勝山公園の近くにボウリング場「勝山パークレーン」ができたのは、私が小学6年生くらいのときだった。当時、日本中がボウリング・ブームに沸いていて、大都会に限らず、私が住む地方都市でもボウリング場の新設が相次いでいた。
実際にボウリング場に通うようになったのは、中学1年の頃だった。箸と鉛筆は右利きなのだが、実はボウリングは左利き(サウスポー)だった。元々左利きで、箸と鉛筆だけを小学校にあがる前に親に矯正されたものだ。ボウリングは球を最初に持ったのが左手だったためサウスポーになった。因みに野球は右投げ右打ちである。
週休二日制などない時代で、日曜日の早朝に「早朝サービス」という料金が安い時間帯が設けられていた。家族や友人たちと早起きして、よく出かけたものだ。
ボウリングに行く前日の土曜日の夜は、ワクワクして眠れないこともあった。実際にあまり眠れないままボウリング場へ行ったことも何度かあった。それくらい楽しいスポーツだった。
テレビでもボウリングの試合が放送されていた。中山律子、並木恵美子、須田開代子、野村美枝子などの女子プロボウラーたちが、きら星のように並び、それぞれ人気を博していた。
中学2年のころ、マイボールとマイシューズを持っている友人がいて、ずいぶん羨ましく思ったものだ。彼は一人っ子で、小遣いをたくさん貰っていたようで、学校が終わると、夕方一人でボウリング場に通っていた。確かにボウリングも上手かった。彼は野村美枝子プロのファンだった。
当時、テレビ番組に「美しきチャレンジャー」というものがあった。放映は1971年4月から10月までなので、私が中学1年の頃の作品だ。主演(ヒロイン)は新藤恵美さんで、当時20歳前後のセクシーな女優だった。この人は後に日活ロマンポルノにも出演したらしい。
また、中村晃子さんが歌っていた主題歌も、結構好きだった。今でも時々口ずさむことがある。「巨人の星」や「タイガーマスク」など、当時のスポ根ものの主題歌は、子どもにも歌いやすいものが多かった。
高校時代は、中間・期末などの試験が終わるたびに、友人たちと打ち上げと称してボウリングに行った。大学を卒業する頃まで、ボウリング人気は衰えなかったように思うが、実際には1980年代に入った頃から人気は下火になっていったらしい。原因は供給過剰によるものだという。
最後にボウリングをしたのは、翻訳会社に入社した年のレクリエーションだったから、2011年のことだ。いつもながら大したスコアは出せなかったが、あれから14年、ボールを投げていない。歳をとっても、ボウリングくらいはいつでも楽しめる体力を維持していたいものである。