流離の翻訳者 果てしなき旅路

流離の翻訳者 果てしなき旅路

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴16年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

ドライブで観光地や「道の駅」に行ったときに何気なく買った猫などの「置き物」が書斎にはたくさん置いてある。猫、フクロウなどの鳥、狸、鬼…、などが祭壇のように無造作に並べられている。

 

それらの置き物の一つ一つを見るにつけ、楽しかった思い出が蘇ってくる。だが、最近どこで買ったのか思い出せないものも増えてきた。自分も歳をとったものだ。

 

 

英会話のテキストには時々未知の構文が出てくる。先日見たのは「分裂文(Cleft Sentence)」というもの。初めてお目にかかった。

 

Wikipediaではこんな説明がされていた。「分裂文(Cleft Sentence)とは、単文の中のある成分(主語、目的語、その他)を強調するために抜き出し、コピュラ(繋辞)文を主節とする複文に変換した形の文をいう。」

 

以下、例文を挙げてみる。

 

1) The thing I like to do most in summer is eat loads of ice cream.

= It is to eat loads of ice cream that I like to do most in summer.

私が夏に一番したいことは、色々な種類のアイスクリームを食べることです。

 

2) What I like to do most on days like this is go for a swim.

= It is to go for a swim that I like to do on days like this.

私がこういう日に一番したいことは泳ぎに行くことです。

 

3) The thing I look forward to most is when figs start coming into season.

= It is when figs start coming into season that I look forward to most.

私が最も楽しみにしているのは、イチジクの季節が始まる時です。

 

4) What I love doing most is going hiking in the cool mountain air.

= It is going hiking in the cool mountain air that I love doing most.

私が最も好きなことは、涼しい山の空気の中でハイキングに行くことです。

 

どれもIt is …… that …… の強調構文で書き替えられるようだが、1) 2)is eat, is go には、文法的な違和感を感じる。

 

35℃を超える暑さが何日か続いたかと思ったら、梅雨が戻ってきた。毎日結構激しく降っており交通機関にも影響が出ているらしい。今年は明らかに「陽性の梅雨」のようである。

 

「陽性の梅雨」とは、雨の降り方と梅雨の晴れ間がはっきりしており、湿度が全般的に低い梅雨をいう。

 

 

英会話のテキストにtemperamentalという単語が出てきた。たぶん「気分屋の(=moody)」という意味だが、機械に対する表現である。さてどう訳すか?

 

A: What can I do for you?

B: Well, it’s the pool heater. I can’t seem to get it started.

A: Oh, yes. It can be a bit temperamental. Try giving a kick. That usually works for me.

 

状態が「不安定な(=unstable)」のような感じか?英英辞典を確認した。

 

Temperamental:

1) If you say that someone is temperamental, you are criticizing them for not being calm or quiet by nature, but having moods that change often and suddenly.

人が生まれつき、穏やかでなく静かでなく、気分がしばしば突然に変化することを批判して言う。

 

2) If you describe something such as a machine or car as temperamental, you mean that it often does not work properly.

機械や車などの物が、しばしば正常に動かない様子をいう。

 

 

昨日の朝、この夏初めて蝉が鳴く声を聞いた。気象庁の発表を待たずして季節は梅雨明けを告げている。

 

昨日は久しぶりに星空の七夕となったが、酒が入っており外に出なかったことが悔やまれる。織姫に彦星、天の川、そして夏の大三角など、きっときれいだったことだろう。

 

 

レベルアップしたNOVAレベル8のレッスンを2つほど受けてみた。テキストから日本語が無くなったことスピーキング部分がレベル7より多くなったことが大きな違いだろう。文法の難易度はあまり変わらない。周りの生徒もレベル7と大して違うわけではない。

 

レッスンを受けたら自宅で復習することにしている。ボキャブラリーにはそれなりの自信を持っているが、1つのレッスンで1つか2つ未知の単語やイディオムにお目にかかる。会話文で使われる単語・イディオムは難しい。

 

昨日出会ったのはblandという単語。知っていそうで知らない単語だった。英英辞典を引いてみた。

 

Bland:

1) If you describe someone or something as bland, you mean that they are rather dull and unexciting.

人や物が退屈で刺激的でないこと

 

2) Food that is bland has very little flavor.

食べ物に風味がほとんど無いこと

 

 

「こう言いたい」と思うことがスッキリと英語にならない。もどかしい思いが募る。とにかく焦らず、繰り返し練習していこう。そんなことを思った七夕の夜だった。

 

 

最近、ある曲のメロディが繰り返し頭の中で流れている。この曲をよく口ずさんだ頃から6年ほどになる。まだ母が健在で施設に居た頃だった。

 

花が好きだった母が亡くなったのは紫陽花の咲く時期だった。もう5年余りになる。母の日のプレゼントや家内がケーキを焼いて施設に持っていったことを思い出す。はや来年は七回忌か。

 

 

「夏の月」 杏里

 

本を読んでも眠れない夜 あなたの背中を見てた

重い硝子の窓を開けたら 気持ちいい風が吹いた

 

いつからか気がつけば 頬づえついて ぼんやりしている

古い灯台 白い波 光る海 何かを探すように

 

月だけが知っていた 私達のこの恋は

いま小さな花火みたいに ひっそりと終わるの

 

ふたりよく来た葉山の砂に 足跡残し歩いた

ボトルのままの冷えたミネラル おでこにつけて思った

 

優しさも 我が儘も 弱さも全部 わかって私は

あなたを愛し なにひとつ怖くない そんな自分怖くて

 

体の温もりに 変わらないこの暮らしに

甘えあってお互いが だめになってしまうのなら

別々に生きていく だれも知らない明日を

まだ私も知らない私 見つけだしてみたい

 

ふたりきりこのままで 黙ったままで あの星祈ろう

旅路のような長い夜 明けたとき 微笑みあえるように

 

時計を戻しても 悪いところ直しても

きっとふたり同じこと 繰り返してしまうのでしょう

夏の月が見ていた 私達のこの愛は

いま小さな花火みたいに 美しく心に

 

...月だけが見ていた ふたりのこの恋を...。

 

 

6月は良いことばかりだった、などとブログに書いたら早速その反動がでた。7月に入った早々、家内⇒私と立て続けにコロナに感染した。

 

家内が何処からか貰って来たものだろう。濃厚接触者たる私も巻き込まれた。人間万事塞翁が馬。人生先は誰にもわからない。薬を飲みつつ、しばらくは大人しくしておく他はない。

 

コロナ発生から4年半、今まで感染しなかったのが不思議なくらいだが、医学や薬学の成果は大したものだ。人類の敵であるコロナ災禍を克服しつつある。今まで戦い続けてこられた医療従事者の方々には頭が下がる。

 

 

「人間万事塞翁が馬」、意味は一見、不幸せに思ったことが幸せに転じたり、その逆だったりすることがあるので、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないという中国の故事に由来する諺である。

 

この「人間万事塞翁が馬」を英訳するとどうなるか?AIに翻訳させてみた

 

〇Wordの翻訳機能

“All human beings are horses.”

「すべての人間は馬である」

 

〇みらい翻訳

“Every human being is a horse.”

「すべての人間は馬である」

 

いずれも話にならない。

 

〇Google翻訳

“Unpredictable events unfold before your eyes.”

「思いも寄らないことが目の前で起こる」

 

こちらは、なるほどと頷ける感じの訳文である。

 

7月に入った。今年もはや後半である。今日は北九州市に「土砂災害警戒情報」及び大雨警報・洪水警報が出された影響で市立の小・中学校は休校になったらしい。強い雨音を除きいつになく静かな月曜の朝となった。

 

雨は昼前から小降りになったが、鬱陶しい日々はこれからだ。あと2週間余り。一日も早く梅雨が明けて欲しい。

 

 

私にとって6月はかつては「魔の季節」だった。季節は梅雨に入り精神的にも悩んだ経験が多かったからだ。大学4年の時、小学校以来の親友が自殺したものこの時期だ。もうあれから43年になる。

 

いつも「6月さえ乗り切ればきっとなんとかなる」と思ってきた。梅雨が明け夏になると何となく悩みは解消していた。それがどうしたことだろう?今年は6月に結構良いことが重なった。パートで翻訳の仕事が決まり、英会話のレベルもアップした。

 

 

季節ではなく、一日の時間でも「魔の刻」と呼ばれる時刻がある。少し季節外れだが、それが、日が沈んだばかりの薄暗い頃で「逢魔時(おうまがとき)」と呼ばれる。

 

「大禍時(おおまがとき)」や前漢末の王莽(おうもう)(45B.C.-23)の災禍にこじつけ「王莽時(おうもうがとき)」と書くこともある。

 

一般的には酉(とり)の刻(17時~19時、正刻18時、暮6つ)を指すが、いかにも魔物に遭遇しそうな時刻、大きな災禍が起こりそうな不吉な時刻を意味する。

 

「逢魔時」は英語でeventide, gloaming, spooky dusk, twilightなどと訳されるがeventideはeveningの《古・詩》(古語・詩的表現)である。

 

先日、ある酒店で白ワインを買って出てきたところ、NOVAで一緒に授業を受けたことがある男性(Mさん)に出くわした。彼はニコッと笑うと「私もこれから酒を買うところです」と答えた。何かしら戦友に会えたような心地がした。

 

Mさんとは今まで何度か一緒にレッスンを受けたことがある。リスニング・スピーキングとも私より遥かにできる。海外駐在の経験があるのか英語も流暢だ。酒とゴルフが好きな、どことなく好感が持てる典型的な中年サラリーマンである。

 

今度会えた時は以前より会話が弾むことになるだろう。こんな縁は大切にしたい。

 

 

現在、仕事で米国の法律、「移民国籍法(Immigration and Nationality Act)」の条文の翻訳(英文和訳)を行っている。アメリカ法の和訳は初めての経験だ。「移民国籍法」とは、アメリカ合衆国の移民と国籍に関する事項を定めた1952年の法律をいう(通称「マッカラン=ウォルター法」)。

 

和訳でもAI翻訳を活用しているが、訳語が1:1に対応していないのが不思議だ。例えばAlienという単語を、あるときは「外国人」あるときは「エイリアン」、またあるときは「宇宙人」と訳していた。機械の脳の振舞いは実に不思議である。

 

そんな中で妙な単語に出会った。Batteryという語である。AIはそのまま「バッテリー」と訳していたが、前後の文からも浮いた訳語である。辞書を引いてみた。

 

 

単語batteryには〘法〙で「暴行(罪)」という意味があった。これで意味がスッキリ通った。これの動詞がbatterである。英英辞典の定義は以下の通り。

 

Batter:

If someone is battered, they are regularly hit and badly hurt by a member of their family or by their partner.

ある人が、家族のメンバーまたはパートナーから日常的に殴られたりひどく傷つけられたりされている(虐待されている)こと

 

 

The County originally accused him of assault and battery, and sexual misconduct charges, but the judge reduced the latter charge to misdemeanor disorderly conduct.

郡は当初、強制わいせつおよび暴行、ならびに性的不品行の罪で彼を告発したが、判事は後者の罪状を軽犯罪の治安紊乱行為に引き下げた。

自分の英語のリスニングの能力は大したことはないと常日頃思っている。今から20年あまり前、TOEICを受験していた頃もリスニングよりリーディングの方がスコアが良かった。

 

昨年の10月から週1回程度NOVAに通ってきた。純粋に趣味として英会話を楽しむためである。今から25年前の1999年~2001年、以前のシステムのNOVAに通った頃は毎日が競争だった。他の生徒とのつばぜり合いで疲弊した。でも、そんな世界はもう卒業した。

 

NOVAで学んで9か月、スタッフの勧めもあって昨日レベルチェックを受けてみた。結果レベル8にレベルアップした。久しぶりに「うれしい」と感じた。結局他人との競争ではなく自分を楽しく鍛えることが大切なのである。

 

 

随分昔の話だが、人生で一度だけ占いを受けたことがある。大学2年、20歳くらいの頃のことだ。地元に「よく当たる」と噂の占い師がいた。あるスナックのママさんである。友人がその店でバイトしていた関係で無料で見てくれた。

 

彼女が私に言ったことは実に印象的だった。「私の周りにはアルファベットが見える」らしい。「きっとアルファベットを操るような仕事に就く」とも言った。

 

今なら英語かIT関係だろうと何となく想像できるが、パソコンなど無い当時に不勉強な私の頭に浮かんだのは「それってタイプライターを作るみたいな仕事」という幼稚な発想だった。

 

 

しかし、今振り返れば彼女の予言は私の人生に符合する。大学卒業後は損害保険会社に入社、入社2年目には情報システム部に配属された。毎日がIBMの英語マニュアルとの格闘の日々だった。プログラム言語も英語、JCLもすべて英語だった。

 

地方銀行に転職してからも、情報システム関連の子会社、資金証券部、営業部で外為を担当した。どの部門でも英語と縁が切れることはなかった。

 

1999年を境として、受け身ではなく自分から積極的に英語にアプローチするようになった。英会話を始めるとともに英語を一から勉強し直した。以後翻訳者になるまで9年掛かった。

 

そして今もまた、アルファベットに囲まれた世界に自分の最後の職場を見つけることができた。思えば実に数奇な人生だった。

 

昨日からやっと梅雨らしい天気になった。短時間ではあるが結構降った。沖縄は梅雨明けしたそうだが、これから約1か月こんな梅雨空が続くだろう。

 

家内が日本語教室のボランティアに行ってきた。以前の職場で勤務していたベトナム人の若い男性が教室に来ていたそうだ。彼も子供が生まれて幸せそうに見えたらしい。職場のメンバーも随分入れ替ったようである。

 

 

午後からある友人に久しぶりに電話を掛けた。1年半くらいぶりだろうか?以前英会話学校で知り合いもう20年余りの付き合いになる。私と同い年で福岡市出身。早稲田の理工卒で地元の大手企業で定年までロボティクス関連のエンジニアとして勤務していた。

 

彼は、最後の職場として地元の私立大学の警備員の仕事を始めていた。デスクワークではなく体を動かす仕事がしたかったらしい。夜勤が中心のようである。その彼、昨今、右目を患ったという。私も目は酷使しており一度検査に行かなくてはと感じた。彼とは近いうちに一献傾けることになろう。

 

 

私も先週から、ある法務事務所で翻訳を含む事務の仕事を始めた。この歳で翻訳ができるのはありがたい。私の周りでも、70歳を過ぎて翻訳・通訳を続けた人が何人かいたが、単発の仕事が中心で継続的なものは稀だった。これからも好きな仕事が続けられるのは幸せなことだが、おそらく此処が最後の職場となるだろう。

 

 

新しい環境に慣れるまでは何かと気を遣うものである。それは相手方も同じだろう。そんな時一番大切なのはコミュニケーションである。以下の京大の問題はそんな情況をテーマとしている。

 

 

(問題)

次の文を英訳しなさい。

 

初対面の時には相手が一体どんな人か分からない。何となく重苦しい雰囲気で、緊張しているし、多少とも不安である。そんな時、お互いにニコッと笑い合えたら、それで意思が通じ合えたような気になり、安心して話せそうに思えてくる。

(京都大学・1993年)

 

 

(拙・和文英訳)

When you meet someone for the first time, you don't know what kind of person he is. Amid somewhat oppressive atmosphere, you might get nervous or feel a little anxious. In such a case, if you can smile at him each other, you will feel as if you could have communicated with each other, and you may think you can talk to him at ease.

 

九州北部は一昨日梅雨入りした。昨年より19日も遅い。それが昨日はまるで梅雨明けのような雲一つない晴天となった。この先、天気はどうなるのだろうか?

 

 

「縁」とは不思議なものである。昨日、随分昔にアメリカに帰国した英会話講師との縁が再び繋がった。18年くらいぶりである。まだ翻訳を業とするなど考えてもいない頃だった。当時の同じクラスの仲間たちや楽しかった宴会の情景が目に浮かぶ。

 

写真を見ると懐かしさがこみ上げてきた。彼女も既に2児の母親となっていた。時の流れは恐ろしく速い。

 

 

懐かしいという感覚はとても心地よい。先日の日経新聞の【春秋】欄に以下の文章を見つけた。バスで海水浴場に行った思い出など、物心が着くか着かないかの遠い昔のことである。

 

 

(日本語)

バスと海岸という取り合わせには、海沿いの出身でなくてもどこか懐かしさを感じよう。バスに乗り海水浴に行った体験や、そうした場面を映画などで見た記憶が呼び覚まされるからだろうか。夏を巡るこの共通体験がだんだん危うくなりつつある。路線バスの減便と廃止、海水浴場の開設中止が各地で広がっているのだ。

(日本経済新聞【春秋】2024年6月17日刊より一部抜粋)

 

(拙・和文英訳)

A combination of bus and beach will make you feel somewhat nostalgic even if you are not from seaside areas. I think it is probably because such a combination reminds you of the experiences that you went sea bathing by bus, or the memories that you saw such scenes in the movies. This common experience in summer has been in danger of gradually vanishing away. Sad to say, the reduction and abolition of local bus services and the cancellation of the opening of bathing beaches have been spreading in various places in Japan.