻訳もある。この場合も上記と同じ理由から翻訳者は外国語のネイティブである場合が殆どである。

 

 

翻訳者を志したとき、最初に頭に浮かんだのは文芸翻訳だったが、自分に文才など無いことはもとより、また昔から英文解釈よりは英作文の方が好きだったこともあって、文才ではなく、当該分野の専門知識が生かせる産業翻訳の道を選択することになった。

 

気が付けばそんな道に入って早や17年目となった。

 

 

以下の大阪大学/外国語学部の問題は、日本の著名な作家、村上春樹氏の小説『ノルウェイの森』の一部を受験生に英訳させようという試みである。

 

同書を読んだことがある受験生には有利だったかもしれない。ともかくも男女の間の情景を想像しながら淡々と英文を綴ってゆくほかはない。随筆などよりは、ある意味難しかったのではないだろうか?

 

 

(問題)

次の日本文の下線部(1)~(3)の意味を英語で表しなさい。

 

(1)駅の外に出ると、彼女はどこに行くとも言わずにさっさと歩きはじめた。僕は仕方なくそのあとを追うように歩いた。直子と僕のあいだには常に一メートルほどの距離があいていた。(2)もちろんその距離を詰めようと思えば詰めることもできたのだが、なんとなく気おくれがしてそれができなかった。僕は直子の一メートルほどうしろを、彼女の背中とまっすぐな黒い髪を見ながら歩いた。彼女は茶色の大きな髪どめをつけていて、横を向くと小さな白い耳が見えた。時々直子はうしろを振り向いて僕に話しかけた。うまく答えられることもあれば、どう答えればいいのか見当もつかないようなこともあった。何を言っているのか聞きとれないということもあった。しかし、僕に聞こえても聞こえなくてもそんなことは彼女にとってどちらでもいいみたいだった。(3)直子は自分の言いたいことだけを言ってしまうと、また前を向いて歩きつづけた。まあいいや、散歩には良い日和だものな、と僕は思ってあきらめた。

(村上春樹『ノルウェイの森』)

(大阪大学/外国語学部・2009年)

 

 

(拙・和文英訳)

(1) Getting out of the station, she started walking quickly without saying where she was going. I had no choice but to follow behind her. There was always a distance of about one meter between Naoko and me. (2) Of course, I could have narrowed the distance if I wanted to, but I couldn't because I felt somehow hesitant to do so. I walked about one meter behind Naoko, looking at her back and straight black hair. She wore a large brown barrette, and when she turned to the side, I could see her small white ears. From time to time, Naoko looked back and talked to me. Sometimes I could answer her well, but other times I was at a loss how to answer her. Occasionally, I couldn’t even hear what she was saying. But she didn’t seem to care about whether I could hear her or not. (3) After Naoko said only what she wanted to say, she continued to walk forward again. Leave well enough alone, it was a good day for a walk anyway, I thought, and I gave up.

 

先週の木曜日から翻訳実務検定「TQE」を受検していた。「金融・経済」の日⇒英翻訳である。ここ一年ほど立て続けに受検しており今回が4回目である。なかなか手強い試験でいまだ合格点(70点)に達していない。

 

今回は「REIT(不動産投資信託)」に関する金融系シンクタンクの論文から出題された。過去3回と比較すると翻訳量は10~15%ほど減少したように思う。翻訳量が減った分易しかったか?というと決してそんなことはない。難しさは相変わらずだった。

 

 

それにしても昨今はAIを活用した翻訳ソフトが充実しており、翻訳作業は随分楽になった。それなりの出来の一次翻訳をチェック・校正している感じである。

 

AIなのでスペルミスや訳抜けなどは殆ど無いが、時たま大きな勘違いをしたり、主語が省略された場合の主語の設定で可笑しな英訳もちょこちょこ見受けられる。とは言え、一次翻訳者にしてはまあまともな方だろう。

 

 

以下の大阪大学/外国語学部の問題は、「人間に死がなければ……」という仮定に立って「有限の人生の意義」を論じたものである。人生が有限であるが故に、人は悩んだり、頑張ったり、人を愛したりできるのだろう。

 

 

(問題)

次の日本文の下線部(1)~(3)の意味を英語で表しなさい。

 

人間に死がなければ、この世の中からほとんどの悲哀、苦悩、孤独などが一掃されるはずである。(1)不滅の生命が保証されているということは、常に永遠の未来と可能性を約束されていることだから、失恋も失敗も失意もほぼなくなるだろう。(2)喜びとか幸せはこれらの裏返しに過ぎないから、もはや感受されることはあるまい。

(3)高次の情緒であるなつかしさなどは、有限の人生に密着しているから、消失するだろう。無限の時間が与えられれば、何かを頑張ってやり抜こう、という情熱も微弱になるだろう。はかない命をおもうことがなければ、人を愛する心は輝きを失うだろうし、草花や悠久の自然に寄せる心も色あせるだろう。

(藤原正彦『数学者の休憩時間』)

(大阪大学/外国語学部・2011年)

 

 

(拙・和文英訳)

If human beings were immortal, most of their sorrow, anguish, loneliness, etc. would be cleared away from this world. (1) If immortal life were guaranteed, in other words, if eternal futures and possibilities were promised at all times, heartbreaks, failures, and disappointments would almost vanish away. (2) As joy and happiness are only the reverse side of these things, they could no longer be perceived.

(3) Nostalgia, which is a high-order emotion, would disappear because it is closely attached to mortal life. If you are given an infinite amount of time, your passion to make efforts to do something would become feeble. If you don't care about your transient life, your love for others would lose its brilliance, and your affection for flowers and eternal nature will fade away.

 

6月に入って晴天が続いていたが昨日の午後から雨になった。夜中に目が覚めてパソコンに向かっていると外の雨音が次第に強くなってきた。

 

九州南部が昨日梅雨入りしたようで、こちらの入梅も数日中だろう。

 

 

就職活動の中で履歴書や職務経歴書を作成しているが、つくづく「波乱万丈の人生だったなぁ~」と自らの人生を振り返る。

 

今では若い人の転職がほぼ当たり前になっているが、我々の時代は随分保守的だった。まだまだ「寄らば大樹の陰」とか「終身雇用」といった幻想が美徳とされた時代だった。

 

自ら選んだ道なので後悔は無いが、もっと穏やかで楽な生き方ができただろうに、などと今さらながら他人事のように思う。だが、人は一旦決断すると、周囲が見えなくなるものなのかも知れない。

 

 

以下の大阪大学/外国語学部の英作文は、そんな人間の心理について記述したものである。

 

 

(問題)

次の日本文の下線部(1)~(3)の意味を英語で表しなさい。

 

(1)人間の心理というのは不思議なもので、最初はそれほどいいと思わなかった物でも、いったん自分で買おうと決断すると、そのいいところばかりを見るようになる。(2)買う前は欠点に敏感だったあなたも、いったん所有することになると、長所ばかりを強調することになる。そういうわけだから、テレビなどでもっともよくベンツのコマーシャルを見る人間は、今現在ベンツを所有している客自身だということになる。(3)われわれはいったん自分自身で決定を下すと、それがいかにおかしな事態を招くことになるとしても、それに向けて一直線に進んでいく習性を持っているのである。

(植島啓司『偶然のチカラ』)

(大阪大学/外国語学部・2012年)

 

 

(拙・和文英訳)

(1) Human psychology is so strange that, even if you don’t think a thing is so good at first, however, once you decide to buy it by yourself, you will come to see only the good points in it. (2) That is, even if you are sensitive to defects of a thing before you buy it, however, once you come to own it, you will emphasize only the advantages of it. Therefore, the people who most often see Mercedes-Benz commercials on TV are the customers themselves who currently own Mercedes-Benz vehicles. (3) Once we have made a decision on something by ourselves, we have a habit of moving in a straight line toward it, no matter how ridiculous a situation it may bring about.