英語の迷い道(その179)-アルファベットに関わる人生-NOVAにて | 流離の翻訳者 果てしなき旅路

流離の翻訳者 果てしなき旅路

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴16年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

自分の英語のリスニングの能力は大したことはないと常日頃思っている。今から20年あまり前、TOEICを受験していた頃もリスニングよりリーディングの方がスコアが良かった。

 

昨年の10月から週1回程度NOVAに通ってきた。純粋に趣味として英会話を楽しむためである。今から25年前の1999年~2001年、以前のシステムのNOVAに通った頃は毎日が競争だった。他の生徒とのつばぜり合いで疲弊した。でも、そんな世界はもう卒業した。

 

NOVAで学んで9か月、スタッフの勧めもあって昨日レベルチェックを受けてみた。結果レベル8にレベルアップした。久しぶりに「うれしい」と感じた。結局他人との競争ではなく自分を楽しく鍛えることが大切なのである。

 

 

随分昔の話だが、人生で一度だけ占いを受けたことがある。大学2年、20歳くらいの頃のことだ。地元に「よく当たる」と噂の占い師がいた。あるスナックのママさんである。友人がその店でバイトしていた関係で無料で見てくれた。

 

彼女が私に言ったことは実に印象的だった。「私の周りにはアルファベットが見える」らしい。「きっとアルファベットを操るような仕事に就く」とも言った。

 

今なら英語かIT関係だろうと何となく想像できるが、パソコンなど無い当時に不勉強な私の頭に浮かんだのは「それってタイプライターを作るみたいな仕事」という幼稚な発想だった。

 

 

しかし、今振り返れば彼女の予言は私の人生に符合する。大学卒業後は損害保険会社に入社、入社2年目には情報システム部に配属された。毎日がIBMの英語マニュアルとの格闘の日々だった。プログラム言語も英語、JCLもすべて英語だった。

 

地方銀行に転職してからも、情報システム関連の子会社、資金証券部、営業部で外為を担当した。どの部門でも英語と縁が切れることはなかった。

 

1999年を境として、受け身ではなく自分から積極的に英語にアプローチするようになった。英会話を始めるとともに英語を一から勉強し直した。以後翻訳者になるまで9年掛かった。

 

そして今もまた、アルファベットに囲まれた世界に自分の最後の職場を見つけることができた。思えば実に数奇な人生だった。