流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

「ぬか漬け」は英語でrice bran picklesという。私は漬物が好きで、その中でもこのぬか漬けが大好物だ。祖母や母の世代には、家庭に「ぬか床」(rice bran pickling beds)があって、自家製のぬか漬けを作っていた。ぬか漬けにはその家独自の風味があった。

 

我が家でも、以前妻がこのぬか漬けづくりに挑戦したが、ぬか床の維持・管理が難しく結局断念してしまった。昨今はスーパーなどでも本物のぬか漬けを置いているところは少なく、「道の駅」などで時々見つけると急いで買い物かごに入れていた。

 

 

私は、月一回ある病院に通っているが、その近くに古い市場がある。この市場は私が幼い頃からあった。市場には、八百屋、魚屋、肉屋、花屋、総菜屋や食堂などが昭和の雰囲気で営業されている。

 

この市場の中で、年配の女性が露店で自家製のぬか漬けを売っているのを見つけたのが数年前のことである。安くもあり、とりあえず買ってみた。漬かりは100点満点とは言えないものの、本物であることは間違いない。私はやや漬かり過ぎの酸味が強いものが好きだが、少し漬かりが足らないようだ。しかし、贅沢は言っておられない。

 

以来、ぬか漬けが食べたくなると、この市場に顔を出すようになった。

 

 

以前勤務していた職場で、ある年配の男性が、ぬか床の代わりに味噌とヨーグルトで漬けたキュウリを持ってきて食べさせてくれた。ぬか漬けとほぼ同じ風味なのに驚いた。当時独り暮らしだったこともあり、早速大きなタッパーを買って自家製ぬか漬けに挑戦した。

 

それなりのものができ上がったが、やはり少し違う気がした。また、味噌とヨーグルトのぬか床は、結構水分が出て、思いのほか維持・管理が面倒だった。2か月くらい続いたが、結局断念してしまった。やはり美味しいものを作るのは、それなりに大変なのである。

 

 

 

東京から福岡・博多にUターンしたのが1989年の9月なので、もうすぐ36年になる。今年は干支が3回りした同じ巳年だ。

 

博多で働き始めた当初は、東京時代の反動からか、昼食はラーメンを食べることが多かった。当時の東京には豚骨ラーメンの店は殆ど無かった。あまりにラーメンばかり食べるので、周りからは「ラーメンマン」と呼ばれた。

 

 

 

当時、博多駅のガード下に飲食店があった。よく通ったのが「万寿園」という居酒屋である。焼き鳥、刺身や素朴な家庭料理のほか、ラーメンも食べられた。博多ではラーメンを出す居酒屋が多かった。

 

そこで、よく注文したのが「ゴマサバ」だった。「ゴマサバ」は博多/北九州の郷土料理でサバの刺身を醤油に漬けて、小ネギやすりゴマを振りかけたものである。これが、実に美味しかった。毎回のように注文するので、店に入ると大将から「ゴマサバの兄ちゃん!いらっしゃい!」と声を掛けられた。

 

大将と妹さんで店を回されていたが、今でも何となくお二人のお顔が思い浮かぶ。

 

 

北九州にはサバやイワシを使った郷土料理がもう一つある。「ぬかみそ炊き(ぬか炊き)」だ。ぬかみそを入れてサバやイワシを炊いた(煮た)もので、青魚独特の生臭さが消えて実に美味しい。

 

ご飯がすすむのはもちろんだが、先日のニュースによれば、市内の高校生が「ぬか炊き」を使ったパンで、サバやクジラを具材にした新商品を開発したらしい。機会があれば食べてみたいものである。

 

 

妻は、以前はサバの生臭さが苦手だったらしい。「ぬか炊き」を食べさせると「これは美味しい!」と言った。今度は「ゴマサバ」を食べさせて、この秋には我が家で「ゴマサバ」が楽しめるようになれば、と秘かに願っている。

 

先日の新聞によると、マルタイの「棒ラーメン」の売上が関東・関西地区で増加しているらしい。米・麦などの物価の上昇に影響されたもので、一袋130円程度で2人前という経済的なところが受けているという。ご多分に漏れず我が家にもこの「棒ラーメン」の在庫があった。

 

 

マルタイの「棒ラーメン」は1959年の発売で私の年齢とほぼ等しい。同じくマルタイの「屋台ラーメン」が1969年に発売されるまでは、我が家の食卓の即席ラーメンの定番だった。

 

後発の「屋台ラーメン」はトンコツ風味が美味しく「棒ラーメン」にとってかわった。高校・予備校では私の夜食の不動の定番となった。大学時代、母がこの「屋台ラーメン」を箱で下宿に送ってきたことがあった。当時、京都ではマルタイの商品は出回っていなかった。九州出身の友人に配って一緒に食べたことを思い出す。

 

具のない「屋台ラーメン」(素ラーメン)は味気ないものだったろうが、そのときは故郷を懐かしみ有難がって食べたものである。この「屋台ラーメン」も現在の我が家の在庫にしっかりとある。

 

 

 

 

ここで、少し英語の話題に触れてみたい。「棒ラーメンは経済的と書いたが、形容詞はeconomicalである。economical「節約できる・無駄がない・コスパが良い」という意味であるのに対し、類似語のeconomic「経済の・経済に関する」という意味である。この辺は大学受験で覚えた人も多いだろう。

 

では、以下の文はどういう意味だろうか?

 

1) The report is rather economical with the truth about the environmental damage.

2) The minister was accused of being economical with the truth during the debate.

 

economical with the truthはイディオムで、直訳すると「真実に対して倹約的」だが、実際には、「本当のことを全部言わない・ごまかす」という婉曲表現となる。outright lie(はっきりした嘘)ではなく、事実を都合よく省いたり、誤解を招くように話すことを意味する。

 

従って、上記の文の意味は、

1)「その報告書は環境被害についてかなりごまかしている」

2)「その大臣は討論の最中、事実を隠していると非難された」

 

 

英会話のテキストにそんな表現が出てきた。

 

一昨日、久しぶりにギラギラしない夏の夕暮れを見かけた。その夜「京都・五山の送り火」がBSで生中継されていた。松明の炎が消えてゆくように今年の盆が静かに過ぎていった。

 

 

高校野球で地元校が敗れベスト8が出揃う頃、「今年の夏も終わりだなぁ~」と感傷的な気持ちになる。こんな暑い夏、さっさと逝って欲しいものだが、夏の終わりにはいつもそんな一抹の寂しさが付きまとう。

 

 

お盆で一週間ほど休みだった英会話学校で昨日レッスンを受けてきた。そこには休みを終えてそれなりに疲れて社会復帰しつつある講師・スタッフや生徒の姿があった。

 

 

先日、新聞に書評が掲載されていた「基軸通貨ドルの落日-トランプ・ショックの本質を読み解く-」(中野剛志著・文藝春秋)を、盆休み中に読み終えるつもりが、結構難解でなかなか思うに任せない。経済学の根本的な知識が欠けているようである。

 

 

そんなこんなで、今日から日本列島が再始動しているが、今日も相変わらずの暑さが続いている。ふと、こんな曲が思い浮かんだ。

 

いよいよ「晩夏光」の季節が始まる。

 

 

線状降水帯(linear precipitation band)により、2日ほどで1か月半分くらいの雨が降った。買い物に出たら道路上は雨水が溢れて川のようになっていた。干上がった田んぼは喜んだだろうが、川の近くの人たちは、さぞかし怖かっただろう。

 

線状降水帯が通り過ぎるとほぼ同時にセミが鳴きだし猛暑が戻ってきた。今年の夏は豪雨と猛暑で散々である。

 

 

私が幼い頃、お盆の時期になると近くの公園で「盆踊り」が催された。夜になると、浴衣を着て団扇を持って家族で公園に出かけた。公園の中心部には櫓が組まれ、櫓の上では太鼓が叩かれて「炭坑節」などの曲が流された。町内の人たちが櫓の回りを輪になって踊っていた。

 

お盆の時期に、伯父夫婦の家に泊っていたこともあり、そのときは伯父の町内の「盆踊り」に出かけた。そこで流れていたのが「沖縄音頭」という曲である。耳に残るメロディーで今でも懐かしく思い出す。

 

 

 

 

 

 

中学1年くらいを最後に「盆踊り」に出かけることはなくなった。「もう子供じゃない」と自分に言い聞かせていたのか。それとも、中島みゆきの「まつりばやし」の歌詞にあるように「人は誰でもまつりの終わりを知る まつりばやしに入れなくなる時を知る」の心境なのか。

 

ただ、盆踊りを踊る浴衣を着た若いお姉さんたちには、当時からそこはかとない色気を感じていた。それは今でも変わらない。

 

 

 

最後に「盆踊り」を見たのは東京で一人暮らしをしていた頃だ。国分寺市光町というところに住んでいた。お盆、夕方過ぎになると、近くから太鼓の音が響いてきた。太鼓の音のする方に向かって行くと公園があり、聞こえてきた曲は、なんと「炭坑節」だった。

 

「東京も九州の田舎と一緒じゃないか!?」と妙な親しみを覚えた。

 

 

これが平成の初めの頃なので、以来35年余り盆踊りは見ていないが、「今の子どもたちはちょっと可哀想だな」と感じた。

 

歴史に興味を持ったのは小学6年のときだ。教頭先生が古代史を研究されていた方で、社会(歴史)の特別授業があったからだ。小学生にもわかりやすい専門的な講義で、特に古墳銅鐸・銅鏡・勾玉などの出土物に興味を持った。

 

そんな歴史に対する純粋な興味や関心は中学校の間に消え失せた。歴史が、単なる高校入試科目の一つになったからなのか。教師やクラスの雰囲気が違ったからなのか?かなり受動的な科目になってしまった。

 

 

高校2年になって「世界史」の授業が始まった。教科書や授業の内容が新鮮で再び歴史に興味を持った。「チャート式 新・世界史」(数研出版)を買って、授業と並行して読み始めた。

 

勉強の成果はすぐに表れた。高校2年1学期の中間考査の世界史で98点をとり学年で1番になった。担当の教師はこれを褒めちぎってくれた。初めて味わう誇らしい気分だった。これがそれからの勉強のきっかけになったことは間違いない。

 

当時は、西洋史への関心が強かった。経済学部などではなく、文学部で西洋史を専攻し、キリスト教や十字軍の歴史などを研究しながら一生を送るのも楽しかったかも知れない。もちろん、それはそれで大変なことなのだろうが。

 

 

受験戦争がはじまり、世界史は再び単なる受験科目の一つになっていった。いくら好きでも全科目をバランスよく勉強しなければならない。ある意味、受験勉強とは個性を失わせるものである。そんなことを感じる。

 

 

そんな高校2年のころ、西洋史に関連したあるアニメが放映されていた。時は革命前夜のフランスである。タイトルは「ラ・セーヌの星」。毎週欠かさずに観ていた。

 

ヒロインの「ラ・セーヌの星(花売り娘のシモーヌ)」に、私は恋心に近い感情を抱いていたようである。今でも、そんな仮面をつけた女性に怪しい魅力を感じるのは、この辺りに由来するのかも知れない。

 

 

 

母方の伯父が亡くなってから8年半ほどになる。伯父夫婦には子供がいなかったため、幼い頃から私たち兄弟を可愛がってくれた。

 

私が小学校3年くらいの頃、伯父の家に遊びに行くと、街に連れて行ってデパートでオモチャを買ってくれたり、喫茶店でケーキを食べさせてくれたりした。喫茶店では、伯父は黙ってコーヒーを飲んで煙草を吸っていたが、その姿が今も何となく思い浮かぶ。

 

伯父が買ってくれたオモチャで今も覚えているものがいくつかある。電池で動く「スーパージェッター」「流星号」のプラモデル。ゼンマイで動く「オバケのQ太郎」などなど。「流星号」のプラモデルは父が組み立ててくれたが、楽しそうに作っていた父の姿も思い出す。

 

 

そんなオモチャの中で、一番印象に残っているのが怪獣のプラモデルで、「ウルトラQ」に登場する冷凍怪獣「ペギラ」のものだった。確か色は紫で可動式のものではなかった。これが、最後まで一人で作れた最初のプラモデルだった。

 

「ペギラ」は私の好きな怪獣の一つで、「ウルトラQ」では第5作「ペギラが来た!」と第14作「東京氷河期」の2作に登場する。

 

ペギラを撃退したのは「ペギミンH」という物質で、南極大陸に生育する架空のコケの成分から抽出したものだった。このコケは遭難した犬を越冬させるほどの滋養に富むが、一方で、ペギラと同環境に生息するアザラシに対しては毒物として働くという。

 

東京にペギラが飛来した際は、爆薬と混合させたものを搭載したセスナ機が体当たりすることで撃退したが、まるで特攻隊のようなストーリーである。しかし、このコケはペギラを退治するまでには至らず、追い払うに留まっている。いつか蘇ることを想定したもののようである。

 

 

白黒の映像の当時、眼が光り口から冷凍光線を吐く「ペギラ」は、子どもの眼にはとても恐ろしいものに映った。日本列島を覆うこの猛暑も「ペギラ」が何とかしてくれないかな、などと思う。

 

 

先月半ばから、妻が故郷の中国・広州(Guangzhou)に帰国しており、何かと不便で退屈な日々が続いている。妻の母親の健康状態があまり良くないから仕方ないが、そのおかげで「自分で自分の弁当を作る」という貴重な体験ができた。

 

ただ、中に何が入っているかわかっている弁当を開けるのは実につまらない。「ワクワク感」も何もない。いつも自分で自分の弁当を作っている人の気持ちが少しわかったような気持ちになった。

 

 

そんな退屈しのぎに、先日、以前買ったDVDを観なおしてみた。「黄泉がえり」という映画である。公開が2003年なので22年も経つことになる。そんな昔の映画だったのか?

 

草彅剛さんと竹内結子さんのダブル主演だが、竹内結子さんは、私が好きな女優の一人だった。彼女が自ら命を断ってからもう5年近くになる。コロナ禍の真っ最中だった。今も残念に思う。

 

主役以外のキャスティングも素晴らしい。石田ゆり子さん、哀川翔さん、柴咲コウさん、長澤まさみさん、市原隼人さん、伊東美咲さんなどなど。長澤まさみさん、市原隼人さんは中学生役で登場する。彼らの出世作のひとつだろう。

 

 

九州の阿蘇地方で、死者が死んだ当時のままの姿で自分のことを想い続けてくれる人の前に甦る(黄泉がえる)という怪現象が発生する。事件の調査のため、故郷でもある現地に赴いた厚生労働省の若きエリート・川田(草彅剛さん)は、そこで海で事故死した親友・俊介のフィアンセだった葵(竹内結子さん)と再会する、といった感じでストーリーが展開する。

 

 

主題歌は柴咲コウ(RUI)さん「月のしずく」。歌も素晴らしく映像も美しい。哀しくも美しい思い出が残る感動的な作品だった。

 

「誰かを思い続けること」「その想いが時を超えること」——そうした映画の世界に、自分自身がどこか救われるような気持ちがした。

 

 

 

久ぁ~しぶりに英語関連の記事を書く。

 

先日、英会話のレッスンでbasteという動詞が出てきた。未知の単語だったので教師に聞くとput meat juice back on the meatと説明された。「肉汁を元の肉にかけ戻すこと」を言うらしい。料理関係の単語に強い方なら当然ご存知の単語だろう。

 

1) Baste the chicken regularly so that it will not dry out.

「鶏肉が乾かないように、こまめに肉汁をかけなさい。」

 

ただし、テキストでは上記の文が、動詞avoidを使って以下のように書かれていた。

 

2) Baste the chicken regularly in order to avoid it drying out.

「鶏肉が乾くのを防ぐために、こまめに肉汁をかけなさい。」

 

「avoid it drying out」の部分に違和感があり、自宅に戻ってからAIに尋ねてみた。回答は以下の通りである。

 

「avoid+it+動名詞(~ing)」のような形は、文法書などでは「カジュアルで口語的な言い回し」とされることもあります。少しフォーマルにしたい場合は「avoid the chicken drying out」「avoid its drying out」などが使われます。

 

では「avoid it drying out」の文構造は?⇒これは次のように分解されます。

avoid(動詞)

it drying out(動名詞句)「it(= the chicken)」「dry out(乾く)」という内容の名詞的な句(=動名詞句)になっています。つまり、avoid+[it drying out](=「それが乾くこと」を避ける)

 

英会話のテキストでは、文法書や辞書にない構文にお目にかかることが多い。まあ、最初に言語ありきで、その後に文法書や辞書が作られるわけだから、それも仕方ないことかも知れない。

 

ただ、日本人が英会話で構文を作成する場合は、1)の形か以下の3)の形をとるのが普通ではないだろうか。

 

3) Baste the chicken regularly (in order) to prevent it from drying out.

 

西部劇をよく観るようになったのは、小学校高学年から中学生にかけてのことである。当時は「インディアン対騎兵隊」をテーマとしたものが多かった。

 

中学に入ると、クラスに坊主刈りの男子が半分くらいいたが、長髪組を騎兵隊、坊主刈りをインディアンに見立てて戦争ごっこをしていた。私は騎兵隊組で「カッチャン将軍」と呼ばれていた。映画「壮烈第七騎兵隊」(1941年)カスター将軍をもじったものである。

 

 

中学の半ばくらいからイタリア製作の「マカロニウェスタン」が流行り始めた。いわゆる「用心棒」のシリーズである。やはり最高傑作はフランコ・ネロ主演の「続・荒野の用心棒」(1966年)と言える。ガンマンの世界にマシンガンという小道具が登場した。

 

 

 

 

マカロニウェスタンはアメリカ映画に比べて残虐なシーンが多いのが特徴だが、その一方でBGMや主題歌が渋くて格好いいものが多かった。マカロニウェスタンのBGMを特集したLPを持っている友人がいて、何度か聴かせてもらったことがある。

 

ちょうどその頃、日本では「必殺シリーズ」が流行りはじめるが、これらのBGMはマカロニウェスタンの影響を受けているのではないか、というのが以前からの私の持論である。

 

 

 

先日紹介した「サスペリアPART2(紅い深淵)」(1975年)の残虐な殺人シーンは、マカロニウェスタンも含めて、本来、血の気の多いラテン系の民族の気質に由来するものなのかも知れない。

 

 

監督のダリオ・アルジェントが製作した映画は、以後も結構観ている。「インフェルノ」(1980年)「シャドー」(1982年)「フェノミナ」(1985年)「オペラ座/血の喝采」(1987年)などなど。

 

また、BGMも気に入ってサントラ盤を購入した。ゴブリン(GOBLIN)というイタリアのプログレッシブ・ロックバンドが演奏しているものが多いが、「インフェルノ」のように、キーボーディストのキース・エマーソン(Keith Noel Emerson)によるものもある。

 

 

 

 

 

1980年代に入り、ダリオ・アルジェントの作品は、オカルトものが中心となっていったが、やはりサスペンスものの方が私には面白い。「サスペリア」「フェノミナ」のように美少女を登場させるものも多くなっていった。ただ、どういうわけか美少女は死なない。また、鳥(カラス)、動物(犬・猿)や虫など(トカゲ・蛆・蝿・蜘蛛が、アクセントのように出てくるものも多い。

 

 

イタリアでは、テレビ番組でダリオ・アルジェントのサスペンスが放送されていたようである。機会があれば是非観てみたいものである。

 

 

 

 

 

でもやはり、恐怖の記憶として今も脳裏に残っているのは「サスペリアPART2(紅い深淵)」。これがダリオ・アルジェントの最高傑作と言えるだろう。