抑留見聞記(3) 刺青
工兵には建設関係者が多く居る。その中でも鳶職人の粋人が刺青をしているようだ。初年兵時代、班内の同僚にも刺青したのが3人は居たと記憶する。
刺青と言っても墨の他白粉(おしろい)もあるとか。
白粉の場合、刺青しても普段は目立たず、入浴などで体が暖まると浮き出してくるとのことだ。女性に好まれ、それも玄人に多いと聞く。風呂あがりの女体に薄紅色の桜吹雪。残念ながら未だ拝見したことはない。
抑留中、紙とペンを取り上げられ記録手段を著しく妨害された際、戦友の命日を両腕に刺青したMさん。
初年兵時代Kの背中に大きく花魁(おいらん)の顔の口もとあたりのオデキ跡で、口が歪んでいた。惜しい、残念‥‥‥。
刺青
昭和初期の頃か、処はこれも関西。
ある工事現場の休憩時間、仕事師仲間が寄り合い、各人の刺青が話題になった。夫々自慢の刺青である。「誰のが一番素晴らしいか」‥‥‥。だんだん話が嵩じて品評会を開催することになった。場所は銭湯、裸の品評会である。
さて当日、自慢の刺青続々と銭湯へ。湯上がりの若い張りのある肌は上気し刺青益々映える。
普段は仕事着に隠れ、肌を見せない部分、足首から手首まで体の大部分を彫りあげた作品もあり壮観だったとか。図柄はいろいろと聞かされたが、その方面の知識がない俺はほとんど忘れてしまった。
並み居る強豪の中に変わったのが二人。ひとりは「肩から背中に豆絞りの手拭いがだらり、それに子猫がじゃれている」その男銭湯に行くのに手拭いを忘れたことない。と嘯(うそぶ)く。
もう一人、見たところ腹も背中も刺青らしきものが見つからない。「お前のは何だ!」男、皆を湯舟のそばに集め、ザブンと湯つかる。湯舟の縁を枕にして仰向けになる。腹を水面近くに浮かす、となにやら朽ちかけた棒杭、そばの水草がゆれている、中に「メダカ」が2匹。
これが並み居る強豪を尻目に見事「金賞」。
2008.12.5記
抑留見聞記(2) 花札
抑留中、厚紙を切って何組かの花札の台紙を作った話は前にも記した。花札は1月(松)~12月(桐)の48枚が一組であるが、俺が関係したのは賭博用、一組(松~もみじ)の40枚である。
花札
時代は明治か大正か、せいぜい昭和の始め頃だろう。場所は関西。全国各地の賭場渡り歩く一人の博徒が居た。
この男或るとき、京都の名の通った花札製作所にに現れ、大量の花札を注文した。ただの品ではない、(札の裏を見れば表が分かる細工をした)「イカサマ花札」である。
口止め料を含め料と称し、破格の現金を積まれ、番頭は仕事を引き受けた。納期は1年。一年経ったら俺自身が受取に来る。それまで保管していてくれ。番頭との密約である。
「渡り鳥の俺には、住所はない」と名も告げずに立ち去った。
そして一年経ったが、店にくだんの博徒現れない。なにか故障でもあるのかと二年が過ぎ、三年目に入る。あの人亡くなったのかもしれない。店の製品倉庫の一角を占めているくだんの花札、そろそろ邪魔になりだした。
かくして五年‥‥‥。
こちらは博徒。丹念に地方の賭場を廻っている。
五年になるもまだ出てこない‥‥‥。
七年を経てようやく地方の賭場に待望の花札が出てきたのである。彼は札の裏を見れば表が透視できるのである。儲からないわけがない。巨万の富を得た。
その後、花札と縁を切り、出生地、関西の某県某市の名士となったそうな。市の図書館は彼の寄付によるものだとか。
2008.12.4記
用語解説
【花札】(はなふだ)
花合わせに用いる札。松、梅、桜、藤、あやめ(かきつばた)、
牡丹、萩、すすき(坊主)、
菊、紅葉、柳(雨)、桐の12種を描いた札を1~12月に当て、
それぞれ4枚ずつ合わせて48枚の札にしたもの、またそれを
使った遊び。
抑留見聞記(1) キセル
北は北海道から南は九州まで、敗戦、抑留、復員を共に生き抜いてきた戦友諸兄も、流石、戦後六十有余年も経つと、便りのある人も年々減少、淋しい限りでである
兵隊抑留時代を想いだし二、三記してみる。
キセル
昭和の始め頃の話だろう。場所は関西。金持ち連中の間で、夫々思い思いに、純金のキセルの胴回りを「龍虎」「鶴亀」あるいは「七福神・宝船」などなど、金細工した美術工芸品の所持持を自慢した時があった。
あるとき、それが話題になり、それらの美術品を一堂に集めた品評会が催された。いずれも凝った逸品であったが、なかに一つ普段キセルとしてしているのか雁首にあたり煙草盆を叩く(灰を落とす)ため、せっかくの彫刻も潰れ吸い口は強く噛むため歯形くっきりという品があった。
品評会の審査結果だが、審査員の目は「普段柔らかい布に包まれ桐箱に収まっているキセル」ではなく、如何にも使い古したデコデコのキセルを『金賞』としたとのことである。曰く「ここまで使い込むとは、誰にでも出来ることではない」
2008.12.2記
用語解説
【キセル】(カンボジャ)
①刻みタバコを吸う道具。金属製のものや、竹の管(羅宇(ラウ))の両端に雁首(がんくび)と吸い口をつけた張り交ぜなどがある。
②〔①が途中は竹だが両端が金属(金(かね))であるところから〕鉄道に乗車区間のうち、乗降駅付近だけの乗車券や定期券を持ち、途中を只乗りすること。キセル乗り。〔「煙管」とも書く〕
味噌造り
収容所はさまざまな職種のひとが居り、俺には目新しく、感心させられる人たちだらけである。
この地シベリアで、味噌麹に似た菌を発見し、味噌造りに成功した人がいる。
毎日の朝食などに提供されるようになり、抑留者全員が大いに喜んだものである。
最初、味噌を仕込むにあたり、ソ連側は「大豆を腐らせ駄目にするのか」と、反対され、説得し許可を得るのに手間どり、ひと苦労されたと聞く。
ところでこの味噌、評判よく、他の収容所にも配給され、製造指導にも携わったと聞いた。
抑留者にとって、食の三種の神器は、“銀シャリ”“味噌汁”“たくあん”に決まってる。
その一つでも獲得でき、一碗の汁に郷愁を覚えたのは俺だけではないだろう。
2008.11.22記
しこな
先日、相撲の九州場所で好成績だった関脇の「安馬」が大関昇進とともに、しこなを「日馬富士(はるまふじ)」と改名したとの記事を見た。
そこで、古いクイズを思い出した。
クイズ
何と読みますか?
日 日 日 日 日 日 日 日 日
ヒント お相撲さんに関係があります。
しこな
クイズ 答え
ひ日 お日さま
の日 昨日 きのう
した日 明日 あした
か日 二十日 はつか
い日 一昨日 おととい
サン日 SUN
ひ日 お日さま
たち日 一日 ついたち
やま日 日本 やまと
ひのした かいさん ひたちやま
日の下開山 常陸山
2008.11.29記
解説
【日の下開山】(ひのしたかいさん)
〔開山は開祖の意〕相撲・武芸などで天下に並ぶ者のないほど強いこと。特に相撲で、横綱の別称。
【常陸山】(ひたちやま)
(1874~1922)第19代横綱。本名市毛谷右衛門。茨城県出身。好敵手梅ヶ谷とともに大相撲の人気を高め、国技館開設の機運を作った。年寄り出羽の海襲名。
壁新聞
ソ連側の思想的締めつけは、次第に厳しくなり、抑留者が所持していた数少ない書籍も見つかれば〔検閲〕と称して没収され二度とかえらなかった。われわれは書籍を分け、分散し腹に巻いて作業に出たり、それなりに工夫、抵抗を試みたが、永くは続かなかった。ペンもインクも紙もない、漢字活字の無い、索漠とした毎日となってしまった。目につくのはロシア語の「プラウダ」「イヅベスチャ」などソ連の新聞である。そんなもの読めるわけがない。
そんな環境の中で唯一〔検閲〕を通過したのが『壁新聞』である。内容は[天皇制打倒][労働は神聖なり][働かざる者食うべからず]‥‥に始まる臭気粉々たるものであったが、中に娯楽欄があり、俳句、短歌小噺などあった。
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小噺 『へのこ』由来 (あらすじ)
ここは大名屋敷の連なる江戸の街である。
さる大名(殿様)に美貌の姫が居られた。
殿様のお側に仕える若侍、姫に一目惚れ、寝ては夢、起きてはうつつ幻の‥‥の状態。狂わんばかりの毎日のお勤めである。そこで一念発起、脱藩す。
仙人の住む山に隠る。三年の修行で「透明人間」の術を九分九厘会得した。あと一厘、濡れるとその部分に「術」がかからない。
これを会得するには更に数年かかるという。そんなに長い期間、姫様がよそに輿入れしないという保障はない。彼は決心する。透明人間に変身、一厘の欠点を抱えたまま山を下りる。
勝手知っている大名屋敷、姫の寝所に忍び込み、姫を手に入れ思いを遂げた。
一方、姫様はいきなり重いものがのしかかり、思わず「アレッ!」‥‥‥ 屋敷中総員非常呼集
くだんの透明人間、長居は無用と寝所を抜け出した。濡れて「術」の効かなくなったへんてこりんなものが、廊下をピョンピョン、曲者出会え出会え、雨戸を蹴破って屋外へ、隣屋敷との境の板塀にあった抜け節の穴にくだんの代物を押し込み、塀にぴたり、張り付く。
お隣りの屋敷も、騒ぎを聞きつけ厳戒体制。
お隣りのお姫様も起きてきて、
姫 「爺ッ!あれは何じゃ。
爺 「塀から出てる? 『へのこ』と申す‥‥。」
2008.11.19記
ぼた山 (後編)
配車に手違いがあったのか野積みの石炭は高さ2メ-トル位ある。ようやく配車されたのは、有蓋車(屋根付)だった。すでに石炭は蒸れて下のほうは発火しているのだろう。白い煙が数条たっている。
炭積みが終わり、次の空車がくるまで零下30度の中で休憩である。防寒外套など着用してるが、冷気で顔面などゴワゴワして痛い。石炭の斜面をハンモック状に掘り、その中に背中からドブンとはいる。
決して温かくはならないが、少なくとも背中からくる冷気は遮断できる。
貨車積みの際、酸素の供給を受けて炎を上げる石炭があるが、そのまま貨車の中に収まる。
後年、1991年7月、慰霊、骨踏査でブカチャチャを訪れた。8月ゴルバチョフ政権崩壊、初冬にはソ連 崩壊の年であった
第一炭坑は採炭を終わり、跡形もなくきれいに整地されていた。しかもぼた山の焼けた岩屑はおそらく道路補修の砂利代わりに使ったのだろう、わずかに赤茶けた岩屑が数点散らばっている広場に変わっていた。
第二炭坑は細々と採炭していたが、ぼた山の火や煙はすでになく、燃え尽きた岩屑はは煉瓦色に赤茶け、山の上には山羊が数匹遊んでいた。
2008.10.25記
用語解説
【ぼた】石炭採掘の際、混じって出てく岩石や質の悪い石 炭塊。ずり。
【ぼた山】ぼたを捨ててできた山。ずり山。
ぼた山 (前編)
列車はシベリア本線を西へ向かう。チタ地区に入ってから本線と別れ支線を北上。終点のブカチャチャ(Букачача)下車。
一番先に目に飛び込んできたのは、ぼた山である。
この地には三ヵ所の抑留者収容所(第一第二と山の分所)があった。
俺は敗戦の年(1945)10月に第二分所に収容された。炭鉱夫要員だ。
伏せたすり鉢状のぼた山は炭坑の表徴である。
入坑当初、黒っぽくこまんじりしたぼた山も、石炭の増産に伴い、気がつけば“ぼた山”は大きく成長し、山のあちこから白っぽい煙が立つようになった。自然発火である。夜間などあちこち赤い炎が見えるようになった。白い噴煙は、我々がこの地を去るまで消えることはなかった。
シベリアの厳冬、零下30度の夜である。一日の炭坑作業を終え、夕食を済ませて少しホッとしかけたとき、緊急応援に駆り出された。炭積(貨車に石炭を積む)作業だ。
つづく
用語解説
【ぼた】石炭採掘の際、混じって出てく岩石や質の悪い石 炭塊。ずり。
【ぼた山】ぼたを捨ててできた山。ずり山。
氷柱(つらら)
『ダモイ遥かに』(辺見じゅん著メデイアル・2008.4.20初版)この小説の本筋ではないが、中に「氷柱(つらら)」の記事がある。俺のシベリア抑留は3年だが、その間、注意散漫の性だろうが「氷柱」を見たという記憶はないのである。
小説の舞台「ハバロフスク」とチタ州ブカチャチャでは同じシベリアでも暖かさがこうも違うのか。
抑留中収容所のあったブカチャチャは炭坑村である。
最初は炭坑夫だったが、地上で建築関係の仕事もした。図面の整備、汚れた図面のトレ-ス、実在してるが紛失した図面は実測図作成だ。建物実測は一人だ。携行品は金槌釘巻尺筆記具等だ。
始めの頃はウロチョロ一人で歩き回るので、脱走兵と間違われ付近の住民に誰何(すいか)されたものだ。厳冬岡の上の給水小屋の実測のとき見たのは、水槽から発生する水蒸気が瞬時に霧氷となり、出入り口通過の際回りにこびりついてつるつるになっていた。氷柱はなかったと思う。
2008.9.7記