ICEPICK'13"についての4回目、〆のPART 4。

随分と更新の間隔が空いてしまったのだが、このイベントの所感の〆としてやはり改めて1970年代後半に英国で産声を上げたスキンヘッド・ミュージックについて振り返ってみたい。
このイベントに出演した各バンドのそこかしこに、オリジナルのスキンヘッド・ミュージック、そしてそれが生まれた背景にある当時の英国音楽シーンの影がちらほらと散見されたからだ。

まずアンダーグラウンド・シーンで密かに胎動し始めたスキンヘッド・ミュージックが大々的に音楽メディアに取り上げられたのはSHAM 69の登場によってだった。
SHAM 69は英国南部サリー州ハーシャムで結成されたオリジナルパンクバンドの一つである。
フロントマンであるジミー・パーシーは地元のサッカークラブ、「ウォルトン&ハーシャム」が1969年に地域リーグで優勝した際にあるサポーターが競技会場の壁に書き殴った"Walton & Harsham 69"という落書きをを目に留め、この「ヒップでクール」な落書きを「こいつはいただき」とばかり自らのバンド名に採用してSHAM 69と名乗るようになった。
元々、ロックとサッカーは1970年代初期にはグラムロッカーのSLADEの楽曲が一部のサッカーファンの間では愛唱歌として知られ、試合後のパブで合唱されていたりしていた。
両者はそれほど縁遠いものではない。
SHAM 69は1977年にインディーズ・レーベルのステップ・フォワード・レコードからシングル"I Don't Wanna"をリリースした後、ポリドールから1978年1月にシングル"Borstal Breakout"をリリース、待望のメジャー・デビューを果たした。
最初の解散までにシングル9枚、アルバム4枚をリリースし、特にメジャー3枚目となった"If the Kids Are United"は全英チャートで9位(1978年)、"Hersham Boys"全英6位(1979年)、3枚目のアルバム"The Adventures of the Hersham Boys"は全英8位(1979年)と数あるオリジナルパンクバンドの中でも彼らはセールス的にもかなりの成功を収めたと言っていい。
サッカーの応援歌を彷彿とさせる観客が一緒に歌いやすいキャッチーな曲調は「シンガロング・スタイル」と呼ばれ、英国BBCの人気TV番組の"TOP OF THE POPS"にも度々出演した。
が、彼らのライヴは血気盛んなパンクスやスキンヘッド達が度々喧嘩沙汰を起こし、プロモーターやライヴ会場から敬遠されて活動に支障をきたすようになる。
1978年のレディング・フェスティバルでは皮肉な事にそうした風評を払拭すべく、ステージでそんな思いを込めて"If The Kids Are United"を歌ってキッズたちの連帯を訴えたのだが一向に喧嘩が収まらない状況にパーシーが絶望し、ステージ上で涙を流したと言う伝説的な逸話が残されている。
1979年にSHAM 69は一旦活動を停止し、ジミーは元SEX PISTOLSのRスティーヴ・ジョーンズ、ポール・クックとSHAM PISTOLS結成を画策するが頓挫し、再びSHAM 69の活動に戻る。
そして1980年にアルバム"The Game"をリリース後、正式に解散を発表した。

後々にスキンヘッド・ミュージックを特徴付ける要素として挙げられるサッカーの応援歌然とした独特のコーラスワークもSHAM 69にその源流を見る事ができる。
サッカーとスキンヘッド・ミュージック、またそこから派生したOi!パンクは切っても切れない程縁深いものとなったのだが両者共に英国の労働者階級が生み育んだ最上の娯楽文化に数えられる。
また地域性を重んじる良い意味でのローカリズムもサッカーファンとスキンヘッド・ミュージックファン(スキンヘッズ)の共通項で、サウスロンドン出身のOiパンクバンド、THE BUSINESSは地元のッカークラブ、ウエストハム・ユナイテッドの熱心なサポーターとして知られており、2001年9月に行われたFIFAワールドカップ最終予選で英国がドイツに歴史的大勝利を収めた試合スコアをタイトルにした"England 5 - Germany 1"はヒットしてサッカーの英国代表の応援歌にもなった。
2006年、SHAM 69の"Hurry Up Harry"が2006 FIFAワールドカップのイングランド応援歌"Hurry Up England"の元曲として採用された事などはサッカーとスキンヘッド・ミュージック―その両者の新和性を改めて印象付けた。

Sham 69 - If The Kids Are United
※SHAM 69のメジャー3枚目、通算4枚目のシングルで全英チャート9位を記録する最大のヒットとなった。レディング・フェスでのエピソードはあまりにも有名。

Sham 69 - Hurry Up Harry (Original Promo Video) (1978) (HD)
※彼らの5枚目のシングルでリリースから27年後2006年のFIFAワールドカップのイングランドチーム応援歌の元曲となった(全英チャート10位)。

SHAM '69 & THE SPECIAL ASSEMBLEY - 'Hurry Up England'
※前出の2006 FIFAワールドカップ応援歌のキャンペーン映像。

SHAM 69が音楽シーンに登場した1970年代中期にはスキンヘッド・ミュージックの歴史を語る上で欠かせない、もう一つの重要なバンドであるSKREWDRIVERも活動を始めた。
彼らについては以前にもこのブログに書いたのだが改めてもう一度。
SKREWDRIVERは英国北西部ランカシャー州ブラックプール(ポールトン・ル・フィルド)で1976年に産声を上げた。
フロントマンのイアン・スチュアートはTUMBLING DICEというローリング・ストーンズのカバー・バンドをやっていたのだが、マンチェスターでSEX PISTOLSのライヴを観て刺激を受けパンクバンドの結成を思い立ち、SKREWDRIVERを結成した。
ロンドンのロキシーやヴォルテックス等、パンクバンド御用達のクラブ出演で人気を博し、パブロックバンドやパンクバンドをリリースしていたインディーズ・レーベルのチズウィック・レコードから1977年に"Your'e So Dumb""Anti-Social"の2枚のシングル、 12インチEP(アナログプレーヤーで45回転フォーマット)仕様でのアルバム"All Screwed Up"をリリースした。
注目すべきは"Anti-Social"ではストーンズのカバー・バンドをやっていた名残か、ジャガー/リチャードの名曲"19th Nervous BreakDown"がB面に収録されている。

SKREWDRIVER - 19th (Nervous) Breakdown
※SKREWDRIVERの2ndシングル"Anti-Social"のB面収録のローリング・ストーンズのカバー。彼らの音楽的ルーツが垣間見える。

また同シングルのリリース時まではメンバーのルックスがテディーボーイ・スタイルだったのだが僅か数ヶ月後にリリースされた"All Screwed Up"ではスキンヘッズに変貌している。
"All Screwed Up"は全曲、キャッチーでポップな乗りの良いパンクロックサウンドで、歌詞も後にホワイトパワー・スキンヘッドバンドの急先鋒となる白人至上主義的な色合いはなく、NMEやサウンズ、メロディーメーカー、レコードミラー等、当時の英国音楽プレスで絶賛された。
"ICEPICK'13"に出演した名古屋のバンド、AGGRO KNUCKLEはこのアルバムに収録の"I Don't Like"をライヴレパートリーにしており(この夜も演奏した)、1stアルバム"Unshakable Determination"にも収録している。
この夜のライヴでもAGGRO KNUCKLEのフロントマンはこの曲を演奏する前に「偉大な男に捧げます。」というMCを入れていて、彼らのSKREWDRIVERやイアン・スチュアートへの強い思い入れが感じられた。

SKREWDRIVERのレコードをリリースしたチズウィック・レコードは英国のロンドン、ソーホー街にあった「ロック・オン」というレコード店のオーナーだったテッド・キャロルと彼のビジネス・パートナーだったロジャー・アームストロングによって1975年に設立されたインディペンデント・レーベルだ。
テッドとロジャーは二人ともアイルランド出身で、ロンドンに出て来る前には同地で幾つかの音楽エージェンシーやプロモーターを務めた経験があり、テッドはハードロックバンド、結成間もない頃のシン・リジーのマネージメントを務めていた事もあった。
チズウィックはパンクロック誕生の下地を作った所謂「パブロック」のバンドの作品を多数リリースしたのだが、ファーストリリースはTHE COUNT BISHOPS(後にTHE BISHOPSと改名)のシングル"Speedball"だった。

The Count Bishops - Train, Train
※THE COUNT BISHOPSのチズウィックからの2枚目のシングル。"Train,Train"と言えば確か大のパブロックファンであるヒロト氏が率いたブルーハーツにも同名曲があった。

The (Count) Bishops - I Want Candy - TOTP 1978
※THE BISHOPSと改名してリリースした通算5枚目のシングル曲。ソリッドな演奏はドクター・フィールグッズにも決して引けをとらない。

以後、パンクバンドのTHE CLASHの前身バンドであるTHE 101ERS(ジョー・ストラマーが在籍していた)やJOHNNY MOPED(かつてはTHE DAMNEDのキャプテン・センシブルやTHE PRETENDERSのクリッシー・ハインドが在籍)等の作品をリリース、インディペンデント・レーベルならではのフットワークの軽さもあり、他レーベル(スティッフ・レコード)からデビューしたTHE DAMNEDが契約切れとなると見るやいち早く彼らと契約を結んで作品をリリースしたり、パンクムーブメントの勃興によりプロトパンクバンドとして再評価の気運が高まっていた米国のバンド、MC5のギタリストだったウェイン・クレイマーのシングル"Ramblin' Rose"を前出のスティッフ・レコードと共同制作という形でスティッフウィック(STIFFWICK)・レコード名義でワンショット・リリースした。
またパンクロックの台頭により当時ジャンルとしては下火になりつつあったハードロック/ヘヴィメタル界隈ではサイケ/スペースロックバンドのHAWKWINDを脱退したレミー・キルミスターが新たに結成したMOTORHEADと契約して彼らの記念すべきデビュー・シングル、ファーストアルバムをリリース。
MOTORHEADは次作からブロンズ・レコードに移籍してしまうのだが彼らがこの直後の1980年代初頭に隆盛を極めたNWOBHMの重要バンドとして一世を風靡する事を考えるとチズウィックに先見の明ありと感嘆せざるを得ない。

Motorhead - Beer drinkers and Hell Raiser [1977-with Lyrics]
※MOTORHEADが1980年にBig Beat Recordsからリリースしたパブロックテイスト溢れる緩めのR&Rナンバー。1977年に二日間で録り上げたという1stアルバム用のレコーディング・セッションの未発表曲。

話をSKREWDRIVERに戻すと、チズウィックの共同オーナーだったロジャーがチズウィック時代の彼らについて回想したインタビューがアップされているのだが、それを読むと中々興味深い記述がある。

Skrewdriver - Raw early punk and oi on Chiswick Records
※初期パンクバンドにスポットを当てるネットファンジン"punk77"にアップされているSKREWDRIVERのバイオグラフィー。

Skrewdriver - Roger Armstrong interview.
※"punk77”のSKREWDRIVER特集にあるチズウィック・レコードのロジャー・アームストロングの回想インタビュー。

ロジャーの回想によるとSKREWDRIVERがチズウィックと契約するきっかけはブラックプールから郵送されてきた彼らの写真が添えられたデモテープだった。
それはノイズ混じりの酷い音質だったのだがロジャーは当時、SEX PISTOLSに於けるマルコム・マクラレンやTHE CLASHのバーニー・ローズのようなパンクバンドの仕掛人的なポジションに色気があって彼らと契約したらしい。
またチズウィック在籍時にはイアンは所謂ホワイトパワー=白人至上主義的な徴候は一切見せなかったという事だ。
ただ、インタビューの冒頭で彼らは音楽的には本当に素晴らしいパンクバンドだったと断言している。
またドラマーのグリニーは英国北部の社会主義活動家で、バンドの他のメンバーは後にイアンが白人至上主義的な思想を前面に出すようになった事に憤慨していたらしい。
面白いエピソードとして、多くのパンクバンドのアーティスト写真やアルバムカバーを撮影した事で有名な写真家のPeter Kodik(THE DAMNEDの1stやTHE JAMの”All Mod Cons etc.)が彼らのマネージメントを手がけるようになり、"All Screwed Up"の裏ジャケットに写っている歯の写真はPeterがレコードのカバー写真を撮っていたパティ・パラディンの歯だという。
パティは当時、ジュディ・ナイロンとSNATCHというアートパンクバンドをやっていて後にジョニー・サンダースとデュエット・シングル"Copy Cat"をリリースした。
余談だがSNATCHのメンバーだった二人の女性アーティストはロンドンとニューヨークを行き来して当時のオルタナティブな音楽シーンの最先端で活動していた。
ジュディ・ナイロンはブライアン・イーノやジョン・ケイル、さらにはダブマスター、On-U Soundレーベルを率いるエイドリアン・シャーウッドの幾つかのプロジェクトにも参加している。
いやはや、音楽シーンの人の繋がりは本当に狭くて広い(笑)。

1970年代初頭から英国で静かな盛り上がりを見せたパブロック・ムーブメント(パンクロックほどセンセーショナルな話題を振り撒かなかったが)は、1960年代のブリティッシュビートや米国のソウル/ファンク、英米のルーツ音楽(英国伝承のフォーク・バラッド、米国産カントリー・ミュージック)等様々な要素を取り入れた(当時としては)新しい感覚を持ったアーティストやバンドが英国のパブで演奏するようになり、そこに目を付けたレコード会社と音楽メディアがユナイテッド・アーティスツからメジャーデビューしたドクター・フィールグッド等をバックアップして、高度なミュージシャンシップを持たなくてもロックできる~パンクロック・エクスプロージョンの導火線ともなった。
パブロックと一言で言っても先述のようにその音楽性は非常に幅広いものがあり「これがパブロックだ」とは定義し辛い。
例えばパワーポップバンドの草分け、THE MOTORSを率いて活動していたブラム・チャイコフスキー(古典音楽の大家であるブラームスとチャイコフスキーを掛け合わせたステージネーム)などはサウンド的には一般的にパブロックという言葉がイメージするバンドの音とは掛け離れてるかもしれない。
が、彼らも幾度かのパブサーキットを経て漸くヴァージン・レコードからデビューするに至った筋金入りのパブロッカーだ。

Bram Tchaikovsky - Girl of my Dreams - LIVE!
※ブラム・チャイコフスキーの初のソロ・アルバム『パワーポップの仕掛人』(1979年)に収録されている"Girl Of My Dreams"。知る人ぞ知るポップ・マエストロだがキャッチーでメロディアスな楽曲とは好対照のゴツくて骨太なルックスにパブサーキット上がりの逞しさが滲み出ている。

SKREWDRIVERも元々は地元のクラブ(広義にはパブも含まれる)でストーンズのカバーを演目にバンド活動をスタートさせた。
彼らは当初はパンクバンド、後にスキンヘッドバンドと呼ばれるようになるが活動開始時期から省みるとそんなパブロッカーの臭いがぷんぷんと漂っている。

"ICEPICK'13"を体験し、「スキンヘッド・ミュージック」と一括りにできないような多種多様な音楽性を備えたバンドを見るに付け、何故か個人的にパブロックのイメージが頭をよぎった。
それはバンドやスタッフ、観客も皆、飾り立てたりしない、気のおけない連中の集まった会場の雰囲気だったかもしれないし、バーカウンターで垣間見たそんな仲間内で酒盛りしてジョークを飛ばし合っているアットホームな空気だったかもしれない。
出演したバンドも秋田出身の鎧はMOTORHEAD直系~進化型のメタリックなスキンヘッド・ミュージックを聴かせてくれたし、AGGRO KNUCKLE、桜花は共にSKREWDRIVER派生~発展型のビュアなスキンヘッド・ミュージックなのだが前者は重厚でメタリックな中~後期SKREWDRIVER的な味わいがあり、後者はオリジナルパンクに立脚した初期SKREWDRIVERのサウンドを想起させた。
CRAWLERはキャッチーなコーラスワークが聴き所でOiパンクをベースにそこはかとなくパワーポップの要素も感じられた。
BOUND FOR GLORYはSKREWDRIVERから派生して独自の進化を遂げ、ブラックメタルの要素まで導入したエクストリームなスキンヘッド・ミュージック、そしてトリの鐵槌はメンバー全員、強固なミュージシャンシップに裏打ちされ、1970年代以降のロックが提示した多様なサウンドエッセンスから絶妙な取捨選択した強力無比なサウンドで正に日本発、日本独自のスキンヘッド・ミュージックを轟かせた。

パブロックの範疇で語られるバンドはサウンド志向、音楽性については本当に雑多なものだがやはりどのバンドもパブサーキットで鍛えられた現場叩き上げのタフさ、逞しさを感じる―ドクター・フィールグッド然り、ブラム・チャイコフスキー然り、イアン・デューリー然り‥。
この夜見たスキンヘッドバンドもパブロックバンド同様のタフさ、逞しさを感じた。
ネット社会になって音楽配信の普及し、産業構造が一変した‥CDやらDVDやらパッケージソフトが売れない‥ライヴハウスでのショウも需要と供給のバランスが崩れてライヴハウスが飽和状態にある、etc,etc...
そこかしこからそんな声が聞こえる今日この頃、この夜見た連中はきっとどんな状況にあろうと涼しい顔をしてバンド活動を続けていくだろう。
おそらく彼らの身体が動かなくなるまで。
どのバンドもそんな肉体的・精神的なタフさを見せ付けてくれた、忘れ難い一夜だった。

追記

来たる10月20日に新木場STUDIO COASTで開催されるイベント「ECHOES」に"ICEPICK'13"に出演したAGGRO KNUCKLE、鐵槌が登場する。
他にも上記2バンドと同じようなマインドを持つ京都のハードコアバンドKiMも出演する興味深いイベントだ。

HAWAIIAN6主催イベント「ECHOES 2013」
※10月20(日)に新木場STUDIO COASTにて開催されるHAWAIIAN6主催の異種音楽祭「ECHOES」のイベントガイド。