流離の翻訳者 青春のノスタルジア -13ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

九州北部は一昨日梅雨入りした。昨年より19日も遅い。それが昨日はまるで梅雨明けのような雲一つない晴天となった。この先、天気はどうなるのだろうか?

 

 

「縁」とは不思議なものである。昨日、随分昔にアメリカに帰国した英会話講師との縁が再び繋がった。18年くらいぶりである。まだ翻訳を業とするなど考えてもいない頃だった。当時の同じクラスの仲間たちや楽しかった宴会の情景が目に浮かぶ。

 

写真を見ると懐かしさがこみ上げてきた。彼女も既に2児の母親となっていた。時の流れは恐ろしく速い。

 

 

懐かしいという感覚はとても心地よい。先日の日経新聞の【春秋】欄に以下の文章を見つけた。バスで海水浴場に行った思い出など、物心が着くか着かないかの遠い昔のことである。

 

 

(日本語)

バスと海岸という取り合わせには、海沿いの出身でなくてもどこか懐かしさを感じよう。バスに乗り海水浴に行った体験や、そうした場面を映画などで見た記憶が呼び覚まされるからだろうか。夏を巡るこの共通体験がだんだん危うくなりつつある。路線バスの減便と廃止、海水浴場の開設中止が各地で広がっているのだ。

(日本経済新聞【春秋】2024年6月17日刊より一部抜粋)

 

(拙・和文英訳)

A combination of bus and beach will make you feel somewhat nostalgic even if you are not from seaside areas. I think it is probably because such a combination reminds you of the experiences that you went sea bathing by bus, or the memories that you saw such scenes in the movies. This common experience in summer has been in danger of gradually vanishing away. Sad to say, the reduction and abolition of local bus services and the cancellation of the opening of bathing beaches have been spreading in various places in Japan.

 

自宅から車で5分くらいのところに一軒のファミレスがある。土曜日の朝にそこへ行くとちょっと可愛らしい(?)ウェイトレスさんがいる。年の頃なら80歳近くの方だ。

 

きちんとファミレスの制服を身につけてしっかりとした対応だ。客のベルに対する反応も早く声も大きい。レジなどもしっかり処理している。

 

その歳まで社会の役に立とうとしている姿勢に誰もが感動する。「自分もブラブラしていないでしっかりしなきゃ……」と思う。

 

 

「イタリア料理と言えばトマトとオリーブオイル」みたいなイメージを持っていたが、以下の文章を読むと、そんなイメージはごく近年に植え付けられたものだ、ということがわかった。物事の起源に立ち返ることは大切なことである。

 

 

(問題)

次の文を英訳しなさい。

 

「イタリアといえばトマト」という印象が一般にはあるが、トマトの原産地はイタリアではなく南米である。さらに、イタリアでトマトが食用とされるようになった歴史はたいへん浅い。せいぜいこの二百年あまりにすぎないのである。イタリア料理の原点が古代ローマ時代にさかのぼることを思えば、「昨日」からの付き合いのようなものなのである。

(内田洋子、シルヴィオ・ピエールサンティ、『トマトとイタリア人』 一部改変)

(京都大学・2004年)

 

(拙・和文英訳)

There is a general impression that “Speaking of Italy, tomatoes are famous,” however, the origin of tomatoes is not Italy, but South America. Further, it has been a very short time historically since tomatoes came to be eaten as food in Italy, which is over the past two hundred years at the longest. Considering the origin of Italian cuisine that dates back to the ancient Roman times, such years are like a relationship from “yesterday.”

 

翻訳には大きく分けて文芸翻訳産業翻訳がある。随分前のNHKの朝ドラ「花子とアン」日本の文芸翻訳の草分けの話だった。

 

文芸翻訳では、海外の小説などの外国語を和訳するケースが圧倒的に多いが、これには文才が必要となる。従って翻訳者は日本語ネイティブ(日本人)であることが殆どである。

 

一方で、日本の小説などを外国語訳する文芸翻訳もある。この場合も上記と同じ理由から翻訳者は外国語のネイティブである場合が殆どである。

 

 

翻訳者を志したとき、最初に頭に浮かんだのは文芸翻訳だったが、自分に文才など無いことはもとより、また昔から英文解釈よりは英作文の方が好きだったこともあって、文才ではなく、当該分野の専門知識が生かせる産業翻訳の道を選択することになった。

 

気が付けばそんな道に入って早や17年目となった。

 

 

以下の大阪大学/外国語学部の問題は、日本の著名な作家、村上春樹氏の小説『ノルウェイの森』の一部を受験生に英訳させようという試みである。

 

同書を読んだことがある受験生には有利だったかもしれない。ともかくも男女の間の情景を想像しながら淡々と英文を綴ってゆくほかはない。随筆などよりは、ある意味難しかったのではないだろうか?

 

 

(問題)

次の日本文の下線部(1)~(3)の意味を英語で表しなさい。

 

(1)駅の外に出ると、彼女はどこに行くとも言わずにさっさと歩きはじめた。僕は仕方なくそのあとを追うように歩いた。直子と僕のあいだには常に一メートルほどの距離があいていた。(2)もちろんその距離を詰めようと思えば詰めることもできたのだが、なんとなく気おくれがしてそれができなかった。僕は直子の一メートルほどうしろを、彼女の背中とまっすぐな黒い髪を見ながら歩いた。彼女は茶色の大きな髪どめをつけていて、横を向くと小さな白い耳が見えた。時々直子はうしろを振り向いて僕に話しかけた。うまく答えられることもあれば、どう答えればいいのか見当もつかないようなこともあった。何を言っているのか聞きとれないということもあった。しかし、僕に聞こえても聞こえなくてもそんなことは彼女にとってどちらでもいいみたいだった。(3)直子は自分の言いたいことだけを言ってしまうと、また前を向いて歩きつづけた。まあいいや、散歩には良い日和だものな、と僕は思ってあきらめた。

(村上春樹『ノルウェイの森』)

(大阪大学/外国語学部・2009年)

 

 

(拙・和文英訳)

(1) Getting out of the station, she started walking quickly without saying where she was going. I had no choice but to follow behind her. There was always a distance of about one meter between Naoko and me. (2) Of course, I could have narrowed the distance if I wanted to, but I couldn't because I felt somehow hesitant to do so. I walked about one meter behind Naoko, looking at her back and straight black hair. She wore a large brown barrette, and when she turned to the side, I could see her small white ears. From time to time, Naoko looked back and talked to me. Sometimes I could answer her well, but other times I was at a loss how to answer her. Occasionally, I couldn’t even hear what she was saying. But she didn’t seem to care about whether I could hear her or not. (3) After Naoko said only what she wanted to say, she continued to walk forward again. Leave well enough alone, it was a good day for a walk anyway, I thought, and I gave up.

 

先週の木曜日から翻訳実務検定「TQE」を受検していた。「金融・経済」の日⇒英翻訳である。ここ一年ほど立て続けに受検しており今回が4回目である。なかなか手強い試験でいまだ合格点(70点)に達していない。

 

今回は「REIT(不動産投資信託)」に関する金融系シンクタンクの論文から出題された。過去3回と比較すると翻訳量は10~15%ほど減少したように思う。翻訳量が減った分易しかったか?というと決してそんなことはない。難しさは相変わらずだった。

 

 

それにしても昨今はAIを活用した翻訳ソフトが充実しており、翻訳作業は随分楽になった。それなりの出来の一次翻訳をチェック・校正している感じである。

 

AIなのでスペルミスや訳抜けなどは殆ど無いが、時たま大きな勘違いをしたり、主語が省略された場合の主語の設定で可笑しな英訳もちょこちょこ見受けられる。とは言え、一次翻訳者にしてはまあまともな方だろう。

 

 

以下の大阪大学/外国語学部の問題は、「人間に死がなければ……」という仮定に立って「有限の人生の意義」を論じたものである。人生が有限であるが故に、人は悩んだり、頑張ったり、人を愛したりできるのだろう。

 

 

(問題)

次の日本文の下線部(1)~(3)の意味を英語で表しなさい。

 

人間に死がなければ、この世の中からほとんどの悲哀、苦悩、孤独などが一掃されるはずである。(1)不滅の生命が保証されているということは、常に永遠の未来と可能性を約束されていることだから、失恋も失敗も失意もほぼなくなるだろう。(2)喜びとか幸せはこれらの裏返しに過ぎないから、もはや感受されることはあるまい。

(3)高次の情緒であるなつかしさなどは、有限の人生に密着しているから、消失するだろう。無限の時間が与えられれば、何かを頑張ってやり抜こう、という情熱も微弱になるだろう。はかない命をおもうことがなければ、人を愛する心は輝きを失うだろうし、草花や悠久の自然に寄せる心も色あせるだろう。

(藤原正彦『数学者の休憩時間』)

(大阪大学/外国語学部・2011年)

 

 

(拙・和文英訳)

If human beings were immortal, most of their sorrow, anguish, loneliness, etc. would be cleared away from this world. (1) If immortal life were guaranteed, in other words, if eternal futures and possibilities were promised at all times, heartbreaks, failures, and disappointments would almost vanish away. (2) As joy and happiness are only the reverse side of these things, they could no longer be perceived.

(3) Nostalgia, which is a high-order emotion, would disappear because it is closely attached to mortal life. If you are given an infinite amount of time, your passion to make efforts to do something would become feeble. If you don't care about your transient life, your love for others would lose its brilliance, and your affection for flowers and eternal nature will fade away.

 

6月に入って晴天が続いていたが昨日の午後から雨になった。夜中に目が覚めてパソコンに向かっていると外の雨音が次第に強くなってきた。

 

九州南部が昨日梅雨入りしたようで、こちらの入梅も数日中だろう。

 

 

就職活動の中で履歴書や職務経歴書を作成しているが、つくづく「波乱万丈の人生だったなぁ~」と自らの人生を振り返る。

 

今では若い人の転職がほぼ当たり前になっているが、我々の時代は随分保守的だった。まだまだ「寄らば大樹の陰」とか「終身雇用」といった幻想が美徳とされた時代だった。

 

自ら選んだ道なので後悔は無いが、もっと穏やかで楽な生き方ができただろうに、などと今さらながら他人事のように思う。だが、人は一旦決断すると、周囲が見えなくなるものなのかも知れない。

 

 

以下の大阪大学/外国語学部の英作文は、そんな人間の心理について記述したものである。

 

 

(問題)

次の日本文の下線部(1)~(3)の意味を英語で表しなさい。

 

(1)人間の心理というのは不思議なもので、最初はそれほどいいと思わなかった物でも、いったん自分で買おうと決断すると、そのいいところばかりを見るようになる。(2)買う前は欠点に敏感だったあなたも、いったん所有することになると、長所ばかりを強調することになる。そういうわけだから、テレビなどでもっともよくベンツのコマーシャルを見る人間は、今現在ベンツを所有している客自身だということになる。(3)われわれはいったん自分自身で決定を下すと、それがいかにおかしな事態を招くことになるとしても、それに向けて一直線に進んでいく習性を持っているのである。

(植島啓司『偶然のチカラ』)

(大阪大学/外国語学部・2012年)

 

 

(拙・和文英訳)

(1) Human psychology is so strange that, even if you don’t think a thing is so good at first, however, once you decide to buy it by yourself, you will come to see only the good points in it. (2) That is, even if you are sensitive to defects of a thing before you buy it, however, once you come to own it, you will emphasize only the advantages of it. Therefore, the people who most often see Mercedes-Benz commercials on TV are the customers themselves who currently own Mercedes-Benz vehicles. (3) Once we have made a decision on something by ourselves, we have a habit of moving in a straight line toward it, no matter how ridiculous a situation it may bring about.

 

5月中旬から、翻訳などの在宅ワークを含めて少し就職活動を始めた。ハローワークに行って話をしたり面接を受けたりと、少しずつ社会との関わりが増えてきている。

 

この歳になっても市場には求人があり「まだまだ自分には市場価値があるのだ」と思うと、少し自信が湧いてきた。まあ、会社の取締役など65歳を過ぎてもバリバリ働いている人がいるのだから、さほど驚くことでもないのかも知れない。

 

 

以下の東北大の英作文は、「知の限界」への挑戦と「文化」との関係をテーマとしている。科学だけでなくスポーツや芸術にも言及したやや難解な内容となっている。英文をどう組み立てるか?受験生には結構難しかったのではないか。

 

 

(問題)

次の文章を読み、下線部(A)、(B)を英語に訳しなさい。

 

私たちには、どこか純粋に限界というものに挑戦したいという願望がある。もし、人間の全細胞数という未知の<知>があるのであれば、何とかしてそれを知りたい。知の限界があるのであれば、それを乗り越えたい。そんな願望は、何としてでも100メートルで10秒を切りたいという欲求とどこかで通じていないだろうか。多くの人たちが、誰が10秒の壁を破れるかにわくわくしてきたが、10秒を0.01秒でも切ることが、いったい何の役に立つのか、そんな問いを発する人は少なかったはずである。

(A)誰もまだ到達したことのない未知の世界を究めてみたい、美術、音楽などの芸術の世界から芸能の世界まで、そんな純粋な欲求が「文化」を支えている。スポーツを含めて文化というものが、何の役に立つかという観点から論じられることはまずないと言ってもいいだろう。

(B)サイエンティストと呼ばれる一群の人々は、この知の限界に挑戦することを楽しむ人々である。その成果だけでなく、知の限界への挑戦のプロセスそのものを含めて、それが「文化」なのだ。「文化」には役に立つ、立たないの区別は意味を持たない。役に立たなくとも、そんな「知りたいという欲求」を「文化」として支援してゆくシステムが必須である。

(永田和宏「<知>の限界を楽しむ心」『京都新聞』2017年10月15日より)

(東北大学・2020年)

 

 

(拙・和文英訳)

 

We have a pure desire to challenge our limits in some way. If there is an unknown “knowledge” of the total number of cells of a human being, we want to know it by some means or other. If there is a limit to knowledge, we want to overcome it. Isn’t such a desire somehow linked with the desire to break 10 seconds in 100 meters at all costs? Many people have been excited about who can break the 10-second wall, but few people have asked the question of what good it is to break 10 seconds by even 0.01 seconds.

(A) Such a pure desire that we want to thoroughly study unknown worlds that no one has yet reached supports the “culture” from the world of art, such as fine art and music to the world of entertainment. It is safe to say that culture, including sports, can hardly be discussed from the viewpoint of what it is useful for.

(B) A group of people called scientists are those who enjoy challenging this limits of knowledge. “Culture” includes not only the results, but also the process of challenging the limits of knowledge itself. With regard to a “culture,” it doesn’t make any sense whether it is useful or not. Even if a culture is not useful, a system that can support such a “desire to know” as a “culture” is indispensable.

 

夜は飲むことが多く比較的早く寝る。5時前には目が覚めゴソゴソと書斎に行ってパソコンに向かう。そんな毎日が続いている。

 

久しぶりに翻訳会社の校正のトライアルを受験し昨日提出した。分野は金融・法務で日英、英日の双方向だ。つくづく「自分は翻訳が好きなんだ」と思う。

 

 

気が付けば6月である。5月は何かと忙しかった。こちらの梅雨入りは例年6月4日ごろだが、天気予報によると今年は1週間ほど遅れるらしい。最後の初夏をギリギリまで楽しもう。

 

 

家内は多趣味だ。フラダンス、フラワーアレンジメント、野菜や草花の栽培、料理、英会話。どれにも結構没頭していて、熱中すると時間を忘れるようである。そんな彼女を羨ましく思うこともある。

 

 

以下の、大阪大学/外国語学部の英作文の問題は、「童心に帰りたい」という本能と趣味の関係について述べたものである。「子どものころ、だれでも、ときを忘れるほど夢中になったものがあるだろう。」……。自分にとっては、果たして何だったのか?

 

 

(問題)

次の日本文の下線部(1)~(3)の意味を英語で表しなさい。

 

(1)人はどういうわけか、年齢を重ねれば重ねてゆくほど、「童心に帰りたい」という本能が強まってくるようで、その本能を満足させるために趣味を持つのではないか。そんなふうにも思えてくる。

(2)無心になって没頭できるような趣味を持つ人には、若々しい人が多い。たぶん、そうやって、ちょくちょく童心に帰って遊んでいるから老け込むことがないのではないだろうか。

それはともかく、(3)年をとってから新しいことを始めるよりも、子供の頃に多少なりとも経験していたことを復活させるほうが、抵抗感なく、すーっとその世界に入り込むことができるだろう。また、その趣味を途中で投げだしてしまわないコツになるのではないだろうか。

子どものころ、だれでも、ときを忘れるほど夢中になったものがあるだろう。(いまさら)などと思わずにあのときの心のトキメキを思い出してみよう。

(斎藤茂太『笑うとなぜいいか?』)

(大阪大学/外国語学部・2017年)

 

 

(拙・和文英訳)

(1) For some reason or other, the older people become, the stronger instinct to “go back to childhood” they will have, which would make me think that people may have hobbies to satisfy the instinct.

(2) Many people who have such hobbies that they can devote themselves to look youthful. Maybe, as they often go back to their childhood and play, they don't become old.

In any case, (3) it is better to restore the hobby that you somewhat experienced as a child, rather than to start something new when you become older, which would make you enter the hobby world smoothly without any resistance. Also, it might be a knack not to give up the hobby halfway.

When you are a child, you must have had something that you were so absorbed in as to lose your sense of time. Let's remember the excitement at that time without thinking about it after all these years.

 

 

昨日から久しぶりの雨になっているが、庭の草花たちは嬉しそうだ。紫陽花も咲き始めた。梅雨入りが近いのか。

 

 

前回、現在家内が帰省中で自炊をしていることを書いたが、自炊の起源をたどるとやはり受験生時代の「夜食」にたどり着く。

 

当時の夜食は大抵はインスタント・ラーメンだった。お気に入りはマルタイの「屋台ラーメン」青に黄色のパッケージで今も販売されている。

 

ラーメンにベーコンや卵などを入れ、それにライスも食べる。ラーメンを作った鍋から食べるようになったのもその頃だ。夜中の2時くらいにそれだけ食べるのだから朝食が食べられるはずがない。

 

夜食を食べるとさらに眠くなる。勉強など進まなくなり結局寝てしまう。そんな状況で太らなかったのが不思議なくらいだ。

 

 

以下の京大の問題は「料理ができることの大切さ」に関するものである。料理ができることでこんなメリットがあるのか……。そんなこと考えたこともなかった。

 

 

(問題)

Ⅲ.次の文章を英訳しなさい。

 

私の意見では、現代の若者は性別を問わずに自分で調理できることが大切である。料理をおいしく仕上げるためには豊かな想像力や手先の器用さが要求されるので、心身の健康にとても良い。食材に意識的になれば自然への関心も高まる。さらに、料理で友人をもてなすことができると、あるいは人と共同して料理ができると、絆が深まることは間違いない。

(京都大学・2012年)

 

 

(拙・和文英訳)

In my opinion, it is important for today’s young people, regardless of gender, to be able to cook by themselves. Cooking delicious dishes requires a rich imagination and manual dexterity, which is very good for your physical and mental health. The more conscious you become of ingredients, the more interested you will be in nature. Further, if you are able to entertain your friends through cooking, or to cook with other people, you can be sure that you will strengthen the bonds with them.

 

 

前回の記事で初めて「食」に関する文章の英訳を試みた。現在、家内が中国に帰省中で毎日自炊をしているため、そんな文章に目が留まったのかも知れない。

 

 

日本でパン食が全国的に広まったのは1960年代らしい。パン食を前提とした日本の学校給食が、1954年の「学校給食法」成立後も継承されたことにも関係するようである。

 

確かに物心がついた1960年代、私が小学校の頃から、我が家でも朝はパン食だった。トーストにバターかマーガリン、それにハムエッグと生野菜。飲み物は温めた牛乳にコーヒーかココアを溶かしたものだった。コーヒーはインスタントのネスカフェだった。

 

小学校の高学年になると、飲み物はコーヒーへと変わっていった。コーヒーを飲むことで「少し大人になった」心地がしていた。中学、高校へと進むにつれてコーヒーは生活の一部になっていった。

 

朝のパン食の方は私が高校・予備校くらいまで続いたが、何せ、当時は夜食は食べるは、朝はギリギリまで寝ているはで朝食抜きが当たり前になった。毎日眠い顔をして学校に行っていた。

 

大学時代、独り暮らしを始めてからも朝食はコーヒーだけ、というパターンが多くなった。パン食が復活したのは、東京の会社に就職して独身寮に入ってからである。寮では毎朝、和食と洋食が交互に出された。でも朝食を真面目(?)に食べていたのは新入社員の頃くらいである。

 

今は、完全な和食派だが、時折り無性にパンが食べたくなることがある。そんな時はコンビニやパン屋に買いに行くが、パンを食べるのは圧倒的に昼食としてが多い。

 

 

以下の京大の問題は「店頭で売っているパンのありがたみ」をテーマとしている。「生地がしっかり膨らむ」「売り」の訳出は難しかったと思う。受験生はどう逃げ切ったのか。

 

 

(問題)

Ⅲ.次の文章を英訳しなさい。

 

パンは手軽に食べることのできる食品であるが、実際に作ってみるとなると、出来上がるまでに大変な手間がかかる。特に、生地がしっかり膨らむまで待たなくてはならない。簡単にパンを焼けることが売りの家電製品を使ってみても、全工程に4、5時間は必要である。自分で経験してみて初めて、店頭で売っているパンのありがたみが分かるようになるものだ。

(京都大学・2016年)

 

 

(拙・和文英訳)

Bread is a food that can be easily eaten, but when it comes to baking bread actually, it takes a lot of time to bake it. In particular, we have to wait until the bread dough is well leavened. Even if we use a home appliance featuring easy bread baking, the whole process requires as long as 4 or 5 hours. It is not until we experience bread baking by ourselves that we really come to understand the value of bread sold at stores.

 

 

一昨年くらいから、自宅に客を招いて家内が料理を作ってもてなすことが多くなった。そういった場合、大抵男どもはただただ飲んでいるだけである。

 

しかし、気心の知れた人たちとの宴会・談笑は楽しいものだ。あっという間に時間が経ってしまう。相手がOKであれば、その後は大抵カラオケとなる。

 

 

家内は元々中国籍で、中国に居た頃は殆ど料理を作ったことがなかったらしい。中国の家庭では、父親が料理を作り母親や子供たちが配膳や後片付けを行うことが多いようである。

 

彼女の料理の殆どは来日してから覚えたもので、和食が最も多く、次に中華、そして洋食と続く。どれもなかなか美味い、と思っている。

 

 

以下の、名古屋大学の問題は朝日新聞の記事からの引用である。確かに料理が上手い人がグループ内にいると、何かとイベントも増えるしコミュニケーションも良くなるように思える。

 

 

(問題)

次の文章を読み、下線部を英語に訳しなさい。

 

「これもいい」「あれもいい」という発想のほうがおいしい料理を作れる。

小林カツ代

 

すぐに作れるおいしい料理を紹介し、忙しい親たちに支持されていた料理家は、自然派とか安全派、「食育」などと肩ひじはらずに、おいしい料理を食べさせるほうが子育てにはいいと言う。実際、おいしいものを作って喜ばせてあげようと腕を鳴らす人が輪の中心にいると、その集団は華やぐ。ほんとうはそれがいちばんいいのかも。

「学びの場.com」の取材に答えて。

【出典:鷲田清一「折々のことば」『朝日新聞』2016年6年2月5日】

(名古屋大学・2017年)

 

 

(拙・和文英訳)

Various ideas, such as "this is good" and "that is also good" can make your dishes more delicious.

Katsuyo Kobayashi

 

The chef, who introduced delicious dishes that could be cooked quickly and was supported by busy mothers, said that it is better for child-raising to have children eat delicious food anyway, instead of making a big deal, such as organic-oriented food, safe-oriented food, or “dietary education.” As a matter of fact, if there is a person in the center of the group who is trying to display his or her ability to cook delicious dishes to make the members happy, the group becomes cheerful. In reality, this might be the best thing.

In response to an interview with “Manabinoba.com.”