去る12月8日(土)に横浜関内のライヴハウス、B.B.STREETに於いて開催された地元横浜出身の2バンド、FIGHT IT OUTとA.O.Wの共同企画によるイベント『SHOCK WAVE 2012』に行ってきたが、色々と考えさせられる事、思う事が多々あって非常に有意義な時間を過ごした。このイベントは週末土曜日という事もあって開場が15時30分、開演が16時と早めの時間帯に開催された。
僕は当日、昼過ぎから色々と予定が嵩んで開演には間に合わず19時頃に入場した。このライヴハウスに来るのは2度目で、前回は9月にこの日の主催バンドであるA.O.Wが単独で企画した『流転』というパンク~ハードコアバンドのイベントだったのだが横浜ハードコアのレジェンド、システマティック・デスや札幌ハードコアの重鎮スラング、そしてこの日の共同企画バンドであるFIGHT IT OUTも出演し、これまた内容の濃いイベントだった。B.B.STREETはJR関内駅から徒歩数分の場所にあるショッピング・モールの「セルテ」ビルの12階にあり、交通アクセスも含めて非常に恵まれたロケーションだ。
このイベントはハードコア・バンドとヒップホップ・アクトのクロスオーバー・イベントだったのだが、会場に到着するとヒップホップ・ユニットのR61BOYSのライヴが始まるところだった。このユニットは初めて観たのだが、3人のMCにDJという構成で彼らのプロフィールやキャリア等、事前に全く未チェックだったのだがリラックスした良い雰囲気のパフォーマンスだった。DJの音響機材の調子がイマイチだったようだが、3人のMCは飄々としたマイクリレーで若干ナードなテイストの日本語ラップを披露した。短めのショウだったのでDJの制作したトラック等からあまり背景を詮索する事は叶わなかったが、皆年齢は若いようで今後の活動が楽しみだ。彼らの日常語であろう日本語のリリックはやはり僕の世代には馴染みが薄いものだったが、それはそれで新鮮なものだった。あくまで僕の個人的な見解だが、ヒップホップのユニットチームというのはバンド以上にパフォーマー全員の場数や経験が物を言うジャンルだと思う。パフォーマンススキルをアップさせる為のリハーサルや音合わせには膨大な労力を要するものだ。今後の健闘を願う。
DOGBITE
※R61BOYSが所属している神奈川を拠点として活動しているレーベル、ドッグバイトのfacebookアカウント。
彼らの後にA.O.Wが出演したのだが、期待通りのパフォーマンス、プレイで観客も巻き込んでの激しいモッシュダンスの嵐。観客も含めて皆、爽快な時空間を共有していたようだ。彼らのライヴを体験するのはこれが4回目だったのだがFIGHT IT OUT同様、彼らのライヴも観る度に新たな発見がある。この夜はオープニングはファストコア、パワーヴァイオレンス的なアプローチでかなりブルータルなプレイでこちらの意表を突いた。2、3曲目かメロウなエモテイストもあり、しかしてハードでラウド、ノイジーな独特のギターサウンドが炸裂する唯一無二のA.O.Wのサウンドワールドが展開。フレーズの合間々に超速でフィーバックノイズをインサートするギタープレイはやはりクール、否が応にもこちら側-観客の情動に訴える。以前はギタリストのプレイばかりに目を奪われていたのだがベース、ドラムスのリズムセクションもかなり個性的なプレイでコーラスもバッチリ決め、フロントマンのSOUICHIROU氏のパフォーマンスを引き立てている。メンバー皆がエンジョイしてプレイしているのが観客にも良いヴァイブレーションを引き起こし、ライヴ終了後には会場に何とも言えない清々しい空気が漂っていた。
アーティスト情報|「A.O.W」 - DEATH BLOW MUSIC
※A.O.Wの作品をリリースしているデスプロウ・ミュージックオフィシャルサイト内のA.O.Wのアーティスト情報。
続いて登場した名古屋のメタリックなハードコアバンド、DIEDRO LOS DIABLOSが始まるとライヴ直前にオーダーしたカクテルのジントニックが体に回って意識が朦朧としてきた。情けない事に急性アルコール中毒に陥ってしまったのだ。そう言えばこの日はバタバタして朝から何も食していなかったので、酒の回りが速かったようだ。受付スタッフに事情を話して「少し横になりたい。」旨を告げると階下の10階に倉庫のようなスペースがあるのでそこで休むようにと言われ、瀕死の思いでエレベーターホールまで行き10階に降りた。タカを括ってジントニックをほぼ一気飲みしたのがまずかったのだが急性アルコール中毒とは恐ろしいもので血中アルコール濃度が急速に上昇し、下手をすると数分で意識を失う。以前、何度か同じような状況に陥った事があったがこの夜はかなりヤバかった。目指す倉庫スペースにたどり着く以前に10階のエレベーターホール前にソファーがあったので、取り敢えずそこに身を横たえた。そして自販機でミネラルウォーターや烏龍茶を買ってがぶ飲みし、ひたすら回復を待った。とにかく大量に水分を補給してトイレに何回か駆け込んだ末、何とか体調を戻して再び会場に足を運ぶと時刻はもう21時を回っていた。
会場に再入場するとヒップホップユニットのMEDULLAのショウが始まっていた。他にも楽しみにしていたバンドやアーティストが沢山あったのだが、この日はかなり円滑にイベントが進行してMEDULLAの後はトリのFIGHT IT OUTを残すのみとなっていた。MEDULLAは東京でも西部、吉祥寺界隈をベースに活動しているヒップホップ・チームでMC、DJも揃って手練れのメンバーで構成されているようだ。東京のローカル・シーンの代表格であるNUMBを筆頭とするハードコア・バンドとも深い交流があるようで、僕がこれまで足を運んだイベントでもよく見かける面子がMCの一人だった。2008年にドロップしたファースト・アルバム『BOOZE BOOZE STICKY THING』に続いて今年5月にEP『Soundpolice VS Technopolice』をリリースしたりと精力的に活動している。僕が会場に復帰した頃はもう彼らのセットも終演に近づいていたのだが、観客からも非常に良いリアクションがあって盛り上がっていた。
midnightmetal.net/
※MEDULLAのレーベル、ミッドナイトメタル・レコードのオフィシャルサイト。
『ジャンルの壁を壊せ ILL-TEE という男☆ 1/29-2/01 ☆』SENTA NUMBのブログ
※東京ハードコア・シーンの重鎮、NUNBのフロントマン、SENTA氏のブログに紹介されているMEDULAのMC、ILL-TEE氏のポスト記事。SENTA氏もヒップホップだけでなく他ジャンルのアーティストとの交流に意欲的に取り組んでいる。
そして短いインターバルの後に待望のFIGHT IT OUTのライヴへと雪崩れ込んだ。この夜も彼らの真骨頂、全力プレイ全開で圧倒的なパフォーマンスだったのだがギター、ベース、ドラムス各々のプレイヤーが一体となり、何がリードで何がリズムセクションなのかという次元を超えたタイトでフリーフォームなプレイは何度体験しても刺激的だ。ギターのJAY氏のプレイは良く聴くとソロパートでは毎回趣向を凝らしていて、おそらくスローにプレイすればブルージーな響きがあるようなフレーズを緩急自在に織り込んでファストにプレイしていた。そしてベース、ドラムスと一体となって独特のグルーヴ感を醸し出す。初めて彼らのライヴを体験したのは昨年末だったのだが(ファンク・ミュージックの持つグルーヴ感に魅力を感じる)僕自身、強く引き込まれるものがあったのはジャンルを超越したこのグルーヴ感だったのかも知れない。そんなグルーヴ感溢れるバッキング演奏の上を自由に駆け抜けるようなフロントマンのYANG氏のパフォーマンスも、この夜は一際ハイテンションだった。
SHOCKWAVE2012
※この日のイベントのフライヤーがアップされているFIGHT IT OUTのオフィシャルサイト。
この日はFIGHT IT OUT、A.O.W、VIVISICK、DIEDRO LOS DIABLOSMEDULLA、Waterweed、HIRATUKA DECODER、R61BOYS、BLACK BUCKの都合9組のアーティストだったのだが、僕が観た限り(都合4組)では観客も含めてハードコアとヒップホップのアクトが非常に良い雰囲気で融合していたように思う。あくまで僕の個人的な感想だが、これまで何度か体験したこうした試み(ハードコア×ヒップホップ)のイベントではどこか双方のジャンルの観客によそよそしさが漂っていたのだが、この日はそんな印象は無く皆リラックスしてイベントそのものを楽しんでいたようだ。
ハードコア(またはメタルも含む、広義に於けるロック)とヒップホップの融合‥これは双方のジャンルに於ける歴史上、必然性のあるものであり様々なジャンルがクロスオーバーしてきたポップ・ミュージックの中でも本来、抜群に相性が良いはずだ。
米国のヒップホップ・カルチャー誌の『ヴァイブ』誌が1999年に刊行した『ヒストリー・オブ・ヒップホップ』に『ニューヨーク・タイムズ』のポップ・ミュージック批評家でジャーナリスト、作家として幅広い活動をしているニール・ストラウスが寄稿した『ラップ・アンド・ロック』というパラグラフがあるが、そこにはこう書かれている。少し長くなるが一部を以下、そのまま抜き書きしてみる。
「ラッパーたちがロックに着眼し始めたのは何も政治的な意図に基づいてのことではなく、それがスタイル上の必須条件になっていたからだった。その発展の出発点から、それを説明する言葉すらまだ存在しなかったような時から、ヒップホップはパーフェクトなブレイクを探し当てるということであり、それを2台のターンテーブルを使って往ったり来たりジャグリングして見せることだった。そして、そのパーフェクトなブレイクはどんな種類の音楽から発見されることもあり得ないことではなかった。ファンク、ビバップ、クラシック、もしくはロック-どんなミュージシャンでも1小節や2小節くらいならすぐプレイできるようなグルーヴのものだ。もしかしたらそれが、現在までにヒップホップ全体において最も頻繁にサンプルされたロック・ソングがレッド・ツェッペリンやエアロスミスのような大物ではない理由なのかも知れない。グランドマスター・フラッシュからU.T.F.O.、ビッグ・ダディ・ケインにアイス・キューブ、パフ・ダディからクリス・クロスまで、少なくとも20曲以上のトラックで使われているのは、実はビリー・スクワイアの"Big Beat"に入っているドラム・ブレイクなのである。」
「ヒップホップがビッグビジネスになる前に、ラッパーとロッカーは既にイデオロギー的な共通点を見出していた。だが両者が最初に融合をみた時、ヒップホップが見つけたソウルメイトはメタルではなく、パンクとニュー・ウェイヴだった。[みんなそれ(白人少年たちがヒップホップにイレあげること)をヴァニラ・アイスやビースティー・ボーイズが最初だったみたいに言ってるが、実のところはこの音楽を最初に受け容れたのはパンク・ロッカーやニュー・ウェイヴァーたちだったんだ。連中は俺をパンク・ロック・クラブに連れていってミキシングをさせたんだぜ。あの頃にはパンク・ロッカーたちがハードコアなブラックやヒスパニックのフッドにやって来てジャムするなんてのは当たり前みたいに見られた光景だったんだ]と(ヒップホップ生みの親)アフリカ・バンバータは1990年代初期に語っている。」
以上は1980年代初頭のヒップホップ黎明期から後半の拡大期までのラップとロックの関わりについて考察したものだが、英国のパンクバンド、ザ・クラッシュはグランドマスター・フラッシュを自分たちのライヴの前座に起用し、また彼らは1981年にリリースした『7人の偉人』『ディス・イズ・レディオ・クラッシュ』という一連のシングルではサウンド面で大胆なヒップホップ・アプローチをして話題を呼んだ。またパンクロックの始祖、セックス・ピストルズ、そして1980年代の英国オルタナティヴ・ミュージックの牽引役だったパブリック・イメージ・リミテッドのフロントマンであるジョン・ライドンとアフリカ・バンバータは敏腕プロデューサー、ビル・ラズウェルのセットアップにより双方のジャンルの象徴的な声をぶつけ合った12インチ・シングル『ワールド・ディストラクション』(1984年)をタイムゾーン名義でリリースした。
This Is Radio Clash
※英国のパンクバンド、ザ・クラッシュが1981年にリリースしたシングル『ディス・イズ・レディオ・クラッシュ』。レゲエ、ダブの要素に加えスクラッチプレイ等初期のヒップホップの必須マナーも大胆にフィーチャーしている。
Time Zone - World Destruction
※アフリカバンバータとジョン・ライドンというヒップホップとパンクのゴッドファーザー同士が共演した『ワールド・ディストラクション』。
続いて1990年代のエポックについては以下-。
「アンスラックスとパブリック・エネミーはシングル1枚(元々はアンスラックスのシャウトアウトをフィーチャーしたPEの"Bring The Noise"のリメイク)だけにとどまらず、ツアーまるまる1本分の共演にまで発展した。後にソニック・ユースやシスターズ・オブ・マーシー、スティーヴン・スティルスといった面々ともコラボレーションすることになる(PEの)チャック・Dが語るように、ラップとメタルのビートは並列が可能なのだった。もしくはアイス・Tが言う通り、[結局、何もかもロックなんだよ。"Bring The Noise"はアンスラックスがPEとコラボレートする前からロックだったのさ]。」
「加えて、病んだ社会に対する反抗の表われとして、情け容赦ない世界をありのままに描くことにより、ヘヴィ・メタルとラップは同じ病気の兆候とみなされることになる。PMRC(Parents Music Resource Center=青少年に有害な映画、音楽、TV番組等を排除する社会活動団体)から警察までが80年代半ばに取り締まりの対象としたのは大半がヒップホップとメタルのアルバムだった。同じ抑圧的な力に目の敵にされ、ラップとメタルは文字通り互いの反発力を利用して立ち上がり、連携して闘うことを余儀なくされたのである。[白人の怒れるキッズと黒人の怒れるキッズを一緒にしてみて、そこで俺たちが気づいたのは、俺たちは結局どっちも同じことで怒っているんだってことだった。で、てことは俺たちには状況を引っくり返すチャンスがマジであるってことじゃねえか-力を合わせてな]とアイス・Tはその当時希望に胸膨らませ語っている。」
Public Enemy ft Anthrax- Bring The Noise (Offical Music Video)
※パブリック・エネミーとアンスラックスの歴史的コラボレーション、『ブリング・ザ・ノイズ』(1991年)のライヴ映像。後半にはアイス・Tの姿も見られる。
「アルバム全曲ラップとロックのコラボレーションで固めるという、1993年の映画『ジャッジメント・ナイト』のサウンドトラック盤-アイス・Tとスレイヤー、ハウス・オブ・ペインとヘルメット、ブーヤー・トライブとフェイス・ノー・モア、オニクスとバイオハザード、そしてサイプレス・ヒルとソニック・ユースといった組み合わせを収録-がリリースされたことで、この時期ラップとロックの(ラップは黒人、ロックは白人の専売特許であるという当時の既成概念に立った上での)人種差別撤廃論者たちは楽観を極めていたのである。だが、これだけの共通点があったにも拘らず、ヘヴィ・メタルとハードコア・ラップは結局自分たちが真の仲間同士であることを証明するには至らなかった。ラッパーたちは相変わらずラップのオーディエンスに向かってプレイし、メタル・バンドは相変わらずメタルのオーディエンスに向かってプレイし、二つは決して完全にニュートラルな共通の地盤で折り合うことはなかったのである。」
Onyx ft. Biohazard- Judgement Night
※同じニューヨーク出身のアーティスト、オニクスとバイオハザードがコラボレートした映画『ジャッジメント・ナイト』のタイトル・トラック。
また1990年代後半にはヒップホップメタル、ラップメタルとも呼ばれ一世を風靡したロサンゼルス出身のミクスチャー・ロック・バンド、コーンが同郷のラッパー、アイス・キューブをフィーチャーした『チルドレン・オブ・ザ・コーン』を収録したアルバム『フォロー・ザ・リーダー』(1998年)をリリース。またアイス・キューブが同年リリースしたアルバム『ウォー&ピース-ヴォリューム1』にはコーンをフィーチャーした『ファック・ダイイング』が収録され、コーンが主宰して行われた『ファミリー・ヴァリュー・ツアー』にはアイス・キューブが参加した。
KoRn Feat Ice Cube - Children Of The Korn/Wicked
※コーン主宰の『ファミリー・ヴァリュー・ツアー』でのアイス・キューブとの共演シーン。
「恐らく、ロッカーとラッパーのタッグがカルチャー的に重要な意味を持つ時がいつか再び訪れるだろう。(1999年の時点に於いて)20年に渡るクロスオーバーの歴史は、既に十分その影響を及ぼしているのかも知れない。全米に於けるレコードの小売状況を調査している会社、サウンドスキャンによれば、どちらにしても現在ラップ購買層の70%が白人であり、ラップとロックのファンの間の黒人白人の区別などというものはもはやアナクロニズムになろうとしている。」
今世紀に入ると日本でもラップとロックのコラボレーションは盛んになり2002年には東京のハードコアバンドのNUMBとラッパーのS-WORD、ETERNAL BとDABOのコラボレーション作品『EDSN』がリリースされた。また1998年から名古屋で開催されていたヒップホップとハードコアの祭典『MURDER THEY FALL』の存在もこうした動きの象徴する大規模なイベントだった。僕はこの時期、暫く音楽シーンから離れていたので詳細については明るくはないのだが、下記のブログのポスト記事を参照されたい。
『MURDER THEY FALLの歴史』DJOLDE-Eのオフィシャルブログ「INFRONT BLOG」
※名古屋を拠点としてDJ、パーティー・オーガナイザー等、幅広い活動をしているDJOLDE-E氏のブログから『MURDER THEY FALL』の歴史についてのポスト記事。
Live At Murder They Fall 7 on Vimeo
※2004年に開催された『MURDER THEY FALL Vol.7』に出演した愛知・常滑が生んだ不世出のラッパー、故・TOKONA-Xのライヴ・シーン。単にラッパーとしてだけでなくあらゆるジャンルを見渡しても表現者として破格のスケールを持ったアーティストだった。R.I.P.
また最近でも愛知県豊橋市を拠点に活動するハードコアバンド、SLUDGEのフロントマンであるKO-TA氏はその名もズバリ、『JUDGEMENT NIGHT』というイベントを不定期ながら地元・豊橋市で開催している。去る7月に東京のショップ・SHAFTが主宰して渋谷のライヴスペース、THE GAMEで開催されたイベント『TERRITORY』でSLUDGEのライヴを観たのだがオールドスクールのニューヨーク・ハードコアを彼らなりに消化した独自のスタイルを確立しており、テンションの高いパフォーマンスを披露していた。彼らのファースト・ミニアルバム『BURNING BURNER』には同郷のラッパー、TWO-J氏をフィーチャーした『IN MY HOOD』が収録されている。
JUDGEMENT NIGHT#7 後記|KO-TA SLUDGEのブログ
※地元・豊橋市でイベント『JUDGEMENT NGHT』を主宰しているSLUDGEのフロントマン、KO-TA氏の同イベント後記のポスト記事。
SLUDGE "IN MY HOOD feat.TWO-J"
※SLUDGEの音源『BURNING BURNER』収録の『IN MY HOOD』のプロモクリップ。同作品はショップ・SHAFT等にまだ在庫がある模様。これは必聴!
これまで長々と引用してきたニール・ストラウスの『ラップ・アンド・ロック』は最後にこう締め括っている。
「だがラップとロックを隔てる壁がどれほど徹底的に取り去られようとしても、それはきっと、例えて言えばベルリンの壁のように人々の意識の中には常に存在し続けることだろう。あとほんの数10年のうちに、この章に出てきたアーティストたちの大部分がオールディーズ・バンドとしてサーキットを回るようになり、例えばアンスラックスとRun DMCがまだその頃も頑張って活動を続けていたとすれば、彼らが共に手を携え、『Dinosaurs Of Rock And Rap(ロックとラップの恐竜たち)』などと銘打って、縮小する一方の(双方のアーティストの)オーディエンスを何とか地場固めするためのツアーをやることに疑念の余地はない-そしてきっとその時にも、彼らが掲げる人種融合のメッセージは相変わらずその意味も必要性も失ってはいないに違いないのだ。」と。
これまで様々なイベントを体験した実感としては日本でもジャンルの壁というものはそう易々と突き崩す事のできるものではないと思う。また闇雲に何でもミクスチャー、クロスオーバーしてしまうのが素晴らしいという事でもないだろう。各々のジャンルにはそこにしか存在しない美学のようなものもある。しかしニール・ストラウスが言う「人種融合のメッセージは相変わらずその意味も必要性も失ってはいないに違いないのだ。」という一文は、敢えて人種と言わないまでも、あらゆる集団や共同体同士が相互理解をする必要性というものを示唆している。例え価値観や思想信条、ライフスタイルが異なっていても相手を全否定するのでなく、お互いの個性を尊重した上での相互理解である。実社会に於いては勿論の事だが、こと音楽文化に於いてもこうした(社会的)通念は不可欠なものだと思う。
僕は当日、昼過ぎから色々と予定が嵩んで開演には間に合わず19時頃に入場した。このライヴハウスに来るのは2度目で、前回は9月にこの日の主催バンドであるA.O.Wが単独で企画した『流転』というパンク~ハードコアバンドのイベントだったのだが横浜ハードコアのレジェンド、システマティック・デスや札幌ハードコアの重鎮スラング、そしてこの日の共同企画バンドであるFIGHT IT OUTも出演し、これまた内容の濃いイベントだった。B.B.STREETはJR関内駅から徒歩数分の場所にあるショッピング・モールの「セルテ」ビルの12階にあり、交通アクセスも含めて非常に恵まれたロケーションだ。
このイベントはハードコア・バンドとヒップホップ・アクトのクロスオーバー・イベントだったのだが、会場に到着するとヒップホップ・ユニットのR61BOYSのライヴが始まるところだった。このユニットは初めて観たのだが、3人のMCにDJという構成で彼らのプロフィールやキャリア等、事前に全く未チェックだったのだがリラックスした良い雰囲気のパフォーマンスだった。DJの音響機材の調子がイマイチだったようだが、3人のMCは飄々としたマイクリレーで若干ナードなテイストの日本語ラップを披露した。短めのショウだったのでDJの制作したトラック等からあまり背景を詮索する事は叶わなかったが、皆年齢は若いようで今後の活動が楽しみだ。彼らの日常語であろう日本語のリリックはやはり僕の世代には馴染みが薄いものだったが、それはそれで新鮮なものだった。あくまで僕の個人的な見解だが、ヒップホップのユニットチームというのはバンド以上にパフォーマー全員の場数や経験が物を言うジャンルだと思う。パフォーマンススキルをアップさせる為のリハーサルや音合わせには膨大な労力を要するものだ。今後の健闘を願う。
DOGBITE
※R61BOYSが所属している神奈川を拠点として活動しているレーベル、ドッグバイトのfacebookアカウント。
彼らの後にA.O.Wが出演したのだが、期待通りのパフォーマンス、プレイで観客も巻き込んでの激しいモッシュダンスの嵐。観客も含めて皆、爽快な時空間を共有していたようだ。彼らのライヴを体験するのはこれが4回目だったのだがFIGHT IT OUT同様、彼らのライヴも観る度に新たな発見がある。この夜はオープニングはファストコア、パワーヴァイオレンス的なアプローチでかなりブルータルなプレイでこちらの意表を突いた。2、3曲目かメロウなエモテイストもあり、しかしてハードでラウド、ノイジーな独特のギターサウンドが炸裂する唯一無二のA.O.Wのサウンドワールドが展開。フレーズの合間々に超速でフィーバックノイズをインサートするギタープレイはやはりクール、否が応にもこちら側-観客の情動に訴える。以前はギタリストのプレイばかりに目を奪われていたのだがベース、ドラムスのリズムセクションもかなり個性的なプレイでコーラスもバッチリ決め、フロントマンのSOUICHIROU氏のパフォーマンスを引き立てている。メンバー皆がエンジョイしてプレイしているのが観客にも良いヴァイブレーションを引き起こし、ライヴ終了後には会場に何とも言えない清々しい空気が漂っていた。
アーティスト情報|「A.O.W」 - DEATH BLOW MUSIC
※A.O.Wの作品をリリースしているデスプロウ・ミュージックオフィシャルサイト内のA.O.Wのアーティスト情報。
続いて登場した名古屋のメタリックなハードコアバンド、DIEDRO LOS DIABLOSが始まるとライヴ直前にオーダーしたカクテルのジントニックが体に回って意識が朦朧としてきた。情けない事に急性アルコール中毒に陥ってしまったのだ。そう言えばこの日はバタバタして朝から何も食していなかったので、酒の回りが速かったようだ。受付スタッフに事情を話して「少し横になりたい。」旨を告げると階下の10階に倉庫のようなスペースがあるのでそこで休むようにと言われ、瀕死の思いでエレベーターホールまで行き10階に降りた。タカを括ってジントニックをほぼ一気飲みしたのがまずかったのだが急性アルコール中毒とは恐ろしいもので血中アルコール濃度が急速に上昇し、下手をすると数分で意識を失う。以前、何度か同じような状況に陥った事があったがこの夜はかなりヤバかった。目指す倉庫スペースにたどり着く以前に10階のエレベーターホール前にソファーがあったので、取り敢えずそこに身を横たえた。そして自販機でミネラルウォーターや烏龍茶を買ってがぶ飲みし、ひたすら回復を待った。とにかく大量に水分を補給してトイレに何回か駆け込んだ末、何とか体調を戻して再び会場に足を運ぶと時刻はもう21時を回っていた。
会場に再入場するとヒップホップユニットのMEDULLAのショウが始まっていた。他にも楽しみにしていたバンドやアーティストが沢山あったのだが、この日はかなり円滑にイベントが進行してMEDULLAの後はトリのFIGHT IT OUTを残すのみとなっていた。MEDULLAは東京でも西部、吉祥寺界隈をベースに活動しているヒップホップ・チームでMC、DJも揃って手練れのメンバーで構成されているようだ。東京のローカル・シーンの代表格であるNUMBを筆頭とするハードコア・バンドとも深い交流があるようで、僕がこれまで足を運んだイベントでもよく見かける面子がMCの一人だった。2008年にドロップしたファースト・アルバム『BOOZE BOOZE STICKY THING』に続いて今年5月にEP『Soundpolice VS Technopolice』をリリースしたりと精力的に活動している。僕が会場に復帰した頃はもう彼らのセットも終演に近づいていたのだが、観客からも非常に良いリアクションがあって盛り上がっていた。
midnightmetal.net/
※MEDULLAのレーベル、ミッドナイトメタル・レコードのオフィシャルサイト。
『ジャンルの壁を壊せ ILL-TEE という男☆ 1/29-2/01 ☆』SENTA NUMBのブログ
※東京ハードコア・シーンの重鎮、NUNBのフロントマン、SENTA氏のブログに紹介されているMEDULAのMC、ILL-TEE氏のポスト記事。SENTA氏もヒップホップだけでなく他ジャンルのアーティストとの交流に意欲的に取り組んでいる。
そして短いインターバルの後に待望のFIGHT IT OUTのライヴへと雪崩れ込んだ。この夜も彼らの真骨頂、全力プレイ全開で圧倒的なパフォーマンスだったのだがギター、ベース、ドラムス各々のプレイヤーが一体となり、何がリードで何がリズムセクションなのかという次元を超えたタイトでフリーフォームなプレイは何度体験しても刺激的だ。ギターのJAY氏のプレイは良く聴くとソロパートでは毎回趣向を凝らしていて、おそらくスローにプレイすればブルージーな響きがあるようなフレーズを緩急自在に織り込んでファストにプレイしていた。そしてベース、ドラムスと一体となって独特のグルーヴ感を醸し出す。初めて彼らのライヴを体験したのは昨年末だったのだが(ファンク・ミュージックの持つグルーヴ感に魅力を感じる)僕自身、強く引き込まれるものがあったのはジャンルを超越したこのグルーヴ感だったのかも知れない。そんなグルーヴ感溢れるバッキング演奏の上を自由に駆け抜けるようなフロントマンのYANG氏のパフォーマンスも、この夜は一際ハイテンションだった。
SHOCKWAVE2012
※この日のイベントのフライヤーがアップされているFIGHT IT OUTのオフィシャルサイト。
この日はFIGHT IT OUT、A.O.W、VIVISICK、DIEDRO LOS DIABLOSMEDULLA、Waterweed、HIRATUKA DECODER、R61BOYS、BLACK BUCKの都合9組のアーティストだったのだが、僕が観た限り(都合4組)では観客も含めてハードコアとヒップホップのアクトが非常に良い雰囲気で融合していたように思う。あくまで僕の個人的な感想だが、これまで何度か体験したこうした試み(ハードコア×ヒップホップ)のイベントではどこか双方のジャンルの観客によそよそしさが漂っていたのだが、この日はそんな印象は無く皆リラックスしてイベントそのものを楽しんでいたようだ。
ハードコア(またはメタルも含む、広義に於けるロック)とヒップホップの融合‥これは双方のジャンルに於ける歴史上、必然性のあるものであり様々なジャンルがクロスオーバーしてきたポップ・ミュージックの中でも本来、抜群に相性が良いはずだ。
米国のヒップホップ・カルチャー誌の『ヴァイブ』誌が1999年に刊行した『ヒストリー・オブ・ヒップホップ』に『ニューヨーク・タイムズ』のポップ・ミュージック批評家でジャーナリスト、作家として幅広い活動をしているニール・ストラウスが寄稿した『ラップ・アンド・ロック』というパラグラフがあるが、そこにはこう書かれている。少し長くなるが一部を以下、そのまま抜き書きしてみる。
「ラッパーたちがロックに着眼し始めたのは何も政治的な意図に基づいてのことではなく、それがスタイル上の必須条件になっていたからだった。その発展の出発点から、それを説明する言葉すらまだ存在しなかったような時から、ヒップホップはパーフェクトなブレイクを探し当てるということであり、それを2台のターンテーブルを使って往ったり来たりジャグリングして見せることだった。そして、そのパーフェクトなブレイクはどんな種類の音楽から発見されることもあり得ないことではなかった。ファンク、ビバップ、クラシック、もしくはロック-どんなミュージシャンでも1小節や2小節くらいならすぐプレイできるようなグルーヴのものだ。もしかしたらそれが、現在までにヒップホップ全体において最も頻繁にサンプルされたロック・ソングがレッド・ツェッペリンやエアロスミスのような大物ではない理由なのかも知れない。グランドマスター・フラッシュからU.T.F.O.、ビッグ・ダディ・ケインにアイス・キューブ、パフ・ダディからクリス・クロスまで、少なくとも20曲以上のトラックで使われているのは、実はビリー・スクワイアの"Big Beat"に入っているドラム・ブレイクなのである。」
「ヒップホップがビッグビジネスになる前に、ラッパーとロッカーは既にイデオロギー的な共通点を見出していた。だが両者が最初に融合をみた時、ヒップホップが見つけたソウルメイトはメタルではなく、パンクとニュー・ウェイヴだった。[みんなそれ(白人少年たちがヒップホップにイレあげること)をヴァニラ・アイスやビースティー・ボーイズが最初だったみたいに言ってるが、実のところはこの音楽を最初に受け容れたのはパンク・ロッカーやニュー・ウェイヴァーたちだったんだ。連中は俺をパンク・ロック・クラブに連れていってミキシングをさせたんだぜ。あの頃にはパンク・ロッカーたちがハードコアなブラックやヒスパニックのフッドにやって来てジャムするなんてのは当たり前みたいに見られた光景だったんだ]と(ヒップホップ生みの親)アフリカ・バンバータは1990年代初期に語っている。」
以上は1980年代初頭のヒップホップ黎明期から後半の拡大期までのラップとロックの関わりについて考察したものだが、英国のパンクバンド、ザ・クラッシュはグランドマスター・フラッシュを自分たちのライヴの前座に起用し、また彼らは1981年にリリースした『7人の偉人』『ディス・イズ・レディオ・クラッシュ』という一連のシングルではサウンド面で大胆なヒップホップ・アプローチをして話題を呼んだ。またパンクロックの始祖、セックス・ピストルズ、そして1980年代の英国オルタナティヴ・ミュージックの牽引役だったパブリック・イメージ・リミテッドのフロントマンであるジョン・ライドンとアフリカ・バンバータは敏腕プロデューサー、ビル・ラズウェルのセットアップにより双方のジャンルの象徴的な声をぶつけ合った12インチ・シングル『ワールド・ディストラクション』(1984年)をタイムゾーン名義でリリースした。
This Is Radio Clash
※英国のパンクバンド、ザ・クラッシュが1981年にリリースしたシングル『ディス・イズ・レディオ・クラッシュ』。レゲエ、ダブの要素に加えスクラッチプレイ等初期のヒップホップの必須マナーも大胆にフィーチャーしている。
Time Zone - World Destruction
※アフリカバンバータとジョン・ライドンというヒップホップとパンクのゴッドファーザー同士が共演した『ワールド・ディストラクション』。
続いて1990年代のエポックについては以下-。
「アンスラックスとパブリック・エネミーはシングル1枚(元々はアンスラックスのシャウトアウトをフィーチャーしたPEの"Bring The Noise"のリメイク)だけにとどまらず、ツアーまるまる1本分の共演にまで発展した。後にソニック・ユースやシスターズ・オブ・マーシー、スティーヴン・スティルスといった面々ともコラボレーションすることになる(PEの)チャック・Dが語るように、ラップとメタルのビートは並列が可能なのだった。もしくはアイス・Tが言う通り、[結局、何もかもロックなんだよ。"Bring The Noise"はアンスラックスがPEとコラボレートする前からロックだったのさ]。」
「加えて、病んだ社会に対する反抗の表われとして、情け容赦ない世界をありのままに描くことにより、ヘヴィ・メタルとラップは同じ病気の兆候とみなされることになる。PMRC(Parents Music Resource Center=青少年に有害な映画、音楽、TV番組等を排除する社会活動団体)から警察までが80年代半ばに取り締まりの対象としたのは大半がヒップホップとメタルのアルバムだった。同じ抑圧的な力に目の敵にされ、ラップとメタルは文字通り互いの反発力を利用して立ち上がり、連携して闘うことを余儀なくされたのである。[白人の怒れるキッズと黒人の怒れるキッズを一緒にしてみて、そこで俺たちが気づいたのは、俺たちは結局どっちも同じことで怒っているんだってことだった。で、てことは俺たちには状況を引っくり返すチャンスがマジであるってことじゃねえか-力を合わせてな]とアイス・Tはその当時希望に胸膨らませ語っている。」
Public Enemy ft Anthrax- Bring The Noise (Offical Music Video)
※パブリック・エネミーとアンスラックスの歴史的コラボレーション、『ブリング・ザ・ノイズ』(1991年)のライヴ映像。後半にはアイス・Tの姿も見られる。
「アルバム全曲ラップとロックのコラボレーションで固めるという、1993年の映画『ジャッジメント・ナイト』のサウンドトラック盤-アイス・Tとスレイヤー、ハウス・オブ・ペインとヘルメット、ブーヤー・トライブとフェイス・ノー・モア、オニクスとバイオハザード、そしてサイプレス・ヒルとソニック・ユースといった組み合わせを収録-がリリースされたことで、この時期ラップとロックの(ラップは黒人、ロックは白人の専売特許であるという当時の既成概念に立った上での)人種差別撤廃論者たちは楽観を極めていたのである。だが、これだけの共通点があったにも拘らず、ヘヴィ・メタルとハードコア・ラップは結局自分たちが真の仲間同士であることを証明するには至らなかった。ラッパーたちは相変わらずラップのオーディエンスに向かってプレイし、メタル・バンドは相変わらずメタルのオーディエンスに向かってプレイし、二つは決して完全にニュートラルな共通の地盤で折り合うことはなかったのである。」
Onyx ft. Biohazard- Judgement Night
※同じニューヨーク出身のアーティスト、オニクスとバイオハザードがコラボレートした映画『ジャッジメント・ナイト』のタイトル・トラック。
また1990年代後半にはヒップホップメタル、ラップメタルとも呼ばれ一世を風靡したロサンゼルス出身のミクスチャー・ロック・バンド、コーンが同郷のラッパー、アイス・キューブをフィーチャーした『チルドレン・オブ・ザ・コーン』を収録したアルバム『フォロー・ザ・リーダー』(1998年)をリリース。またアイス・キューブが同年リリースしたアルバム『ウォー&ピース-ヴォリューム1』にはコーンをフィーチャーした『ファック・ダイイング』が収録され、コーンが主宰して行われた『ファミリー・ヴァリュー・ツアー』にはアイス・キューブが参加した。
KoRn Feat Ice Cube - Children Of The Korn/Wicked
※コーン主宰の『ファミリー・ヴァリュー・ツアー』でのアイス・キューブとの共演シーン。
「恐らく、ロッカーとラッパーのタッグがカルチャー的に重要な意味を持つ時がいつか再び訪れるだろう。(1999年の時点に於いて)20年に渡るクロスオーバーの歴史は、既に十分その影響を及ぼしているのかも知れない。全米に於けるレコードの小売状況を調査している会社、サウンドスキャンによれば、どちらにしても現在ラップ購買層の70%が白人であり、ラップとロックのファンの間の黒人白人の区別などというものはもはやアナクロニズムになろうとしている。」
今世紀に入ると日本でもラップとロックのコラボレーションは盛んになり2002年には東京のハードコアバンドのNUMBとラッパーのS-WORD、ETERNAL BとDABOのコラボレーション作品『EDSN』がリリースされた。また1998年から名古屋で開催されていたヒップホップとハードコアの祭典『MURDER THEY FALL』の存在もこうした動きの象徴する大規模なイベントだった。僕はこの時期、暫く音楽シーンから離れていたので詳細については明るくはないのだが、下記のブログのポスト記事を参照されたい。
『MURDER THEY FALLの歴史』DJOLDE-Eのオフィシャルブログ「INFRONT BLOG」
※名古屋を拠点としてDJ、パーティー・オーガナイザー等、幅広い活動をしているDJOLDE-E氏のブログから『MURDER THEY FALL』の歴史についてのポスト記事。
Live At Murder They Fall 7 on Vimeo
※2004年に開催された『MURDER THEY FALL Vol.7』に出演した愛知・常滑が生んだ不世出のラッパー、故・TOKONA-Xのライヴ・シーン。単にラッパーとしてだけでなくあらゆるジャンルを見渡しても表現者として破格のスケールを持ったアーティストだった。R.I.P.
また最近でも愛知県豊橋市を拠点に活動するハードコアバンド、SLUDGEのフロントマンであるKO-TA氏はその名もズバリ、『JUDGEMENT NIGHT』というイベントを不定期ながら地元・豊橋市で開催している。去る7月に東京のショップ・SHAFTが主宰して渋谷のライヴスペース、THE GAMEで開催されたイベント『TERRITORY』でSLUDGEのライヴを観たのだがオールドスクールのニューヨーク・ハードコアを彼らなりに消化した独自のスタイルを確立しており、テンションの高いパフォーマンスを披露していた。彼らのファースト・ミニアルバム『BURNING BURNER』には同郷のラッパー、TWO-J氏をフィーチャーした『IN MY HOOD』が収録されている。
JUDGEMENT NIGHT#7 後記|KO-TA SLUDGEのブログ
※地元・豊橋市でイベント『JUDGEMENT NGHT』を主宰しているSLUDGEのフロントマン、KO-TA氏の同イベント後記のポスト記事。
SLUDGE "IN MY HOOD feat.TWO-J"
※SLUDGEの音源『BURNING BURNER』収録の『IN MY HOOD』のプロモクリップ。同作品はショップ・SHAFT等にまだ在庫がある模様。これは必聴!
これまで長々と引用してきたニール・ストラウスの『ラップ・アンド・ロック』は最後にこう締め括っている。
「だがラップとロックを隔てる壁がどれほど徹底的に取り去られようとしても、それはきっと、例えて言えばベルリンの壁のように人々の意識の中には常に存在し続けることだろう。あとほんの数10年のうちに、この章に出てきたアーティストたちの大部分がオールディーズ・バンドとしてサーキットを回るようになり、例えばアンスラックスとRun DMCがまだその頃も頑張って活動を続けていたとすれば、彼らが共に手を携え、『Dinosaurs Of Rock And Rap(ロックとラップの恐竜たち)』などと銘打って、縮小する一方の(双方のアーティストの)オーディエンスを何とか地場固めするためのツアーをやることに疑念の余地はない-そしてきっとその時にも、彼らが掲げる人種融合のメッセージは相変わらずその意味も必要性も失ってはいないに違いないのだ。」と。
これまで様々なイベントを体験した実感としては日本でもジャンルの壁というものはそう易々と突き崩す事のできるものではないと思う。また闇雲に何でもミクスチャー、クロスオーバーしてしまうのが素晴らしいという事でもないだろう。各々のジャンルにはそこにしか存在しない美学のようなものもある。しかしニール・ストラウスが言う「人種融合のメッセージは相変わらずその意味も必要性も失ってはいないに違いないのだ。」という一文は、敢えて人種と言わないまでも、あらゆる集団や共同体同士が相互理解をする必要性というものを示唆している。例え価値観や思想信条、ライフスタイルが異なっていても相手を全否定するのでなく、お互いの個性を尊重した上での相互理解である。実社会に於いては勿論の事だが、こと音楽文化に於いてもこうした(社会的)通念は不可欠なものだと思う。