英語遊歩道(その94)-「盆踊り」ノスタルジー | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

線状降水帯(linear precipitation band)により、2日ほどで1か月半分くらいの雨が降った。買い物に出たら道路上は雨水が溢れて川のようになっていた。干上がった田んぼは喜んだだろうが、川の近くの人たちは、さぞかし怖かっただろう。

 

線状降水帯が通り過ぎるとほぼ同時にセミが鳴きだし猛暑が戻ってきた。今年の夏は豪雨と猛暑で散々である。

 

 

私が幼い頃、お盆の時期になると近くの公園で「盆踊り」が催された。夜になると、浴衣を着て団扇を持って家族で公園に出かけた。公園の中心部には櫓が組まれ、櫓の上では太鼓が叩かれて「炭坑節」などの曲が流された。町内の人たちが櫓の回りを輪になって踊っていた。

 

お盆の時期に、伯父夫婦の家に泊っていたこともあり、そのときは伯父の町内の「盆踊り」に出かけた。そこで流れていたのが「沖縄音頭」という曲である。耳に残るメロディーで今でも懐かしく思い出す。

 

 

 

 

 

 

中学1年くらいを最後に「盆踊り」に出かけることはなくなった。「もう子供じゃない」と自分に言い聞かせていたのか。それとも、中島みゆきの「まつりばやし」の歌詞にあるように「人は誰でもまつりの終わりを知る まつりばやしに入れなくなる時を知る」の心境なのか。

 

ただ、盆踊りを踊る浴衣を着た若いお姉さんたちには、当時からそこはかとない色気を感じていた。それは今でも変わらない。

 

 

 

最後に「盆踊り」を見たのは東京で一人暮らしをしていた頃だ。国分寺市光町というところに住んでいた。お盆、夕方過ぎになると、近くから太鼓の音が響いてきた。太鼓の音のする方に向かって行くと公園があり、聞こえてきた曲は、なんと「炭坑節」だった。

 

「東京も九州の田舎と一緒じゃないか!?」と妙な親しみを覚えた。

 

 

これが平成の初めの頃なので、以来35年余り盆踊りは見ていないが、「今の子どもたちはちょっと可哀想だな」と感じた。