本記事は、過去に投稿した記事を若干焼き直して再度投稿するものである。
GEOSという英会話学校に通っている頃、ある男と知り合った。20年以上も昔のことだ。彼と最後に会ったのが、東日本大震災の年、2011年くらいなので、かれこれ15年くらいになる。時の流れは速いものだ。
数年前、彼の消息を訪ねて、少し調べたことがあった。勤務していた証券会社や彼が通っていたビジネススクールにも連絡をとったが、個人情報の関係もあり、結局、消息をつかむことはできなかった。
以下、彼(以後、Yと呼ぶ)との思い出について、過去の記事を頼りに記載してみる。
2003年の秋に入った頃、ある生徒がGEOSの我々のクラスに入ってきた。重たそうなリュックを背負い、脚は裸足に革のデッキシューズ(石田純一か!?)靴も着ている服の上下もブランドは全て Polo Ralph Lauren だった。
私とYが交わした最初の英会話が以下のものである。
私: What do you do?
Y: I’m working for a financial institution.
私: Which financial institution, banks or securities?
Y: Securities.
Yは最大手の野村証券に勤務する証券マンだった。年齢は私より5~6歳下に見えたが、その時私が感じたのは「今まで大変だったろうなぁ~」という同情に近いものだった。「野村証券で5年生き残れたら面白い仕事ができる!」という伝説があった。以来、Yとだんだん親しくなっていった。
神奈川県の県立高校出身で早稲田・政経卒。高校時代は柔道部だったらしい。彼の父親は京都府出身で京大・法学部卒、NHKに勤務していると聞いた。父親とはあまりコミュニケーションがうまくいっていないように思われた。
野村証券の北九州支店はGEOSがあるビルの1階にあった。通学には最適な環境だった。Yは英会話の他にも、仕事で必要なようでパソコン教室でEXCELやACCESSの分析を学んでいた。
暫くして、彼には「日本語で話すときと英語で話すときとで人格が全く異なる」という妙な特徴があることを知った。日本語モードの場合は、寡黙で硬派なジェントルマンの風情があったが、これが英語モードに入ると一転、先生はからかう、下品な冗談は飛ばす、他の生徒は批判する …… などなど、全く別の人格が現れた。
不思議な男だとも思ったが「これが彼特有のストレス解消法なのかも …… ?」と思えるようになった。
出会って1か月くらいのうちにYと差しで飲む機会があった。居酒屋である程度出来上がり、いつも通り2軒目はスナックでカラオケという流れになった。そこで彼が歌ったのが「軍歌」だった。それも1曲、2曲ではない。少なくとも10曲は歌った。「軍歌が好きなのか?」と尋ねると「軍歌しか知らない!」と真顔で答えた。昨今、実に稀有な男だった。
2004年の暮れが近づいた頃、彼は東京に異動になった。それから3年以上が経った2008年5月、私が㈱サン・フレア主催のTQEに合格してその説明会で上京したときに東京で飲んで旧交を温めた。このときYは野村証券関連の信託銀行に出向していた。以後、彼は何度か北九州に来てはともに軍歌を歌った。気がつけば私も軍歌ファンになっていた。
Yと最後に飲んだのが東日本大震災後の2011年の秋頃ではなかったか?彼は動脈瘤解離を患いその手術を経験した後、禁煙していた。私もその前年の2010年に健康上の理由で禁煙しており不思議な符合を感じた。
それから暫くして、Yから2冊の書籍が贈られてきた。何となく哲学的なものだった。お返しに5枚組の軍歌全集のCDをプレゼントした。彼はスマホにダウンロードして聴くと喜んでいた。
数年後Yは野村証券を退職してテンプル大学(Temple University)のビジネススクールの日本キャンパスで勉強を始めたが、それから暫くして音信が途絶えた。病み上がりかつ独身でもあり今も気がかりに思うことがある。
彼が私に紹介してくれたのが「嗚呼神風特別攻撃隊」という曲である。残念ながらカラオケになっていない。YouTubeに曲があったので以下に紹介する。哀しくも激烈なメロディが素晴らしい。