以前から気になっていた映画「月光の夏」を、昨日YouTubeで観ることができた。戦後50年に因んで1993年に製作された映画で、涙が溢れてくるような映画である。
あらすじは以下の通り。
太平洋戦争末期の夏、九州・鳥栖国民学校(現・鳥栖市立鳥栖小学校)に二人の陸軍特攻隊員が立ち寄った。理由は、その国民学校にあるピアノが弾きたかったからである。
特攻隊員の一人は上野の音楽学校でピアノを学んだ学生で、翌日知覧へ向かう前に、学校のグランドピアノでベートーヴェンの「月光」を演奏した。もう一人、熊本師範出身の特攻隊員は別れ際に「海ゆかば」を心を込めて演奏した。
この演奏を聴いた教師・吉岡公子は長年その出来事を胸に秘めていたが、老朽化したピアノの廃棄を知り、旧い思い出を語り始めた。この話はメディアで報道され吉岡に注目が集まり、ピアノは修復されることになった。
吉岡は二人の陸軍特攻隊員の名前を知らなかったが、マスコミの力もあって、特攻隊員の生き残りで「海ゆかば」を演奏したとされる風間森介少尉が見つかった。だが風間は、何故か「月光」の件に関しては沈黙を貫いていた。
ドキュメンタリー作家らの取材に同伴して、吉岡も知覧に行くことになった。そして、知覧特攻平和会館で「月光」を弾いた海野光彦少尉を見つけた。
また、大牟田の元隊員の証言で、特攻の帰還兵を秘密裏に幽閉していた「振武寮」の存在が明らかになった。当時、特攻の帰還兵は特攻隊員の士気を低下させる都合の悪いものと考えられたからである。
風間は、特攻機のエンジンの不調で出撃を中止して引き返し、生き延びた負い目があり、「振武寮」について長年語らずにいたが、取材を通じて次第に心を開くようになった。
風間は「海野は戦死しました。私は生き残っております」と語るが、吉岡は「よう生きとって下さいました」と涙ながらに返答した。そして半世紀の沈黙を経て、風間は思い出のピアノと再会して、再び「月光」を演奏することになった。