夏の甲子園もベスト8が出揃った。高校野球は私の趣味の一つでもある。自分の地元の高校を除いて基本的に「判官贔屓(ほうがんびいき)」のスタンスで観る。先日の「大社-早実」の試合は久しぶりに感激した。
「判官贔屓」とは伝統的な日本人の心情で、「判官」は、検非違使の尉(位)の一つで源義経が「九郎判官」と呼ばれたことに由来し、本来は「源頼朝に対して源義経を薄命な英雄として愛惜し同情すること」を意味した。現代ではそれが転じて「不遇な身の上や弱い立場の者に同情を寄せたり応援したりすること」を表すようになった。
「判官贔屓」を英語では“support (or sympathy) for the underdog”などと表現する。なおunderdogは「競争などで勝てそうもない人(側)」を意味する。
1) The old man always supported (expressed his sympathy for) the underdog.
= The old man always cheered for the side that was behind.
「その老人は、いつも判官贔屓(劣勢な側を応援)した」
ところで「判官贔屓」の反対語に「勝ち馬に乗る」という言葉がある。これは、「勝利しそうな方に味方して勝利に便乗すること」をいい、より具体的には「集団の中で影響力を持っている人(の側)に付いて、その恩恵を受けたり自分の存立(地位)を維持しようとすること」を言う。
会社・組織などではよく見かける光景だが、こちらは英語ではjump (climb, get, hop) on the bandwagon, adulation, excessive flattery, flunkeyism, ingratiation, sycophancy, toadyism … などなどより多くの表現があるようだ。
2) Many executives jumped on the bandwagon of the founding family.
= Many executives tried to get leftovers from the founding family.
「役員の多くが創業者一族の勝ち馬に乗った(お零れに預かろうとした)」
3) Like a hostess, the young secretary ingratiated herself with the executives by providing them with topics they could be interested in.
「まるでホステスのように、その若い秘書は、役員たちが興味を持ちそうな話題を提供しながら彼らのご機嫌を取った」