非常勤講師はつらいよ―私学非正規教員の本音と生活向上作戦 -14ページ目

この時期の憂鬱

春の素敵なトコロ、残念なトコロ ブログネタ:春の素敵なトコロ、残念なトコロ 参加中

 新任校での研修は昨日終了、この日は普通は経験出来ないある体験もしましたよビックリマーク
(それが何かを書いてしまうと、どの学校かがバレてしまうと思いますので控えますが。)
午後に終わり(しかも延長)、その後に教科の先生のお一人(初対面の講師)とお会いし、色々教えて頂きました。
食事を摂って帰宅すると、もう夜。そのまま寝込んでしまい、翌朝を迎えた感じです。
そんな今日は自分の誕生日ケーキ、つまり目を覚ましたら、1つ歳を取ったという事です(苦笑)
朝もそこそこ早目に目覚めたものの、連日の研修で疲れ切り(非常勤で何でここまでやる必要あるのか)、丸一日体が動きませんでした。。ショック!
今日は天気も良かったのにね。

昨日の出勤の際には、最寄り駅で前任校の新入生らしき子(体が大きいが、通学バッグも新しいし、制服のバッジを見ても中1であるのは確か―昨年度担当した一貫生よりちょうど6歳下なのだと年度が変わった事を実感)とその両親と電車で同乗し(横浜駅で降りていった)、
乗換えの某駅では前々任校の生徒達とその母親というペアを何組も見かけたりしました。
これらの学校も、昨日が入学式だったのでしょう。

」というと、卒業・入学・進学・就職など、新たなな気持ちで新年度を迎える人も多いでしょう。
(先月に高校を卒業した勤務経験校4校の元教え子達も、多くは大学に入学して新たな一歩を踏み出したはずだし、浪人する事になった子も気持ちを一新して頑張る事でしょう。)
気候的にも、暖かくなり桜はじめ春の花も咲き、ワクワクするような季節です。桜本来なら・・・
(今年は、例年のような新年度へのフレッシュ感もなく、お花見をする気分にもなれません(苦笑汗
 この時期になっても未だ寒い日が多く、気温の面からも春という気がしないし。
 気候まで自分の心と同様、「春」を拒んでいるのか?)
その一方で、自分にとってはまた年齢が1つ上がるのが、憂鬱であります(苦笑)

講師仲間の一人から、お祝いメールを頂きました。手紙
とはいえ内容は、私自身の昨年度を中心とする処遇へのお気遣いや、それと関連した今後の私学の展望で、明るくない話題であります(^^;その先生の語られる現状や分析には「なるほど」と考えさせられました。
そして、相変わらず「私達の世代って(団塊ジュニア)、就職面等で常に冷遇されている」と感じずにはいられません。
ただでさえ、少子化&不況に加え、恐れていた「公立高校無償化」が今年度から実施されるようです。(全く、迷惑なことばかりやってくれるよ!むかっ
この政権が続く限り、頑張った人が報われない社会にますます拍車がかかりそうだし、教育業界も「冬」の寒さが深まってきそうです。雪
もはや学校には一切期待せず、今年度はあくまで「収入のため¥」と割り切り、深入りせずにやりたいと思います。私ももう若くないし、自身の将来を優先に動いていくつもりです。

新年度スタートですが・・・

 前年度気分も疲れも抜けぬまま、2日(金)から新任校での任務が開始しました。学校

おととい(2日)、昨日(4日)、明日(5日)の3日間は、新人教員研修が行われ、学校概要・教育方針・指導上の注意など、各担当教諭から説明を受けます。

学校によって、日にちを設けて新人対象の説明会を行う学校は過去にも複数ありましたが(全く無かった学校もある)、これほど研修がびっしりの学校は初めてです。

生徒への接し方等どの学校にもありがちな諸注意は、教員そのものが始めて間もないなら有り難いでしょうが、私のようにもう何年何校も経験してきた自分としては、正直もういいかな。

その学校のシステム等の説明を事前に受けられるのは、勤務開始の際に戸惑いも減り、助かる面もあります。

ただ、お昼過ぎまで数日間かけて行うなら、夕方までかかっても良いので1日にまとめて欲しいのが本音であります。


初日は、開始時間に間に合うように出勤したものの、ものすごい強風(時々雨)で、電車もストップ&ノロノロ運転で、到着は予定より1時間も遅れてしまいました。。(もちろん、事前にその旨を連絡入れ、学校側も了承済み。)

昨日2日目は、最初に辞令交付&校長先生のお話などがありました。「この学校に着任したんだ」という気持ちを早く持たねばなりませんね。

明日は、急遽もう一項目加わり、午後まであるみたいです。ああ・・・ショック!


などと、愚痴ばかりになって申し訳ないです。先日も申した 通り、今までの勤務体験&今回の就職活動から心身共にダメージから回復せぬまま、緊張して都内へ連日通い、更に疲れてしまいましたもので・・・


そう、東京都の学校です。これは専任での勤務以来5年ぶり。すっかり東京オンチになっていました(汗)汗

あの時の勤務体験が辛かった上、結構な遠方通勤もしんどくて、翌年からは少しでも負担な要素を取っ払うべく「出来るだけ近くに」と(専任時は部活など多忙で東京都私学適正を受けられなかったのもありますが)、4校続けて神奈川県内だったもので。通勤40~50分で通えたのが、これからは倍近くの時間がかかるんだなあ。。

今回も、横浜市内(しかも面接の際に30分ほどで行けた)の中高一貫校からお誘いを頂いたものの、給与の安さに断ってしまいまして(^^;

あと、11月に市内の別の一貫校からもお電話がありましたが(今となっては諸条件から、ここに勤めるのがベストだったと思う)、まだ前任校でどうなるか分からず(給与も当時の勤務校の方が良かったので)、承諾しなかったのは今更ながら後悔(;;)


給与面に関しては、昨年までは勤務先が変わるたびに上がっていったのに、今度はガクっとダウン。ダウン

これも既に書きました が、前任校・前々任校よりもちろん、ボーナスの状況によっては(年度末に微々たる額を貰えるか否からしい)、その前や更にその前よりも下になりそうで(初年度勤務校よりやや良いかも、という程度)。

(それでも、今回の就活や講師仲間の経験を合わせれば、良い部類に入ります。)
ただ、この学校では、週11コマ以上で私学共済(年金&健康保険)に入れて頂けるとの事で、その点は非常に有り難く思います。前任校は、週何コマ受け持っても(自分は17時間)入れてもらえませんでしたから。

共済加入は、5年前の専任と4年前の別の女子校講師(週18コマ)以来です。

機会があれば、これまでの勤務経験も含め「非常勤講師と保険」について、お話ししたいと思います。


授業関係も、教科の先生方と少しずつ打ち合わせをしています。その辺りに等に関しては、また改めます。

2009年度を振り返り(書き換えました)

 早いもので今日から4月、遂に2010年度が始まってしまいました。桜

自分も明日から新任校にて研修なのですが、正直、心身が年度の変わり目についていけずにいます。。ショック!

ここで3月中に行う予定であった前年度の総括をしておきたいと思います。


その前の2008年度、失望しかけていた教職へのやりがいを久々に見出し 、当時の勤務校での代講任務終了間近に前任校(昨日まで「現任校」と呼んでいた学校)からタイミング良くお誘いが来てやる気満々で赴任 しました。

当初の予定では「中学中心で高校生も」との話でしたが、週17時間すべて高3という事になり、気合いも入りました。グー

生徒に希望され、補習も開講(毎週のものに加え、夏休み・春休みなども)、加えて先に決まっていた予備校との兼務 もあり、ハードな1年でありました。DASH!

途中から「予備校辞めたい」とは思ってきたものの、学校の授業は張り切って自分なりに楽しんで行って参りました。休みがほとんど取れず、本当に今年度は生徒達のためだけに過ごしてきたという感じですが、充実はしていました。アップしかし・・・


2月に入って自身の全業務終了後に、校長(当時)からクビ宣告を受け、次の勤務先探しも苦労し、心身共に本当に疲れ切った事は、既に書いた通りです。(別記事 として分けました)

何だか「正直者がバカを見た」思いで、非常に後味悪く終わりました。ダウン

怒りはその記事 でぶちまけたゆえ、ここでは控える事にしますが、これで「努力は決して報われない」事も痛感しましたので、今後は頑張り過ぎず、もっと力を抜いてやっていくつもりです。

引き払いとりあえず終了―今年度勤務先での処遇


一方この学校では、専任・講師・経験年数・年齢・男女の区別なく、多くの先生がお声をかけて下さり、個々の先生は本当に良い方ばかりでした。

過去の複数の勤務経験校や自身の出身校で様々な繋がりがある事にも驚きましたね。そうした職員室内の雰囲気は、これまでの勤務経験校の中で最高でした。

私が雇い止めになったと知って、色々な先生が励まして下さったり、求人を探してきて下さったり、他校の知人の方に尋ねて下さったりなど、様々な形でお気遣い頂きました。

こうした先生方とのご縁は、今後も大切にさせて頂くつもりです。手紙


授業に関しては、受験生を任され、教える技術面では、自身の力量が今まで以上に問われた年度だったと思います。本

決して偏差値の高い学校ではありませんが、全体としては一生懸命には取り組んでいたと思います。少々やんちゃな子達も、最後まで私の授業についてきてくれました。男の子

そして皆、一斉に学校から巣立っていきました・・・(今までのように、当時の教え子達に会いに元勤務校の文化祭を訪れるなどの楽しみもないです。苦笑)

彼らの大半とも、卒業の日に会えぬまま別れてしまった のがやはり心残りですが、

一貫生対象の謝恩会では、思いがけぬ生徒が、自らお礼を言いに来てくれた事に感激したりしました。

彼にはより上を目指してもらいたく、かなり厳しく接してしまったのですが、私も素直に「大学でも頑張ってね」と言えました。ニコニコ

それほか、スポーツ推薦等で進学先が決定していた生徒が何人かおり、

一般受験者も、本人や担任の先生方の報告では、ほとんどが最終的に落ち着いたようです。

また個別補習では、夏に指導した生徒 や、卒業さえ危うく散々追い回して冬に面倒を見た生徒 は見事、第一志望に合格 しました!クラッカー
あと2,3人、行方が気になっていたり、浪人する事にした生徒もいますが、各担任の先生方からも感謝のお言葉を頂けました。

まだ向上していかねばならぬ部分もあれど、自他共に認める程の頑張りで「これほどまで力を入れて指導したグー」と思えた2009年度でした。


 大学入学に紆余曲折を経たため卒業が他の人より遅れた私も、この仕事を始めてちょうど6年が過ぎました。

つまり、中高一貫校で言えば、中学入学した子が高校卒業するまでに至ったわけです。

しかもちょうど、その学年(2010年春高校卒業生)を最も多く受け持った という事で、自分の教員生活も一区切りというところでしょうか。

教え子達よ、高校卒業おめでとう!

新入生、新入社員に一言! ブログネタ:新入生、新入社員に一言! 参加中

 今回は、自身の翌年度の勤務校探しに苦戦し(この経緯や今年度を振り返る記事はまた改めます)、まさか3月末にもつれこむとは予想だにしませんでした。

よって、ブログ更新がほとんど出来ず、記事も遅れ遅れになってしまっていますが、気が付けばもう3月も終わり、つまり2009年度最後の日となってしまいました・・・叫び


おととい29日(月)は、新任校と予備校のそれぞれに行き、教科書を貰い説明を受けた後、健康診断書を取りに病院へ行き、夕方に帰宅後すぐに着替えて、今年度勤務校の吹奏楽部定期演奏会に行って来ました。

新勤務先巡り等が予想以上に時間がかかってしまい、到着した時はこれから2部が始まるという時でした。

この演奏会では、高3も出場するとの事で、自分が担当した生徒も少数ながらいたため、見たいと思っていましたが、自身の職探しの事が手一杯で、毎回こういう時に持参するカメラを忘れてしまいました。。あせる


2部はパートごとの演奏ばかりで、高3らしき生徒達がいなかったのは残念でしたが、3部では全員が勢ぞろいしての演奏でした。音譜

曲の合間で、このたび卒業する部員が顧問の先生によって一人一人紹介され、後輩達から花束贈呈される様子を見ながら、こちらもジーンときてしまいました。。しょぼん


 現任校の卒業式は1日(月)でした。

この学校には最後になって怒りがあるのは、この日は置いておいて(笑)、担当生徒を見送るべく服装も前日から準備して(自分なりのおめかしして)出かけました。ワンピース今年度は、週17時間の授業がすべて高3という事もあり、やはり精一杯見送りたいと思いましたので。

式ですが、教員は壇上の高3担任や上層部以外は立ち見でした(苦笑)

生徒数が多いせいか、全卒業生以外では、在校生は代表者と思われる一部が一区画に、階上の席にはご父母方が着席、という感じでしょうか。

(そういえば前任校では、生徒数が多いために、卒業生・一部の在校生・高3担任陣以外は式に出席出来なかったのを思い出しました。)

国歌・校歌の斉唱に始まり、学事報告の後、卒業証書授与(人数の関係か、名前は全員呼び上げられるが受け取るのは学級委員)、賞状授与(皆勤賞・成績優秀賞・部活功労賞など)、校長に続いて来賓の祝辞、送辞・答辞など、次々に進行していきました。

最後に「仰げば尊し」「蛍の光」の歌を終えると、卒業生達は退場となりました・・・


式後の謝恩会は、あらかじめ招待状が置かれていましたが、中高一貫コースのみで、高校からの入学生対象のはなく、高入生には(職員室に挨拶に来たわずかな生徒を除き)直接会えずに終わってしまったのが残念です。ガーン

一貫生対象の謝恩会は、校内会議室にて立食パーティ、ご父母方や中学の先生方もいらしていました。

このクラスは、授業で担当した10人足らずの生徒とその周辺の生徒くらいしか知りませんが、それでもバイキングを食しつつ彼らと話したりしながらあっという間に時間が過ぎていきました。割り箸


 この学年(つまり今年度高3)は、4年度前に専任として勤めた学校では当時中2の副担任をしたのが最初で、前々任校(当時高1)・前任校(当時高2)・現任校(高3)と合計4校で担当した事になります。

(過去の勤務校3校には祝電を送っておきました。また、そうした教え子の数名からは、卒業&進路報告のメール携帯を受けたのも、嬉しかったです。ニコニコ

更に、専任時代の教え子では、高校は他校に進学しそこを卒業した子もいます。

学校は違えど、毎年のように成長(?)を目にしてきた感じで、勝手ながら思い入れも強いし感慨深さもひとしおです。

一方、そんな彼ら彼女らが高校から巣立ってしまい、何だか気抜けというかちょっとした寂しさも感じたりもしています。汗子供扱いしていたのに、もう大学生なんのですから(^^;しかし、こうして生徒達の成長を見守り送り出す事が、この職の使命なのかもしれません。


自分は毎年職場を転々とせざるを得ない講師の身分ではありますが、たとえ学校が変わろうと、自分が関わってきた生徒は皆、自分の教え子と思っています。

新たな世界へ踏み出す教え子達には、中高での思い出を大切に、これから様々な事にチャレンジして困難にもめげず、素敵な未来を築いて欲しいと願っていますキラキラ


最後に改めて、卒業おめでとう!!ブーケ1またどこかで会える日を楽しみにしていますビックリマーク



フィギュア世界選手権&バンクーバーオリンピック総括

 おとといの女子フリーをもって、数日間続いたフィギュアスケート世界選手権が幕を閉じ、ウインタースポーツは今シーズンを終えました。

本大会では、男子で高橋大輔選手、女子で浅田真央選手が金メダルという快挙で、この二人が帰国して会見していました。

オリンピックから約1か月後、選手達の疲れは計り知れないものと思います。メダリストでも欠場していたり、出場した上位陣も失敗が多い中で、この二人は目立ったミスもなく演技を行い、この結果は本当に立派です。

しかし織田君はどうしてしまったのだろう?オリンピックのアクシデントに続き、この大会ではまさかフリーに出場出来なかったとは・・・



 バンクーバーオリンピックに関しても、更新が途中になってしまいましたので、この機会に総括もしたいと思います。とはいえ、だいぶ記憶も薄れてしまっていますが・・・


 まず、アクシデントが多かった。開会直後の練習で、グルジアのルージュか何かの選手が事故で亡くなった。

日本選手でも、男子スピードスケート500mにて銀メダルを獲得した長島圭一郎選手が、1000mでの滑走直前にリンク不備ゆえの長い製氷作業のため、体が冷えて力を発揮出来なかったり、

男子フィギュアSPにて、小塚崇彦選手の演技最後の音楽が途切れたり。


 次に、報道されるのが特定の選手ばかりだったように思う。

フィギュアスケートの上記2選手は当然としても、あとの選手の多くが 実力よりも話題性に先行で過度な期待がかかってしまったような・・・以下、敬称略で。


・高木美帆(女子スピードスケート)

  中学生選手として話題になり、その事はすごいと思うが、

  彼女の年齢や経験からしてメダルなどとは騒ぎ過ぎでは。

・岡崎朋美(女子スピードスケート)

  この人の過去の実績は凄いし、38歳にして挑戦し代表に選ばれる事も素晴らしいが、

  やはり全盛期のようにはいかないのは仕方ないでしょう。

・上村愛子(女子モーグル)

  今や里谷多英より全然好感はあるし、あと一歩でメダル及ばずは残念で仕方ないが、

  このようなものなのかなあ。

・カーリング女子

  応援していた方々には申し訳ないが、こんなものではないでしょうか。

  他国の選手は結構な年齢の方々が多く、経験が物を言うスポーツだと思うので。

  それにしても、日本でのカーリング人気が彼女らのおかげのように言われているが、

  自分は長野オリンピックでの男子チームで知りました。

  おじ様から若い男子まで幅広い年齢層の選手達が団結し、大健闘だったのが印象的で。

  なので、彼女らが異様に持ち上げられているのも、あまり良い気分はしない。


一方で、あまり報道されていないような選手が好成績を収めたりもしました。

個人的には、スピードスケートは(かつてほどの快挙はなくても)大健闘だったと思います。


・長島圭一郎(男子スピードスケート500m):銀

・加藤条治(男子スピードスケート500m):銅

・女子チームパシュート小平奈緒田畑真紀穂積雅子):銀

  この種目初のメダルだったそうです。

  特に小平選手は、個人種目でもメダルまであと1歩だったとの事。

  100分の数秒でメダルが手に入るか否かが分かれてしまうとは、厳しい争いだなと。

  この種目も、金とは僅差だったようですね。


あと、メダルには及びませんでしたが、スキー・ジャンプも、かつてほどではなくても健闘でした。スキー

葛西紀明選手も、私達より年上でよくやるなあと。


 フィギュアスケートに関しては、言いたい事はたくさんあります。

今大会は、男女共に3人が出場し、メダルを期待出来る選手もおり、楽しみのはずが、女子に関しては後味悪く終わってしまいました。。しょぼん

やはり私も多くの方々と同様、キム・ヨナの異様に高い点数には納得いかない派です。もちろん彼女の実力は認めるし、安定感においては浅田選手より上かもと思ってきたのですが。

真央ちゃんはフリーにて不安定だった部分もあり、それゆえの銀メダルとして譲っても、トリプルアクセルは成功させているのに、あの点差はないと思う。結果後の会見での彼女の涙は、こちらまで悲しくなる思いでした。

本来、浅田・キムヨナ両選手は、同い年だし世界トップ選手として、良きライバルになる事をかつては願っていましたが、ヨナの妨害発言以降あまり好きでなくなり、最近のキムヨナ贔屓のジャッジに、今となっては申し訳ないけれど、見ていて気分が悪くなってしまう選手です。

世界選手権では、浅田選手の金で終わり、少しは気持ちも治まれど、ショートプログラムでミスをして7位発進、フリーもさほど良くなかったのに、あれで銀とは・・・

バンクーバーオリンピック 女子フィギュア


男子・高橋大輔選手の銅は、感動しましたね。というより、メダルの色(順位)は真央ちゃんより下でも、こちらの方が男子フィギュア初の快挙&露骨な差別がなく、素直に喜べた部分があります。

いずれにせよ、男女共にフィギュアは3人とも入賞&一人はメダルというのは、素晴らしい成績でした。クラッカー

バンクーバーオリンピック 男子フィギュア


あと、フィギュアスケートではアイスダンスをも、もっと取り上げて欲しい。

日本代表では、前トリノ大会でのコンビが引退し、日米ハーフのリード姉弟が出場していたが、フリーでようやくNHKが中継し、民放では無かったような扱い。

アメリカ育ちのこの姉弟に賛否はあれど、母親は日本人で日本代表として頑張っているのだから、注目してあげても良かったのでは?

一方、日本国籍を捨ててロシア代表として出場したペアの川口悠子はよく取り上げられていたが、理由はどうである彼女はもはや外国人。「元日本人選手でこんな人がいます」程度の紹介で良いと思う。

この対比を見ても「日本人って何だろうはてなマーク」と考えさせられました。


 それから、最初に話題になったスノーボード国母和宏。服装はもちろんのこと、会見での態度もナメていましたね!出場停止でも良かったのでは?スノーボード


 などと今更ながらでしたが、選手の皆さんお疲れ様でした!旗

朝青龍なき大相撲春場所―白鵬全勝優勝&把瑠都大関昇進そして貴乃花

 大相撲春場所が、今日で千秋楽でした。

前回の初場所中に横綱・朝青龍の暴行騒動があり、それを受けて場所後の電撃引退に驚きましたが、その朝青龍が去って初めての場所です。

更に、この騒動の前には、貴乃花親方の理事立候補&当選でも騒がれました。

相撲を見なくなって久しく(忙しさと興味の面から)、先場所も全く見ませんでしたが、ここずっと相撲に関する報道が多く、言いたい事は色々ありました。

しかし、長らく既に述べた様々な事情で慌ただしく、ブログも書きかけて終わってしまったため、ここでこれらについて述べたいと思いました。


 初場所中、まずは千代大海が引退したというのを聞き、「ようやく」と思った反面、馴染みあった力士がまた一人去り寂しさも感じました。

そして「朝青龍の泥酔暴行騒動」も耳にしたものの、真相は分からず「またいつもの通りマスコミが大袈裟に騒いでいるだけか」などと思っていました。

しかし、この事件の真相がよく分からぬまま、自分が現任校を雇い止めになった日に、「引退」(実際には、勧告を受けてのとも言われている)のニュースが流れ、驚いたものです。


朝青龍に関しては、騒動のたびに本ブログでも述べてきましたが、個人的には、

破竹の勢いで白星を重ね、大関から横綱に昇進した頃は、憎らし過ぎる程の強さに加え、態度の悪さもあって大嫌いでしたが、

連続で全勝優勝するなど有無を言わせないような結果を挙げ、精神面でも本人もそれなりに努力は伺えたので、ファンとまではいかないが頑張って欲しいと思うようになりました。

そして「こういう多少やんちゃな横綱がいても良いのでは」とも(笑)

何だかんだ言われながらも、スピードある技は見ていて気持ちが良いし、色々言われる土俵上の態度(勝利のポーズなど)も含め、場所を盛り上げてくれ、大相撲にはなくてはならない存在と思ってきました。


もちろん、誰でも体力の限界はありますから、引退はやって来ます。

しかし、初場所は優勝しまだやれそうなのに、このような形で去るのは、残念でたまらず、寂しささえ覚えました。

あれだけ数々の問題行動を起こしてきたのですから、さすがに今度こそはやむを得ないのかもしれませんが、事件被害者もよからぬ噂のある人のようですので、その辺りも究明した上での判断でも遅くなかったのではないか、というのが本音です。

彼のモンゴル帰国ごの祖国での会見は相撲界に批判的でさすがの自分もがっかりでした。これまでも朝青龍を必要以上に悪者扱いしていたマスコミがその部分だけ強調して報道という可能性もなきにしもあらずですが、このおかげでそれまで擁護していた人々も批判に変わり、これもまた残念です。

とはいえ、良くも悪くもここ数年の相撲界を支え盛り上げてきたのは確かですし、これまでの彼の記録・業績は変わる事はないので、それらは讃え、母国での第二の人生でも活躍して欲しいと思います。


そのような「朝青龍なき土俵はつまらないだろうから見ない」などと思い(これまでも、朝青龍休場の時は面白くなく、白鵬だけでは物足りなさを感じる)、今場所も前半は興味さえ持ちませんでしたが、

たまにこの時間に家にいて、逆に(午後のサスペンスものが好きな)母が外出している時、何となく気になって時々見てしまったのでした。

現在、唯一の贔屓力士もそれなりに健闘していたので、安心した気持で見られましたし、

新入幕・隠岐の海(確か、関取昇進時にニュースでインタビューされていて、なかなかのイケメンと思った)にも注目したり、

期待の若手の一人である把瑠都の活躍で、それなりに盛り上がったのではないでしょうか。
「毎場所、白鵬ばかりが優勝」となりそうな結果でつまらないだろう、と思われた中、

白鵬はそんなプレッシャーの中で「全勝」優勝で自身の責任を果たし、

彼と星一つの差で最後まで優勝争いに絡み盛り上げてくれた把瑠都は、自身の大関昇進も決めました。
今日の日馬富士も、横綱戦で何度も見せ場を作って健闘し、彼らは今後の大相撲に期待を持たせてくれたと思います。



 また、貴乃花親方が立候補した理事選に関しても。

貴乃花は、親方衆の反対を押し切り、自身と賛同者が一門を離脱してまで理事に立候補。元人気横綱である若手親方のこうした行動だけでなく、久々に「無投票」でない選挙となった事でマスコミでも大きく取り上げられました。

そして、投票前の確実票数を3票上回り当選!!世間は、旧態依然とした相撲界にうんざりし、「改革」を掲げているこの親方への賛同と応援の声が多いです。


貴乃花といえば、兄の若乃花(花田勝)と共に「若貴ブーム」を巻き起こし、相撲人気も上昇しました。

しかし個人的には、この兄弟が嫌いだったんですよね。何か、異様な持ち上げぶりで。ライバルであった元横綱・曙は彼らの「敵役」とされて若貴ファンかたも中傷の電話があったなどと言われています。

もちろん、若貴が父親譲りの才能と実力があるのは認めますが、当時は同じ部屋(父である故・二子山親方が師匠)に役力士が多数占め、上位陣と戦わずに済むという有利さに助けられたという感が否めませんでした。

その点でも私は、同部屋力士が居ない中で貴乃花と互角に戦ってきた曙を秘かに応援しており、彼こそがこの人気の陰の功労者と思っています。

その曙は、親方株を取得出来ずに退職し、格闘技界へ転向。その後の元名横綱とはかけ離れた醜態ぶりは、目も当てられない程で悲しかったものです。

一方、貴乃花は、現役時代は無愛想で(ファンを殴った事も報道された)、その一方でスキャンダルも多く(宮沢りえとのラブラブ婚約会見そして「愛情がなくなった」と破棄もその一つ)など、自分は大嫌いだったんです。

兄(若)の方は愛想が良さそうで、最初は「弟(貴)よりはマシ」と思っていたが、こちらは数々の女性問題、引退して親方になって間もなく退職、

その後はお世話になった相撲界を批判するような発言や、親方と離婚して女優気取りの母親とのテレビ出演で下品な言動を繰り返しているのを見て、弟以上の嫌悪感を感じています。

弟・貴乃花は、引退後「一代年寄」(特に実績ある横綱は、現役時代の四股名で親方として残れる)となり、親方としての出世も早いなどの厚待遇と感じました。

で、部屋の看板をガラス製にするだの、弟子達の暮らす相撲部屋には住まずにマンションから通うとか、稽古の際にもスーツ姿で監督するだけ(熱心な親方などは、実際にまわしを締めて弟子に稽古をつけたりする)など、親方としても「変わった人だな」という印象で正直、全く好感は持てませんでした。

その後、父親かつ師匠であった二子山親方(先代・貴ノ花)死去での兄弟間のトラブルで、母&兄との溝を感じました。あの二人が相撲界を捨て好き勝手にしている中で、彼なりに相撲界のために働いているのは感じ、以前のような嫌悪感はなくなりました。

問題多き角界で、守るべき伝統は守りつつも、時代に即して変えるべき点もあるでしょう。貴乃花はじめ若手親方達は、それを痛感しているのだと思います。

ただ、まだ貴乃花部屋からは関取が誕生しておらず、そうした実績を作ってからでも遅くはなかったのではと、個人的には考えます。

当選で選ばれたからには、今後を見守っていくしかないですが、今までは「無投票」で選ばれたのを、久々の「選挙」に持ち込んだという点では、開かれたのかもしてません。

引き払いとりあえず終了―今年度勤務先での処遇

 昨日、何とか現任校にて職員室の自身の机を片付けてきました。

就活等の合間でたまに行っては少しずつ持ち帰っていましたが、3/26までに整理せねばならないとの事で、残りの自作プリント類・文房具などを段ボールに詰め、帰りは同僚講師の先生が送ってくれるとの事で、車に乗せてもらって帰りました。車


これで、今年度の何もかもが終わりました・・・心身疲れきっておりますが、この機会に勤務先で最後に何が起こったかをお話しておきます。



 2月4日 、ちょうど高3の年度末成績提出後校長に呼ばれ、校長室に入る。そこで言われたのは以下。

生徒数激減によりクラスも大幅減で、来年度先生に出せるコマがない。よって3月までで

はぁ?叫び確かに、講師は不安定な身なのは承知としても、週17からゼロって・・・

腑に落ちずに更に訴えるも、過去の勤務先でもありがちな「講師は1年契約なので」の一点張りで、部屋を追われました。。


もちろん自分も、万が一のために少しは公募を見て応募もしていました。しかし、あまりに毎日が多忙で、履歴書を書けぬまま逃してしまった学校の方が多かったです(涙)汗もっと早く打診されていれば、補習を減らしたり中止したりして早目に動きを取る事が出来たのに・・・

正式授業は12月まで、その後1月~2月初旬にかけては、高3講座や個別補習 に費やし、その後はゆっくり休みつつ自身の可能性を広げるために何か資格を取ろうと勉強を検討していたところでした。2月末実施の某検定試験を1月末に申し込んだものの、それどころではなく受けられず、受験料が無駄になってしまいましたよ!ショック!


更に腹立たしいのが、来年度も継続となった年配講師の先生方は、既に12月にその旨を言われていたそうで。(そのお一人は、12月の忘年会にて「来年も居る事になりましたので、よろしくお願いします」とおっしゃっていたのですよ。)

今回の生徒減により、他にも多くの講師の先生方が切られたとの事。そして、そうした先生方は、私とほぼ同じかやや後の時期に宣告されたそうです!

実際に入試が終わってクラス数が決まった段階での人事だったようですが(この学校は例年遅いのだと)、やはり辞めさせる先生にこそ早く言えよ、と思う。プンプン


結局、この時期に予定していた勉強は全く出来ぬまま、来年度の勤務先探しをせねばならない状況に追い込まれました。

しかし、何度か本ブログでも書き散らかしたように、例年なら2月末(昨年は3/1)に決定したのに、今回はなかなか決まらず今までになく苦戦。あせる

そうした就活の詳細はまた今度お話しますが、その活動にヘトヘトの上、「次年度に働く所がなくなるのでは?」という不安に長らく押しつぶされながら過ごしてきました。ダウン

そして、ようやく新任校から繰り上げ(?)採用を受けた 後は、その間に応募した学校からも面接のご案内を頂き、どこに決めたら良いかで悩み、やっと決着がついた 時には、現任校の終業式も終わっていた時ですから・・・


周囲の先生方も自分も認めるほどの頑張りで、力一杯の講師生活であった2009年度、まさか最後にこんな仕打ちが待っているとは想像だにしませんでした。。ガーン

生徒のために熱心に頑張った自分が落ちぶれる事への虚しさで一杯。汗今までの尽力を仇で返された思いで、回復出来ない程の絶望感さえ抱き、学校・校長に対しては思い出すと腹立たしいのが本音です。(ちなみに、この校長は今年度限りで引退。)

そして毎年毎年、頑張りや評価に関わらず1年で使い捨てられ、(2年前も同じ事を申した ものの、今思えば教壇への未練があった)今度こそは本当にウンザリで、今後このままこの仕事を続けていく事に心底「生命の危機」を直感として感じました。

同時に「これだけ精一杯にやっても1年でクビなら、もう自分はこの仕事に運はないかな」と半ば見切りの気持ちもあります。某与党政権による愚策も手伝い、このギョーカイは益々厳しくなるでしょう。



申し訳ないですが今は、例年にあった新年度(新たな学校)へのワクワク&楽しみやそれに伴う緊張を感じられないのが本音です。何だか、今回ですごく力尽きてしまったんです。ダウン

ゆえに来年度は、あくまで「収入を得る手段」としてこの仕事を行う感じです。(ある講師仲間も「かつては情熱を持っていたが、今はお金のために淡々と¥」と言っていますので、同じ気持ちかもしれません。)

もうあまり力を入れ過ぎず、自分の今後をより大事にしながら生活していきたいと思います。


 ちなみに予備校の方は、12月に「来年度の講座が成り立つか分からない」と言われ て以降、次年度についてはウヤムヤにされたままでしたが、3月下旬にHPを見たところ、春期講習にも新年度講座にも生物は存在していませんよ。むかっ

これが、某転職ナビを通じて正社員募集でスカウトしてきた 予備校かと思うと、怒りを通り越して呆れていますが、何と、某掲示板でかなり叩かれている(ブラック塾リストにも載っていた)事を最近知りました。

実は、雇用面以外でも最初と話が違う事ばかりで、徐々に不信感が募っていったのも事実です。もっと早くに掲示板を知っていれば良かったです。

なお3校舎中、私が出講していなかった1校舎は、3月をもって閉鎖したようです。

今となっては、負け惜しみでなく、この塾に正社員として採用されず、そして1年で辞められて良かったと思っています(^^;

やっと、やっと決着。。(´Д`)

あれから何転もした職探しでしたが、ようやく今日、本当に決めました。汗
結局は、「ようやく内定 」記事で述べた「一度不採用になり、後日に採用になった高校」なのですが、その後も一度お断りした学校から兼務をお願いされたり、急募など新たなお誘いが来て、一昨日も面接等に行ったりして相当悩みました。
その経緯について、もう少し詳しい事はまた改めるとして・・・

新年度の予定としては、上記の高校を週四日(16コマ)と共に、平日のもう一日は、都内の医学系予備校から授業の依頼を頂き、受ける事にしました。
昨晩まで悩みに悩み、今朝、他校にお断りの電話をし、予備校には引き受ける旨の連絡をし、
新任校に明日までに提出せねばならない書類を書いて、
夕方からは現任校(既に契約は切れ、そろそろ「前任校」になりつつあるが)に行き少し片付けをしました。
明日までに引き払わねばならないのに、今年度に作成したプリントが大量にごった返していますので。

その後は、教科の打ち合わせや、中国ツアーキャンセルの後始末、運転免許更新、家の部屋の片付けなど、まだまだやる事が山積みです。あせる

しかし、決定がこんなに遅くなるとは、夢にも思わなかった!叫びマジで疲れ切っています。ダウン
暫く何もかも忘れて、休みたいのが本音です。

倒れました―中国行き取り止め(;;)

 前回の記事 で「明日から中国仕入れに行きます」と書きましたが・・・

これは、オークションスクール・山口塾で開催される「中国仕入れツアー」に参加表明していたのです。

中国の「義烏(イーウー)」という巨大卸売市場に行き、各自が商品を選んでまとめ買いし、帰国後それらをオークションで売るというものです。

不用品処分から始めたオークションを利用して、私も他の塾生の方々と同様に副収入を得たいと考えており、ちょうど今回は3/20~24という事で、学校も春休みでまとまった日にちを取れると思い、新たな世界に踏み出してみたかったのです。

参加の際には、事前に各自で商品調査もせねばなりません。分からない事などは、専用掲示板で尋ねたり、2,3回スカイプを用いての参加者全員による会議にて質問したりしするのです。


しかし、参加申し込みをして間もなく仕事をクビになり、目の前の職探しで手一杯になってしまいました。。

加えて、親の面倒な確定申告(赤字不動産売却のため例年より複雑)も苦痛でした。

思い通りに調べる事も出来ないもどかしさはありましたが、それでも就活の合間でわずかながらやってきましたが・・・


3月になっても次の勤務先が決まらないのは初めてで、ようやく内定となったと思っても、何転もしています。前回の本ブログ上でのご報告から、更に変化しておりまして・・・

連日に渡り、履歴書を書いたり採用試験・面接等に都内まで出向きというのが続き、心身共に疲れ切り、中国ツアー出発当日、出掛けに倒れそのまま動けなくなってしまいました・・・つまりドタキャンする羽目となり(泣泣)そして、この日から翌21日(日曜)にかけて寝込んでいたのです。ショック!

5年ぶりの海外という事もあってかねてから楽しみにしており、他の参加者の方には及ばなくとも自分なりに準備した事が、すべて水の泡となってしまいまいした・・・ダウンそして、このツアーに支払った20万円以上(旅行代金+航空券)もパー。しょぼん

本当に悔しくてなりません。

来年度の勤務校ほぼ決定&現任校の契約最後の日

 教員仲間はじめ多くの方にご心配をおかけしてしまいましたが、本日をもって新年度の勤務校がだいたい決まりました学校

今年度のように無理はしたくなと思っていながら、2校掛け持ちする羽目になってしまいましたが、給与は近年の勤務経験校比べ下がります(特に一方は、自分にとって今までの中で最低賃金)。ダウン

しかも、ここ4年は神奈川県内で我が家から通いやすい所ばかりでしたが、今度は両校とも都内ゆえ、通勤にも時間がかかる事も考えると、条件は悪くなるわけで・・・ガーン

毎年、勤務校を変えるたびに条件が良くなっていったゆえ正直、例年のような新任校へのワクワクは無いです。

判断を誤ってしまった部分もあるかな、とも思いますが、タイミングというのは難しいものです。


今日、もう1校の方からの依頼を受ける返事をし、健康診断書の提出をもって内定となるため、午後から急きょ、指定先の医療機関(都内)に行って来ました。。

本当は、先に決まっていた方の納会&新人教員顔合わせがあったのですが、欠席とさせて頂きました。


先日も申しましたが、次の就職先決定がこんなに遅くなったのは初めてです。

いくつもの学校に面接・試験に巡り、もうヘトヘト。。ショック!


親の確定申告もまだ終わっていないし、実は明日からオークションの中国仕入れツアーに参加します。パー


昨日の記事「現任校にフラレました 」のエントリー後(後日に加筆予定です)、複数のお仲間から励ましのメールを頂き、有り難く勿体なく思います

現在、お一人お一人にお返事を書く余裕(時間&体力共に)がなくて申し訳ありませんが、心配頂いた方々に取り急ぎのご報告をさせて頂きます。


 ところで、今日が現任校での契約が切れる日です(何故か4/1~3/19の契約になっていて、それは気になっていた)。そして、この学校での最後の給与が振り込まれていました。¥

それまでに引き払い作業を終えるつもりが、就活で手一杯で間に合いませんでした。

26日が期限になっていますので、帰国したらやります。